新人記者イチ押し選手!2019
俺たちが未来の明治を盛り上げる。1、2年の体育会選手に焦点を当てた人物記特集です。現在活躍中のレギュラー選手や今後が期待される目が離せないルーキーばかり。記事も今年明大スポーツに入部した新人記者が、一生懸命書きました。活気ある記事を是非ご一読ください!
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武内慎 後悔は飛躍の糧に 〝一瞬懸命〟 に世界へ飛びたて
ラグビー 2019.09.20持ち前のパワーで道を切り開く。ロック武内慎(商1=石見智翠館)は高いランニングスキルが魅力。高校日本代表に2年連続で選出。さらに大学生が中心のU20代表にも早くも選出されている。世代最強ロックが連覇を目指す紫紺に新たな力を吹き込む。 後悔を糧に 強みは生まれ持った大きな体。190センチ、105キロの体を生かし、ハードワークを惜しまない。春シーズンは7試合連続Aチームで活躍。「まだまだ基礎プレーに先輩と差がある」。課題が見つかる一方で、「コンタクトでは通用する部分もあった」とプラスの要素も。1年生ながら春から大きな経験を得られた。新時代を担うと期待される逸材には飛躍の糧とするべき後悔があった。 春の全国選抜大会、国体ともに出場を逃した3年生。最後の花園では「優勝して後輩たちに何か残したかった」。3回戦で相対するは東の横綱・桐蔭学園。キックオフから拮抗した試合展開になり、7―10で迎えた前半27分。「取り返しのつかないプレーだった」。武内が一時的退場。大黒柱を失った石見智翠館は流れを失い敗戦。「自分が終わらせてしまった」。試合後ロッカールームに戻っても自責の念に駆られ、イエローカードを出された瞬間だけがフラッシュバックし続けた。「一瞬一瞬を懸命にプレーする大切さを教わった」。高校最後の試合で残した人生最大の悔い。「あの失敗を笑い話にできる程、自分が高いレベルにいければ許されるかな」。高校で果たせなかった日本一への思い。必ずや大学ラグビーで雪辱を果たしてみせる。 夢への挑戦 夢はスーパーラグビーの強豪・ハリケーンズでプレーすること。高校2年次の留学経験から世界への思いが強くなった。そして夢へ近づくための選択は明治の一択だった。「FWといえば明治。トッププレイヤーに成長できると思った」。目標はポジションの先輩である箸本龍雅(商3=東福岡)。「今は勝つというより教えを乞う段階。良いアドバイスがあったからこそ春シーズンにここまで成長できた」。高校1年次から憧れ続けた紫紺のジャージで「一瞬一瞬を大事にして全力で走り切りたい」。いつの日か本場の大地を駆け回るため、〝一瞬懸命〟に4年間挑み続ける。 [田中佑太] ◆武内 慎(たけうち・しん) 商1、石見智翠館高、190センチ・105キロ。趣味は漫画を読むこと。好きな作品は『ONE PIECE』。READ MORE -
齊藤誉哉 才気溢れるプレーで目指すは天下取り
ラグビー 2019.09.19爽快なステップで一つ一つの刹那を走破する。スタンドオフ齊藤誉哉(文1=桐生一)は、春シーズンから紫紺に袖を通し、キック、パス、ランの三拍子がそろったプレーで存在感を発揮。いかなる局面でも物怖じしない積極性で、チームに新風を吹かせてみせる。 起点 大型ルーキーの原点は高校時代にさかのぼる。群馬県内でも有望株であった齊藤は県外の強豪校で勝負しようと考えていた。進学に悩んでいた矢先に声を掛けられたのが、後の恩師・桐生一高の霜村誠一監督だった。「一緒に新しい歴史をつくらないか」。霜村監督からの熱い言葉に感銘を受け、桐生一高に入学を決意。一年次から才気溢れるプレーで頭角を現し、すぐさまレギュラーの座を獲得。主軸の一員として〝花園出場〟に向け、チームをけん引していった。 人間力とラグビーの二兎を追い求めた。「近所の方への挨拶や学校の掃除はもちろん、練習は誰よりも早くグラウンドに集合した」。桐生一高ラグビー部のスタイルは人間としての成長とプレー向上の両立を図るもの。自ら他の部員に行動で示し、チームを束ねていった。そして「当たり前のことを徹底する」という霜村監督の教えの下、桐生一高は見事に県予選を突破。創部初となる花園への切符をつかんだ。 初戦の米子工高戦「やるべきことをやり、チームから良いプレーを引き出す」と焦点を定めた齊藤は、開始早々から軽快なフットワークを披露した。相手陣営に幾度となく切り込み、味方のトライをアシスト。コンバージョンキックも8本を的確に沈め、110―0と快勝。花園初出場校〝史上初〟となる3桁得点勝利を収めた。2回戦、花園常連の強豪・常翔学園高には苦杯を喫したものの、ひたむきに奮闘し続けた背番号〝10〟は名実ともに全国に轟いた。 進歩 群馬発のホープは新境地でも快進撃を見せる。ルーキーながらフル出場を果たした日大戦では「ゲームコントロールを意識した」。序盤からBK陣をワイドに動かし、トライを演出するなどチームを大いに活気づけた。「練習を積み重ねていきたい。目標は京平さん(山沢京平・政経3=深谷)」。憧れの先輩を目標に日本一の司令塔へ。高校時代に培った精神力とスキルを生かし、大学ラグビーという大海原に挑戦する。 [内山嶺] ◆齊藤 誉哉(さいとう・たかや)文1、桐生一高、180センチ・88キロ。好きな食べ物はいちご、みかん。READ MORE -
赤井シャロッド裕貴 彼にしか届かない場所
サッカー 2019.09.19未完の大器は近い将来、世界を席巻するかもしれない。赤井シャロッド裕貴(政経1=帝京)は入学からの4ヶ月、セカンドチームを主戦場として着実に成長を続けてきた。198センチの体に磨きをかけ、最強の武器と共に攻撃に新たな可能性をもたらす。 圧倒的なフィジカル 日本サッカー界でもトップクラスの2メートル近い身長。アメリカ人の父親から与えられた赤井の武器だ。現在の体重は85キロと完成はしていないが「焦らずに4年間を過ごしてほしい」(栗田大輔監督)。規格外のその体は体育会の垣根をも超えた。栗田監督からラグビー部に相談し、6月からは週に一度、ラグビー部のトレーニングに参加。「体の使い方を学ぶことができている」。サッカーにはない動きを取り入れ、最強の武器を研ぎ澄ませる。 夢はイングランドプレミアリーグでプレーすること。「何が起こるか分からないのがプレミアの面白さ」。憧れの舞台で通用するフィジカルは八幡山の地で着実に形成されている。 無念を晴らすために ここに至るまでいまだ花は咲かせていない。中学次には名門・FC東京のユースに所属。しかし昇格はかなわず、帝京高に進学。そこではさらなる壁が赤井を待ち受けていた。キャプテンとなった高校最後の大会、選手権東京都予選の直前に足首を骨折。戦線離脱を余儀なくされた。赤井自身は出遅れたものの復帰。全国大会出場が懸かった決勝では惜しくも駒澤高に敗戦。自身が不在の間、仲間が体を張って上ってきた階段をあと一段上ることはできなかった。「今までで一番悔しかった」。3年生は本来ここで引退する。だが、東京都のリーグ戦で結果を残した帝京はより高いレベルのリーグ戦に昇格できるチャンスがあり、引退しない選択もできた。勝利が彼らの今後につながることはない。いわば後輩の未来のための試合。しかし、意識のズレからBチームの選手はほとんどが引退を選択。「本当は一緒にやりたかった」。全員での引退は叶わなかった。 いくつもの無念を乗り越えてたどり着いた大学サッカーの舞台。「自分は様々な人の想いを背負っている。やるしかない」。未完の大器が羽ばたく日へ。彼のサッカー人生はまだ序章に過ぎない。[市瀬義高] ◆赤井シャロッド裕貴(あかい・ひろき)東京都出身。好きな選手はイブラヒモヴィッチだが性格はいたって謙虚。 198㌢・85㌔ ※写真は明大サッカー部提供READ MORE -
中島涼 日本代表入りを狙う期待の新星
水泳(競泳) 2019.09.18フィニッシュの瞬間、歓喜の水しぶきを上げた。5月31日から行われたジャパンオープン。中島涼(政経2=札幌大谷)は400メートル自由形に出場し、自身初の3位。日本選手権でも5位入賞と立て続けて結果を残している。しかし、その道のりは順調なものではなかった。 覚醒 地元、北海道では水泳界のレベルは決して高くなく、高校時代は敵なしの大会も多かった。そのため天狗気分になることもしばしば。 所属先のクラブで本格的な練習をするために上京。明大水泳部の勝つことにこだわる雰囲気は合っていると感じ、明大への入学を決めた。しかし、1年目のインカレではレギュラー落ち。明大の4連覇達成に選手として立ち会うことはできなかった。水泳も生活もうまくいかず「水泳も大学もやめて北海道へ戻ろう」と思い、一度北海道に帰省。しかし両親から「諦めるには早すぎる」と説教を受けた。空港に見送りにきた際には「こんなところで終わる選手ではないから、やってこい」と一喝され、中島の気持ちは「覚醒」した。 躍進 「とにかく練習を楽しくすることから」。ベストタイムも何も望まずに練習に取り組んだ。「先輩たちと勝負する気持ちで」。次第に練習が大好きになった。すると、日本選手権ではいきなりの5位入賞。しかし、それでも満足はしなかった。日本選手権を終えてからコーチを変え、自分に合った長距離用の練習メニューを実施。量を泳ぐことで持久力を鍛えた。その結果、2カ月後のジャパンオープンでは3位の大躍進。「練習したらこんなに変わるのかと思った」。〝努力は裏切らない〟。この言葉が誰よりもよく似合う。 ライバルとして世界選手権800メートルフリーリレー代表・吉田啓祐(日大)の名を挙げる。年下で何度も共に練習してきたゆえに刺激は大きい。今年度のインカレでは400メートル自由形で吉田は優勝。中島は6位だった。「今は差があるが、絶対に勝たなくてはいけない相手」。今回のインカレでは総合2位で日大に敗れた明大にとって、王座奪還を目指す来年度以降は中島がキーマンになることは間違いない。個人としての目標は日本代表入り。中島の快進撃はまだ始まったばかりだ。 [二瓶彩綾] ◆中島 涼(なかじま・りょう)政経2、北海道出身。趣味はイヤホン集め。決勝前にゲームのBGMを聴くのがルーティーン。175センチ・71キロREAD MORE -
濱西諒 〝練習バカ〟が夢見る世界への道
競走 2019.09.18崩れないフォームでゴールまで。高校3年次の国体5000メートルWで見事優勝に輝いた濱西諒(文1=履正社)。徹底した基礎練習が築き上げた歩形は「今まで失格したことは一度もない」。その絶対的な安定感を武器に、さらなる高みを目指し歩みを進める。 競歩への道 〝無失格、警告4回のみ〟。驚異的な記録の裏には、地道に重ねた努力があった。長距離の推薦で入学したが、結果が出ず壁にぶち当たった高校1年次の春。濱崎監督の勧めで競歩と出会った。平日は高校で、週末は大阪陸上競技協会の奥野コーチの下で練習漬けの日々。同校で二つ上の先輩だった鈴木匠(順大)の「誰が見てもきれいなフォーム」を目標に、最初の1年間はひたすら歩いた。始めは今までと違う筋肉を使うことで筋肉痛に苦しみ、半年間記録が出ない時もあった。それでも練習を怠ることは一切なかった濱西。努力が光を放ったのは高校3年次の国体だ。悔しい10位に終わったインターハイから2カ月、必死に自分を追い込んだ。「勝てる自信があった」と万全の状態で出場。終始リードを許さず見事優勝し、リベンジを果たした。「勝つというのは失格しないでゴールすること」。強い意志で歩んだ日々が〝失格しない〟フォームを生んだのだ。 憧れの先輩 明大進学の決め手は2人の先輩だ。「後継者になりたい」と挙げるのは、同じ大阪府出身で世界でも活躍する 野田明宏(平30商卒・現自衛隊体育学校)。また明大のエース・古賀友太(商2=大牟田)も「次元が違う」が「いつか勝たないといけない」存在だ。同じ土俵に立つためにメンタル強化と距離適性を課題に挙げる。「(陸上は)自分次第で全てが決まる」。今夏も大阪陸上競技協会の合宿に志願。新天地でも〝練習バカ〟は健在だ。 競歩と出会い、がむしゃらに練習を積んだ高校時代。気付けば学生界トップ選手になっていた。「まさか明大に入るとは」。辞めたい瞬間も多かったが、諦めず何度も前に進んできた。将来は国際大会でも活躍する選手になりたい。「大きな夢」でも、一番の目標はオリンピック出場だ。ひたむきな努力が実るその日まで、決して歩みを止めない。[ソル ヨンファン] ◆濱西 諒(はまにし・りょう)文1、履正社、170センチ・60キロ。乃木坂46のファンで推しは樋口日奈。好きな食べ物はペッパーライスREAD MORE -
手嶋杏丞 下剋上の物語の続き
競走 2019.09.17優しい人柄と熱い思いを持つ男が明治に上昇気流をもたらす。高校から本格的に陸上を始めた手嶋杏丞(情コミ2=宮崎日大)は高校時代インターハイで10000メートル9位に入るなど実績を挙げる。高校当初の目標であるこの場所で、さらなる活躍を目指す。 挑戦 手嶋の陸上人生は〝下剋上〟から始まった。中学まではサッカー少年だったが、高校で周囲に才能を見いだされ、陸上を始める。しかし入部当初、大会や駅伝で走ることはできなかった。その現実が彼の負けず嫌いの性格に火を付ける。普段の練習から先頭集団に付くことを意識。走るたびにタイムが伸びる陸上の魅力に取りつかれた。監督の存在が手嶋を全国レベルに押し上げた。よく監督が口にした、「速さよりも強さを求めろ」。この言葉を体現した試合がある。3年次の南九州総体5000メートル。苦手なスローペースの展開に後れを取っていた。しかし順位だけを意識した結果、最後は0.01秒差の勝負に競り勝ち、自身初のインターハイ出場を決めた。「お前はできる」。いつもそう声を掛けてくれた監督の期待に応えたい気持ちが手嶋の成長につながった。また、大学と同じ、自主性を重んじる練習が明治進学を後押しした。 変革 大学に入っても手嶋の成長は止まらない。その裏には阿部弘輝主将(政経4=学校法人石川)の存在がある。昨年の夏合宿ごろから彼のジョグの方法を取り入れた。ただ一生懸命走るわけではない。毎回の調子や体調に合わせたジョグに変えた。すぐに結果が出る。11月の上尾ハーフ。苦手だったロードのレースで、チーム上位のタイムをたたき出した。大きな自信を胸に初の箱根を目指した。 迎えた箱根駅伝当日。3区にエントリーされていたが当日変更で補欠に回った。1年生で走ったのは手嶋が「絶対負けられない」と最も意識する鈴木聖人(政経2=水城)。入学以来負け続けてきたライバルにここでも後れを取ってしまう。陸上人生の中で、一番の悔しさ。その思いをすぐに切り替え、練習に励む。「練習を継続した分だけ結果が出る」。陸上を始めて4年、ここまで毎年自己ベストを更新し続けてきた。近い将来明治のエースへ駆け上ってみせる。 ◆手嶋 杏丞(てしま・きょうすけ) 情コミ2 宮崎日大高 168センチ、48キロ 宮崎県出身。好きな芸能人は今田美桜。特に髪を下ろした姿がお気に入り。 [入野祐太] READ MORE -
加藤大誠 ”今”からが本当のスタート
競走 2019.09.17この男はラストで観客を魅了する。6月に行われた全日本大学駅伝予選会。巧妙なペース配分とラストスパートでの疾風迅雷のごときダッシュで目覚ましい成績を収めた加藤大誠(営1=鹿児島実)。「駅伝は今の人生の全て」。明大競走部に新たな希望の光を灯す。 御膳上等な活躍 華々しい初陣を飾った。明治に入学して初の大舞台となった全日本大学駅伝予選会。「一秒でも前に出ればチームのためになると思い走った」。大学で培ってきた安定力と果敢なラストスパートによって組2位でゴール。「レベルの高いところで走れるのはうれしい」。明大は伊勢路への切符を予選2位で獲得。チームへ大きな貢献を見せた。続く7月の明法戦男子5000メートルでは、昨年から活躍を見せている2年のエース鈴木聖人(政経2=水城)とのトップ争いを繰り広げた。惜しくも1着の座を奪われたが、「もっと練習をこなして先輩方と戦えるようになりたい」と前だけを見据え「聖人さんは憧れの存在。1年の時の聖人さんを超えていきたい」虎視眈々とリベンジの機会を狙う。飛躍への長き道 才能の開花には時間を要した。中3から陸上を始め強豪・鹿児島実業高に進学。主将を務めたものの、その成績は現在とは打って変わるものだった。最後の県高校駅伝では左足に痛みを抱えて走り、2位と大きく差をつけて区間賞を獲得。しかしチームは惜しくも都大路へ行くことは叶わなかった。この敗北によって「自分の中で変化が起きた」。後悔を残したレースが加藤を目覚めさせる。ポイント練習などをゆとりを持ってこなせるようになり「色々取り入れ、練習で余裕が出てきた」。中学から続けてきた努力が卒業間近で芽吹いた。その後、都道府県対抗駅伝では全国屈指の強者を相手に区間7位で襷を託すことに成功。大きな挫折を経て頭角を現し始めた。 ”今„はスタートラインに過ぎない。夢は「オリンピックに出て自分の名を世界にとどろかせたい」。その目は真剣そのもの。「明治は肌に合っている。陸上をやってきた中で今が一番成長できている」。自他共に認めるエースを目指して。この4年間で夢に向かって走り続けるための”駆„け橋を作ってみせる。 [金内英大]◆加藤 大誠(かとう・たいせい)営1、鹿児島実業高、166センチ・54キロ。趣味はサイクリングやゲーム。根っからのTWICE好き。READ MORE -
松村将伍 ブレない相撲で土俵を制す
相撲 2019.09.16上手を引けば負け知らず。松村将伍(政経1=向の岡工)は明大に入学後、一年生ながら団体戦に出場。高校時代は強豪・向の岡工の主将を務め、国体とインターハイでは準優勝、3位へとチームを導いた。明大でのさらなる成長に期待がかかる。 父親の存在 松村の相撲人生は父・健一氏なくして語れない。小学2年次、体が大きかった松村は父の勧めでわんぱく相撲大会に出場。初出場ながら市3位となり、それを機に相撲クラブに入った。しかし、努力はなかなか実を結ばず。「このまま中学も負け続けるのだろうなと思っていた」。そんな松村を救い出してくれたのはまたしても父であった。中学1年次、突然父に連れ出された先は向の岡工での出稽古。量より質にこだわった稽古で腕を上げ、入学後は全国トップレベルへと成長。その姿を健一氏は誰よりも近くで見守っていた。国体やインターハイの大舞台で決まって聞こえるのは父の歓声。思わず笑ってしまうほど大きなその歓声に背中を押された。いつも応援してくれる父に「応えたいと思って頑張れた」。父の声援を胸に、松村は今日も稽古に励む。前進のとき 正念場を迎えている。東日本学生選手権で団体戦に出場、全日本大学選抜大会では先鋒として活躍した。「大学ではタイトルを取れるような選手に育ってほしい」(守重佳昭監督)と周囲も期待を寄せている。しかし、今の松村は本調子ではない。「大学に入ってから満足できる試合をしていない」。新人戦は本人も予想外の2回戦敗退。東日本学生個人体重別選手権では過去に勝った日体大の嘉陽快宗に負け「唖然とした」。不調の一因は環境の変化。母校・向の岡工は自由で近代的な稽古だったのに比べ、明大は伝統的で基礎中心な稽古。対照的な稽古に加えて不慣れな寮生活に体は着いていけず、体重も激減した。 松村に越えられない壁はない。これまでも数多の苦境を乗り越えてきた。高校時代、試合中に首を負傷し、押し相撲から四つ相撲への転向を余儀なくされた。しかし、松村は決して立ち止まらなかった。「よくやったと自分でも思う」。並ならぬ努力を重ね、右四つは得意な形に。松村にとって、ピンチはチャンスである。 今後の課題は立ち合いの速さと体重増加。「基礎をしっかりやり、慌てないで足元を固めてもらいたい」(守重監督)。持ち前のひたむきさで必ず壁を乗り越えてせる。 ◆松村将伍(まつむら・しょうご) 政経1、向の岡工、174センチ。中学時代はパソコン部に所属。憧れの力士は稀勢の里。 [波木井里紗]READ MORE -
藤鷹裕大 目指すは世界の舞台 志を高く躍進する
柔道 2019.09.16巧みな技でライバルに立ち向かう。高校時代からポイントゲッターとしてチームをけん引した藤鷹裕大(政経1=愛知県私立大成)。大学入学後も団体戦出場、東京都ジュニア選手権優勝と早くもその頭角を現す。高いハングリー精神で、〝頂点〟へと突き進む。 苦悩からの巻き返し 苦しい過去が今の藤鷹を作り上げた。高校2年次、団体戦で全国大会に出場。周囲から優勝候補に見られていただけに、主力選手である藤鷹への期待は大きかった。しかし「自分のせいで負けてしまった」。大事な場面で力を発揮できず、結果としてチームは敗退。見えていた優勝をつかみ取ることができず「周りから非難もされたし、文句も言われた」。チームの大黒柱だからこその苦しみもあり精神的につらく、柔道を辞めたいと思った日もあった。 そんな時、当時の主将が「お前が引っ張って行かなければいけない」と鼓舞。その一言は藤鷹を大きく奮い立たせた。「自分がチームを引っ張っていく」。心機一転し、日々の練習に打ち込む。すると、自然と調子も出てくるように。高校3年次の全日本ジュニア選手権では、初出場ながら堂々の3位入賞。大学生もいる中「延長戦に入ったら絶対に投げることができる」。持ち前の体力と粘り強さで戦った。この一戦は藤鷹の自信を取り戻した。 強みを遺憾無く発揮 明大入学後は実力のある上級生も多い中、団体戦に出場。「思いきりが良いし度胸もある」(中濱真吾監督)と監督からの評価も高い。藤鷹自身も「自信がついた」と1年生にして自分の力が大学でも通用することを実感。東京都ジュニア選手権では準決勝まで全て一本勝ちで駒を進め、迎えた決勝。得意技である内股刈で技ありを決め、見事初優勝に輝いた。最後まで「強豪相手に実力以上の力を出す」強みを生かし、技を駆使して勝つという自分なりの柔道を体現することができた。 高みを目指し続ける 果敢な攻めでまい進する。ライバルは神垣和他(商2=崇徳)。「倒さなきゃいけない相手」と上を見つめ気負い立つ。そのために日々の練習から苦手な部分をつぶしていく努力は惜しまない。最終目標として掲げるのは「日本代表として世界でも活躍できる選手」。世界を見据える藤鷹の挑戦はまだ始まったばかりだ。 [都甲可奈子] ◆藤鷹 裕大(ふじたか・ゆうだい) 政経1、愛知県私立大成高、186センチ・100キロ。マイブームは食べ巡り。最近は五反田の牛タンを食べた。READ MORE