
新人記者イチ押し選手!2021
未来の明大を担うのは俺たちだ! 1、2年生の体育会選手に焦点を当てるルーキー特集です。取り上げられているのは今後の活躍が期待されている選手ばかり。今年度明大スポーツに入部した新人記者が、一生懸命記事を書きました。フレッシュな特集を是非ご一読ください!
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鈴木渚左 試練を乗り越える精神力
硬式庭球 2021.09.16シングルスの女神が明大に舞い降りた。鈴木渚左(国際1=野田学園)はシングルスを得意とする期待の新星。高校1年次には全国ベスト8まで上り詰めた経験を持つ。リズムを変えて虚をつくプレースタイルを武器に、大学では日本一をつかみ取る。 あと一歩の涙 父の背中を見て、5歳でテニスを始めた。中学までは地元・静岡県でプレー。高校は「自分を厳しい環境で追い込みたかった」と、山口県にある強豪・野田学園へ。寮生活でテニス漬けの日々を送った。 高校2年次のインターハイ団体戦。野田学園は順調に駒を進め、決勝にたどり着いた。相手は初優勝を狙う早実高。団体戦はシングルス2本、ダブルス1本の3本勝負である。試合は1勝1敗と星を分け、鈴木のシングルス2に優勝が懸かる展開に。「何も感じられないぐらいの緊張感」。一つのコートに観客全員の視線が集まる。序盤は5―2で鈴木がリードしていたものの、緊張からか逆転を許し、日本一を目前で逃してしまう。「その時の負けは一生忘れない」。次年度でのリベンジを誓った。 しかし、2020年度のインターハイは新型コロナウイルスの影響で中止。雪辱を果たすことはできなかった。 不屈の精神力 「お前たちにはまだ未来がある」。インターハイ中止や部活動の制限といった不安の中で、監督の前向きな言葉が鈴木を支えた。迎えた高校3年次の全国高校選抜大会(以下、選抜)。選抜は高校テニスの全国大会で、鈴木が出場したシングルス1はまさにエースが出る枠である。この重責にもかかわらず「緊張は自分でコントロールできるもの」。意識の高さを発揮し、中国地区優勝をつかみ取った。くじけない精神力が彼女の強さの秘訣(ひけつ)だ。 夢の日本一へ 明大入学後も進化を続ける。8月の全日本選手権(通称:インカレ)では昨年度の単複王者と対戦。負けてしまったものの、最後まで攻めの姿勢を貫き、接戦を繰り広げた。「(相手が)誰であっても今までやってきたことをやるだけ」。その精神力の強さは、孤独な競技であるシングルスにおいて大きな強みとなる。悲願の日本一に向け、鈴木の活躍に期待だ。 [春木花穂] ♥鈴木 渚左(すずき・なぎさ)国際1、野田学園。趣味は音楽鑑賞で、試合前にはBLACKPINKやGReeeeNを聴く。157センチ。READ MORE -
大久保竜之介 日本一へ ひたすら背負い続ける
柔道 2021.09.15〝柔よく剛を制す〟。そんな柔道の極意を体現するルーキーが明大の門をたたいた。大久保竜之介(政経1=延岡学園)は、得意の背負い投げを武器に、攻めの柔道で豪快な一本を取る選手だ。高校時代、目標とする日本一には届かなかったが、その目標は大学で必ず成し遂げる。 努力の柔道少年 「他のスポーツをやりたいと思ったことはない」。そう言い切る彼は、青春を柔道に捧げてきた。兄の影響で5歳から柔道を始め、兄と同じ道場に通い始めた。そんな柔道少年の目標はこの時から〝日本一〟。しかし、初めは思うように技が決まらず「(柔道を)辞めたいと思った」。そのたびに目標が彼と柔道をつなぎ留めた。「日本一になるまでは辞められない」と自分を奮い立たせ、道場に向かい続けた。さらに毎日家でも自主練習をして、得意技である背負い投げの入り方を確認。その努力は徐々に実を結び、技が少しずつ決まるように。中学次には都大会の団体戦で先鋒としてチームに勢いをつけ、優勝に貢献するまでの実力を付けていた。 大舞台での敗北 高校2年次にはインターハイに出場。5歳から磨いてきた背負い投げで全国の強敵を次々に倒した。迎えた準々決勝では「やりづらかった」と、組手争いに苦戦した。自分のペースに持ち込めず、得意の背負い投げもかからない。一進一退の攻防が続き、果敢に攻めたが惜しくも優勢負け。直前の大会でも敗れていた因縁の相手にまたしても屈し、この年の日本一への挑戦が終わった。「同級生に負けたのが何より悔しかった」。この敗北は、今までの大久保の柔道人生で最も悔しい経験となった。 さらなる高みへ 挫折を経験した彼はより一層強くなる。どんなにきつい練習でも決して手を抜かず、技術面に加え、精神面の強化に取り組んだ。明大入学後、初めての大会となる東京都ジュニア選手権に出場。結果は悔しい準々決勝敗退。「パワー、技術、全ての面でレベルが高い」と、大学の壁を痛感した。しかし、今までも多くの困難を努力で乗り越えてきた。壁を乗り越えた先には念願の〝日本一〟も見えてくる。大久保の今後の挑戦から目が離せない。 [山岡慎] ◆大久保 竜之介(おおくぼ・りゅうのすけ)政経1、延岡学園。進撃の巨人にはまっている。漫画よりアニメ派。167センチ・66キロ。 ※写真は本人提供READ MORE -
田村陽大 勝負強さ魅せる二刀流
準硬式野球 2021.09.15長打力と勝負強さを武器に投打で活躍し、明大の勝利に貢献する。田村陽大(農1=花巻東)は今年の春季リーグ戦で一塁手としてベストナインを獲得。投手としても安定した成績を残すなど二刀流として規格外の活躍を見せている。 苦難の高校時代 保育園の時から始まった野球人生。「辞めたいと思ったことはない」と全く迷いのない口調で語る。そんな田村が野球人生で最も苦労したのが高校時代だ。成長できる環境を求め、球場に入るときの挨拶や姿勢を見て花巻東を選んだ。しかし、入学直後は私生活で苦労の連続。全寮制の生活になり、それまで両親に多くのことをしてもらっていたと実感した。また「1番の恩師だと思っている」という佐々木洋監督の存在は大きかった。野球のミスだけでなく、私生活や勉強面でも厳しく指導された。それから、野球以外の部分についても意識するようになった。 大舞台を終えて 野球人生の転換点になったのは高校2年次の夏、憧れだった甲子園の舞台だ。スタンドの声は大きく、そのせいでチームメイトの声は聞こえづらい。そんな特別な状況下のプレーで「普段意識していないことをいきなり本番でしようとしてもできないと思った」。日頃の練習や集団での声掛けなどの重要性を改めて学んだ。野球人生で最も苦労し、甲子園という晴れ舞台も経験した高校時代は人としての成長を促した。 大学で望む未来 大学は硬式の舞台でプレーをしたかったが、自分の将来のことを考え、準硬式野球の道で明大に進学。東京六大学春季リーグ戦では1年生ながら主軸を打った。リーグ戦序盤はプレッシャーもあり、調子を崩してしまう。しかし、「高校の時のコーチや先輩にアドバイスを求めスランプを克服できた」と最終的には本塁打と打点でリーグトップと大活躍を見せた。それでも、本人は満足していない。「首位打者を取れなかったので次のリーグ戦では目標にする」とさらなる高みを見据える。また、大学で新たな学びもあった。それは谷口秀斗主将(営4=広陵)のリーダーシップだ。チームのために人一倍声を出し、練習する姿に理想のリーダー像を見た。「今後、自分がこのようにチームを引っ張れる存在になりたい」。技術的にも精神的にも上を目指す田村の活躍に今後も目が離せない。 [松田遥歩] ◆田村 陽大(たむら・はると)農1、花巻東高、バランス矯正のためにゴルフを始めるが、ハマってしまい今でも続けている。176センチ・81キロREAD MORE -
坂本雄大 さらなる大舞台に向かって
バレーボール 2021.09.14ブロックにもひるまずスパイクを相手コートにたたき込む。坂本雄大(政経1=市立尼崎)の持ち味はスパイクと力強いプレー。春高バレーでも彼の強みは適時に発揮され、ベスト4進出という好成績を残した。さらなる上を見続け、成長する巨砲ルーキーが明大バレー部に新風を吹かせる。 大舞台の経験 バレーをやっている人なら一度は立ちたい〝夢の舞台〟春高バレー。坂本は高校時代、二度の春高バレーを経験した。その裏には、堅実な努力と苦しみがあった。 大舞台の壁は高かった。高校2年次の春高バレーではスタメンとして出場。しかしながら、自身の実力を発揮できず初戦敗退の苦汁を飲まされた。「先輩には申し訳ないという気持ちでいっぱいだった」。初の大舞台は敗北の悔しさを抱えた苦い思い出に。その経験はトップに立ちたいという強いモチベーションになった。 「絶対勝つという気持ちで臨んだ」。リベンジを果たすべく最後の春高バレーのコートに立った。試合の大事な瞬間に強力なスパイクを次々と成功させ、チームの勝利に貢献。目標としていた優勝には届かなかったものの、ベスト4という優秀な成績を収めた。さらに個人としては優秀選手賞も受賞。「最後に素晴らしい結果に終わったことが誇らしい」。春高バレーの経験は心強い足場となり、新しいステージに坂本を進歩させる。 目指す日本一 高い目標は原動力になる。「日本一を目標に毎日練習した」。バレーを始めた時から変わらなかった日本一への夢を持って、兵庫の名門・市立尼崎高に進学。「強くなりたい」という気持ちを胸に、レベルが高い環境の中で自分だけの武器をつくっていった。坂本の強みはプレーの醍醐味(だいごみ)である強いスパイク。練習では相手ブロックを破るパワーを育て、試合ではチームの攻撃にアクセントを加える役割を担った。今は一層高くなった大学のブロックに合わせてスパイクを強化し続ける。 大学でも相変わらず目標は日本一。「試合に出て活躍できる選手になりたい」 。スタメン出場を皮切りに、より大きな目標に向かって一歩ずつ進んでいく。明大バレー部を新たな境地へと導く活躍ができるか。成長から目が離せない。 [ジン セウン] ◆坂本 雄大(さかもと・ゆうだい)政経1、市立尼崎高。好きな芸能人は千鳥。最近は寮の近くを走ることにハマっている。189センチ・83キロ。(写真は本人提供)READ MORE -
福田大晟 努力怠らず 紫紺で目指す日本一
ラグビー 2021.09.14鋭いタックルで敵を圧倒する。1年生ながら早くも紫紺デビューを果たしたフランカー福田大晟(商1=中部大春日丘)。昨年度の第100回全国高校大会(以下、花園)ではキャプテンとしてベスト8に導いた。紫紺を着続けることを目標に、見つめる先は日本一だ。ケガ乗り越えて 小学2年生の頃、父の影響でラグビーと出合う。「無理やり連れて行かれ、最初はやりたくなかった」。それでもスクールの練習だけでは強くなれないという思いから、父の指導の下自主練に励んだ。努力が実り、中学生では愛知県選抜に。このころからやっとラグビーが楽しめたという。しかし中学2、3年次に続けて大きなケガに襲われる。大事な大会前だったため、落ち込んでいたところを励ましてくれたのは父の存在だった。いつもアドバイスをくれた父。「切り替えて頑張れ」。自分をよく知る人の言葉は大きかった。県外への進学も考えたが、地元愛知県の中部大春日丘高の門をたたく。歴史残した花園 高校でも自主練を怠らなかった。朝練がない分、その時間は仲間と体力づくりに励んでいた。そして高校3年次にはキャプテンを務める。しかし突然降りかかったのは新型コロナウイルスの感染拡大。約3カ月対面で活動ができなかったが、zoomでトレーニングを行うなどの工夫をし、気持ちを絶やさなかった。積み重ねを大切に、花園に向けて練習に励む日々。「花園が近づくにつれて毎日の練習が良くなった」。そして迎えた大舞台。準々決勝で京都成章高に14―3で敗れたが、初のベスト8という新たな歴史を残す。「花園までの練習がここまでの結果につながったと思う」。この結果をマイナスには捉えていなかった。日本一目指して 明大入学後、春季大会の日大戦で早速スタメン出場。得意のタックルで勝利に貢献した。「アタックよりタックル」。父からの言葉が今のタックルにつながっている。人より動いて泥くさいプレーができるフランカー。これが福田の目指す理想像だ。これからも華麗なタックルで観客を魅了するに違いない。「優勝をあまり味わったことがないので、日本一の景色を見てみたい」。紫紺のルーキーはこれからも駆け抜ける。[豊澤風香]◆福田 大晟(ふくだ・たいせい)商1、中部大春日丘高。花園後に免許合宿に行きマニュアル免許を取得。173センチ・95キロ。READ MORE -
飯田翔 王座優勝へ チームと恩師への思い
硬式庭球 2021.09.13「一番になりたい」。飯田翔(商1=足利大付)はインターハイ複準優勝、全国私学大会単優勝の実力者。〝分析、調整し、最後は前向きに〟が信条。テニスの強豪校・足利大付高で主将を務め、チームへの貢献を重んじる。仲間と恩師のために、悲願達成を志す。 恩師との出会い 「テニス人生を変える人だった」。NJテニスクラブ代表・明大OBの沼尻利政コーチ。小学6年次に全国大会に出場後、勝利と強さを求めて出会う。基礎の技術から積極的に教えてくれたコーチ。数々の疑問に答えをくれる姿勢は頼もしかった。打ち方への詳しい理解は、後のテニス人生の土台となる。メンタル面では「前向きに捉えろ」とよく注意された。練習を重ねる中で、楽しむことが1番だと気付く。試合では「今ここが駄目だから、ミスをしたなと考える」。冷静で前向きな姿勢。技能と心理、両面からの指導のたまものだ。学んだプレースタイルは、今でも変わらない。 スランプの先に 地元を離れ、高校は寮生活ができる足利大付高に進学。1年次、国民体育大会に出場するも満足せず、サーブの改良を試みる。だが、フォームが崩れ、スランプに。「テニスが嫌になった」。答えが見つからないまま、2年次の夏、インターハイを迎える。自分が勝てばベスト8が決まる、団体戦の大一番。サーブの不調が響き、無念の敗北を喫した。初めて負けの涙を流す。「チームのために、より頑張らなくては」。すぐに一からの再スタートを誓った。寮生と練習し、沼尻コーチにもサーブの動画を送る。多くの人からアドバイスをもらうが、最後は自分との闘いだった。毎日、紙に書きだした目標を胸に刻みながら、何百球も打ち続ける。明確な目標へのたゆまぬ努力。成果は徐々に表れる。年明けの全国私学大会、私立高校の頂点を懸けた一戦。「今までで一番良い状態で試合に臨めた」。結果は見事優勝。努力が実り、自信につながった。 王座を目指して 高校の経験を経て、団体戦への思いが強まった。大学も寮生活へ。「将来生かせることを、今から学べる」。1年生4人で回す寮の仕事は大きな負担。それでもチームのために頑張り、喜び合うのが好き。そして、明大では「コーチに恩返しがしたい」。全日本大学対抗戦・通称王座。沼尻コーチは在学中、優勝できなかった過去を持つ。団体戦に勝つ。無念を晴らしたい。熱き思いを胸に、目指すは王座優勝ただ一つ。魂の一球を今日もコートに叩き込む。 [渡辺悠志郎] ◆飯田 翔(いいだ・しょう)商1、足利大付高。趣味はボウリングとトランプマジック。170センチ・63キロ。READ MORE -
平松克樹 明大を担う司令塔へ
バスケットボール(男子) 2021.09.13明大に期待の司令塔がやってきた。バスケットボールにおいて、ポイントガードは〝司令塔〟と呼ばれ、試合をコントロールする役割を持つ。3Pとドライブを武器とする平松克樹(情コミ1=福岡大大濠)のプレーはまさしくコート内の監督だ。 貴重な経験 5歳からバスケを始めた平松。中学3年次には全国優勝、アンダーカテゴリでのプレーを経験する。〝敵ながらもあっぱれ〟。中学時代から対戦し、憧れていた土屋大輝(早大)を追いかけ、全国屈指の強豪校・福岡大大濠高へと進学した。「挫折はほとんどしていない」。順調にキャリアを重ね、高校2年次のウィンターカップ決勝戦では、2年生としてただ1人、最後までコートに立ち続けた。この貴重な経験を糧に、キャプテンとしての高校最後の1年が幕を開ける。 最後の1年 「一つ一つの試合で勝ちへの貪欲さを追求してきた」。強豪校のキャプテンとしての覚悟を決めた。すべては前年果たせなかった優勝という結果で先輩に恩返しをするため。平松が追い求める目標は大きい。期待に胸を躍らせ、新チームが始動するもつかの間、コロナ禍で活動停止。さらに追い打ちをかけるようにインターハイ中止が知らされる。それでも決して下を向くことはなかった。「大会があるかないかに関係なくバスケができることに感謝していた」。感謝することを忘れず、自分で考えて行動に移す。その日々の積み重ねが平松を成長させてきた。 そして迎えたウィンターカップの結果は、ベスト16止まり。65-94で東山高に敗北を喫し、あっけなく日本一への挑戦を終えることとなった。新チーム開始当初から大事にしてきた自分たちらしいバスケ。改めて、大濠の〝考えるバスケ〟を体現することの難しさを実感した。 一番の成長 「思考は現実化する」。平松が高校時代、監督によく言われた言葉だ。この言葉は今でも平松を支えている。高校3年次、コロナ禍で練習に制限が出たことが逆に「バスケに対する考え方を学ぶきっかけになった」。現在は、同じポジションでキャプテンの常田耕平(政経4=正智深谷)の練習への真摯(しんし)な姿勢に「自分も意識を変えていく必要がある」と向上心を忘れない。チームを勝たせる司令塔に。高校時代に果たせなかった〝日本一〟の夢をかけた挑戦がいま始まる。 [小原愛] ◆平松 克樹(ひらまつ・かつき)情コミ1、福岡大大濠高。明大入学後は、先輩と共に練習や試合前にどら焼きを食べるようになった。173センチ・70キロ。 (写真は本人提供) READ MORE -
尾谷浩希 苦悩を越えて 欠かせない存在に
ハンドボール 2021.09.12戦術の組み立てやロングシュートを得意とする期待のセンター、尾谷浩希(法1=愛知県私立愛知)。中学時代は全国優勝を2度経験するなど華々しい成績を残す。しかし、高校ではなかなか出場機会に恵まれず悔しい思いをした。高校での挫折をバネに大学での活躍を誓う。日本一の中学生 「友達に誘われて」。これが尾谷のハンドボールとの出会いだった。最初の練習は基礎から、実戦で使用するより一回り小さい一号球を使った。「強くボールを投げる感覚が身に付き、パスのバリエーションも増えた」。仲間と切磋琢磨(せっさたくま)して練習を重ねた。そして、3年次に全国中学校大会(以下、全中)とJOCジュニアオリンピックカップに出場。それぞれで優勝し、大会最優秀選手に選出された。「うれしかったし、やってきてよかった」。苦悩の高校時代 高校は愛知県の強豪校・愛知高に進学した。しかし、なかなか試合に出場することができなかった。「一対一が苦手で戦術的な面が全くできなかった」。初めての挫折だった。そんな中、光となったのが2年生の時に就任した大橋慶コーチだ。「一個上の学年が主体の試合のアップの時に、一対一を付き添いで教えてくれた」。このことは彼の心の支えとなった。技術的な面でも攻撃のバリエーションが増えて大きく成長できた。ところが、尾谷を次に襲ったのは新型コロナウイルスだった。その影響でチームでの練習ができなくなり、総体もなくなった。気持ちが切れてしまうこともあった。それでも、国体開催の可能性はあり、愛知県の代替試合もあった。そこを目標に、自主トレーニングに励んだ。自粛が明けて久しぶりのチームでの練習は、「単純にハンドボールが楽しかった」。欠かせない存在 堅いディフェンスからセットオフェンスで確実に1点を取る。そんな明大のプレーに惹かれ、入学を決めた。憧れは可児大輝(政経3=中部大春日丘)。「頭一つ抜けている」実力に刺激を受けつつ、練習に取り組んでいる。 今はまだ接触の時に押し負けてしまうことがあるが、フィジカルの強化をして押し負けない体をつくる。そして「チームに欠かせない存在」になり、チームを悲願のインカレ優勝に導いてみせる。さらなる成長を遂げる彼から目を離せない。【堀純菜】 ◆尾谷 浩希(おたに・こうき)法1、愛知高。趣味はYouTubeを見ること。東海オンエアがお気に入り。179センチ・80キロ。READ MORE -
大島光翔 歩みを止めず飛躍へ
フィギュアスケート 2021.09.12リンクの上ではどんな状況でもベストを尽くす。その心構えを大切にしながら、自分の強みである表現力を生かして観客を魅了する大島光翔(政経1=立教新座)。今年度、日本スケート連盟の強化選手に選ばれ、これからの活躍に目が離せない存在である。地道な練習を積み重ねつつ新たなことにも果敢に挑戦し、頂点を狙う。 抜け出せない苦しみ 全国3位。小学校2年生で競技としてフィギュアスケートを始めた大島は、わずか3年で全国トップクラスに登り詰めた。だが、中学に進学し部門が変わると、大きな壁が立ちはだかる。「滑りの面では一歩の大きさが違って、数倍大きなジャンプを飛んでいた」と試合に出て先輩たちの実力に圧倒される。歴然とした差が得点によって見せつけられた。同期や一つ年下の後輩にも追い抜かれ、劣等感を抱くようになる。気持ちのコントロールに苦労するも、「スケート自体は嫌いにならなかった」。辞めたいと思うことは一度もなく、練習を継続していた。 訪れた転機 思うように結果を残せないまま、大島は高校に進学。練習場に現れた一つ年下の少年が、大島に転機をもたらした。ジュニアで世界一に輝いた経験を持つ佐藤駿(埼玉栄高)である。4回転ジャンプを飛ぶことのできるつわもので、大島は佐藤のジャンプに憧れている。「まだまだ自分よりも上がいる。彼にしがみつくように練習した」。同じ練習場に見習うべき存在がいることが刺激となって、大島の成長につながっていく。 歩み続け、開花へ 熱心に練習をするも、疲労骨折をしてしまう。ケガをしている間は、滑りを重視し、完治した後はジャンプやスピンの強化に努めた。着実な練習の成果は結果となって現れた。トリプルアクセルを演技に取り入れ、「ジャンプのおかげで戦えるようになった」と振り返る。昨年度、全日本ジュニア選手権では5位入賞を果たした。東日本選手権、関東選手権では2位になり表彰台へ。確実に結果を残せるようになり、成長ぶりは自分でも身に染みて実感できるほどのものであった。 「リンクメートの仲間たちと滑るのが1番の原動力になっている」。自身の気合もさることながら、佐藤や他の仲間たちの存在が大島の歩みを止めさせずにいた。これからは仲間たちを追い越した先を見据え、さらなる飛躍を目指す。 【守屋沙弥香】 ◆大島 光翔(おおしま・こうしょう)政経1、立教新座高。休日は、シューティングゲームやゴルフをして過ごす。171センチ・61キロ。 (写真は本人提供)READ MORE -
田渕海斗 文武両道で目指す世界への道
水泳(競泳) 2021.09.12圧倒的な追い上げでレースを制す。個人メドレーを主戦場とする田渕海斗(情コミ1=日大藤沢)は、特に自由形に長けた選手だ。ジャパンオープン2021では、800メートル自由形で1位という抜群の成績を収めた。並み居る実力者たちにも屈せず、世界へ向けさらなる高みを目指す。 固い意志を貫く 5つ離れた兄が始めた影響で、5歳の頃に田渕の競泳人生がスタートした。「始めた頃はただ単に泳いでいるだけだった」。しかし、中学2年次に出場した関東中学校水泳競技大会で、自己ベストを9.21秒縮め大幅に更新。日本水泳連盟が定めるナショナルタイムまであと0.51秒という記録を出した。そこから目指す目標が高くなり、より水泳に本気で向き合うようになった。 「人生一生勉強だから」。田渕の父・万左澄さんの言葉だ。その考えを受け、競技を続けつつも勉強をおろそかにすることはなかった。「どちらも頑張らないと、両方駄目になる」。実際、高校2年次に挑んだインターハイの400メートル個人メドレーでは、3位という好成績を残した。その一方で、高校3年間の評定平均は5段階中5.0と、まさに文武両道である。そんな言行一致を徹底する精神こそ田渕の強さの1つではないだろうか。 強みを生かして 個人メドレーでは終盤が田渕の見せ所だ。最後の泳法・自由形で日本トップレベルの実力を発揮し、水面を猛進する。今年2月に行われたジャパンオープン2020、400メートル個人メドレー決勝でも圧巻の泳ぎを披露した。前半は下から数えた方が早い順位にいた田渕。しかし、後半に入ると瞬く間に周りとの差を縮めていく。そして、最後の自由形で一気に先頭争いへと加わった。惜しくも優勝は逃したものの、高校生ながら見事3位入賞を果たす。さらに「競泳を続けてきた中で一番うれしかった」と、五輪派遣標準記録を1.45秒上回る快挙を成し遂げた。 パリ五輪に向け 「常に目標を立てることを大事にしている」。その目標という指針が、田渕にとって一番の原動力となるのだ。3年後のパリ五輪に向け、まずは日の丸の重さを経験する。そのために来年5月開催の世界水泳選手権、さらに9月のアジア競技大会の代表内定という目標を掲げる。そして来る2024年、大学4年間の集大成をパリ五輪で見せつける。 [清水優芽] ◆田渕 海斗(たぶち・かいと)情コミ1、日大藤沢高。試合前はとある1曲をリピートで聴いている。曲名は内緒らしい。171センチ・69キロ。(写真は本人提供)READ MORE