
新人記者イチ押し選手!2023
未来の明大を担うのは俺たちだ!1、2年生の体育会選手に焦点を当てるルーキー特集です。取り上げられているのは今後の活躍が期待されている選手ばかり。今年度明大スポーツに入部した新人記者が、一生懸命記事を書きました。フレッシュな特集を是非ご一読ください!
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服部輝海 努力と偶然が導く頂への航路
ヨット 2023.09.27高校王者が、Ⅿのマークが付いた帆をなびかせて走っている。服部輝海(理工1=横須賀学院)は「ヨットを楽しむ」をマインドに競技を続け、昨年度のインターハイで優勝。栄冠を手にした彼が、進学先に明大を選んだ訳。そこには、ヨットと共に続けたかったもう一つのあることが理由にあった。 ヨット人生を変えた偶然 ヨットとの出会いは小学2年次。アウトドアな両親が、海の近くに住んでいたことを理由にマリンスポーツをやらせたことがきっかけだった。所属クラブの方針で結果よりも競技を楽しむことに重きを置きながら、充実した日々を過ごしていく中で、実はもう一つ、理系の勉強にも興味を示し始めていた。将来のことを考え、進学先の高校によっては、理系の勉強に専念するためにヨットを続けるか悩んだという。そんな中コロナウイルスがまん延。入学式は延期され、家にいる日々が続いていた。ただ、ヨットは海上で密になりにくいこともあり、何度か活動することができ「もう一回ヨットに乗ろうかな」。入学前に流行したコロナウイルスが、思いがけずヨットを続ける要因となった。 兄を追った先に見えた頂 服部には同じヨット選手である兄がいる。兄は高校2年次にインターハイを制覇しており、その姿を見て自身もインターハイ優勝を「絶対にしたい」と思って目指すが、決して楽な道ではなかった。勉強との両立のため、練習は基本土日のみ。普段練習場所として使っていた江ノ島や葉山港はオリンピック会場として使用できない時期があるなど、さまざまな制約があった。それでも『勉強平日、ヨット週末』のサイクルを変えずに地道に練習を重ねた。そして昨年度出場したインターハイでは、日を追うごとに順位が上昇していき、見事優勝を果たした。「いつか追い付いてみたい存在」に並んだ瞬間だった。 二兎を追って得るために 有終の美を飾った服部はどこの大学に進学すべきか迷っていた。4年間をヨットに費やすなら兄がいる早大や強豪の慶大がある。それでも明大を選んだのは、やはり理系の勉強をしたいから。その中でも特に興味のある建築学科に進学した。多忙だが、高校時代から変わらないメリハリのつけ方が功を奏し、早くも全日本学生個人選手権への切符を手にした。今後、大学でのヨットの目標を「全日本学生選手権制覇」、勉学においては「大学院進学を視野に色んな学習をしていく」と掲げた。文武両道を体現する服部は荒波に負けず、目標に向かって航路をひた走る。[北原慶也] ◆服部 輝海(はっとり・てるみ)理工1、横須賀学院。合宿所では予備品係として部品を管理している。176センチ、71キロREAD MORE -
檜山蒼介 努力と才能 二物の持ち主
ラグビー 2023.09.26パワーとスピードを兼ね備えた左プロップ檜山蒼介(情コミ1=尾道)。高校時代は1年次から全国高校大会(以下、花園)メンバー入りを果たし、3年次になると高校日本代表候補にも選出される。才能におごらず努力を怠らない屈強さは、明大でも依然として存在感を放っている。 契機となった出会い 「最初は尾道高に行く気はなかった」。地元・広島県はもちろん、関西からも多くの強豪選手が集結する尾道高。ここでは試合に出られないと考えていた檜山だが、田中春助監督と直接話したことをきっかけに、尾道高への入学を決意する。「とにかく初めは周りに食らいついていこうと思って努力した」。この言葉通り、全体練習から自らのスケジューリングまでを徹底的にこなす日々。結果として1年生にして数少ない花園出場メンバーの切符を手に入れ、チームの3年連続での花園出場に貢献した。 プレッシャーと憧れ 尊敬する先輩たちとプレーできることに対して伴う感情はうれしさだけではなかった。「先輩たちとラグビーをすることが最初は緊張したし怖かった」。不安を抱える檜山に対し熱心に指導をしてくれる先輩たちの姿は、憧れると同時に目標の存在となる。そして日本代表候補にも選出された3年次。後輩やスタッフ陣、試合に出場することのできない仲間たちからは「檜山に任せておけば大丈夫」と期待される選手へと成長していた。1年次から3年次に至るまで肌で感じたさまざまな経験が、彼を誰もが憧れる頼もしいプレイヤーへと変貌させたのだ。 ラグビーで恩返しを 檜山にはFWならではのパワーに加えて、強力な武器がもう一つ。小学時代に2年間陸上を経験、中学時代はBKとして試合に出場していたことから、檜山にはラックから抜け出して前進するスピードが備わっている。高校時代から今に至るまで、タックルやスクラムだけでなく、大きなゲインでも幾度となくチームに貢献をしてきた。「早く紫紺のジャージーを着て、親に恩返しがしたい」。幼少期からラグビー一筋。そんな彼にとって、ラグビーでの親孝行が一番の夢である。パワーとスピードの二刀流という類いまれなる才能に加え、自分に厳しく常に努力し続けるストイックさを持つ檜山。紫紺のジャージーに身を包んでフィールドに立つ日はそう遠くない。夢が叶う時はもうすぐそこまで来ている。[成田美彩子] ◆檜山 蒼介(ひやま・そうすけ)情コミ1、尾道高。生まれ変わったらやってみたいポジションはセンターバック。176センチ・105キロ READ MORE -
白崎望愛 両親と共に歩んだテニス人生 新たな幕開け
硬式庭球 2023.09.26テニスに挑む最後の4年間。白崎望愛(法1=仁愛女子)は、高校時代に主将を務め団体戦で全国ベスト16へと導いたリーダーシップを持つ逸材だ。得意とするプレーは粘り勝ち。強健な精神力と力強いプレーで明大硬式庭球女子部を王座初出場へと導く。 負けず嫌いの精神 自分の性格を一言で表すと「負けず嫌い」。劣勢のときほど自分のプレーができるのが彼女の強みだ。強靭(きょうじん)なメンタルと体力の裏側には、両親の支えがあった。兄の影響で小学2年生からテニスを始めた。当時は「テニスウエアを着ることにわくわくしていた」。心の底からテニスを楽しんでいたと振り返る。両親は試合結果に関係なく成長した点を褒めてくれた。それが積み重なり自信へとつながったのだ。 心身鍛えた三年間 地元で活躍がしたいという思いから、福井県の仁愛女子高等学校に進学。小学生の頃から指導を受けていたコーチや両親のそばでプレーすることを決断した。高校1年次、テニス人生に歯止めがかかる。「この先もここまで落ちることはない」。当時のチームは全国選抜高校大会(以下、選抜)で団体3位という好成績を収めたが、勝利へ貢献できず、素直に喜べなかった。そんなときでも一番の支えとなったのは両親の存在だ。理想とするプレーができず、涙を流し「辞めたい」が口癖の日々。それでも両親は反対や深入りすることなく、いつも話を聞き味方でいてくれた。両親のサポートで調子を取り戻した白﨑。高校2年次の夏には主将に任命され、チームの先頭に立つ存在となった。チームの雰囲気を保つため、両親に支えてもらったように仲間に声を掛けた。主将として臨んだ選抜。得意の粘り強いプレーを披露し、幼馴染に初勝利。チームは団体戦で選抜ベスト16の成績を残す。1年前の結果を超えることはできなかったが、自身の成長を感じることができた。 新たなテニス人生 「両親は自分のことを一番に考えて生活してくれていたんだなと思った」。両親の元を離れプレーを始め、改めて痛感した。大学で現役生活に幕を閉じる白崎。支えてくれた両親へ恩返しをするため、後悔なく競技人生を締めくくるために死力を尽くす。座右の銘である〝初志貫徹〟を胸に取り組む最終章。明大硬式庭球部で有終の美を飾る。 [髙橋未羽] (写真は本人提供) ◆白崎 望愛(しらさき・のあ)法1、仁愛女子高。趣味は格闘技観戦。「テニスの試合を見るより好き」。164センチ。READ MORE -
岡田侑也 愚直な努力家
ソフトテニス 2023.09.25「日本一を目指したい」。岡田侑也(農1=とわの森三愛)はその一心で北の大地を飛び出し、明大へやってきた。ルーキーながら主要大会に多く出場し、明大の勝利に貢献し続けている。その実力の由縁は、競技力のみならず、磨いてきた人間力にもあった。 目標と歩み 岡田がソフトテニスと出会ったのは5歳の時。「日本一を取ってみたい」という目標を抱いた小学生の頃から全国規模の大会に出場を果たすも、優勝を経験することはなかった。進学した中学校にはソフトテニス部がなく、外部のクラブで競技を続けることに。それでも、日本一を目指すという岡田の目標は変わらない。地元を離れ、北海道内屈指の強豪校であるとわの森三愛高に進学。目標へ向けた、今まで以上に確実な歩みが始まった。 大きな成長 厳しい鍛錬を続けるも、高校2年次のインターハイは3回戦敗退に終わる。「今まで目標に向かって必死にやってきたけれど、本当に勝てるのか」。自身の現状と目標への道のりの険しさに絶望し、競技をやめることも考えた。しかし、ここまで支えてくれた親に結果で恩返しをしたいという思いを胸に、苦しい時期を乗り越えた。高校3年次には主将に就任し「インターハイで結果を残すためには、自分が勝たないとチームも絶対に勝てない」と強い責任感を持つようになる。そんな岡田を支えたのは「第2のお父さんのような存在で、最もお世話になった人」である播磨監督の存在だ。どれだけ忙しくても欠かさず指導に来てくれる監督の熱意にも支えられ、チームをまとめ上げていく。主将として奮闘するうちに、自主性やコミュニケーション能力、さらに物事に継続的に取り組む力を身に付けた。競技者として、さらに人間としての成長も遂げたのだ。インターハイではチーム力の強さで勝利を重ね、とわの森三愛高として過去最高の団体3位という結果を収めた。 努力は続く 日本代表経験者の多さが決め手となり、明大へ進学することを決断。既に主要大会に何度も出場し、全日本大学対抗選手権(以下、インカレ)優勝をはじめとした今年度の明大男子部躍進の立役者の一人と言える。だが本人は「ワンバウンド系のプレーやレシーブでのミスが多いことが課題」と、自身のプレーに満足していない。今年度悲願のインカレ優勝を果たしたが、大学での競技生活は始まったばかり。現状に満足することなくひたむきに努力を重ね、貪欲に勝利を求め続ける。[春田麻衣] ◆岡田侑也(おかだ・ゆうや)農1、とわの森三愛高。気分転換には時々温泉へ。疲れが取れて、リラックスできるところが好きな理由。180センチ・73キロ READ MORE -
桒原陸人 Jリーグ杯デビュー済み 世代屈指のマルチプレーヤー
サッカー 2023.09.25圧倒的な存在感を放つ桒原陸人(商1=ガンバ大阪ユース)。高校時代はクラブを象徴する5番に加え、主将も任される。代表活動にも多数参加し、3年次にはJリーグ杯デビューを果たした。しかしトップチーム昇格の夢は叶わず。そんな彼が選択した道は明大進学だった。努力の天才誕生 父の影響でサッカーを始める。中学でガンバ大阪ジュニアユースに所属するも、2年次では試合に出してもらえず、スタメン出場も一度きりだった。それでも「今思えば、あの経験があって良かったと思う」。人一倍負けず嫌いな性格と悔しさをバネに、猛練習に励んだ。そのかい(甲斐)あって、マルチプレーヤーに大躍進。「武器がないことが自分の強み」と語るほどまでに急成長を遂げた。しかし、高校時代に突きつけられた現実はあまりにも厳しいものだった。人生最大の挫折 高校3年次にはJリーグ杯デビュー。世代別日本代表活動にも多数参加した。所属したガンバ大阪ユースでは同期から主将を任され、誰もが認めるチームのエースだった。 自他共に昇格の知らせを待ち望む中で告げられた「トップチームには上がれない」という衝撃的な宣告。周囲から将来を渇望された桒原にとって、想定外の言葉だった。それでも翌日も屈することなくトップチームの練習に参加。しかし、実際は「放心状態で、サッカーから離れたいと思うほどのメンタルだった」という。それからも高卒でプロ入りの夢を諦め切れず、他クラブの練習にも参加。手探りで進路を模索する彼に手を差し伸べたのは、ユース時代の監督だった。「大学サッカーに行くことの意味を毎日話してくれた」。心動かされ、もう一度前を向くことができた。青黒から紫紺へ 「ピッチ外での先輩方の立ち振る舞いに心惹かれた」。自分が変われると確信し、明大への進学を決意した。期待のルーキーは、早くも関東大学1部リーグ戦第5節の中大戦で公式戦デビュー。8月にはU―18日本代表にも選出。「身長が高くないからこそ自分なりのC B像がある」。弱点さえも武器に変えようとする姿勢が見えた。また高校時代から書き続けているサッカーノートは、今もなお彼の活躍を支えている。「絶対にプロになってガンバ大阪ユースに恩返しをする」。己に誓う彼の目は、既に世界をも見据えていた。もう一度〝あの経験があって良かった〟、そう思うために。一度は離れかけた夢を再び手繰り寄せようとしている。 [田上愛子]◆桒原 陸人(くわはら・りくと)商1、ガンバ大阪ユース。弱冠1歳でボールを蹴っていた。177センチ・72キロREAD MORE -
甲斐京司朗 目指せ声出し番長
準硬式野球 2023.09.25明大準硬式野球部の声出し番長を目指す甲斐京司朗(営1=大分舞鶴)。高校3年次春には独自の練習方法が注目を浴び、第94回選抜高校野球大会(以下、センバツ)に21世紀枠で出場。積極的な声出しでチームを鼓舞し、打撃でも魅せるその姿は大学でも変わらない。高校へ進学 父と兄と一緒に遊ぶうちに好きになったという野球。甲斐の野球人生を大きく変えたのは県内トップクラスの進学校・大分舞鶴高への進学だった。他の中学の主力選手が進むことを聞き、強いチームになると確信し進学。高校2年次の秋には、持ち前のリーダーシップを買われ部員間の投票でなんと満票で主将に選ばれた。「選ばれる気はしていたけど、満票だったのは素直にうれしかった」。 センバツへ 〝自分が一番に声を出す〟。これをモットーに主将となった。「1学年上の先輩方は技術力で引っ張っていた。でも自分はあまりうまくないので声で引っ張るしかない」と決意。また、主将として練習メニューを自分たちで作り上げた。「その練習意味あるのかとかまたそれかとか、部員からの反応が怖かった」と毎日同じ練習メニューにならないよう試行錯誤を繰り返す。練習ごとに班分けし効率良く取り組むなどの工夫も凝らし、勉学との両立を図りながら研さんを積んだ。そしてセンバツ出場を懸け臨んだ秋の九州大会。結果は初戦敗退。それでもこれまでの実績や学業面に加え選び抜かれた練習法が評価され、センバツ初出場の切符をつかんだ。「感動した。まさか自分が選手として出場できるなんて」。全国の壁は高く、名門・浦和学院に2安打完封負けとなるも「甲子園の経験は残りの野球人生に自信をくれた」と話す。得た自信を胸に再び聖地を目指した最後の夏。県大会準々決勝、準決勝で共にサヨナラ勝ちの快進撃を見せる。「準決勝は人生で一番印象に残る試合。4点差を追う中で、自分がサヨナラ打を放って決勝に進めたことが一番うれしかった」。決勝の明豊戦では惜しくも敗戦。それでも高校最後の大会で一番のプレーを見せた。 次なる目標 大学では野球を選ばず学業とアルバイトに力を入れるつもりでいた。だが野球への思いは諦め切れず「硬式野球部に入部する勇気はなかった。だったら父もしていた準硬式をやろう。野球も学業も両立できるこの環境で悔いのない野球生活を送りたい」。理想の選手像は明大随一のスラッガー・田村陽大内野手(農3=花巻東)。「同じ一塁手でバッティングがすごい」と田村の打撃を追うも「目指すのはチーム内で一番声の大きい選手」。入部早々公式戦打率6割超えを見せた甲斐だが打撃だけが売りの男ではない。大学でもこれまでと変わらず声でチームを引っ張り〝声出し番長〟を目指す。 [阿部倖明] ◆甲斐 京司朗(かい・きょうしろう)営1、大分舞鶴高。趣味は筋トレ。それもありスポーツクラブでバイトをする。尊敬する人物は松井秀喜氏。173センチ・78キロREAD MORE