ホイッスル
心の中に流れるホイッスルの音。感性を刺激する文章で読者を振り向かせ、社会に警鐘を鳴らすコラムです。ここでは、紙面に掲載できなかった色とりどりな声をお届けします。部員のオピニオンにぜひ目を通してください。
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攻めの1年
明大スポーツ新聞 2022.02.03ニューイヤー駅伝、箱根駅伝が終わり1年の始まりを実感する。私が、陸上部出身だったということ、駅伝に影響されやすきということもあり、1月は走りに外に出ることが多い。大学生になってから運動習慣が無かったので身体の衰えを実感するが今後走る習慣を再びつけたいと思い始まった2022年。そんな今年の目標でさえ駅伝に影響されている。 今年の目標を抽象的に表すと「攻める」ことである。今年の箱根の復路、青学の選手は優勝がほぼ確実であるにも関わらず序盤から攻めた走りで9区、10区で区間新記録を樹立。影響されやすい私はここから今年の目標を定めた。今までの私は、時間を言い訳にやりたいと思ったことに挑戦しないことが多かった。そこを、今年は変えたいと考えている。しかし、言い訳にするくらいなのでやはり時間が足りなくなるのは間違いないだろう。 多くのやりたいことに手を出しすぎて学生の本業である勉学に影響が出るのはよくないだろう。さらに、挑戦していない現在でも勉学の方はかなりのピンチである。時間の使い方の見直しは必要だ。ここのやり方についても駅伝から見習う。選手は攻める走りをするにしても失速しないペースに調整して走る。自分の能力を超えたペースで走り失速するのを攻めとは言えない。私も自分に可能な範囲での挑戦にし、それら1つ1つにおいて攻めの姿勢を忘れないことを意識する。今まで、新年に立てた目標というのは毎回果たせなかったことが多い。今年こそは果たしたい。[松田遥歩] (執筆日1月9日)READ MORE -
いい流れはいい部屋から
明大スポーツ新聞 2022.02.03大みそかは大掃除。わが家の恒例行事が幕を開けた。といえども私の攻撃範囲は自分の部屋だけであるが。元来、整理整頓のせの字もないほど片付けが苦手な私である。年末のバイト三昧を言い訳にして散らかった部屋を前に「めっちゃめんどい」。そう言い続けているとついに母の堪忍袋の緒が切れた。「部屋が汚いと心の中がぐちゃぐちゃになるし、運もやってこないよ」と。 2021年を振り返ると、自分の部屋が汚いために起きたやらかしは多々ある。物があふれた部屋から目的のものを見つけ出せず、遅刻。机の上が汚いために勉強へのやる気が起きず、単語テストで撃沈。思い返すほど母の言った通りだ。部屋が汚いだけでモチベーションが上がらない。心がいつも焦ってイライラしていたかもしれない。 ここで釈明すると、毎日部屋が汚いというわけではない。週が始まってからだんだんと物が散らかってくるのだ。そして日曜日にリセット。ただ、部屋が散らかる過程で少しずつ何かを無駄にしている気がする。時間だったり気持ちの面だったり。 「部屋は心の表れ」という母のありがたい言葉を胸に、大掃除を開始。半年前から物であふれて開けることのできなかった机の引き出しを開けることに成功。もう読むことのない高校生の恋愛漫画も売り払った(締めて130円)。ポリ袋1枚分のいらない物を部屋から排出し断捨離に達成。少しだけ生まれ変わったような気持ちがする。格闘の末、部屋をきれいにして新年を迎えることができた。さらに初詣で大吉を獲得。確実に、私に流れが来ている予感がする。2022年は部屋を毎日きれいにすることを維持して、いい流れを呼び込んでいけますように。[新谷歩美] (執筆日1月9日)READ MORE -
呪いの言葉
明大スポーツ新聞 2022.02.02菊地の記事は面白くないね。5月の中旬だろうか。一度送った記事の添削に青い字で書いてあった。続きには「もっといろいろな表現を使ってみよう」と書いてあり、表現の参考にすべき先輩の名前が羅列してあった。 記事が面白くないとは、どういうことなのだろうか。自分が主に書いているのはWEBの観戦記事だ。紙面の記事や、コラムでもない。その日の試合の顛末を端的に伝えることに徹した方が読みやすいのではないか。大体毎試合毎試合面白さを求めて書いていては疲れるし、狙いに行っているようにも見えてしまう。自分の担当部の都合上、取材や記事の作成が多いので、機械的になってしまっていることは否めない。しかし、「面白い記事って、何?」。普段は作業的に直すだけの青色の文章が、酷く心に引っかかった。 自分の記事は、面白くない。何となくそう思いながら半年以上過ごしてきた。代交代も見えてきたし、周りを見れば次のステップに向けて進み出している人たちばかり。それなのに自分は、一番初歩的な記事の書き方で悩んでいる。これがまた自分を焦らせている。この1年間、自分は現地取材がメインであり、記事はその成果物のはずだ。目に見える結果のはずだ。それが「面白くない」。このしこりはいつになったら取れるのだろうか。 結局、分からないまま新年を迎えた。解決方法も分からなければ、あの1文を忘れることもできない。来年度も、取材に行って記事を書く度に、呪いの言葉と戦っていくことになるのだろう。 余談だが、「いろいろな表現を使ってみよう」と言うのなら、「面白くない」ももう少しマイルドな表現にしてほしかったと思っている。あ、愚痴じゃないですよ?あくまで改善点を述べただけですので。[菊地秋斗] (執筆日:1月9日)READ MORE -
ラグビーまみれの1年
明大スポーツ新聞 2022.02.02元日、私は八幡山グラウンドにいた。初詣に行くよりも先に。これが2年目の正月取材だった。思えばクリスマスも八幡山にいた。まあクリスマスに過ごす相手はいないが(泣) 今年度の明大ラグビー部は年越しさえも危ないのではと思われていた。関東大学対抗戦の中盤こそ昨年度苦戦した筑波大戦、慶大戦と快勝。これはもしやいけるのでは。だが期待はここまでだった。帝京大戦、早大戦で敗戦。いずれも7点しか取れず。ゴール前でミスが連発する試合にいらだち、失望した。頑張って新聞も作ったのに。その結果、全国大学選手権(以下、選手権)も死のロード。年内終戦が現実味を帯び早くも来年度どうしようかなと考える自分がいた。 だが、迎えた選手権で明大は私の予想を覆した。初戦、昨年度王者天理大戦に勝利。久々の勝利にまずは安堵(あんど)した。そして迎えた明早戦。カメラを片手に初めて秩父宮のピッチに立つ。試合は前半リードされるも後半に逆転。最後の5分は緊張感でカメラを構えるのを忘れた。興奮で震える手を抑えて選手たちの歓喜をカメラに収める。グラウンドレベルで見た選手の気迫、そして試合後の涙を見て私は人生で初めてスポーツで泣きそうになった。 昨年度のチームはそこまで思い入れがなかった。取材も少なかったし何より秋入部の私にとっては急だった。そのため正月取材は面倒だった。ただ今年度は春からじっくり取材を重ねた。そして何より選手権で感じた興奮。正月の取材はあまり苦痛に感じなかった。 決勝で惜しくも帝京大に敗れ準優勝。ただ選手たちの姿に感動を覚えた。年越しさえも危ぶまれたチームが成長し決勝まで来たことに心の底からすごいと思った。だからこそ来年こそは優勝してほしい。そして国立のピッチで歓喜とうれし涙を流す選手を写真に収めてみたい。[牛嶋淳太郎](執筆日:1月9日)READ MORE -
学生記者である自分にしかできないこと
明大スポーツ新聞 2022.02.011月5日。新年早々に私は北海道・帯広にいた。新年1発目、そして実質最後の大会取材であるフィギュアのインカレ取材。この大会は連盟も学生中心に運営されており、取材も基本的に大学新聞のみ許される大会だ。フィギュア取材では珍しいことで、学生記者としては腕の見せ所。学生記者の自分にできること、ファンの求めるコンテンツなど、これまで3年間研究し尽くした全てを発揮しようと人一倍奮闘した。 思えばフィギュアは注目度が高くプロと同じ現場で取材をすることが多かった。貴重な経験にはなったと思うが、圧倒的に劣等感が勝る。常に学生の立場は弱く、カメラマン席に入れなかったり、取材申請が下りなかったこともあった。その悔しさから常に「学生記者の自分だからできること」を意識してきた。学生という立場を生かし、自分にしか提供できない価値を追求し続けた。 たどり着いた答えは「選手と仲良くなる」ということ。選手たちは輝かしい舞台で活躍するスターだが、あくまで学生。同じ学生という立場を生かして選手との距離を縮め、心を許してもらうことで少し踏み込んだ話を引き出す。簡単のように思えるが、私はそうは思わない。自分の強みであるコミュケーション能力があったからこそできたことだと自負している。実際に先日行われた全日本フィギュアでは、普段から親交の深い樋口新葉(商3=開智日本橋学園)からの独占コメントをもらい、多くの反響をいただいた。インカレでもさまざまな場面で生かされた。まさに自分が追い求めた価値を提供できた瞬間だった。 学生記者もこの1月で引退。かと言って落ち着く暇もなく就活が控える。就活ではまさに自分が提供できる価値が問われる。明スポでの経験を生かして納得できる結果を残し、残り1年となった大学生活が「最高だった」と言えるものにしたい。[加川遥稀](執筆日:1月7日)READ MORE -
充実した日々
明大スポーツ新聞 2022.02.012021年も終わり、ついに2022年がスタートした。自分もついに今年で22歳になると思うと、少しずつ歳をとるのが嫌になってくる。誕生日を心から喜べないという大人たちの言葉が理解できてしまうのが少し寂しい。他にも昔よりも疲れは取れにくくなるし、筋肉痛も遅れてやってくるなど、自分も歳をとってのだとしみじみと感じている。 しかし、一つだけまだ理解できないことがある。それは年を取ると一年が昔よりも早く感じるということだ。よく自分の親や先生などは若い時よりもあっという間に一年が経つということを話している。しかし去年一年を振り返っても、自分にとっては高校のときと負けず劣らず濃密なⅠ年間を送った。むしろ長い一年だったなとすら感じているぐらいだ。 去年の一年間は今までに経験したことのないことがたくさんあった。まずは車を運転できるようになったため、北は北海道から南は鳥取までいろんなところに行った。時には後輩を巻き込んで盛大に事故りそうになりながらも、なんとか運転することができた。次に自分が最終学年になり、明スポとのかかわり方が変わった。先輩に教わる側から後輩に教える立場になったり、一人でインカレ取材のため遠征をした。また、同期におんぶにだっこ状態だったが校閲という重要な役職につき、明スポの新聞製作に携わることが出来た。しんどいこともたくさんあったが、今となっては校閲に就けたことに誇りを持っている。ここでは書ききれないほど新しい経験がたくさんあり、本当に楽しい一年だった。 常に新しいことに挑戦する限り、一年があっという間だとは感じないのだろう。何歳になっても好奇心を忘れることなく、いろいろなことに興味を持ち、行動できる大人になりたいなと思った。【久野稜太】 (執筆日:1月9日) READ MORE -
学生スポーツ
明大スポーツ新聞 2022.01.22「場合によってはもう応援してほしくないと思っています」。この一文は、競走部の園原健弘総合監督が箱根駅伝直後のブログで書いたものだ。選手や部全体に向けて心ない言葉を送ったOBへのメッセージ。この一文を読んだ時に園原総合監督がすてきな人だと感じることができた。 新年明けたばかりの1月3日。明大は復路3位と健闘したものの、総合14位でシード権獲得とはならず。私自身もラグビー取材の傍ら、箱根駅伝を楽しみにしていた。結果は残念だったかもしれない。だが、試合後選手たちのSNSに寄せられた罵詈雑言(ばりぞうごん)をとても見てはいられなかった。 学生スポーツの在り方とは何なのでしょうか。選手たちは、プロではない。もちろん注目を集め、学生ながらスターの選手は存在している。けれど、あくまでも選手はみんな大学生。ファンの方のお金を基に生活しているプロとは違う。プロは結果が出せなければ厳しい言葉を掛けられることも起こり得る。しかし、学生は立場が違うでしょう。選手として活躍して生きていけるのはほんの一握り。大半の選手は最終的に社会で働かなければいけない。社会人として通用する人材を送り出すために学生スポーツは存在するのではないだろうか。 お金の絡まない、純粋な学生たちの熱い心に魅力を感じている人も多いはずだ。八幡山で頑張る選手たち。サッカー部と競走部の寮はお世辞にもあまりきれいとは言えない。あの環境の中で、全国上位に食い込んでいるだけで十分に立派だ。文句ではなく、温かい応援と目に見える支援をしてはいかがだろうか。総じて、結果がどうであれ競走部の皆さんには拍手を送りたい。乱暴な言葉が聞こえないように大きな音で。[田中佑太](執筆日:1月7日)READ MORE -
大人の階段
明大スポーツ新聞 2022.01.12「彼女できた?」や、「彼女いるの?」など、大学生になってからこの類いの質問は耳が腐るほど聞いてきた。僕の答えはいつも決まって「いや、いないよ(笑)」。そもそも自分は好きな人ができたことがあるのか。そのような疑問を感じざるを得ない出来事があった。 それは部室掃除を行っていた時であった。謎のビンゴマシンが見つかり、せっかくだからやってみようという話に。その際に自分の番号を決めるのだが「過去の好きな人で番号付けよう」となった。例えば、ナコさんなら75番、ナオさんなら70番。こんなにきれいにはまらないので当て付けのように決めた。一緒にやっていた先輩は淡々と数字を決めていたのだが、自分は過去をいくら掘り返っても頭に誰も浮かんでこない。焦ったあげくTWICEのミナと言って、37番を自分の番号にした。 今まで生きてきた中で好きな人がいないというのは大した問題ではなかった。今振り返ると修学旅行の恋バナでは自分はとてもつまらないことを言っていたのかもしれないが。しかし、大学生になるとそれは大きな問題となった。周りは当たり前のように付き合って、大人の階段を登り始めているのだ。その中で自分は付き合うどころか好きな人すら記憶にない。この話を友人にすると「まだ子供なんだよ」と一蹴される。 物事は何事も自分なりのペースで。とはよく聞くものの、やはり焦る気持ちはもちろんある。しかし、僕は身体の成長が人よりも遅かった。心の成長も人より遅いだけだと割り切って、自分なりのペースで、まずは人を好きになってみよう。 [中村謙吾](執筆日:12月13日)READ MORE -
今を輝く
明大スポーツ新聞 2022.01.12朝は忙しい。眠たい顔に水をかけて、日焼け止め、クリームを塗りたくる。眉マスカラで眉に色を付けたら、第一関門であるアイシャドウの色選びへ。可愛くピンクか、元気にオレンジか。ブラシで濃く色を付けるか、指でぼかすか。決まらないから最終的には神様の言うとおりにする。二つ目の関門はアイライン。アイラインの仕上がりでその日のテンションが変わると言っても過言ではない。太さと長さが左右の目で均等になるように神経を研ぎ澄ます。 それができたらドライヤーで髪を整えながら髪型を考える。不器用な私はヘアアレンジが苦手だ。残念なことに記憶力もあまりよくないので、やり方を検索しても翌朝には忘れてしまう。結局ヘアアクセサリーをつけて自分をなだめる。そこから服を着替えてアクセサリー選びだ。今日もトーナメント戦。審査員は鏡と私で、どんどん数が絞られていく。あ、もうこんな時間。今日のイヤリングはこれにしよう!よし完成。今日も頑張ろう。 こんなに朝の準備に時間をかけるようになったのはつい最近のことだ。好きなアイドルの影響で雑誌を読み始めたことがきっかけかもしれない。別におしゃれしなくても生きていける。そして人は見かけではない。でも、私は可愛くなりたいのだ。どうしてもどうしてもキラキラした人になりたいのだ。だって憧れの大学生になったから!これまで我慢していたことは全部やらなきゃ。それに今可愛いと思うものは将来の自分の好みか分からない。実際今、小学生の時とは可愛いと思うものが違う。まだ成長と言っていいのか、もう老いに入っているのかはわからないが、年を重ねていることは確かだ。止まらない今を全力で楽しみたい。そして何歳になっても自分をうきうきさせられる自分でいたい。[新村百華](執筆日:12月13日)READ MORE -
込められた思い
明大スポーツ新聞 2022.01.12近年、日本の年賀状という文化はなくなりつつある。家に届く年賀状は年々数を減らしており、新年のポストの中は寂しくなっている。自分もここ数年で年賀状を送ることはほぼなくなってしまった。 年賀状衰退の原因として、ここ数年でスマートフォンが普及し、ラインなどのSNSの利用者が広まったことが挙げられるだろう。親しい友人関係であるならば、新年の挨拶はそこで手軽に済ませばいい。それに比べて、年賀状は手間がかかりすぎる。年賀状を印刷し、そこにメッセージを添えて、新年に届くように送らなければならない。これは時間だけを見れば非効率以外の何物でもない。そもそも、年賀状という文化が始まったのが明治時代ごろと言われている。そんな100年以上前の文化を現代のインターネットが当たり前の時代に行っているのだから消えていくのは当然だろう。 しかし、思考を変えてみると、衰退しながらも100年以上前の文化が今にも残っている、これは相当珍しいことである。そんな昔の風習はとっくに消えていてもおかしくない。では、なぜ年賀状はその存在感を薄めながらも、現代に生き残ってきたのだろうか。私は、1番に年賀状にはさまざまな意味で「重み」があるからだと考える。質量的な重みだけでなく、年賀状にはラインのメッセージでは伝わらない誠意を相手に伝えられる。だからこそ生き残ってきたのだと思う。 これは新聞も同じだ。記事をインターネット上で読むよりも、紙面として読んだ方が読み手に努力や思いを受け取ってもらいやすいだろう。そのような物の制作に関われていることを、私は嬉しく思う。[細田裕介] (執筆日:12月13日)READ MORE