紙面記事プレーバック
水谷隼選手(平25政経卒=現ビーコン・ラボ)、野村祐輔選手(平23商卒=現広島東洋カープ)、サッカー部J1撃破、山岳部マッキンリー登頂…。この企画では、これまで明大スポーツの紙面で取り上げてきた名選手、偉業をピックアップして振り返ります。
また、第451号以降の各号1・裏面をアルバムに掲載していますので、ぜひご覧ください。
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4カ月の離脱乗り越え 南ア戦で猛アピール 室屋もリオ!!
サッカー 2016.07.13世界と戦う覚悟はできた。2月にサッカー部を退部し、プロの舞台へ進んだDF室屋成(政経4=青森山田・現FC東京)はプロ入り直後の左足ジョーンズ(第5中足骨基部疲労)骨折を乗り越え、リオ五輪日本代表に選出された。勝ち取った日の丸を背負い、日本初の金メダル獲得に闘志を燃やす。復活 7月1日。リオ五輪開幕を約1カ月後に控え、U-23(23歳以下)日本代表が発表された。1月のアジア最終予選の23人から18人へと絞られた狭き門を、室屋はくぐり抜けた。 立ち込めた暗雲を自らの手で振り払った。プロ入り直後、2月の故障から約4カ月の戦線離脱を強いられた。最終予選で大車輪の活躍を見せた室屋だが、長期離脱でメンバー入りの当落線上に。6月29日のU-23南アフリカ代表との強化試合が、久々の代表戦であり、最後のアピールの場となった。「メンバーに入るか入らないか最後のところだったので、割り切って楽しんでプレーしようと思っていた」。大舞台でもブレない強心臓は健在だった。ブランクを感じさせない鋭い攻撃参加で、右サイドからアシストをマークするなど勝利に大きく貢献。復帰後4戦目にして初となるフル出場のおまけ付きで、代表入りを確実に手繰り寄せた。感謝 「僕がいなくて首位なので最初はちょっと寂しかった」。6年ぶりに首位でリーグ戦を折り返したサッカー部を、室屋は冗談めかしくたたえた。2月にプロ入りが決まり、苦渋の決断で退部。戦うピッチは違えども、同級生を中心に躍進を続ける「仲間」たちから幾度となく刺激を受けている。「僕もしっかりと復帰して成長した姿を見せないといけない」。負けられない「仲間」がいるから、過酷なリハビリにも決して焦らずに、ひた向きに完全復帰だけを目指すことができた。 思いがけないアクシデントで幕を開けた「五輪を目指すため」のプロ生活。確固たる意志を持って飛び込んだからこそ、支えてくれる人への感謝もひとしおだ。「プロに行かせてもらったのに、すぐにケガをしてしまって、最初はすごく申し訳ない気持ちもあった。五輪に出場するという約束を果たせたことは良かったが、五輪で活躍することでさらに明治に恩返しができればなと思う」。使命 掲げる目標は日本初となる五輪金メダル獲得だ。「周りの支えがなかったら代表に選ばれていなかった」。18人のメンバーに選出された室屋は、代表に選ばれなかった選手の思いを託された側。「選ばれなかった選手がいる中で情けないプレーはできないし、日本代表の誇りを持って戦いたい」。自分が一人ではないことを知っているから、ここまで強くなれた。託された思いを背に、リオのピッチで暴れまくる。【鈴木拓也】◆室屋成(むろや・せい) 大阪府出身。1994年4月5日生まれ。今年2月に現役明大生ながらFC東京に入団。9日のヴァンフォーレ甲府戦でJ1デビュー。リオ五輪日本代表での背番号は「2」。174㌢・65㌔READ MORE -
五輪2大会連続出場 丹羽リオ
卓球 2016.07.138月5日(現地時間)に開幕するリオデジャネイロ(リオ)五輪。体育会現役学生では唯一、卓球部から丹羽孝希(政経4=青森山田)が出場する。丹羽は高校3年次にロンドン五輪を経験。その時にメダルが取れなかった悔しさを、この4年間ずっと感じ続けてきた。1988年から卓球が五輪の正式種目として始まってから、日本男子は一度も表彰台に立てていない。史上初となるメダルをつかみに行く。メダル射程圏内 卓球男子史上初のメダルを狙う。昨年9月、ロンドン五輪に続き2大会連続となる五輪出場が決まった丹羽。圧倒的な反射神経を武器にハイテンポな展開をつくり出す「速い卓球」で、学生だけでなく常に世界を相手に戦ってきた。シングルスと団体戦の両方で出場するが、特にメダルが期待できるのは団体戦。3月の世界選手権で39年ぶりに団体準優勝。さらに同月のカタールオープンで丹羽は、吉村真晴(名古屋ダイハツ)と組むダブルスで世界ランク1位・馬龍と3位・許シンの中国ペアを破った。団体ランクも世界4位と、メダルを射程圏内に捉えている。 どうしても拭い去りたい過去がある。4年前のロンドン五輪、団体準々決勝の中国香港戦。勝てばメダルに近づく中、ラストを任された丹羽が敗れチームも敗退した。所有するスマホの待ち受け画面は当時の会場で使われた卓球台。「(見ることで)嫌な思いもする。忘れたくても忘れられない」。この4年間ずっとその待ち受け画面を変えず、悔しさを胸に刻み込んできた。「孤」で磨いた個 五輪と五輪をつなぐ4年間、明治で個を磨いた。「代表は3人しかなれない。落ちるのはすぐ落ちてしまうので気が抜けなかった」と丹羽。遊びや飲み会といった誘惑の多い学生生活。それを避けるため、普段他の学生と群れることはなく、基本的に1人で過ごした。「前より頭の中で考えて、落ち着いてプレーができるようになった」(丹羽)。プレースタイルに大きな変化はないが、4年間で確実に円熟味が増した。 大学生活で特に丹羽を支えたのが髙山幸信監督だ。決して練習の強制はせず、自由にやらせてくれた。丹羽が個人で大会に出場する時も会場に足を運び、時には海外遠征にも駆け付けた。「体調も気に掛けてくれるし、すごく僕のことを見てくれる」。監督の手厚いサポートの下、個性を伸ばした。髙山監督はリオにも駆け付ける予定。大舞台も心強い味方と共に挑む。リベンジマッチ 6日から行われた全日本大学総合選手権(団体の部)では優勝。日本代表合宿と日程が重なったが「周りが僕を必要としてくれた」と出場を決めた。五輪直前の大事な時期だったが、明大生として戦うことを選んだ。そして4戦全勝で貢献し、五輪への弾みにした。「(明治からは)代表が2人と少ないので、自分がメダルを取りたい。五輪は特別。卓球人生を懸けて挑む」。日の丸、そして明治の看板を背負う決意を改めて口にした。悔しさと向き合い続けた4年間。リベンジへ、培った全てをぶつける。【吉田周平】◆丹羽孝希(にわ・こうき)北海道出身。1994 年10 月10日生まれ。世界ランク19位(今年7月現在)。父と姉の影響で7歳の頃に卓球を始める。積極的に振る両ハンドのカウンタープレーが特徴。162㌢・51㌔READ MORE -
昨秋2部降格危機から9戦無敗の大逆襲 114季ぶり優勝
ハンドボール 2016.06.08最終戦で駿河台大に勝ち、関東学生リーグ57年ぶりの優勝を決めた。昨秋は下から2番目の9位に終わり入替戦を経験。今季はチャレンジャー精神を全面にぶつけ、全学年の選手の力で優勝を手繰り寄せた。歓喜 歴史を塗り替えた瞬間、歓喜の声が上がった。57年待ち望んだ栄冠。「泣きそう。本当にうれしい」(吉野樹主将・政経4=千葉県私立市川)。昨年は悔しい思いをした。秋のリーグ戦で入替戦に回り、残留は決めるもインカレは初戦敗退。悔しさの分だけ、喜びの大きさも格別だった。 一枚岩のチームだった。「キャプテンが樹さんじゃなかったら優勝できなかった」(飛知和龍哉・営3=法政二)。得点王に輝いた吉野。その吉野を中心に最上級生が、戦うチームをつくった。例年、4年生は就職活動で練習を積まないまま試合に出ていた。しかし、今年は変えた。練習不足の選手はベンチに入らず下級生が試合に出る。勝つための最善を選んだ。表彰された5選手のうち4人は3年生以下だった。 一方で4年生もできる限りチームに尽くした。3月の合宿には、4年生が異例の全員参加。忙しい中でチーム力向上に時間を割いた。「雰囲気よくやってこられて、一致団結できたのが優勝につながった」と吉野。チームの団結力はここ数年にないほど強かった。強み 戦術面ではディフェンスの大切さを再確認した。今年はシュート後の帰陣の早さを徹底。それだけでなく体も鍛えた。大きければその分相手のシュートが当たりやすい。ウエートで体を一回り大きくした今季は昨季より総失点が約30点減少。戻りのディフェンスがチームカラーになった。秋は追われる立場に変わる。秋季リーグ戦、インカレでチームの真価が問われる。「これからもチャレンジャー精神でやっていきたい」(吉野)。114季ぶりの優勝がまぐれとは言わせない。【吉田周平】READ MORE -
チーム2冠のスラッガー 佐野恵
硬式野球 2016.04.01原点回帰でチームの柱に返り咲く。佐野恵太内野手(商4=広陵)は昨季2本塁打、11打点でチーム内2冠王。自身初のベストナインも受賞し、六大学を代表する強打者へと上り詰めた。しかし、現在は苦しい状況に置かれている。Bチーム暮らしが続き、チームの最前線にすら立てていない。野球人生でかつてない挫折。ここからはい上がり、再び輝きを放てるか。3年間右上がり プロ顔負けのスイングで威圧感を放つ。佐野恵の魅力は振りの強さにある。それを象徴するのが、昨季慶大2回戦で放った本塁打。六大屈指の剛腕・加藤拓の高めの直球を、完璧に捉え右翼席にたたき込んだ。過去に2度計測したというスイングスピードは153㌔と160㌔。プロ野球でもトップクラスの数値だ。「スイングスピードが一番大事だと思っているし、自信があるのもそこ」。どんな球にも振り負けない鋭いスイング。最もこだわる部分であり、絶対の自負を持つ。 ここまで右肩上がりの曲線を描いてきた。2年春から代打を中心に出場機会を得ると、同秋からは打力を買われ、捕手から一塁にコンバート。リーグ戦初本塁打も放った。15年はさらに飛躍を遂げ、昨季は全試合5番ファーストでスタメン出場。チーム2冠の活躍でベストナインに輝いた。神宮デビューから4季。シーズンごとに成績を伸ばし続けている。1からの再出発 そんな佐野恵だが、苦境の真っただ中にいる。3月31日現在、スタメンはおろか、Aチームにすら帯同していない。事の発端は、新年1回目の全体練習。帰省から戻りたてだった佐野恵は、ポール間走のメニューをこなせなかった。副将という立場にありながらの体たらくに善波達也監督が激怒。それが尾を引き、アメリカキャンプでは唯一試合の出場なし。現在はBチーム遠征の日々だ。「試合で打ち続けていればという甘い考えがあった」(佐野恵)。最上級生でメンバーから外されたのは野球人生で初めて。かつてない挫折だった。 期待するが故の厳しさではある。今季の打線の要について「本当なら佐野になってもらいたい。はい上がってもらわないと困る」と指揮官は話す。 「今はリーグ戦とかは考えていない。一日一日、一球一球がむしゃらにやるだけ」と佐野恵は再出発を誓った。実績だけを見れば、今季は4番を打ってもおかしくない。己と向き合う機会、必ずや一回り大きくなって戻ってくる。【尾藤泰平】READ MORE -
長友以来の現役明大生Jリーガー FC東京 室屋
サッカー 2016.04.01ここから始まる新たな伝説に誰もが熱視線を送る。明大に在学したまま今シーズンからFC東京でプレーをする室屋成(政経4=青森山田)。サッカー部を退部し、プロの舞台に飛び込む決断を下した大学生Jリーガーは、大きな期待を背に進化と恩返しを誓う。英断 慣れ親しんだ紫のユニホームに別れを告げた。2月8日、明大駿河台キャンパス紫紺館でFC東京への正式加入を発表。室屋は明大に在学したまま、プロ選手となる英断を下した。 1月に行われたリオデジャネイロ五輪アジア最終予選では6試合中5試合に先発フル出場。準々決勝では決勝点をアシストするなど、日本の6大会連続五輪出場に大きく貢献した。「五輪の最終予選に出てもっと上を目指してやってみたいと思ったし、実際に五輪のことを考えると時間がないとすごく感じた」(室屋)。大舞台で手にした自信と同時に感じたのは一種の焦り。五輪出場を目指す熱い思いがさらに火力を増した。誇り 「彼を五輪のメンバーに育て上げたい」。これが栗田大輔監督をはじめとするサッカー部スタッフの総意だった。最終予選の23人から18人に絞られる五輪本戦メンバー入りを目指す室屋にとって、プロ入りはこれ以上ないチャンス。スポーツ推薦入学者であり、本来ならば4年間、部を退部することはできない。しかし「一選手のわがままを許すとかそういう話ではなく、日本サッカー界を背負う人材を目指し、選手としての成長を促す環境に早く身を置かせたいという、サッカー部の前向きな意向を受け送り出すことにした」と永島英明スポーツ振興事務長。大学側の全面的な後押しも受け、誇りと希望を一心に背負うプロ生活が始まった。克己 FC東京・室屋に待っていたのはいきなりの試練だった。春季キャンプ合流直後に左足をジョーンズ(第5中足骨基部疲労)骨折。手術は成功したが、復帰は5月中旬と見込まれる。 「疲労骨折みたいな感じなので、どこかで折れるタイミングがあったと思います。明治の選手もお見舞いに来て、ユニホームにメッセージを書いてくれたので励みになりました。今は焦らずに自分がやるべきことをやっています。復帰してから五輪本戦はぎりぎりになるので、まずはコンディションの部分が一番重要です。代表でプレーする機会も少ないと思いますし、まずはFC東京で試合に出ることがアピールになると思っています。そしてピッチで活躍することで、支えてくれた方への恩返しをしていきたいです」。 昨年からJFA・Jリーグ特別指定選手としてFC東京に身を置いたが、公式戦出場はなし。室屋はレギュラーを奪うために、もう一度この場所を選んだ。「逆境の方が燃える」。自他ともに認める負けず嫌いは、常に己と向き合い、過去を超えてきた。これが「室屋成」だ。今までの輝きは、この男が紡いでいく伝説の序章にすぎない。【鈴木拓也】READ MORE -
夏冬2冠率いた主将 中村健人
サッカー 2016.04.01高校サッカーを制した男が大学でもタイトルを狙う。MF中村健人(政経1=東福岡)は夏冬2冠を果たした、世代きっての栄光をつかんだ主将。高校選手権決勝では2得点1アシストと優勝に大きく貢献した。高校でかなえられなかったプロになるため、大学からまた一歩を踏み出す。努力の末 高校選手権決勝、ピッチ上を制圧したのは中村健だった。前半36分に均衡を破る1得点目を自らのパスから生み出す。そして後半2分、ペナルティーエリア手前から日本中を驚かすトリックFKを一発で決め、その右足の精度の高さを見せつけた。さらにアシストとゴールを奪い、プレーで見せる主将としてチームを17大会ぶりの優勝に導いた。弱い世代だといわれていた学年。「反骨心を持ってきついトレーニングをしてきた」と努力が実を結んだ夏冬2冠だった。 主戦場である中盤から攻撃を組み立てる。「ゴールの2本前、3本前のプレーを見てほしい」とほとんどの得点に絡む。中でも持ち味は両足から蹴り出されるキックの正確さ。もとは左利きながら小学生時代の監督の言葉を受けて続けた練習により、今では左右どちらからでも同等のパスを繰り出す。トリックFKに象徴されるように、セットプレーを担うのは右足になったほどだ。キックは小さいころから得意とするが、その他のプレーも培ってきた練習のたまもの。「当たり前のことは考えずにできる」と試合中のプレーのほとんどは感覚でやっているというほど、積み重ねが今につながっている。憧れの先 強い力に引きつけられた。昨年、練習参加した際に視線を奪われたのが和泉竜司前主将(平28政経卒・現名古屋グランパス)の姿。「全部が得意なプレーなのかと思うくらいレベルが高かった」と練習を見た中でもひときわ輝くプレーに魅了された。「憧れを抱いて入ってきた。同じ道のりをたどれるように、しっかりと目標を持ってやっていきたい」。和泉への羨望(せんぼう)を胸に、背中を追う。 明確なビジョンを描く。「1年で試合に絡んで、2年でスタメン、3年で特別指定を受けたい」とプロ入りに向けた確かな道を見据える。対人プレーを弱点に挙げる中村健にとって、堅守を持ち味とする明大は「必要とするものがある」場所だ。「大学で良かったと思えるように」。遠回りではなく、全てを糧にするための4年間が始まる【谷澤優佳】◆中村健人(なかむら・けんと)1997年生まれ。大分県出身。日本高校選抜でも背番号「10」を背負い主将を務めた。171㌢・66㌔READ MORE -
森下暢仁 明治でNo.1へ
硬式野球 2016.04.01神宮のまっさらなマウンドへ今、歩み出す。森下暢仁(まさと)投手(政経1=大分商)は昨年のU―18(18歳以下)日本代表の中で唯一、甲子園未出場ながら世界を相手に戦った。プロからの注目度も高まる中、大会後に進学を決断。鳴り物入りの18歳は4年間でのレベルアップを力強く誓った。圧巻の神宮デビュー 無限の可能性を感じさせる25球のデビューだった。3月下旬に神宮球場で行われた社会人対抗戦、六回のマウンドに森下暢が上がる。堂々のマウンド捌きを見せ、1回を無安打無失点。チームメートに出迎えられ、初々しい笑みをこぼした。 「直球で強く押して、変化球を交ぜて打ち取っていくのが持ち味」。180㌢のすらっとした体がゆっくりと左足を上げる。力を存分にためたフォームに、天性ともいえるしなやかな腕の振り。そこから繰り出される最速148㌔の直球に、決め球のスライダー、カットボール、カーブを織り交ぜる。表情を変えることなく淡々と投げ込む姿に、森下暢の秘めた強さがある。「一員」になった日 高校日本代表、それは人生を変えるかけがえのない経験となった。選出された20人の中で森下暢はただ一人、地区予選敗退ながら選ばれた。チームの合流当日、周りを見渡せばそこには数日前まで甲子園を沸かせていた選手たち。体格の大きさ、一球に対する意識の高さ。見るもの全てに圧倒された。「こういう人たちがプロになっていくんだな」。それでも、メンバーに選ばれていることがこの右腕の潜在能力の高さを裏付けていた。 日数を重ねるにつれ、森下暢は堂々たるチームの「一員」へと成長。登板した3試合全てで無失点の好投を披露した。中でも「強い気持ちで投げられた」と先発を任されたチェコ戦では7回3安打12奪三振とその実力を見せつけた。決勝のアメリカ戦で惜しくも敗れたが、日の丸を背負って過ごした日々は幸せな時間。「みんなに期待されてこの舞台に立っている」。首から下げた銀メダルにはそれ以上の価値が詰まっていた。悩み抜いた1カ月 プロ6割、進学4割。最後の夏を終えた時の正直な胸の内だった。伸びしろの大きさを評価され、志望届を出せばドラフト指名は確実。それでも日本代表での経験を通して「このままプロに行って自分は通用するのか」。そんな思いが芽生えていた。周囲の人に話を聞いては、両親と相談し続ける日々。「プロになりたいという気持ちも強かった」。ただ、大学でトップチームに選ばれる選手を目指すのもいいのではないか。U―18大会後、最後は一人で決断を下した。プロへの思いが強いからこそ、大学4年間でさらに磨きをかける道を選択した。 大学野球で勝てる投手の条件を「コントロールと勝負強さ」と話す。目前に迫った東京六大学春季リーグ戦、1年目からの登板も射程圏内だ。「任されたところでがむしゃらに、ひたすらにやっていきたい」。神宮の主役に「明治の森下暢仁」が躍り出る日へ、もう迷わない。【土屋あいり】◆森下暢仁(もりした・まさと)1997年生まれ。大分県出身。大分商高時代の最高成績は1年夏の甲子園出場。昨年の9月に行われたU―18(18歳以下)ワールドカップ(W杯)に日本代表として出場を果たした。明大では2月の沼津キャンプ、3月の米国キャンプにAチームとして帯同。3月25日に行われた国武大とのオープン戦で先発し、5回1安打無失点の力投を見せた。READ MORE -
切れ味抜群ドクターK 齊藤
硬式野球 2016.04.01確固たる左腕エースの座を築く。齊藤大将投手(政経3=桐蔭学園)は昨季、主に抑えとして8試合に登板した。優勝を懸けた法大3回戦で先発を任されるも、納得の投球はできずチームは敗戦。その悔しさを糧に今季に臨む。変則左腕 唯一無二の存在となる。「あいた穴に同じ形のものは入らない。自分にしかできないことがある」。山﨑福也選手(平27政経卒・現オリックスバファローズ)、上原健太選手(平28商卒・現北海道日本ハムファイターズ)と二代に続いた左のエースがチームから抜け、数少ない左腕としての自覚が芽生えた。持ち味は切れ味抜群のスライダー。サイドスロー気味のフォームから体のひねりを生かして球威を付ける。それに加え、右打者の外に逃げるシンカー系の球の精度も高めた。出どころの見えづらい腕の振りに、打者をのけ反らせる変化球。ここまで特徴を持つ投手に代わりはいない。リベンジ あの悔しさは忘れない。昨季、優勝を目前にした法大3回戦。先発に抜てきされるも3回5安打1失点。終始制球が定まらないまま降板した。「いつも以上に力が出せなかった」。もともと試合で弱気になるタイプではない。むしろ強気な印象の齊藤が、大一番で空回り。1点を守り続けた男が、最後は1点に泣いた。あれから約5カ月。走り込み、投げ込み、わずかな感覚と闘ってきた。「満足はしていない。球質が良くなると信じてやるだけ」。語気を強めた齊藤。秘めたる闘志が垣間見えた。【星川裕也】READ MORE -
最速154㌔ 星
硬式野球 2016.04.01快速右腕がさらなる進化を遂げる。星知弥投手(政経4=宇都宮工)は最速154㌔の直球が魅力の投手だ。昨年は救援として欠かせない存在に定着。成長の跡を残した。背番号「11」を背負う今季は先発転向も視野に挑む。進化した直球 理想は「分かっていても打てないストレート」だ。星の代名詞といえば直球。1年次秋の東大2回戦で154㌔を計測するなど、剛速球を武器に下級生時代から登板機会を重ねた。しかし150㌔を計測するスピードガンの表示とは裏腹に直球を痛打されることも多かった。「スピードだけじゃ通用しない」。3年次からは直球の伸び、切れといった質を磨き上げる道を選んだ。すると3年春には救援陣の軸として防御率2・08を記録し、秋には投球回数の1・5倍近い三振を奪った。「一番自信があるのは真っすぐ」。球速を抑えてでも質を求めることにより空振りの取れる速球に進化。スピードガンには出ないすごみが加わった。勝利への責任 「真っすぐを生かすための変化球」。今オフはその強化にいそしんだ。さまざまな握りや投げ方を試すなど試行錯誤。投球練習では約半分の球数をスライダーに割いた。この取り組みが実を結び、昨季投球の大半を占めていた直球、ツーシームの2球種に頼る投球から脱却。投球の幅が格段に広がった。オープン戦序盤こそ手探りの状態が続き苦しんだが、先月24日の国学院大とのオープン戦では9回2失点完投勝利。「投げ込んだ成果が今出ている」。開幕を前に結果も出始めてきた。 この1年に全てを懸ける。昨季までは救援の役割を担っていた星。しかし今季は「4年生がやらなきゃチームは勝てない。そのためには自分が先発すること」と先発への意欲を口にした。勝利へ導かなければいけないという責任は十分にある。「チームを勝たせる投球をしたい」。強い思いを右腕に乗せ、白星を手繰り寄せる。【原大輔】READ MORE -
誓った5年ぶり日本一 柳 全勝宣言
硬式野球 2016.04.01頼もしい全勝宣言だ! 今季から主将を務める柳裕也(政経4=横浜)は昨季六大学単独トップの5勝をマークした絶対的エース。「投げる試合は全部勝つ」と並々ならぬ覚悟でチームを引っ張る。昨季は優勝まであと1勝の局面から逆転を許した明大。19年ぶりの投手主将は力強く雪辱Vを誓う。直々の指名 偉大な先輩たちを超えていく。投手が主将を務めるのは川上憲伸氏(平10商卒)以来19年ぶり。さかのぼれば星野仙一氏(昭44政経卒)や1975年にチームを日本一に導いた高橋三千丈氏(昭54商卒)などそうそうたる顔ぶれが並ぶ。「エース」で「主将」の一人二役は並大抵のことではないが「3年間見ていて柳は物事を冷静に見る能力があるし、自分にしっかりものを言える」と善波達也監督直々の指名だった。昨季六大学単独トップの5勝を挙げた実績はもちろん、抜群のリーダーシップへの信頼も大きい。「去年から自分が引っ張るつもりでやってきた」(柳)と持ち前の強い責任感でチームをけん引する。抱えた責任 ポジションの特性上、投手と主将の両立は、どうしても負担が大きくなる。「全部やろうとしたらパンクしてしまう」(柳)。今でこそ笑顔で話すが、最初からそう割り切れていたわけではなかった。 アメリカキャンプ中の3月15日。アリゾナ州立大とのオープン戦でのこと。六回裏から登板、3者連続三振に切って取った柳が七回突如乱れた。2安打3四死球の乱調から逆転を許すと、同点に追い付いた九回裏に再び失点しサヨナラ負け。柳自身「主将になってから初めて負けて、自分の気持ちの置きどころが分からなくなった」と振り返るこの試合は「あんな動揺した柳は見たことがない」とチームメートが口をそろえるほどの衝撃だった。 同期は悩む主将の身を案じていた。「自分が抑えてあげよう、自分が三振を取るんだと、背負い過ぎて頑張っちゃう。それが柳のいいところでもあるけど…」(萩原英之外野手・営4=九州学院)。帰国後すぐの休み、萩原ら副将4人の食事会を開いた。サヨナラ負けしたあの日、柳のためにもっとやれることはなかったか。腹を割って話し合うために設けた機会だった。「いかにサポートできるか。キャプテンに何もさせないぐらい、僕らが頑張る」。出した結論は明快だった。 「今はみんなに任せるところは任せようと、いい意味で開き直ってやれている」(柳)。大黒柱と、それを支える4年生。柳に全てを背負わせない、今年のチームの強さが見えた。全勝の意味 「投げる試合は全部勝つ」。シーズンの目標を聞くと決まって柳はこう答える。しかし、同じ言葉でも今年は意味が違う。「自分が投げて勝ち続けることで、チームのみんなも安心してくれる。逆に自分があたふたする姿をマウンドで見せるとチームも崩れてしまう」。計り知れない責任を背負う柳。だが、決して孤独なマウンドにはならない。5年ぶりの日本一は、全員の手でつかみ取る。【萬屋直】READ MORE