
新人記者イチ押し選手!2021
未来の明大を担うのは俺たちだ! 1、2年生の体育会選手に焦点を当てるルーキー特集です。取り上げられているのは今後の活躍が期待されている選手ばかり。今年度明大スポーツに入部した新人記者が、一生懸命記事を書きました。フレッシュな特集を是非ご一読ください!
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島田拓 自分を超えるために 路を走り続ける
競走 2021.09.11今年度、特に有望なルーキーがそろった競走部。札幌山の手高のエース・島田拓(営1=札幌山の手)もその一人だ。高校3年次には、5000メートル道高校記録を9年ぶりに更新した。大学でも「チームをリードする存在」へ。駅伝への出走を目標に、さらなる高みを目指す。 山の手のエース 全国高校駅伝にも出場する伝統校に進学した島田。チームメートは地元出身ばかり。「この人たちには負けられない」。そんな思いを背負って千葉から北海道へやってきた。凍った道で思うように走れない。環境の変化に苦労しながらも、チームを引っ張る存在へ成長した。しかし、最初からエースの自覚があったわけではない。同じ負け方が続き、くじけそうになった時「おまえはどうしてもエースにならなきゃいけない」。監督から放たれた言葉が、意識を変えた。「無理やりにでもエースの感覚を」。自分がチームをなんとかする、そんな思いを原動力に練習を重ねた。都大路でエース区間・1区を任せられた時にはもう、エースであることが当たり前になっていた。 走り続ける理由 「昔からそんなに走るのが好きじゃない」。走るのは苦しい。やめたいと思うこともあった。それでも走り続けるのは、努力が報われる瞬間があったからだ。道高校記録を塗り替えたレースでは、自己ベストも30秒以上更新。周りから認められ、大きな自信になった。陸上はそこで初めて「やっていて良かった」と思える。その喜びを経験するとなかなかやめられない。だから大学でも、陸上を続ける道を選んだ。 悔しさをバネに 明大に入学して初めての大舞台・U―20日本選手権。3000メートルでは、自己ベストを更新するも、18位に終わった。前を走ったのはほとんどが高校生で「かなりボロボロにされてしまった」。5000メートルでも青学大との差を見せつけられ、苦しい現状を痛感する。手が届くほどだった同期との差も広がってしまった。 4年間の目標は、箱根で区間賞を取ること。1年生で駅伝メンバー入りを目指す中、上半期は「成長はほとんど見られない」苦しい時間だった。 一方で、新しい環境に慣れ、昨年度の自分を超える「土台となるような過ごし方ができた」と手応えも感じた。チームで、駅伝で、必要とされるために。その準備はできた。秘めた闘志を胸に、島田の挑戦は始まったばかりだ。 [覺前日向子] ◆島田 拓(しまだ・たく)営1、札幌山の手高。スイーツが好きで、自粛期間には手作りしたことも。174センチ・56キロ。READ MORE -
手塚崚馬 自分を貫く卓球を
卓球 2021.09.11静かな努力家。内に秘めた卓球への強い思いが彼を強くする。6月に行われた関東学生新人選手権ではダブルスで優勝を収める活躍を見せたが、そこにたどり着くまで決して平坦(へいたん)な道のりではなかった。つらい時期を乗り越えて確立した今がある。 確立した自分の卓球 卓球は兄の影響で小学2年次に本格的に始めた。強豪・明徳義塾中へ進学すると3年次には全国中学校卓球大会で優勝。ナショナルチームに参加するなど、着々と結果を出していった。しかしその裏には多くの努力と覚悟があった。転機となったのは中学2年次の秋頃。中学1年次に通用したドライブ型では結果を残せなくなっていた。「決め球がないと、ラリーだけでは勝てない」。悩みを抱えたままプレーを続けていたある日、球をたたく技と前陣プレーを見込んだ監督はスマッシュを決め球とする戦術を勧めた。そこで心機一転、戦術をドライブ型からスマッシュ型に変更。練習を重ねると全中優勝として大きな成果が表れた。「最初はうまくいかなかったが最後まで諦めなかった」。 スランプを乗り越えて 高校進学後、ベスト4入りをインターハイで果たすも、その後ケガで結果が出せず苦しむことに。悪いイメージを払拭できず思うようにいかない日々に自信を失った。しかし、高校2年になるという新しい機会に、自分と向き合うことで少しずつ自分の卓球を取り戻していく。「自分のプレーを見直して、常に挑戦者の気持ちを大事にした」。ケガをして不安な気持ちが大きくなっていた自分に自信を取り戻したとき、再び卓球に自分ならではのプレーを見出した。 先輩の背中を追って 「日本でトップクラスの大学」と語る明大に進学して宮川昌大選手(情コミ2=野田学園)と組んだダブルスで優勝するという鮮烈な大学デビューを果たした。その翌月に行われた全日本大学総合選手権。準優勝に「2位は全然うれしくない」と悔しさを浮かべる先輩の姿に刺激を受けた。「自分も先輩のように強くなりたい」。大学4年間の目標として掲げた「インカレ優勝」はその決意の表れだろうか。大学生になってからは自分で考えて練習することを意識し始めた。生活のすべてが卓球につながると日々の努力に気合を入れる。明大のプライドを背負った原石はまだ輝きだしたばかりだ。 [新村百華] ◆手塚 崚馬(てづか・りょうま)政経1、明徳義塾高。はしゃぐよりもゆっくりする時間を大切にしたいタイプ。176センチ・63キロ。 READ MORE -
道添天午 インテリ短距離ランナーの挑戦
競走 2021.09.11全国各地から優秀な選手が集まる明大競走部。その多くがスポーツ推薦だが、一般入試を経て入部し、文武両道を目指す選手もいる。短距離部門に所属する道添天午(理工1=戸山)もその一人だ。コロナ禍という激動の時代のなか、粛々と己を高め続ける短距離ランナーに迫る。 陸上との出会い 「運動会でリレーの選手になったので、陸上部にしようかなと」。競技を始めたきっかけは至ってシンプル。「中学校の体育の授業でハードルをやってみて、結構得意だった」と専門種目の400メートルHに関しても当初から苦手意識は無く、自然とその道を歩むように。高校はSSH(スーパーサイエンスハイスクール)にも指定されている都内屈指の進学校・戸山高に進学。進学校ではあるが、自由をおもんじる校風もあり、勉学とスポーツの両方に精力的に取り組むことができる環境だったという。 転機となる試合 そんな環境で努力を続けていた道添に転機が訪れたのは高2の都内新人戦。初めて決勝まで進み「一本勝ち残ってもう一本走るということを経験できた」と、確かな手ごたえを感じることができた。都大会というハイレベルな選手が集まる大会で、一つ上の勝負の世界を体験し、競技への姿勢は大きく変わっていく。後の大学生活でも「エアコンをつけすぎず、練習時との温度差をなくす」といった競技へのストイックな気持ちは忘れていない。間違いなく道添の競技人生を変えたレースの一つだった。 そんな矢先、新型コロナウイルスという、思ってもみない横やりが入る。「高3の全総体が無くなった」。目標としていた大会が次々消えていく。しかし、リモートで行われた大会で都5位にまで躍進。「自分のレースに集中していた」。コロナ禍でも芯を曲げずに陸上選手として大きなステップアップを果たした。 目指す先は一つ 一般受験を経て明大に進学した後、高校時代の経験と競技場のアクセスの良さから競技継続を決める。大人数での練習が難しい状況のなか、個を重視した練習方針と「マイペースな感じ」と言う自身の性格が合っていたこともあり、不自由は感じていないと語る。大学でも400メートルHを専門とし、経験豊富な上級生からアドバイスをもらい着実に力を付けている。「関東学生新人の標準記録である54秒30を期限内に切りたい」と明確な目標を持つ道添。現在目立った実績はない。しかし、変化の時代でブレずにひたすら自己研さんを続けることができるそのメンタリティには大器の片鱗を感じさせる。異色の経歴を持つ短距離ランナーの今後に注目だ。 [菊地隼人] ◆道添天午(みちぞえ・てんご)理工1、戸山。尊敬する選手は400メートルH日本記録を持つ為末大。175センチ・62キロ。 READ MORE -
中村草太 俊足武器に〝邁新〟 韋駄天ストライカー
サッカー 2021.09.10 群馬県出身のスピードスター、中村草太(政経1=前橋育英)はこれまで、突き当たった壁を着実に乗り越えてきた。目標とする高校の大先輩、飯島陸(法大)を超え、明大を代表するFWとして全国にその名を轟かす。 「楽しい」から始動 小学生の頃、兄の影響でサッカーを始めた。ジュニアサッカーでは珍しく人工芝の練習場で「サッカーの楽しさを教えてくれる大人に囲まれていた」。これ以上ない環境でがむしゃらに、心ゆくまで打ち込んだ。 中学生になると、戦術に関する知識を深め、今までとは一味違うサッカーの楽しさに触れた。体格差が如実に現れる時期。チームで一番体が小さかった中で意識したのは、ハンデを補うプレー。相手のタックルを受け流し、タイミング良く動き出す技術を習得したことで、体格の大きい選手に勝るとも劣らない選手へと成長を遂げた。 大きな転換点 「兄も所属したチームで全国優勝したかった」高校は第96回全国高校選手権で初優勝を果たした前橋育英高へ進学。しかし、1年の夏にケガで約半年間の離脱を余儀なくされる。サッカーができず苛立つこともあった。それでも腐ることはなく、自分ができることに着手。ピッチ外で活動する日々が、普段の取り組みを見直すきっかけとなり「自分自身が変わることができた」。ブランク明けには精神面が鍛えられ、現在の持ち味であるスピードが向上。さらにボランチからFWへのコンバートが、潜在能力を開花させる大きな転機となった。2年時からはスタメンを勝ち取り、ストライカーとして大きく躍進した。 新たな段階へ 高校3年生では全国大会に出場することは叶わなかったものの、「大学サッカーをけん引する場所でプレーしたい」と明大への進学を決意。八幡山でのサバイバルが始動した。苦しい練習や厳しい寮生活に耐えられるか不安もあった。それでも、自分を追い込んで懸命にトレーニングに励み続けている。その甲斐もあり、関東大学1部リーグ開幕戦で途中出場を果たし、幸先の良いスタートを切った。 今後の目標はFWとして「相手に恐れられる選手」になること。パスコースを第一に探すのではなく、ストライカーに必要な得点を貪欲に求め、練習に励んでいる。「明大は個で剥がし、突破する選手を育てることができるチーム」。個の力を磨き、紫紺の閃光FWとして花開く日が来るのはそう遠くない。 [新津颯太朗] ◆中村草太(なかむら・そうた) 群馬県出身。群馬ではどこへ行くのにも自転車だったため、東京では電車に乗ることが怖い。恋しい存在は実家の愛犬。168センチ 64キロ。READ MORE -
鈴木祐太 感謝を胸に 挑む箱根路
競走 2021.09.10憧れの先輩を追うように鈴木祐太(文1=鎌倉学園)は明大競走部の門をたたいた。中学、高校で全国大会に出場した実力を持つ鈴木。高校3年次にコロナ禍とキャプテンとしての重責に悩むも、仲間と共に苦難を乗り越えてきた。成長を糧に、大学駅伝での挑戦が始まる。 陸上との出会い 陸上を始めたのは中学入学時。「周りに流されず自分のやることに集中できる」性格の鈴木。1年次の冬に疲労骨折をした時だった。当時の顧問に「走れないときにこそやれることがある」と助言をもらう。練習するチームメイトを横目に体幹の補強を続けた。この取り組みが功を奏する。レース後半でもぶれない走りを身に付け、2年次には全国中学校駅伝大会を経験。高校では1年次に、鎌倉学園高として初めて全国高校駅伝大会に出場した。周りの人々の支えがあって、順調に競技人生を歩んでいた。 スランプと仲間 高校ラストイヤー、キャプテンになった鈴木に試練が訪れる。インターハイが中止になり、緊急事態宣言でチームは解散状態に。1人で駅伝に向けて練習を続けていたが、調子が悪くなった。「後輩たちにふがいない走りを見せたくない」と悩みながら過ごす毎日。心身ともにどん底だった。 しかし、2人の同級生の存在が窮地を救う。「誰でも走れないときはあるから」と声を掛けられ、気持ちが楽になった。キャプテンとしての心意気を取り戻し、コロナ禍で沈んだチームの活性化に努める。各自の練習内容をオンラインで全体に共有。ライバル意識を生み、刺激のある環境をつくり上げた。仲間としのぎを削り、長いトンネルを抜け出した鈴木。勢いそのままに、大学駅伝の世界に飛び込んだ。 走りで恩返しを 「間近で見ていてすごい先輩」。中学時代からの先輩である児玉真輝(文2=鎌倉学園)は憧れの存在だ。児玉とは寮の部屋割りが同じで、私生活を共にしている。そのため練習面だけでなく、生活面でも彼から受ける刺激は多い。「自分の考えに基づいて行動する力を見習いたい」。 大学4年間での目標は箱根駅伝出場。実家近辺の2区、3区を走って両親に「陸上を続けさせて良かったと思ってほしい」。お世話になった人々への感謝を胸に。苦しみや挫折を経験し、大きく成長した証を襷に込めて、鈴木は夢舞台を駆け抜ける。 [桑原涼也] ◆鈴木 祐太(すずき・ゆうた)文1、鎌倉学園高。趣味はゲームでブロスタが得意。「同級生内では強い方です」。173センチ・56キロ。 READ MORE -
登根大斗 逆境も味方に〝前へ〟
ラグビー 2021.09.10素早い球出しでゲームの流れをつくりだす。春に行われた対早大新人戦でゲームキャプテンを担ったスクラムハーフ登根大斗(法1=御所実高)。高校3年次では肩の手術を乗り越え、主将としてチームを全国高校大会(以下、花園)に導いた。紫紺をまとい活躍する日を目指して、貪欲に進化し続ける。 大きな成長の鍵 兄が通っていた高校の監督とコーチに勧められ、高校は名門・御所実高に進学。地元大阪から奈良へと移り、竹田寛行監督の家で高校3年間を過ごした。この間、登根が心掛けていたことがある。それはごみ拾いだ。「監督に当たり前のことを当たり前にするようによく言われていた」。この行動は登根の成長の大きな鍵となる。普段から意識してごみを見つけて拾うことで、試合中に今まで見えていなかったスペースが見えてくるようになった。また、プレーがうまくいかないときでもその習慣を続けることで、自分を整えプレーの安定へとつなげた。 日常での習慣がラグビーに連動し「自分が変われた部分はとても大きい」。御所実高での学びは登根の基盤を築いていった。 立ちはだかる壁 高校1年次から学年リーダー、2年次ではU―17日本代表、花園を経験。順風満帆に進んできたが、主将となった3年次の4月に肩の手術を受ける。半年以上チームの練習から離れ、復帰したのは10月。花園出場を懸けた天理高との大一番が控えていた。だが、思うように体が動かない。また、個人のことに加え、主将としてチームのことで指摘されることも多くなった。「どうしたらいいんやろう」「どうして自分だけ」。やるせない気持ちが積もり、登根を苦しめる。 しかし、そんな状況を変えてくれたのは周囲からの鼓舞する声だった。「今は自分のことよりチームのことを考えろ」「お前が弱気になっていたらいい方向に向かへん」。エールをもらい、登根はもう一度奮起。チームのために今自分ができることを考えた。「まずは口よりも行動」。決意を固めると何事にも自ら率先するように。するとそんな登根の姿勢が部員にも伝染。一気にチームの士気が高まった。そして天理高との試合では勝利を収め、見事花園への切符を勝ち取った。登根の最後まで諦めず己とチームに向き合った努力が実を結んだ結果となった。 いざ、新天地へ 高校3年次で多くの経験を重ねた登根。彼が選んだ大学は明大だ。「あえて厳しい環境で勝負したいということが一番にあった」。登根のポジションであるスクラムハーフには、各学年に日本代表を経験した選手たちが所属している。レベルの高い環境だからこそ「盗めるものは何でも盗みたい」。 これから先、どんな成長を見せてくれるのか。ラグビーへの熱意の炎は登根の心を燃やし続ける。 [安室帆海] ◆登根 大斗(とね・だいと)法1、御所実高。趣味はお笑いを見ること。特にジャングルポケットが好き。166センチ・55キロ。READ MORE