新人記者イチ押し選手!2019
俺たちが未来の明治を盛り上げる。1、2年の体育会選手に焦点を当てた人物記特集です。現在活躍中のレギュラー選手や今後が期待される目が離せないルーキーばかり。記事も今年明大スポーツに入部した新人記者が、一生懸命書きました。活気ある記事を是非ご一読ください!
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木村柊也 常に前へ 歩みを止めない武闘家
拳法 2019.09.25※この取材は7月に行われたものです。 勝利に懸ける思いは誰にも負けない。「練習中でも優勝することしか考えていない」と木村柊也(文1=関西福祉科学大高)は普段から闘志を燃やす。6月の東日本個人では1年生ながら優勝、春から負けなしの逸材だ。そんな木村の隣にはいつもライバルの姿があった。 期待の風雲児 圧巻の強さを見せつけた。大学初の個人戦である東日本個人に出場した木村。「体力的にきつかった」。連戦で争われるため、疲労がピークとなる。それでも5戦中わずか1本しか許すことなく決勝へ。同校の先輩との対戦となった。「やりづらかった」が1本も許すことなく勝利。東日本優勝、さらに未だ公式戦負けなしという驚異の戦績を収めている。 悔しさを糧に 高校での悔しい思いが今の木村をつくり上げた。1年次、大会で2段の部に出場するもあえなく初戦敗退。しかし同じ大会で優勝した同期がいた。それが木村の最大のライバル・富永一希(龍谷大)だった。実力者の2人は幼いころから事あるごとに大舞台で対決。小4次初めて西日本を制覇した決勝の相手、中3次西日本4連覇を阻止された相手はいずれも富永。そんなライバルの優勝に悔しさがこみ上げてきた。「あいつが優勝したから自分も頑張らないと」。かえって奮起し、猛練習を重ねた。3年次、ついにその時が訪れる。2人は西日本選手権決勝の場で相まみえた。互いに決定打が出ない緊迫した展開。だが「何としても勝ちたかった」。執念で1本をもぎ取り、優勝。富永から公式戦初白星を挙げることに成功。確かな成長を見せつけた。 狙うは日本一 明大は団体インカレ(府立)で現在7連覇中の名門。その名は、東京から遠く離れた徳島にも届いていた。「小さい頃からずっといきたかった」。そんな憧れの明大で木村はある1つの目標を掲げている。「日本一になりたい」。高校時代には成しえなかった個人戦全国優勝。すでに東日本を制しており、着実に目標に近づいている。対する富永も西日本で優勝。ルーキー2人が東西で争う構図となった。日本一の座を懸けて、雌雄を決するその日まで。頂点を目指す木村の物語は始まったばかりだ。 [久野稜太] ◆木村柊也(きむら・しゅうや) 文1、関西福祉科学大高、167センチ・70キロ。生粋の釣り好きで、朝から晩まで熱中することも。「海よりも川か池派」。 READ MORE -
中村優里 世界を目指す未完の大器
フェンシング 2019.09.25矢のように飛び出して相手を突く。中村優里(営1=成立学園)は、現在全日本ジュニアランキング10位。高校時代からナショナルトレーニングセンターで練習をする金の卵だ。武器は瞬発力とスピード。これからのフェンシング界を担う期待の新鋭だ。 選ばれし逸材 まさに、宝の山を掘り当てた。小学校6年次、持ち前の運動能力を買われ、母親の友達の紹介で福岡タレント発掘事業を受験。これは、県が五輪に出る選手を育てるために行なっているもの。その結果、4万人の中から上位50人に選出される。適した競技を探すため、五輪競技を一通り経験。スピードと瞬発力が高く評価され、中学3年生でフェンシングを始めることに。しかし、その裏には強い葛藤があった。中学2年次には、陸上で九州大会優勝を果たす快挙。それだけに競技転向という決断に、周囲には落ち込む姿も。だが「世界を目指したい」とより可能性の高いフェンシングを選ぶ。ポテンシャルの高さを発揮し、瞬く間に成長。後悔のない選択かと思われた。 苦難の続く道 覚悟を決めて始めたフェンシング人生は「悔しい試合しかなかった」と挫折の連続だった。環境の良さを求め、高校入学と同時に母親と上京。思うように勝てた陸上とは違い、結果が出ず、競技を辞めようと思ったことも。それでも「家族を巻き込んでやっているからには」と奮闘。以前の受け身の練習から、自らコーチにアドバイスを求め、進んで練習をするように。すると、その努力が実を結ぶ。昨年のランキングマッチでランキング上位のジュニア選手らを次々撃破し、迎えたベスト8がけの試合。相手はナショナルチームの選手だけに「正直厳しいと思った」。それでも、素早い突きで攻め一進一退の攻防。サドンデスにもつれ込む熱戦を繰り広げた。敗れたものの「ここまで戦えたのは自信になった」と成長を感じた。 たどり着く所 福岡タレント発掘事業は、五輪出場が目標。同期には、世界選手権で活躍する選手も。競技歴まだ5年の中村には未知の伸びしろが秘められている。「五輪を目指す」。恥じらいながらもそう語る彼女の目は闘志にあふれる。 [下神大生] ◆中村 優里(なかむら・ゆり)営1、成立学園、161センチ。趣味は映画鑑賞で、好きな映画は「グレイテスト・ショーマン」。READ MORE -
永井克樹 〝克己〟 明大で新たな可能性を開く
準硬式野球 2019.09.24チームに穴は作らない。永井克樹内野手(営1=広陵)は1年生ながら春季リーグ戦でスタメンに定着すると長打を続々と記録。高校までは外野手だったが、内野手・捕手としての才能も開花させた。持ち前の勝負強さと高い適応力で常勝の明大を作っていく。 勝負師 少ないチャンスをモノにしてきた。全日本選手権1回戦・中京大戦。1点を追う9回裏、2死満塁。「チームのために」と振り抜いた打球は中翼手の頭上を越えた。持ち前の勝負強さを遺憾なく発揮し、チームをサヨナラ勝ちに導いた。 小学生でソフトボールを始め、中学生になると硬式野球のクラブチームに入団。高校進学は監督の強い勧めで甲子園常連校の広陵高校に。しかしエリートコースを歩まず、Bチームでくすぶる日々。厳しい上下関係と寮生活を、家族の顔を思い浮かべ耐え抜いた。転機がやってきたのは2年の夏だった。ライバルだった友人とのAチームを賭けた3打席勝負。2安打を放ち、悲願のAチームの座を勝ち取った。 新境地 迷いを振り払った。厳しい練習やケガで「しんどい」ことも多かった野球。それでも、父と叔父の母校である明大で野球を続けることに決めた。「試合で勝つ喜びを知っているから」、そしてなにより「野球が好きだから」続けたい。決意新たに故郷・広島を飛び出した。 春季リーグ戦・法大2回戦。捕手として途中出場し、2本の長打を放った。以降は1年生ながらスタメン出場。二塁手としても出場したが、高校までは外野手であった。慣れない守備位置では「失策のことを気にしてしまう」。慣れ親しんだ外野でプレーしたい。だが、高校時代帽子のつばに書いて身に染み込んだ、克己服礼の精神でチームに貢献していく。 ベストナインへの野心も見せる。失策が目立った分、打撃でカバーしてきた春季リーグ戦。守備をやりきることへの思いは強くなった。名前の「克」の字のごとく、自分の弱さに克(か)つ。ここ一番で見せる強さと、チーム状況に対応する柔軟性。二つを兼ね備えた万能プレーヤーが、明大に勝機をもたらす。 [田崎菜津美] ◆永井克樹(ながい・かつき) 営1、広陵高、165センチ・75キロ。京王線の安さに驚きを隠せない。休日は東京を満喫している。READ MORE -
村田幹太 支えを背に いざ鉄壁となれ
アメリカンフットボール 2019.09.24強いフィジカルと気迫あふれる姿勢で、明大の高い壁となり攻撃を阻む。DB#23村田幹太(営2=駒場学園)は、U―18、U―19で日本代表に選出された経歴を持つ期待のホープだ。ディフェンスの最終砦として、グリフィンズを日本一へと導いてゆく。 光輝いた高校時代 母の勧めで高校から始めたアメフトの才能は、すぐに開花した。1年次の冬に監督からDBに任命されると、翌年の秋からはスタメンとして試合に出場。3年次には、アメフト初心者としては異例のキャプテンに指名された。またU―18インターナショナルボウル選出時には副将として大きくチームに貢献。U―17米国選抜に史上初の勝利を飾った。大躍進を遂げた高校時代の輝かしい成績を見ても、明大での活躍は必然だった。 後悔から得た自覚 「選手としての自覚が全くなかった」。満を持して明大に進学した村田だが、昨秋には「1年生だから」と試合出場への情熱が薄れ始める。大学特有の楽しさに逃げ、遊んでしまうことも多かった。そんな中訪れたのが秋季リーグ・早大戦。劣勢のなか「お前が流れを変えてこい」と後半戦から出場するも、逆転勝利は果たせず。このたった一敗で日本一の夢は絶たれた。「大学の洗礼を受けた」。自分が流れを変えていれば、もっと真面目に取り組めていればという悔しさが、村田に明大の一選手としての自覚を与えた。そんな村田に本気を出させようと声をかけ続けたのが小原泰宏(法4=明大中野高)。試合に出場することは少なくとも常に努力を怠らないその背中は、村田の眠っていたやる気を再び引き起こした。今年の目標は「小原先輩を日本の頂点に立たせること」。今秋こそ、村田の活躍で日本一の称号をプレゼントしたい。 支えと応援を背に 精神的支えは明大内にとどまらない。試合でひときわ大きな声援を送るのは、村田の両親だ。アメフトに詳しくなろうと研究を重ねる父に加え、母はアスリートフードマイスターの資格を取得。毎年両親からもらうお守りは、防具から村田を一番近くで見守っている。 家族への恩返し、小原へのプレゼント、そして自らの夢。多くの意味を持つ日本一は「目指せる距離にある」。悲願の学生王者の座に向け、明大ディフェンスの壁はさらに高く、そして厚くなる。 [前田彩貴] ◆村田 幹太(むらた・かんた)営2、駒場学園、180センチ・88キロ。好きな芸能人は中村アンを代表とする〝前髪かきあげ系〟。 READ MORE -
安井恒介 唯一無二の道標
バレーボール 2019.09.23「バレーが大好き」。その真っすぐな思いが安井恒介(政経1=市立尼崎)を突き動かす。スタメン起用は1年生ながら、春リーグ11戦中10試合。チーム一を誇る最高到達点346センチの高さと、物怖じしない力強さは明大に新しい風を吹かせる。 経験 喜びとその裏の影によって浮かび上がったのは、強くなろうともがく安井自身だった。高校1年次はベンチ入りさえできなかった安井。下積みの期間で養われた視野の広さを買われ、スタメン起用だけでなく3年次にはキャプテンに抜擢された。「今年は優勝を目指す」と宣言し、仲間とともに厳しい練習に耐えた。迎えたインターハイ決勝では名門・洛南高を下し、兵庫県勢として初の優勝を果たした。「気づいたらメダルを掛けられていた」ほど夢中で戦い抜いた結果だった。しかし、意図せず生まれる気の緩みが優勝後のチームのまい進にブレーキをかけた。「何をしてもうまくいかなかい」。練習試合で一勝もできない現実。十分にチームの勢いがつかめないまま1月の春高バレーのセンターコートに立った。準決勝、再び洛南高と対戦するも、結果は負け。日本一に再び輝くことはできなかった。「全国制覇の喜びからチームを立て直すことの難しさを痛感した」。この時感じた思いが安井だけの強さをつくり上げた。 強さ 安井には憧れの存在がいる。同じポジションであるMB三輪大将(政経2=高川学園)だ。三輪は昨季の全日本インカレ3位など明大の躍進に一役買った大きな存在だ。高校生の頃から尊敬しており「プレーを間近で見たい」と、明大を進学先に選んだ理由にも三輪は欠かせない。「パワーで押し切る自分と違って器用」なプレーは、三輪の魅力であり目標とする所。隣でボールに触れる三輪はもう遠い存在ではない。憧れの存在と共に更なる成長を遂げる。 己を持っている。安井の考える強い選手像はスパイクのうまい選手ではない。「調子に乱れのない選手」。強くあり続けることの難しさを知る安井だからこその選手像だ。壁にぶち当たって手に入れてきた糸。それを紡いでできたのは安井だけの道標。その道標はきっと日本一の優勝旗となる。 [青木優実] ◆安井 恒介(やすい・こうすけ) 政経1、市立尼崎高、189センチ・82キロ。好きな食べ物は大阪出身らしくお好み焼きとたこ焼き。 READ MORE -
佐藤美鈴 恩師の言葉を胸に勝利へまい進
バスケットボール(女子) 2019.09.22試合の流れを読み、積極的な仕掛けで攻撃の起点となる。佐藤美玲(文1=安城学園)の武器は速攻。早い展開を作り、相手を翻弄(ほんろう)する。大学では苦手な3ポイントシュートにも力を入れ、伸び代は計り知れない。期待のルーキーが明大を勝利へと導く。 軸となる言葉 「もっと楽になりなよ」。コーチの一言が佐藤を変えた。小中で全国を経験し、高校は愛知県の安城学園に入学。ここで初めて壁にぶつかった。思うように結果が出ず、メンバーにも入ることができない。どうして試合に出られないのかを考える毎日だった。しかし、コーチの言葉でスッと胸が軽くなる。「考えても変わらないことを考えても意味がない」。行動する前に考え込み落ち込むタイプだった佐藤だが、精神的な成長がプレーにも影響した。試合ではミスをしても動じず、冷静なプレーを展開。自分らしいバスケが出来るようになり、持ち味である速攻を確立した。 実はこの言葉は佐藤の進路選択のカギにもなってくる。「大学で心理学を勉強しようと思ったのもこの一言から」。実際に自分がコーチの一言に救われたように「悩んでいる人を救ってあげたい」。その思いから心理学を専攻。現在は人の長所や強みを研究するポジティブ心理学を学ぶ。悩んでいるときこそ明るく笑うことが大事だと知り「いい意味で楽観的な考え方になれた」。初めての挫折を救ったコーチの言葉が、今の佐藤を形作っている。 得られた教訓 自分らしいプレーを確立し、高校2年次にはウィンターカップ準優勝を果たす。苦難を乗り越え、順調かに見えた高校時代だったが、3年次には強豪・桜花学園に敗れ全国大会に出場できなかった。「敗因は自ら引っ張っていくのではなく、ついていってしまったこと」。チーム全員で戦わなければならないのにエースやコーチに頼り切りになってしまった。主体的なプレーが少ないことで能力的にも伸び悩み、結果的に全国大会出場もかなわず。この教訓を生かし大学では「全員が活躍できる中の1人になる」。明確な目標を掲げ、さらなる飛躍を誓う。 佐藤のコートネームはマイ。由来はひたすら目的に向かって進むという〝まい進〟だ。コーチの言葉と高校時代の教訓を胸に、これからも理想の選手像に向かって〝まい進〟する。 [伊藤理子] ◆佐藤美鈴(さとう・みれい)文1、安城学園、168センチ 趣味はミュージカル鑑賞で、大学に入ってからは『アニー』を見に行った。READ MORE -
〝明治時代〟を築き上げる完全感覚Shooter 吉村公汰
バスケットボール(男子) 2019.09.22放物線を描きリングへと吸い込まれるボール。放ったのは3Pシュートの使い手、吉村公汰(営1=土浦日大)だ。U―15(15歳以下)日本代表経験もあり実力は折り紙付き。 新人戦の山梨学大戦では24得点とチームトップの活躍を収め、その存在を知らしめた。停滞からの急加速 小学6年生でバスケに出会うと、才能は瞬く間に開花。たった3年でU―15日本代表に選抜された。順風満帆に見えた吉村のバスケ人生だったが、高校2年次の夏に突然シュートが入らなくなる。周囲の期待はプレッシャーとなって伸し掛かり「どんどん何もできなくなった」。追い込まれた吉村を救ったのは、陽の目を見ず陰で努力し続けてきた先輩の言葉だったという。「失敗してもいいから、とりあえずやってみろ」。2つの意味で肩の力が抜けた吉村は、とにかく打ち続けた。繰り返すことで感覚を覚えた身体は正確な一投を繰り出すようになる。「一本入ればあとは怖いものはない」。吉村のシュートは、唯一無二の精度を誇るまでに成長した。共に歩んだ6年間 〝吉村公汰〟を語るには欠かせない男がいる。チームメイトの若月遼(政経1=北陸)だ。2人はミニバスからの付き合いで、中学時代の東京都選抜でも共に戦った同士。しかし中学、高校と悩んだ先に若月が進学するなど、もどかしいほどに離されてしまう。両者の道は、この明大でようやく交わった。「ずっと互いに意識し合っていた」。置かれた場所は異なりながらもライバルとして高め合い続けてきた2人。プライベートでも仲が良く「本当にずっと一緒にいる。ソウルメイトみたいなもの」。親友を語る彼は、照れくさそうに頬をかいた。 練習後恒例となった個人練は「自分にないものをたくさん吸収できる」貴重な時間。強豪校で培ったディフェンスをもってしても吉村だけは止められないという。 オフェンスこそ右に出る者はいないが、ドリブルはまだ甘い。対して若月の強みは勢いのあるドリブル。相方から学んで強みを増やし「試合の流れを変える選手になりたい」と 力強く意気込んだ。大学バスケ史に名を残すプレイヤーとなるべく、完全感覚Shooterはリングめがけて魂の一本を放ち続ける。[菅野向日葵]◆吉村 公汰(よしむら・こうた) 土浦日大高、182センチ・77キロ。東京都出身。オフの日に2人の弟を連れて日帰り大阪観光に行くほどのアウトドア派。READ MORE -
佐藤伊吹 氷上で美しく輝く期待の新星
フィギュアスケート 2019.09.21ミスの少ない安定した演技で観客を魅了する。佐藤伊吹(政経1=駒場学園)は大学入学後、初の大会となった関東学生選手権で5位入賞と、幸先の良いスタートを切った。期待の新星が、黄金期を迎えるフィギュア部門の一員として氷上で躍動する。 苦悩の日々 決して楽な道のりではなかった。中学2年次にジュニアに昇格。その年に目標であった全日本ジュニアに出場するなど、順風満帆なスケート人生を歩んでいた。しかし、迎えた中学3年次の東日本ジュニア。SP(ショートプログラム)でミスを連発した。FS(フリースケーティング)も振るわず、結果は14位。前年から順位を上げるどころか、全日本出場さえ叶わなかった。この頃から佐藤の歯車が狂い始める。高校進学後も調子が上がらず、もやもやする日々。なぜ調子が悪いのかがはっきりわからない。自問自答する毎日だった。 大きな決断 もどかしい日々に思わぬ形で終止符を打った。「このまま全日本に出れるか出れないかのレベルでは意味がない」。葛藤の末、思い切った決断に出た。シニア転向。スランプ脱却へ向け心機一転、殻を破ることを決意した。 シニア転向後の初戦・飯塚杯。結果はノーミスの演技で2位。初のシニアの舞台で残した納得のいく結果に「自信がついた」。この大会をきっかけに調子を上げ、東京選手権優勝、東日本選手権では3位で表彰台に。憧れの全日本選手権への切符も手にした。 「ジュニアの時は練習も試合もただこなすだけだった」。全日本選手権の舞台で日本トップレベルの演技を肌で感じ、自分を見直した。すると今までの自分に足りなかったものがようやく見えてくるように。それは、ただこなすだけではなく〝目標を持つこと〟。「来年も絶対に出てリベンジしたい」。この強い思いは明確な目標へと変わり、佐藤の心を突き動かした。それは練習への意識にも変化をもたらす。〝1本〟のジャンプ、〝1回〟のスピンを大切にするようになり、練習の質も向上。確たる目標ができたことが佐藤の大きな原動力となった。 次なる舞台 大学生となった今、目指すは「大人っぽく、力強い」スケート。より総合力が求められるシニアの舞台に対応していく。大学での目標は「自分が出場した上で、インカレで団体優勝」すること。期待の新戦力も加わり、さらに層が厚くなった明大。熾烈(しれつ)なメンバー争いを制し、団体優勝に貢献することができるか。氷上で輝きを放つその姿から目が離せない。 [加川遥稀] ◆佐藤 伊吹(さとう・いぶき) 政経1、駒場学園高、160センチ。趣味は料理。よく作るのは卵焼き。大学ではスケートのみならず料理の腕も磨く。READ MORE -
青山大基 攻撃型DFに不可能はなし
アイスホッケー 2019.09.21常勝明治のDFをけん引する。青山大基(法2=釧路江南)はU―16(16歳以下)代表に召集以来、世代別の代表を次々と経験。昨年度の11月にはシニア代表にも選出され、その実力は折り紙つきだ。日本アイスホッケー界期待のホープが史上最強のチームを築き上げる。 特性 「自分がやるしかない」。今年度の関東大学選手権・早大戦。味方へのパスを選択せずに放ったミドルシュートがゴールネットを揺らす。その直後にも、強力な一振りで追加点を決める活躍。攻守で魅せる青山の持ち味が存分に発揮された試合だった。 アイスホッケーを始めた小学生の時から貫いているDFのポジション。しかし同時に「攻めるのも好き」と、攻撃への熱い意欲を持ってプレーをしてきた。そんな青山の才能を開花させたのが高校時代の監督・村上裕幸氏(平5法卒)だ。リンクの3分の1を一人で使い、ミドルレンジからのシュートを毎日40分間ひたすら練習した。磨き上げたシュート力は「日本代表レベル」と育ての親も太鼓判を押す。それに加え、爆発的なスピードと天性のバネ、スタミナを持ち合わせ、相手のパックを奪うと攻撃の起点に。「守るだけのプレーでは役に立たない」。こうして攻撃型DFのスタイルが確固たるものとなった。 超越 「不可能などない。不可能を証明することが不可能なのだから」。青山は村上氏が常に口にしていた言葉を胸に刻んでいる。大学4年次に実業団を撃破し〝史上最強〟と称されたアイスホッケー部で主将を務めた村上氏。「将来は主将として、自分の年代の強さを越えてほしい」。恩師の思いを背負い明大に進学すると、1年次から主力として試合に出場。2年連続3冠に貢献した。「勝つ味を覚えたからこそ、また優勝したい」。勝ちへの貪欲さを原動力に、絶対王者の称号は譲らない。そしてさらなる高みへ。青山のプレーは大学レベルに留まらず〝史上最強〟の恩師をも超越する。決して容易な道ではないが「日本を代表する選手に間違いなくなる」(村上氏)。青山の名がアイスホッケー界にとどろく日が必ず訪れる。理由はただ一つ。彼に不可能などないのだから。 [村川拓次] ◆青山 大基(あおやま・だいき) 法2、釧路江南高、172センチ・75キロ。体づくりには余念がなく、寝る前には筋肉に良い卵納豆ご飯を食べる。READ MORE -
關根瑞己 宿命も味方に 百折不撓の精神を貫徹
ラグビー 2019.09.2050メートル走6秒2の韋駄天がグラウンドを駆け抜ける。競技歴わずか半年で花園に出場し、トライを挙げたウイング關根瑞己(商1=明大中野)。一度は競技を離れるも、春から紫紺を身に着け活躍している。未だ成長を遂げる新鋭に、期待は高まるばかりだ。 不屈の精神 早稲田との新人戦。開始2分、ハーフウェーラインから自慢の脚力でゴールラインへ一直線。チームの舵を取る。幸先の良い先制トライを筆頭にチャンスメークを見せ、ルーキーとして驚異のハットトリック。一躍名を轟(とどろ)かせた。苦しいときこそチームのために。チームメートと歓喜に沸く姿は高校時代を喚起させた。 高校入学を機に始めたラグビー。8年間続けた野球で培った瞬発力を武器に、わずか半年でスタメンを勝ち取った。しかし1年経たずして退部を余儀なくされる。度重なる脳震盪によりドクターストップ。「ラグビーに人生はかけられない」。退部を惜しむ声を振り切ってチームを後にするも、待っていたのは何をしても面白くない毎日。仲間がいるグラウンドへの思いは消えず、隠れて観戦にも行った。ラグビーがしたいのではない。みんなともう一度プレーがしたい。花園予選会まで10か月を切った3年次春、新人戦で異例の復帰を見せる。仲間の熱心な勧誘が、關根を再びグラウンドに引き戻した。「他のメンバーだったら戻っていない」。そこには最高の仲間とラグビーを楽しむ姿があった。 巡り合わせ 大学でラグビーを続けるつもりはなかった。關根の今があるのは高校のコーチ・花井良達氏(平7政経卒)からの言葉。「お前は大学でも続けた方がいい」。俊足を見出し、フランカーからウイングへ転向させた花井コーチ。「ラグビーの9割は花井さんから教わった」。紫紺をまとい初出場した立大戦でも、正確なボール運びでチームに貢献。恩師の教えは全国でも通用すると確信した。 高校の引退試合では1トライ差で涙を呑んだ。悔しさを胸に、選んだのは最強の大学。目標とする山﨑洋之(法4=筑紫)のように、プレーでチームを引っ張るムードメーカーへ。1トライを着実に。關根の快進撃はまだ序章にすぎない。 [中村奈々] ◆關根 瑞己(せきね・みずき)商1、明大中野高、178センチ・81キロ。春学期はスペイン語に苦戦。午前3時まで戦い、何とか単位を手にした。READ MORE