新人記者イチ押し選手!2018
未来の明大を担うのは俺たちだ! 1、2年の下級生選手の人物記特集です。レギュラーとして台頭している選手から、今後が楽しみな選手まで…。活躍に目が離せないルーキーばかり。記事も今年明大スポーツに入部した新人記者が、一生懸命書きました。フレッシュな特集を是非ご一読ください!
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山邑祥次朗 挫折を力に変えた努力家
アーチェリー 2018.09.15キャリア8年目の男に注目だ。高校時代には全国大会の経験もある山邑祥次朗(営2=甲南)。明大入学後初の大会となった1年次の関東学生ターゲット個人選手権ではチーム最高順位を記録。今年のターゲットでも21位となり全日本ターゲットに出場した。さらなる高みを目指し、成長を誓う。 試練苦悩が男を変えた。それまでは野球をやっていたが、中学に入りかっこよさに惹かれアーチェリーを始めた。着々と実力を付け、中学時はリーダーを務めるほどに。その後はアーチェリーの古豪である甲南高校に入学した。「中3から高1までが一番自信がついた」と語るほど順調に成長。しかし、その自信が山邑を苦しませた。「自分に要らんプレッシャーをかけてスランプになっていた」。高1の終わり頃から不調は続いた。2年次、主将になってすぐのインターハイ。出場できるのはわずか3人のみ。しかし、そこに山邑の名前はなかった。「自分は4番手で、メンバーに選ばれなかったのは悔しかった」。多くを背負う主将は「当たらなくなった自分が許せなかった」。その思いが焦りにつながり、自分のアーチェリーを見失っていった。復活悔しさが男のアーチェリーに対するメンタルを変えた。「上手くてまとめられる」という自身の考える主将像に縛られなくなった。「自分の思うようにアーチェリーをしたらええんちゃうかな」。開き直りが感覚を取り戻させた。きっかけは高校の授業だった。甲南高校には総合学習という自分で決めたテーマを調べる授業がある。悩める主将はスポーツ心理学を学ぶべく同志社大学に足を運んだ。教授からは心理学診断調査を紹介され、一年間続けたことで「自信が生まれた」。緊張しやすい性格も努力で克服した。迷いはなくなり主将は輝きを取り戻した。目標としていたインターハイで5位の成績を収めるなど数々の栄光を手に入れた。明大には、世界室内選手権代表にも選出された前田悠帆(平28法卒)に憧れて入学した。「同じタイプではない」と語るが、自分に厳しい姿勢は相通じる。「前田選手みたいな結果を残したい」。偉大な先輩を目標に、男の挑戦は続く。[中野拓土] ◆山邑 祥次朗(やまむら・しょうじろう)営2、甲南高、172センチ・64キロ 兵庫県出身 趣味は渋谷や新宿で服を見ること。ファッションセンスには定評がある。 READ MORE -
溝口月斗 ゼロから千金をつかみ取る
バスケットボール(男子) 2018.09.14 リングに弾かれたボールを誰よりも高いところでつかみ取る。溝口月斗(国際1=東海大札幌)の武器はリバウンド。入学間もない春のトーナメントでは12得点の活躍を見せた。U―18(18歳以下)日本代表候補の経歴を持つ溝口がリバウンドと勝利をゲットする。 ゼロからの活躍 公式戦初出場となったのは5月上旬の関東大学選手権・初戦の慶大戦。プレータイムわずか16分にもかかわらず12得点、6リバウンドの活躍でデビューを飾った。新人戦でもインサイドの要として奮闘。ルーキーながら明大のゴール下を任せられる存在になりつつある。 そんな溝口だが中学校時代は地区大会で1回戦敗退レベルの選手だった。そこから、U―18日本代表候補にまで育て上げたのは、東海大札幌高の佐々木監督だった。「最初は本当に何もできなかった」と入学時を振り返る。シンプルイズベストが目標の東海大札幌校。パス&ラン、初歩的なセンタープレー、基本から徹底的に積み上げた。「今も、先生に言われた言葉を思い出しながらプレーすることがある」。たびたび言われた言葉は「殻を破れ」。辛いときは「声を出し続ける」。そうして殻を破り続け、高校3年次のウィンターカップ・宇都宮工高戦では34得点、14リバウンドという驚異的な記録を出せるまでに成長を遂げた。 更なるステージ成長の道しるべは〝ユーティリティ〟にある。インサイドが主戦場の溝口だが高校3年次にU―18日本代表候補から落選。「中で戦えないわけじゃない」でも「中だけじゃだめだ」と現状の手札だけではトップレベルに達していないことを痛感させられた。「将来的にはアウトサイドでもプレーできるようにしたい」。活躍の舞台を広げる溝口にさらなる期待が寄せられる。 シュートが決まると即座に次のプレーが始まるバスケットボールは流れが勝敗を決める。「オフェンスリバウンドを取ってそのまま点を決めたら会場が沸く、そしてチームにも勢いが生まれる」。得意とするリバウンドでチームの流れを爆発させる。 ◆溝口 月斗(みぞぐち・げっと)北海道出身。ポジションはC。月斗の由来は何でも手に入れられるようにgetから。192センチ89キロ【田北俊介】READ MORE -
飯沼蓮 ラグビー一家のDNAを受け継ぐ司令塔
ラグビー 2018.09.14素早い球出しと積極的な仕掛けで攻撃の起点となる。スクラムハーフ飯沼蓮(営1=日川)は、昨年度高校日本代表として活躍。早くも春シーズンから紫紺に袖を通し、ルーキーらしからぬ堂々としたプレーが光る。次世代を担う司令塔は強気に明治をけん引していく。転換点 才能の片りんを見せた。6月に行われた同志社との定期戦で、飯沼は後半23分から途中出場。9点を追う展開であったが「監督が試してくれた」。初めて僅差の場面で起用されるも、見事その期待に応えた。すぐさま2点差まで詰め寄ると、試合終了間際には自ら逆転トライを決める大活躍。勝利に大きく貢献し「自信になった」。これまでにない確かな手応えを得た。大学では〝9番〟で勝負する。高校時代はチーム事情からスタンドオフとしてプレー。しかし「本当はスクラムハーフをやりたかった」と話す。父・健氏はかつて日川高の主将を務め、トップリーグでも活躍したスクラムハーフ。その影響で物心つく前から楕円球に触れ、高校も父と同じ日川高へ進学した。さらに、3年次ではキャプテンにも就任。常に父の背中を追ってきた飯沼にとって〝9番〟は憧れそのものだ。「今も背中を追っている」。父の残した足跡をたどり〝9番〟として新たに歩みを進める。向上心 最高のお手本が目の前にいる。チームの絶対的支柱であるスクラムハーフ福田健太主将(法4=茗溪学園)だ。「健太さんは目標」。飯沼が目指すのは視野を広く持って、他の選手をコントロールすること。しかし、春シーズンでは「スクラムハーフのことしか考えられていなかった」と課題が明確に。「周りのこともよく見ている」という福田健のプレーは、まさに飯沼が追い求める理想像だ。それでも、簡単にポジション争いに負けるわけにはいかない。「健太さんを超す気持ちで」と虎視眈々(たんたん)と出場機会をうかがう。座右の銘は〝自信なくして能力なし〟。1年次からAチームで経験を積み、自信につなげる。いずれは「明治の中心になりたい」と大きな志を語る飯沼。紫紺の誇りを胸に、4年間を全うする。◆飯沼 蓮(いいぬま・れん)営1、日川高、169センチ・72キロ 最近、同部屋の先輩である渡邉(営4)の影響で、TWICEにはまっている。[高智琉大朗]READ MORE -
小柏剛 驚異のスピードでゴールへ突き進む
サッカー 2018.09.13真摯な点取り屋がチームを勝利へ導く。小柏剛(商2=大宮アルディージャユース)は、プレミアリーグEAST、日本クラブユース選手権(U―18)で得点王に輝いた。明大では1年次よりスタメン出場。持ち前のスピードを生かしたドリブルで得点の嵐を呼び起こす。得点王の軌跡挫折しても這い上がる。一瞬で相手を置き去りにする異次元の瞬発力は、ゴールへと一直線に加速する。今季の総理大臣杯では、その高速ドリブルで4試合3得点と大学でも得点王に輝いた。そんな小柏は中学進学後、大宮アルディージャの下部組織に入団。「自分が一番成長できる環境だと感じ、このチームを選んだ」。3年次にはプレミアカップで優勝し、個人としてベストイレブン賞を獲得。高校では1年生ながらスタメン起用と順風満帆に見えた。しかし2年次で、練習中に足首を骨折。手術をし、3カ月ほどの離脱を余儀なくされた。「みんなから置いてかれてつらかった」。それでもフィジカルを強化するための筋トレを惜しまず。つらい挫折期も決して落胆せず、自分を見つめ直した。小柏が挫折を乗り越えられたのは仲間の支えがあったから。「仲間の声掛け、活躍が自分の原動力となった」。そのおかげで調子を取り戻し、見事にスタメン復帰。そしてプレミアリーグEAST得点王、日本クラブユース選手権(U―18)得点王という快挙を成し遂げた。仲間の力が、大ケガからの復活をさせてくれた。さらなる高みへ 真面目さが成長のカギとなる。今なおゴールを量産し続ける小柏だが、性格は自他ともに認めるほどの生真面目。「周りからは、何事にも気にしすぎて頑固だと言われる」。得点王2冠に対しても、「その2大会とも優勝できなかったし、まず(高校時代は)タイトルを取れていない」と慢心せず。今季関東大学リーグ戦、桐蔭横浜大との一戦では、大学入学後初のハットトリックを達成。それでも自分のプレーに対する点数は〝80点〟と満足には至らない。そんなおごることのない生真面目な小柏の目標は「自分の得点で試合に勝つ」。結果には謙虚に、目標は貪欲に。総理大臣杯優勝で見えてきたのは3冠。自分の足でチームを3冠へと導かせる。 【佐々木崚太】◆小柏 剛(おがしわ・つよし)、商2、大宮アルディージャユース、167センチ、64キロ、群馬県出身 同期からは〝つよし〟、先輩からは〝おがし〟と呼ばれている。READ MORE -
大畠洋斗 世界を見据える小さな巨人
ハンドボール 2018.09.13大畠洋斗(政経1=法政二)は高校時代に3度の全国優勝の実績を誇る「優勝請負人」である。明大進学後すぐの春季リーグから、持ち味のスピードを生かしたプレーで相手を翻弄。昨年度結果を残せなかったハンド部復活のキーマンとして今日も縦横無尽に駆け巡る。スピード全開 大畠の最大の魅力はなんといってもそのスピード。170㌢、65㌔とアスリートとしては小柄な体格ながら、彼が常に第一線で活躍してきた最大の要因だ。中でもトップスピードから展開する1対1のプレーを止められる者はそう多くない。「緩急をつけたプレーが彼の武器」と加藤良典監督も太鼓判を押す。この得意プレーの原点には、自他共に認める抜群の運動神経と高校時代に積んだ経験がある。「身長が低い分、歩幅を大きくするように練習した」。名門で身につけた技が今の大畠をつくり上げている。3度目の正直 法政二高3年次には選抜、インハイ、国体の全ての大会を制覇し高校3冠を達成。だが彼の競技人生は決して平たんなものではなかった。小中と全国大会に出場したものの、どちらも決勝で敗退。奇しくものちに明大でチームメイトとなる千葉海斗(法1=洛北)擁する京田辺小、培良中が相手だった。「全国で優勝したい」。栄光を掴むために神奈川の名門、法政二高の門を叩いた。誰よりも強い気持ちで練習に食らいつき、3年次の選抜大会決勝では再び千葉擁する洛北高と対戦。千葉に「最初から諦め気味だった」と言わしめるほどの成長を見せつけ、漫画のようなできすぎた舞台で見事雪辱を果たした。 昨日の敵は今日の友。激戦を交わしてきた千葉とは同じセンターのポジション。争う立場にあるが、不思議とライバル意識はないという。「勝つためには2人で支え合うことが必要」。頼もしい〝仲間〟と共に明大でも頂点を目指す。目指すは五輪 輝かしい成績を収めてきた大畠。その先に見据えるのは世界の舞台だ。「東京オリンピックを目指したい」。現在大学生で日本代表に選ばれているのは1名のみとかなり狭き門である。しかし「夢は海外でプレーすること」と語る大畠なら決して不可能ではない。2年後、世界を相手に躍動する姿に期待だ。【高野順平】◆大畠 洋斗(おおはた・ひろと) 1999年生まれ。東京都出身。趣味は映画鑑賞。最近は「プリズンブレイク」がお気に入り。READ MORE -
向山恭平 強気の気持ちでリンクを駆け抜ける
スピードスケート 2018.09.12スケート部(スピード部門)に新たな新星が現れた。向山恭平(政経1=白樺学園)。強靭(きょうじん)な下半身を武器に力強い滑りを見せる。わずか16歳で親元を離れ、自らを成長させた。スピード部門の復活に向け、1年目からチームを先導する。 原点 幼少期に体験教室に参加したことが、スピードスケートとの出会いだった。中学校までは、コーチとワンマンレッスンが続く。少ない練習量と、質に限界を感じていた。人数が多い環境で自身を鍛えることを考え、白樺学園に進学する。「どうせ飛ぶなら、飛んじゃえ」と地元長野から12時間を要する北海道に身を置いた。 白樺学園は全国屈指の名門校。意識が高い部員が集まっていた。「調子の良い子を見て、悪い子は頑張ろうってなった」と、常に互いを刺激し合う毎日。向山の持ち味はコーナーでの滑りと強靭な下半身。「高校までいい環境で練習させてもらったおかげ」。日本一の環境で、求めていた練習量と、質の二つを満たした。 最も心に残っている試合は、全道大会の優勝。世界大会に出場した経験のある格上相手に、わずか100分の7秒差で勝利。「レースが終わって、みんなが盛り上がった」と、周りを驚かせる勝利であった。また、独特のバトンリレーも印象に残っている。「練習はかなりやる。全道大会の一カ月前からやっていた」。猛練習の成果は、優勝という形に。この経験も、自分を大きく成長させた。 信念 向山の今を支えている宝物が二つある。一つは高校3年間、練習日誌として書いていたノート。監督に言われた言葉の全てをメモしている。今でも、不調に陥った時はそれを確認。一度立ち止まって、原点を振り返る。 もう一つは「自分のためのスケートをしろ」という高校時代の監督の金言。この言葉は、競技における信念になっている。 今の課題は初速の向上。「スタートが縮まれば、コーナーが必然的に速くなる」。現状の課題を解決することで、持ち味をより引き出せると分析した。向山の挑戦は、始まったばかりだ。 [小畑知輝] ◆向山 恭平(むかいやま・きょうへい)、政経1、白樺学園、170センチ、72キロ、長野県出身 最近は「アベンジャーズ」を鑑賞。ラーメンを控えている。 READ MORE -
西田結惟 磨いた精神力で世界へこぎを進める
端艇 2018.09.12進化した姿で再び世界を目指す。西田結惟(文1=岐阜県立加茂)は169センチの長身を生かした力強いこぎが光る大型ルーキーだ。高校時代は、幾多の国際大会を経験し、世代トップクラスと称されるまでに上り詰めた。さらなる大舞台へとたどり着くため、懸命にこぎを進める。苦悩の日々 苦境を乗り越え花を咲かせた。今年5月のジャパンカップ国際レガッタ。代表選手にも劣らぬ自慢のリーチを生かし4位と、その実力を存分に見せつけた。今や世代トップクラスにまで上り詰めた彼女だが、競技人生の歩みだしは決して軽快なものではなかった。 姉への憧れから高校入学と同時に競技を始めた西田。当初は「楽しそう」と期待に胸を膨らませていた。状況が一変したのが高校1年次冬。実績ゼロにもかかわらず、顧問の推薦で有望選手を集めた合宿に参加した。「こんなところにいていいのか」。真面目過ぎる性格が足かせとなり自身を苦しめた。さらに、追い打ちを掛けた2カ所の疲労骨折。連鎖的な不遇に「端艇をやらなければよかった」。憧れを見失うほど、傷心していた。 そんな西田を支えたのが身近な母の存在だ。運動経験はなかったが、栄養学を勉強。「常に子供のことを最優先してくれた」深い愛情が何よりも救いとなった。精神の成長 唇をかんだ経験が躍進の起爆剤となった。高校2年次の代表選考レース。6位が代表への当落線だったが「そこまで行けると思ってなかった」と結果は7位。目前で代表を逃し、試合前は予想だにしなかった悔しさを味わう。「代表に『入れたらいいな』から『入りたい』に変わった」。練習への意識を高め迎えた高校3年次。ついに代表入りを果たし「すごく自信になった」。臨んだUー19(19歳以下)世界選手権でも目標通りB決勝進出。屈辱をバネに重ねた努力が実った瞬間だった。 世界と戦える選手へ。現在は海外選手との一番の差である〝こぎの技術〟を磨くべく練習に励む。「自己管理がしっかりしていて、ストイック」と新天地の雰囲気もお気に入りだ。さらなる飛躍を遂げ、明大から世界へ。日々進化を見せるそのこぎに、目が離せない。 ◆西田 結惟(にしだ・ゆい) 文1、岐阜県立加茂、169センチ 岐阜県出身。中学3年次までやっていたソフトボールでは4番でエース。[小野原琢真]READ MORE -
渡邉慶太 全国優勝の誇りを胸にロードを駆ける
自転車 2018.09.11生粋の自転車小僧が明大を沸かす。渡邉慶太(政経2=浦和工)は中距離から長距離をこなす万能型レーサーとして、今年度のインカレではオムニアムで優勝するなど実績を積み重ねる。同郷の先輩を追いかけて辿り着いたこの場所で、さらなる成長を遂げる。 憧憬 身近なところに憧れのスターが存在した。三つ歳の離れた兄の優太である。全国の表彰台に登った優太の走っている姿に惹かれ小5から自転車を始めた。もともとは短距離種目で勝負する予定だった。しかし高校に強い同期がおり希望していたポイントレースができず、スクラッチやロードで勝負する長距離選手に転向。優太を指導した顧問の指導の下で力をつけ、インターハイで入賞するなど徐々に頭角を現した。 明大進学の背景には同郷の先輩がいた。「雲の上の存在」と称する池西拓海(営4=栄北)だ。高校時代スクラッチで同じレースを走り、マークを試みたが圧倒的なスピードに力の差を痛感した。「こんなレースができるようになりたい」。目指すべき存在としてマークすることに決めた先輩の進路は明大だった。チームの明るい雰囲気やコーチの優秀さを耳にしていたこともあり「明大しか考えられなかった」。進学へのためらいは一切なかった。 結実 逃げて勝つことが信条だ。今年度のインカレのオムニアムで、目標としていた全国大会での優勝を果たした。積極的な逃げで集団を引き離し、持ち前の持久力を生かして粘り切る。渡邉の真価が発揮された。優勝の裏には自身に対するストイックさが隠れている。今期初めに体調を崩して自転車に乗れない時期が続き「気持ちの面も弱くなった」。そこでコーチからの助言を受け、朝晩体温、血圧、心拍を測ることで体調管理に努めてきた。また趣味は「ポジションをいじること」。サドルの高さやハンドルの位置、姿勢などを微調節しながら自分が一番楽に走るための最適解を見いだしてきた。 大学での目標は達成したが、将来の夢は「競輪選手になること」。人生最大の目標に向かい、未来へ続くロードでペダルをこぎ続ける。 ◆渡邉 慶太(わたなべ・けいた) 政経2 浦和工高 178センチ、68キロ 埼玉県出身。ストレス解消法としてグルタミンのサプリメントを飲んでいる。 [川和健太郎] READ MORE -
谷口秀斗 成し遂げられなかった夢をここで果たす
準硬式野球 2018.09.11派手さはないが堅実なプレーでチームに貢献する。谷口秀斗内野手(営1=広陵)は広陵高で甲子園準優勝を経験。大学でも1年生ながら春季リーグで二塁手としてレギュラーに定着した。走攻守そろった活躍でベストナインに選ばれるほどの実力の持ち主だ。追憶 追い求めたのはいとこの背中だった。父が少年野球の監督だったことが理由で始めた野球。野球に対する姿勢に大きく影響を与えたのは日大三高で甲子園優勝を成し遂げた、いとこの存在だ。全国制覇の瞬間を目の当たりにして「自分も甲子園に出て全国制覇したい」と思うようになった。 甲子園に出るために選んだのは広陵高校。テレビもスマホもなく社会から切り離された環境だが、野球に打ち込める場所に自ら足を踏み入れた。ライバルは、チームメイト全員。「ついていくのに必死だった」。その中でレギュラーを勝ち取った谷口は自身が3年の時に夢だった甲子園に出場。10年ぶりの準優勝に輝いた。「自分の想像以上の場所だった」と甲子園を振り返る。 ただ後悔もある。甲子園が始まる前に調子を落とし、スタメンの予定だった準決勝、決勝はベンチスタート。自身が調子を落とした時の修正は今でも課題の一つだ。信念 恩師として慕うのは広陵高の中井哲之監督。「メンバーを諦めかけた時に手を差し伸べてくれて、経験がない自分を県大会でずっと使ってくれた」。そんな監督の言葉で心に響いているのは「親に感謝しろ」「控えの選手を大切に」など、支えてくれている人に感謝すること。野球ができるのは他人の力があるからだと常に意識しながらプレーをしている。 理想は相手にとって嫌な選手になること。打席で粘り強く、そして選球眼を持ち四球を誘う。「ここでこいつは嫌だと思われるような選手になりたい」。2番打者として大事な仕事だ。4年間を通しての個人の目標は100安打。「1年の春から出させていただいているので、打てるのは自分しかいない」。 すでに1年生の中で頭角を現している谷口。高校時代に果たせなかった全国制覇の夢を目指す。【岩田純】 ◆谷口 秀斗(たにぐち・ひでと) 法1、広陵、168センチ・65キロ、高校時代のあだ名はヒデピヨ。自称「勉強大好き」。だが成績は心配な様子READ MORE -
山本耕生 敗戦を糧に 目指すは重戦車の一角
ラグビー 2018.09.10重戦車に新風を吹き込む。プロップ山本耕生(商1=桐蔭学園)は、東の横綱と称される名門・桐蔭学園高で2年時からレギュラーで出場し、高校日本代表にも選ばれた逸材。100キロを優に超える巨漢のひしめくプロップ陣の中で173センチ、98キロと小柄だが、ドライブ力とプレーの柔軟さを武器に紫紺を〝前へ〟と押し上げる。 大舞台での悔しさを胸に 早くも期待度の高さを示した。関東大学春季大会東海大戦。山本耕は後半25分からの出場だったが「コンタクトでは負けなかった」と初出場で手応えを得た。「未来の重戦車を担う」という周囲の期待の裏に、忘れ難い経験があった。最高学年で迎えた花園。優勝候補の一角であった桐蔭学園高は持ち前のFW陣を武器に勝ち進んでいく。しかし迎えた準決勝・大阪桐蔭高戦。前半、相手BKにスキを突かれ先制トライを献上してしまう。リードを許したまま迎えた後半ロスタイム。「精神だけでやっていた」という逆転を懸けた連続攻撃は、驚異の63フェーズを数えた。8分間武器のFWで攻め続けたが、インゴール直前でレフェリーの反則の笛。あと一歩及ばず無情のノーサイドを告げた。くしくも反則を取られたのは山本耕だった。「最後にチームを終わらせるのはお前かもしれない」。指導を受けていた金子コーチに掛けられていた言葉が頭をよぎった。「築き上げてきたものを一瞬で終わらせることは簡単なこと」だということを痛感した。 「大学ではこんな辛い思いはしたくない」。花園での経験を生かし、あと数メートル届かなかったゴールラインまで想いをつないでみせる。 何でもこなせるプロップ 小柄な体を長所に変える。相手のスキを突くプレーの柔軟性に加え、タックルされても前に出続けるドライブ力が山本耕の武器である。一方で目標も明確だ。「オールマイティーに何でもこなせるプロップ」。ただ当たりにいくだけではなくステップで相手をかわし、バックスに展開する〝中継地点〟としてのプロップを目指す。目標とする選手像へ向け歩みを止めない。 〝明治の山本耕生〟へ。その名をとどろかせるため、まずは課題のスクラムから。「自分の組み方を見つけてみせる」。山本耕の日本一への戦いは始まったばかりだ。 ◆山本 耕生(やまもと・こうせい) 商1 桐蔭学園高 173センチ、98キロ 神奈川県出身。1年生の間ではムードメーカー。趣味はヒップホップを聴くこと。 [上松凜助]READ MORE