
新人記者イチ押し選手!2020
未来の明大を担うのは俺たちだ! 1、2年生の体育会選手に焦点を当てた人物記特集です。取り上げられているのは、今後が期待される目が離せない選手ばかり。記事も、今年明大スポーツに入部した新人記者が一生懸命書きました。フレッシュな特集を是非ご一読ください!
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宮川昌大 恩師の言葉を胸に
卓球 2020.10.09まさに小さな巨人。その小柄な体から繰り出す一撃はあまたの選手を沈めてきた。1月に行われた全日本選手権(以下、全日本)。宮川昌大(情コミ1=野田学園)はダブルスで出場し、準優勝を収めた。日々進化するその技術を武器に、明大ではさらなる高みを目指す。苦悩を超えて 高校時代の華々しい結果の陰には険しい道のりがあった。上り調子の彼を足止めたのは二つの試合。一つは高校1年次の全国高校選抜大会団体戦の決勝だ。勝敗を分ける大一番を任されたが当時、肩を壊しており、万全とは言えない状況であった。それに加えて勝たなければならない重圧で思うように試合を運べず敗北。チームは優勝を逃した。さらに、高校2年次のインターハイ。ここでも同様の局面を迎えるも敗北を喫する。「自分の卓球を見失ってしまった」。それからは小柄な体を生かした素早い卓球や失敗を恐れない攻めの姿勢で戦うことができず。卓球を辞めたいとさえ考える苦しい日々が続いた。 そんな時、彼を支えたのは恩師の言葉であった。帰省時に小学次のクラブチームを訪れ、恩師・大西英尚監督に再会。「失敗を恐れず自分のプレーを貫いてほしい」。遠方、香川の地より応援し続けてくれた大西監督からの鼓舞。「また頑張ろうかな」。恩師の言葉が自分を取り戻す契機となった。 その後は心機一転、自分の卓球を一から見つめ直す。普段の練習に加え、体の強さの必要性を鑑み、フィジカル面も意識してトレーニングを行った。努力は実を結び、高校3年次のインターハイでダブルス優勝。全日本ダブルスでは五輪メダリストの水谷準選手(平24政経卒・現木下グループ)を下し準優勝を飾る。悩み抜いた先に自分の卓球を見つけ出し、新たなステップへ進むことができた。 昨日より今日 明大は小学生の頃からの憧れだった。当時から日本一の大学は明大だと雑誌で知り、進学することを心に決めていた。大学では高校とは違い、自分で練習を考えて行う必要がある。そのため、自ら考える力を養わなければならない。「昨日より今日、今日より明日」。彼にとって進化のない日は存在しない。苦悩をばねに日々更新される宮川の強さはとどまることを知らない。【小井土大裕】 ◆宮川昌大 (みやがわ・しょうだい) 情コミ1、野田学園高。試合前日はYouTubeでサワヤンの動画をよく見る。159センチ・52キロ。READ MORE -
馬場勇一郎 新たな挑戦への道
競走 2020.10.08こだわりの中距離で新たな道に挑戦する。高校までの800メートルから1500メートルに転向した馬場勇一郎(政経1=中京大中京)。中学生記録を背負って高校へ進むも、苦しい結果が続く。それでも逆境を乗り越えた経験を強みに、さらなる飛躍を目指す。 大記録の重圧 中学3年次の夏、一つの大記録とともに彼の名は陸上界に知れ渡った。800メートルの日本中学生記録。33年間破られなかった記録を塗り替え、脚光を浴びた。それ以来付きまとう「勝って当たり前」という目。「早く塗り替えてほしい」。そう思うほどの重圧だった。高校では下からの追い上げを感じる中、結果が出ずに苦しむ。常に勝ち続けてきた馬場に降りかかった大きな試練。1、2年次はインターハイ決勝に進出できず。注目されているからこそ、周りから厳しい言葉も飛んだ。 貫いた中距離 苦しい中でもこだわり続けた800メートル。高校まではスピードを追い求め、大学から距離を踏もうとした。「最終的な大学での目標を大切にマイペースでやっていこう」という監督の言葉に感化される。他の選手を意識することをやめ、自分の走りと向き合い続けた。練習時間を確保するために寮で一人暮らしを始めた高1の冬。陸上のために全てを費やしたことは自信につながった。 同じ800メートルを走る先輩、鳥井風樹(中大)と細井衿菜(慶大)の存在も大きかった。何度も不調から立ち上がり優勝する2人を見て、自分もやってやると奮起した。 「ようやく神様がプレゼントをくれた」と振り返る3年次のインターハイ。大雨のなかでのレースだった。自分が何位にいるかも分からずに小さな体を必死で動かし、つかみ取った銅メダル。順位以上に、練習の成果を出せたことへの喜びが込み上げた。 新たなる挑戦 当初のプラン通り、高校で伸ばしたスピードを武器に大学では1500メートルに挑戦する。「中学生記録保持者という肩書でやり続けてきたからこその体験や思いがあった」。今まで苦しんできたその肩書は、今では成長の糧になったと思える存在だ。大学では「3分40秒切りが目標」とタイムにこだわる。現在は持久的な練習を中心に、新しい種目と向き合っている。馬場の挑戦は始まったばかり。積み重ねた経験を携え、新たな道を走り始めた。 [西村美夕] ◆馬場 勇一郎(ばば・ゆういちろう)政経1、中京大中京高。サッカーと『ONE PIECE』が好き。163センチ、55キロ。READ MORE -
廣瀬雄也 空鳴り、地揺らぐ 〝前へ〟突き抜ける者
ラグビー 2020.10.08パス・ラン・キック。全てで見るものを魅了する。廣瀬雄也(商1=東福岡)は、U―17(17歳以下)日本代表と東福岡高で主将を務めた逸材。練習試合では、早くもAチームでの出場を果たした。恩師の言葉を胸に、紫紺を目指し日々努力を続ける。 恩師との出会い 〝現状維持は衰退〟。東福岡高時代、なかなか優勝できなかったチームに藤田雄一郎監督が掛けた言葉だ。昨日と同じ練習ではなく、さらに上の練習を。廣瀬は、この言葉を今も大事にしている。 藤田監督との出会いは廣瀬のラグビー人生を大きく変えた。「東福岡を倒したい」。高校進学時考えていたのは県外の強豪校。しかし、東福岡高からも声が掛かる。「福岡で日本一をとって、東京に行け」。藤田監督の真剣な言葉に感銘し、入学を決断した。 限界を突き抜け 高校での日々は、決して平たんな道のりではなかった。今でこそ〝センターの廣瀬〟のイメージが強いが、当初はスタンドオフだった。ゲームメイクもあり、なかなか上手くいかない。藤田監督やコーチに怒られる日々が続く。「恐怖、もう恐怖症で」。一時は、パスすら通らなくなる。「それでも監督はずっと信じてくれていた」。ミスを繰り返しても、藤田監督は上のチームに所属させ続けていた。 そして、転機が訪れる。ポジションの変更だ。体格・パス・ラン・キック。自身の持ち味の全てが生かせるポジションへ。「(スタンドオフでは)もったいない」。藤田監督の一言で、〝センターの廣瀬〟が生まれる。2年次の部内戦を皮切りに、ついにレギュラーへの定着を果たす。U―17日本代表では主将も務め、世代を代表する選手に一気に駆け上がった。 現状を突き抜け 怪我から復帰後、すぐに臨んだ最後の全国高校大会はベスト4。高校で日本一の景色を見ることは叶わなかった。大学での目標はもちろん、日本一。自粛期間中にはウエートトレーニングや福岡県のグローバルアリーナでの練習に励んだ。現在は、レギュラー候補組に所属している。「1年生で紫紺を着て、公式戦に出る」。流経大との練習試合では、Aチームのリザーブとして出場した。〝現状〟を突き抜け、〝前へ〟。彼の進化にノーサイドはない。 【堀之内萌乃】 ◆廣瀬 雄也(ひろせ・ゆうや)商1、東福岡高。最近、同じ部屋の石田吉平(文2=常翔学園)の影響でTWICEにハマる。179センチ・90キロ。READ MORE -
内藤紳之介 新天地で頂点に突き進む
ボードセーリング 2020.10.07ハイスピードで海上を駆け抜ける。内藤紳之介(法1=アサンプション国際)は競技歴わずか1年で優勝を経験し、数々の大会で入賞してきた実力の持ち主。海外にも活躍の場を広げ、パリ五輪も視野に入れている。日々の努力を胸にさらなる飛躍を誓う。 立ち向かう力 「自分も海の上を自由に走りたい」。中学入学を機に新しいスポーツを始めようと探し、YouTubeでボードセーリングの動画にたどり着く。意欲を父に伝え、兵庫県の甲子園浜にあるビーチクラブで練習を始めた。 競技を始めて1年後、アジア選手権派遣認定レース西日本大会に出場。人生初の大会にもかかわらずU―15(15歳以下)部門で優勝するという快挙を成し遂げた。勝利の秘訣(ひけつ)は「いかに練習に集中するか」。平日は大阪府の中学校で学業に励み、週末に車で1時間以上かけて兵庫県へ。そのうえ「クラブに通う他の選手たちは海の近くに住んでいたり、家族が経験者だったりしていた」と不利な状況にも立たされていた。それでも「土日に人一倍練習すること」で誰よりも実力を伸ばしてきた。 飛躍のために 中学3年次にはイタリアの世界選手権に出場した。元々コーチや同年代の選手はおらず、独学で練習に向き合ってきた内藤。自身の練習に生かすため、現地の選手にぎこちない英語で話をした。「その時、英語の大切さを痛感した」。進学先は語学に強いアサンプション国際高に決める。授業で会話力を培い、3年次に強豪国のポーランドへ留学。現地のナショナルチームの選手と特訓するなかで、強さのカギは「ライバル同士が高め合うコミュニケーション」だと気が付いた。さらにコーチの指導のもとレースを見立てた練習を行い、練習効率が向上。確かな成長を実感した。 さらなる挑戦 中高と「平日は学業、土日は練習」を維持し続けた内藤。同じスタイルの明大ボードセーリング部に迷わず入部を決めた。部内には留学先に似た「互いに高め合う雰囲気がある」と環境にも恵まれた。 大学からは新たに団体戦が登場。「もう自分1人の責任ではなくなった」と今まで感じたことのない重圧に立ち向かう。目標は「インカレ優勝」。積み上げてきた努力を乗せ、4年間を走り抜ける。 [金井遥香] ◆内藤 紳之介(ないとう・しんのすけ) 法1、アサンプション国際高。法学部の授業は「新しいことだらけで楽しい」。174センチ・64キロ。READ MORE -
野村馨 〝負け〟を知ってさらなる高みへ
アメリカンフットボール 2020.10.07「負ける感覚があまりわからない」。そんな衝撃的な言葉を発したのはDB#2野村馨(政経2=佼成学園)。抜群のプレーの読みを武器とする明大期待のホープだ。クリスマスボウル3連覇の立役者は、ディフェンスの最後のとりでとして、さらなる高みを目指す。 成し遂げた3連覇 高3次の冬。高校日本一を決める大会、クリスマスボウル。1年生の時から出場していた野村にとって、三度目の舞台は一味違っていた。3連覇への重圧。「自分がやらないと」という責任感。さまざまな想いが頭の中を駆け巡った。1年前は「先輩が上手だから、自分がやらなくても勝てる」と、どこかで逃げていた。それでも勝ち続けられた。しかし、今年は違う。迎えた決勝戦、序盤から劣勢の試合展開で「正直ハーフタイムでは諦めかけていた」と弱気な部分も出てしまう。だが、勝利への執念が野村を奮起させた。同じ明大に進学したRB#6森川竜偉(政経2=佼成学園)が相手のファンブルを誘う。落ちたボールを野村が拾い、残り時間わずかでタッチダウン。それが決定打となり、劇的な勝利を収めた。試合を振り返り「勝てないと思っていた試合に勝てたことは良い経験になった」。 そうして3連覇を成し遂げた野村が向かった先はアメフトの本場、米国。全国高校選抜の一員として、本場でのトレーニングと米国代表との試合を経験した。パワーに押されつつも「3年間で培った技術は通用していた」。自信をもって大学へと主戦場を移した。 敗北を成長の糧に 「負けることが悔しい」。明大でワンシーズンを過ごし、負け知らずの男は徐々に敗北の悔しさも実感している。ただ、敗戦を糧にさらなる成長を図っている。課題のタックル力を強化するため、昨年から体重を8キロ増量させた。武器であるプレーの先読みにもさらに磨きをかけている。次なる試合の勝利に向けて、準備は万端だ。 そんな彼の原動力は、「アメフトが好き」の熱い思い、ただそれだけ。好きだから、楽しいから「勝ちたい」の思いも湧く。今の目標は「試合の流れを変えるビックプレーを起こす存在になること」。そう語った彼の目は真剣そのものだった。連勝街道を猛進してきた男が明大を日本一へ導く日はそう遠くない。[伊東彩乃] ◆野村 馨(のむら・きょう)政経2、佼成学園高。憧れはNFLのマーション・ラティモア選手。仲間からは前歯をいじられるかわいらしい一面も。175センチ・78キロREAD MORE -
石浦大貴 伝統の継承者
ラグビー 2020.10.06並み居るディフェンスを持ち前のフィジカルで突破していく。NO.8石浦大貴(政経1=報徳学園高)の持ち味は突破力。高校3年次の全国高校大会(以下、花園)では後半からの出場ながら四つのトライを決め、チームの史上最多得点に貢献した。コロナ禍の半年間に蓄えた力で、虎視眈々(たんたん)と紫紺を狙う。 断ち切るもの 2つ上のいとこの入学をきっかけに報徳学園高の受験を決めると、ラグビー部に入部。軽い気持ちで始めた競技ながらめきめきと頭角を現し、高校2年次には花園の舞台も経験する。その後、3年連続花園ベスト8の先輩たちを超えようと決意し、新チームでは積極的なプレーをしようと話し合った。その中で石浦は不動のNO.8として、プレーでチームをけん引した。夏合宿では練習試合を全勝に終え、順風満帆かと思われたが、チームメイトのけがにより歯車が狂い始める。「メンバーがあいつじゃなかったからとか言い訳はしたくなかった」。新チーム始動後からのいい流れを共に作ってきたメンバーの離脱は、確実にチームを揺らした。また、報徳学園高にはW杯開催の年は花園に出場できないというジンクスがあり、石浦の代はまさにその年。「今年は厳しいのでは」という雰囲気が関係者の間には漂っていた。 だが、さまざまな逆境に逆に闘志をみなぎらせると「チームとしては負ける気もなかった」と強気なプレーで、県大会決勝で関学大高に辛勝。W杯の年としては3大会ぶりに花園出場を決めた。長年の負の連鎖を断ち切れたという事実は、単に花園出場を決めたという現実よりも大きかった。その後出場した花園では、1回戦で大勝を飾るも、2回戦の国学院栃木高戦ではあと一歩が届かず敗退。結果のみにこだわらず、「最後までみんなでラグビーができて楽しかったから悔いはなかった」と満足のいく形で高校ラグビーを終えた。 受け継ぐもの 高校卒業後は天理大への入学を決めていた。しかし、明大出身のコーチの勧めもあり、急遽進学先を変えた。決め手は報徳学園高出身の選手の多さだった。田中澄憲監督が同高出身ということもあり「どの学年にも先輩がいて、毎年、紫紺を着て活躍しているところを見ていた」。石浦が紫紺を着ることは、二つの母校の伝統を守ることにつながる。まずは冬の選手権のメンバーに近づくため「自分のやることをやる。一つ一つ上がっていきたい」。先人たちが積み重ねた伝統を、自らもまた継承者として受け継いでいく。 【向井瑠風】 ◆石浦 大貴(いしうら・だいき) 政経1、報徳学園高。マイブームは映画を見ること。最近、3日間で『闇金ウシジマくん』のドラマと映画を見終わった。178センチ・98キロ。 READ MORE -
工藤有史 〝打倒早大〟で日本一へ
バレーボール 2020.10.06攻守ともに抜群の安定感を発揮する。工藤有史(政経1=清風)は、中学で全国制覇を成し遂げ、名門・清風高に進学。2年次には全日本高校選手権で準優勝、3年次には主将としてベスト4へ導いた有望株だ。高い技術力とリーダーシップで、明大に新たな風を吹かす。 覚悟を決めた1年 主将はチームの顔と言っても過言ではない。高校2年次の全日本高校選手権では清風高史上初の決勝進出。惜しくも準優勝に終わったが「自分たちでもいける」。初めて〝日本一〟が見えた瞬間だった。また同時に「次は自分が主将としてチームを引っ張る」と決意。漠然と抱いていた感情は、強い覚悟へと変わった。 しかし、道のりは想像以上に険しかった。「部員に注意したりすることが苦手だった」。自分に自信が持てず主将を辞めたいと思うこともあった。 そんなときに思い出したのはあの一戦。「絶対に日本一になる」。その思いだけが工藤を突き動かした。「勝つためなら1年くらい嫌われてもいい」と、自ら仲間に発破を掛けるようになった。 迎えた最後の全日本高校選手権は惜しくも準決勝敗退。それでも「清風高で主将をやれてよかった。後悔はない」。主将の経験は大きな成長につながった。 応援される選手に 工藤には尊敬する人がいる。清風高時代にお世話になった山口誠監督だ。監督は過去に日本代表に選ばれた経験もあるほどの実力を持つ。最も尊敬している点は「人として」の部分。特に心に残っているのは「応援される選手になれ」という言葉。この一言がバレーボールに対する姿勢を大きく変えた。プレーだけでなく、私生活での行い全てが結果につながる。それからはごみ拾いやスリッパの整理などを率先して行うように。ここで培った〝人間力〟は新たなステージでも生かしていく。 目指すは大学王者 大学でも日本一を目指す。大学を選ぶ際、強豪・早大に進学するという選択肢もあった。しかし「早大を倒して日本一になりたい」という思いから明大への進学を決意。同じ日本一でもその過程にこだわった。 今年度は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、春季リーグ戦は中止となった。まだ公式戦の経験はできていないが、準備は怠らない。「再開したときに活躍できるように」。工藤の挑戦はまだ始まったばかりだ。 【西脇璃緒】 ◆工藤 有史(くどう・ゆうじ)政経1、清風高。地元の友達と食事に行き、おしゃべりをすることが息抜きになっている。189センチ・75キロ。READ MORE -
大枝弘平 日本一のOLへの道
アメリカンフットボール 2020.10.05関西からやってきたOLは、大学ナンバーワンの称号をほしいままにするかもしれない。OL大枝弘平(政経2=関西大倉)は大学アメフトの世界で着実に成長してきた。「将来アメフトは続けない」。競技人生の全てを4年間にささげる覚悟で、明大アメフト部日本一へのピースとなる。 競技転向の先には 「練習が厳しく、面白くもなかった」。ラグビー部に所属していた中学次をそう振り返る。昨年のラグビーW杯の盛り上がりに対しても「見向きもしなかった」というほど以前の競技への未練はない。「(高校では)ラグビーをやりたくなかった」。高校入学とともに先輩の誘いを受け、アメフトの世界へ。「防具を着けられるって最高。なんの苦もなく楽しかった」。見る見るうちに競技のとりこに。チームとしては全国大会に出場できなかったが、個人では大阪府選抜に選出されるなど着実に経験値を高めた。 その後、監督の勧めもあり明大に進学。「何もかもしつこくいく」という自身のプレースタイルを武器に、1年生からレギュラーを勝ち取った。 しかし転機が訪れる。劇的勝利を収めた関西学大戦。チームとは裏腹に、大枝はパスプレーの際に味方のQBを守るパスプロで敗れた。「自分自身が勝てなくて弱さを感じた」と悔しさを振り返る。この一戦以降、大枝は今でもパスプロを自身の課題として位置付けている。「今年は(相手を)1人も漏らさない」と語るほど、1年間の練習で意識してきた。オフェンスを支える2年目の粘り強いプレーに注目だ。 競技人生を捧げる 「7年やったらもう十分」。アメフトとは大学でたもとを分かつ考えだ。「趣味はアメフト」と言うほど生活の中心にある競技。卒業後に続けるという意思がないからこそ、今にかける思いは強い。 「こんな状況でも日本一を目指しています」。春学期は勉強と部活のどちらも意欲的に取り組んだ。練習が禁止ということもあり、故郷の大阪府に帰省。ジムでのトレーニングと朝のランニングは欠かさなかった。部の活動が再開されてからは、自粛期間で鈍ったスピード面を特に意識して取り組む。 4年間での目標は「常に誰にも負けないOLになること」。日本一になるための心の準備はできている。 【久保田瞬】 ◆大枝 弘平(おおえだ・こうへい)政経2、関西大倉高。好きな食べ物はラーメン。ベンチプレストレーニングの重量は秘密。175センチ・105キロ。READ MORE -
三浦稜介 流れをつかみ仲間とリンクへ
アイスホッケー 2020.10.051対1では絶対に負けない。FW三浦稜介(政経1=駒大苫小牧)は全国屈指の強豪校で主将を務め、U―16(16歳以下)、U―18日本代表を経験。周りを生かすプレーで得点シーンを演出する即戦力アタッカーだ。氷上で熱い思いを燃やし、攻撃陣の要となる。 立ちふさがった壁 2歳上の兄、DF三浦大輝(法3=駒大苫小牧)の影響もあり、幼い頃からスティックを握っていた。「最初の頃はやらされていたのかな」と振り返れば15年。輝かしく思えるエリート街道は、平たんなものではなかった。 中学2年次、U―16日本代表に選出され、3年次には全国中学校大会で優勝。実績十分で強豪校の門をたたいた。しかし「氷上練習が始まる前から試合には出られないと感じた」。体力、筋力に周囲との圧倒的なレベル差を感じ、高校1年次は試合にほとんど出場できず。そして2年次春、さらに厳しい現実が突き付けられた。U―18日本代表の落選。選考合宿にまで行き、手応えがあった中での出来事だった。「正直、選ばれると思っていた」。毎日続けてきた練習も嫌になり、部活も休みがちに。競技をやめようとまで考えた。 新たなスタートへ 「また一から頑張ってみろよ」。そう声を掛けたのは高校時代の監督・桶谷賢吾氏。落選を経験し、改めて自分のプレーを見つめ直すと、弱点は明確だった。展開が非常に早いアイスホッケーにおいて「判断力が劣っていた。致命的だった」。そこで自己流ながら取り入れた練習法は、毎朝10分間の〝読書〟。何が正解かは分からない。それでも自分を信じ、地道に継続した。その結果「状況を理解する力が徐々に鍛えられた」と、三浦稜らしさの光るプレースタイルが確立。鋭い状況判断で攻撃の起点になり、自らもシュートを狙い撃つことで活躍の場を増やした。3年次には国体優勝、インターハイ準優勝に貢献。ついには雪辱を果たし、U―18日本代表に選出された。こつこつと努力を重ねるストイックな姿勢が花開いた瞬間だった。 〝プロになりたい〟。気持ちにも変化が生まれた。「ただ勝てれば良かった中学までと違い、今は夢に向かって努力をしている」。目先の勝利だけではない。より大きな目標を設けることで、パックに向き合う姿勢も変わった。氷上のアタッカーは地に足つけ、ゴール目がけて突き進む。 [佐藤慶世] ◆三浦 稜介(みうら・りょうすけ)政経1、駒大苫小牧高。休日は実家近くの海でのんびりと釣りをする。171センチ・66キロ。READ MORE