【競走部】一走懸命
名門としての地位を取り戻す。昨季は10年ぶりに箱根本戦出場を逃し、崖っぷちに立たされた競走部。再起を期す新チームは、4月から就任した山本佑樹駅伝監督の下、復活へのリスタートを切った。本企画では紫紺の襷が箱根路に戻るまでの1年間を追う。
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(44)箱根直前インタビュー③ 鈴木聖人
競走 2018.12.24箱根まで残りわずか。4年ぶりシード権を目指す明大。箱根予選会、全日本大学駅伝、11月の記録会で結果を残し、視界は良好だ。 今特集では15日に行われた合同取材での選手らのコメントをお届けします。第3回は鈴木聖人(政経1=水城)のインタビューです。 ――今シーズンを振り返っていかがですか。 「前半は体調不良などもあり、あまり思うように大会にもっていくことができず悩んだ時期でした」――具体的にはいつ頃でしょうか。 「4月から、5月くらいです。関東インカレなど。もともと寮生活じゃないこともあって、大学での生活に慣れないことも理由の一つだったのですが、ここにきてジョグの量も増えてきて、箱根に向けていい状態で来ているなというのは自分で走っていても感じます」――1万メートル、ハーフともにベストを更新していますが、今年一番力がついたところはどこですか。 「はじめてのハーフが箱根予選会で、それで63分台を出すのはなかなか難しいことなんじゃないかなと思っていたんですけど、そこでしっかり後半もそこまで失速をせずに粘ることができたので、練習の成果は出ているのかなと実感しました」――ご自身の走りの強みはなんでしょうか。 「粘りのある走りというか、きついところで踏ん張るのが持ち味です」 ――箱根で出走したい区間はどこですか。 「全日本と同じ1区で流れを作りたいです。全日本ではあまりいい順位が出せなくて悔しい思いをしたので、もう一度チャレンジをして、チームにいい流れを持っていきたいなというのが目標です」――全日本ではどこがうまくいきませんでしたか。 「駅伝デビューだったので、高校の感覚を忘れてしまって『やってやるぞ』という強い気持ちが逆に裏目に出てしまって。最初に力みすぎて相手の選手を利用して走ることができなくて、前で最初無駄な動きをしてしまいました。ラスト1.5キロでスパートをかけられた時に全然対応できなかったので、まだ力不足だなというのを感じました」――箱根で1区を走るとしたらどうしていきたいですか。 「後ろで隠れるような走りをして、スパートをかけられた時に対応できるようにスタミナを残していい順位でつなぎたいです。15キロまでしっかりついて、そのあたりで仕掛けてくる選手がいると思うので、そこに対応できるような粘る走りをしたいと思います」――箱根では個人やチームの目標のほかに「こんなことに挑戦したい」ということはありますか。 「全日本の時には阿部(弘輝・政経3=学校法人石川)さんに申し訳ない気持ちで襷を渡したので、今回は次の選手に笑顔で襷を渡せるようにしたいです」――自信のほどはいかがでしょうか。 「1年生なんですけど、選ばれたらしっかりと仕事を果たしたいと思っているので、自分の100パーセントに近い走りをしたいと思っています」――最後に、箱根に向けて意気込みをお願いします。 「チームの目標としてはシード権を獲得することなので、しっかりと走りで貢献したいと思います。個人としては、大学に入学して三大駅伝を走るというのが自分の目標なので、しっかりここでシード権を取って出雲と全日本を決められるよう頑張ります」――ありがとうございました。[高野夕]次回のアップ日は12月25日です。お楽しみに!READ MORE -
(43)箱根直前インタビュー② 主務・本橋佳樹
競走 2018.12.23箱根まで残りわずか。4年ぶりシード権を目指す明大。箱根予選会、全日本大学駅伝、11月の記録会で結果を残し、視界は良好だ。 今特集では15日に行われた合同取材での選手らのコメントをお届けします。 第2回は主務の本橋佳樹(営3=立教池袋)のインタビューです。 ――チーム状況はどうですか。「めちゃくちゃ良いです。ほとんどの人がシード権を目標にすると言っていると思うんですけど、慢心とかではなく、客観的に見て、シード権は堅いと思っています。僕的には青学大、東海大、東洋大という3強に挑戦できる位置にもいると思います。その裏付けが明大の1万メートルの平均タイムが全大学の中で2番というところです。その平均タイムと箱根駅伝の結果はある程度、相関性はあるので、もしその3つに入っていけなくても、5番は現実的に可能な順位かなと思います。選手もそれはすごく感じていて、エース・阿部(弘輝・政経3=学校法人石川)と3年生が活気づき、故障者もいないので良い状況だと思います」 ――明大にとって重要区間はどこだと思いますか。 「僕的には4区ですかね。1、2、3区は絶対に調子の良い選手を持ってくると思います。4区の走り次第では山の走り方も変わってくるので、山を安定して走ることができるようにと言う意味では4区は重要だと思います」 ――主務の立場から見て、チームの良いところはどこでしょうか。 「良くも悪くも上下関係がなく、仲が良いところですね。記者の方にも言われたんですけど、集合写真を撮るとき、他大はスッと並ぶらしいんです。でも、うちは「並べ並べ」みたいにイジってほんわかしています。今、結果は出ていないですけど、明るくて希望を持っていて、将来性があるチームだと思います」 ――逆に直してほしいところはありますか。 「たくさんありますよ(笑)。今日の記者会見で中島(大就・商3=世羅)が遅れてきたじゃないですか。うちはそういうところがルーズで、緩すぎるところがあります。全日本でも4時集合で3時59分にパッと来る選手がいたりとか。普通5分前とかじゃないですか。もっと逆算できる能力を身につけて欲しいですね(笑)」 ――本橋さんは競走部のツイッターで流れる集合写真で決めポーズをしているところを良く見かけます。 「僕は少し目立ちたがりというか、人と一緒が嫌なんですよ(笑)。集合写真の中でそういうポーズしたり、私服も他の人が着ないような服を着たり。12月10日の箱根エントリー後の記者会見の話なんですけど、自分のチームを例えるならという質問があって、みんなは「活気強い」「若手で」みたいなことを言うんですよ。僕は少し面白いことを言いたいなと思って『明治大学はガーベラのようなチームです』と言いました。『ガーベラ』という花言葉の意味は希望と常に前進なんですよ。希望は先ほど言ったように、みんな明るしい、常に前進は明治の『前へ』という精神と同じだなと。『これちょうどいいじゃん』と思って、それを言ったら、記者さんに『君は異彩を放っていました』と言われ、ちょっとそこでリードしましたね」 ――箱根での意気込みをお願いします。 「僕が主務になってから初めての箱根駅伝です。主務になって、選手以上に関わる大会だなと実感し、選手の思いは強いと思いますけど、それとおなじくらいこの大会にかける思いはあります。4年生も最後ですし、良好な関係は築けているので、シードを取って、良い結果で終わりたいです」 ――ありがとうございました。 [綾部禎] 次回のアップ日は12月24日です。お楽しみに! READ MORE -
(42)箱根直前インタビュー① 山本佑樹駅伝監督
競走 2018.12.23箱根まで残りわずか。4年ぶりシード権を目指す明大。箱根予選会、全日本大学駅伝、11月の記録会で結果を残し、視界は良好だ。今特集では15日に行われた合同取材での選手らのコメントをお届けします。 第1回は山本佑樹駅伝監督のインタビューです。――16人決まって、チームの状況はいかがですか。「選んだ16人は誰一人も落ちてないというか、調子がいいので今のところいい状態です」――シード獲得のために往路での戦略はありますか。「往路にある程度主力をつぎ込んで、終わった時点で確実に5、6番手くらいにいるのが一つのポイントになると思うので、トータルでもちろんシードを取らなきゃいけないんですけど往路がウエイトとしては大きいかなと思います」――坂口主将の調子はいかがですか。「彼はこの一年別メニューでやってきたんですけれども、そこはやっぱりこれから実業団でやっていくわけで、季節的な部分とか自分の体調のコントロールとか、まずは自分を知るということできたので、ある程度形ができたかなと。1、2年は準備の段階で故障があったり体調不良があって、いけるって思ってスタートラインに立ったことがないと思うので。きちっと箱根の予選会も全日本も無理して走らせればいけたんですけど、あえてそこは我慢をしてもらって、箱根に合わせてきてもらったところがあるので、最後結果を出して終わってほしい気持ちはあります」――エースの阿部選手(弘輝・政経3=学校法人石川)はいかがですか。「絶好調をキープできていて、1万メートルて記録を出してその後の故障とか疲労が出たりっていうのは心配していたんですけど、そのまま記録を出して箱根に挑むっていう計画を話をしていたので、本人もそこを意識して気持ちを切らすことなく、来れてるんじゃないかと思ってます」――3年生世代がカギを握ると思うのですが、楽しみな選手はいらっしゃいますか。「阿部はもう期待してるところでちょっと置いといて、中島大就(商3=世羅)ですね。彼がチームとしてはエース格くらいでやってくれないと困るというか期待はしていて、この秋なかなか調子が上がっていない状況で本人も不安はあると思うんですけど、なんとかそれを打ち破ってきてほしいなと思います」――今年の1区の展開は、どんなものを予想されていますか。「そこまでハイペースにはならないんじゃないかと思います。最後は必ず上がると思うので、1区でスタートと同時に出る選手はいないんじゃないかと思います」――その方が明大としては有利に働くでしょうか。「そうですね、我々にとってはその方がいいと思います。優勝を目標にするのであればそこは対応しなきゃいけないと思うんですけど、仮に逃げる選手がいた場合はそこではなくて、2位集団3位集団というところを目標にしていけば、最終的にはシードはいけると思うので。他に惑わされず、自分の戦略的にいきたいなと思っています」――監督就任から具体的に工夫した点はありますか。「学生もやっぱり授業があって、なかなか時間を取るのが難しいというのがあったので、体調管理のアプリを取り入れて、パソコンの中で練習日誌を確認出来るかたちで、選手の日々の体調管理というものを見れるようにして。あとは練習終わりに、上がるタイミングで一言一言かけながらやっていくというのが主ですね。あとは朝練を必ず全員集合できる時間帯にして、1限ある選手は先に始めたりっていうのがあったので、全体的に朝練の集合を15分早くして、とにかく全員が顔を合わせるタイミングを作って、そのときに自分の発信したいものを発信するようにして、共有させるというところではそういう工夫はしました」――最後に意気込みをお願いします。「シード獲得っていうわかりやすい目標を共有できているので、それぞれそのために自分がどの区間でどういう走りをするかというところなので、そこを最後まで詰めてやっていこうと思います」――ありがとうございました。[垣内萌恵] 次回のアップ日は12月24日です。お楽しみに!READ MORE -
(41)OBインタビュー 10区・卜部淳史氏
競走 2018.12.21歴史に名を刻んだ男の今を追った。今回で60度目の箱根に挑む明大は、これまで優勝7度を含め、箱根の歴史を彩ってきた。今特集では各区にちなんだOBを取り上げ、当時の思い出とともに、明大と箱根の歴史を振り返る。 第10回は第85回(2009年)大会の10区で出走した卜部淳史氏を特集します。(この取材は11月17日に行われたものです) ◆卜部氏の箱根成績◆学年個人成績チーム1年不出場18位2年不出場16位3年不出場予選落ち4年10区12位8位 ――4年間、当時の競走部を振り返っていかがでしたか。 「1年次は箱根でシード権が取れるというところまでは、見えていなかったんですけど、毎年、チームがだんだん強くなってきている印象はありました。3年の時に、予選会で落ちたことをきっかけに自分の中にもスイッチが入りました。残り1年で復活するのはもちろんだし、シード権は絶対取ろうというところでしたね」 ――まさに転換期という感じですね。 「それは間違いないと思います。予選会落ちから、みんな結果が付いてきていて、戦力的に見ても、絶対にシードは取れるだろうなと思っていました。あとはその中で自分がレギュラーをつかむというところで、頑張っていました」 ――4年次では49年ぶりのシード権を取りました。 「素直にうれしかったなというところと、チーム全員、10区の僕のところは心配だったんだろうなと思いました。スタート前にテントがあるんですけど、その時に往路を走った人たちは「一緒にご飯食べようぜ」とか僕の緊張をほぐしてくれて、逆にみんなに心配かけたなと思いました。 ――10区はどんなコースでしたか。 「10区を走ることを言われたのはレースの3日前だったんですよね。車で1回、下見して、『最後のコースはこんな感じだから』と言われて、最後の3キロぐらいは見なかったんですよね。だからどこでスパートかけようとかは正直わかりませんでした(笑)。実際、走ってみると、スタートからゴールまでずっと人がいて、ラスト2キロは声援からの地響きがすごくて、体がフワフワ浮いているような感じでした」 10区を出走した卜部 ――区間順位は12位でした。 「正直、区間順位は気にしませんでした。明治大学の襷がテレビにきちんと映るように『最初の1キロは襷を気にして、ジョギングみたいな感じで走りなさい』と監督・コーチか言われましたね(笑)。実際は18キロぐらいまでリラックスしすぎて、逆にペースに乗れませんでした。気づいたら色んなチームに追い付かれてしまって、『やばい』と思いましたね」 ――8位でゴールテープを切ったときの気持ちはいかがでしたか。 「直線が何百メートルもあるんですけど、ゴールしたときは同期の東野と一個下の松本が出迎えてくれて、気づいたら胴上げしてもらっていました。気持ちよかったですね」 ――箱根で得たものは何ですか。 「そこから10年経つんですけど、箱根を走ると『箱根で走ったんだ!』と言われ、話が弾みますね。得することはあっても損することはないなと思います。また気持ちの面で『絶対に負けられない』というプレッシャーはあったんですけど、そのような経験は、この先辛いことがあったときに役立つと思います」 ――今の競走部の評価をお願いします。 「記録や結果を拝見させていただくんですけど、強いなと思います。学生スポーツはきっかけがあれば、急に成長したりします。僕らもシードを取る1年前にすごく悔しい思いをプラスに1年で変えることができました。シード権を取ってからの明治は強く、優勝争いができるところまでいったので、今年をきっかけに強い明治を取り戻して欲しいなと思います」 ――注目選手はいますか。 「同じ高校出身ということもあり、期待を込めて坂口君(裕之・政経4=諫早)ですね。この前、東京でOBが集まったときに、山本佑樹駅伝監督や山本豪コーチが「坂口はメンタル面が強く、自分自身に厳しい」ということを聞きました。強い選手なのに、結果を出せていないと思うので、ラストの箱根で活躍してほしいですね」 ――これから走る選手に激励の言葉をお願いします。 「箱根はすごく注目もあって、それを目指す選手もいれば、通過点とする選手とか色んな人がいます。色んなプレッシャーがあると思うんですけど、どんな形で関わろうとも財産になると思うので、自分にできることを、しっかりと精一杯やってほしいです。選ばれたメンバーは楽しく、自分の力を十二分に発揮できるようにリラックスしてほしいなと。そうするとおのずと結果は来ると思います」 ――ありがとうございました。 [綾部禎]箱根エントリー選手のコメントアップ日は12月23日(日)からです。お楽しみに!READ MORE -
(40)OBインタビュー 9区・射場雄太朗氏
競走 2018.12.20歴史に名を刻んだ男の今を追った。今回で60度目の箱根に挑む明大は、これまで優勝7度を含め、箱根の歴史を彩ってきた。今特集では各区にちなんだOBを取り上げ、当時の思い出とともに、明大と箱根の歴史を振り返る。 第9回は第93回(2017年)大会でエントリー時9区で、現在は上武大駅伝部コーチを務められている射場雄太朗氏(平29政経卒)を特集します。(この取材は11月23日に行われたものです) ◆射場氏の箱根成績◆ 学年 個人成績 チーム 1年 不出場 6位 2年 不出場 4位 3年 不出場 14位 4年 不出場 18位 ――大学4年間を振り返っていかがですか。 「8割苦しかった4年間だったかなって。どう苦しいっていうのは、僕の場合たぶん大学生活半分以上はケガで走れてなかったことが多くて、その中でまわりが走っている中で自分はうまく走れないっていう苦しみは一つあったかなって。残りの2割はすごい楽しかったなって。どう楽しかったかっていうと、大学4年目に関しては夏くらいから走れてきて予選会と全日本に関しては自分の走りができて、それまでのつらかったこととかが努力してきたことで報われたのかなっていうことと、ただケガで走れていなかったりしていく中で、人間として成長できたかなって。その経験があったからちょっとしたことでも動じないというか。今でもつながってるなと思います」 ――主将を務められた1年間はいかがでしたか。 「トータルで一番楽しかった年だったので、今引退して振り返ってみると4年目は一番、心身ともに充実してたし、よりチームのことを考えたし、その中で当然自分も結果を残していかなきゃいけないっていう意味で責任感も今まで以上に出てきたところで。毎日毎日が必死だったっていう印象です。箱根本戦は欲が出ちゃいましたね(笑)。記録挑戦会は本当に調整せずにやって狙ってないのに29分12で走って、全日本も区間4番で走って何番とかいうこだわりはなくて。そこから箱根最後になるときに、シード取るのは当然だけれども区間賞欲しいなって思っちゃって。区間賞取るためにってなると、もうちょっと練習しないとなって思って12月でちょっとオーバーワークになって、結果的には調整ミスでアキレス腱痛くなって走れなくて。人それぞれ体の限界はあるから、引くところは引いていかなきゃいけないかなって。それも含めて楽しかったなって、長い下積みがあったから4年目そういう予選会や全日本でいい思いもできたし、最後の失敗もそれまでの自分の頑張りがあったからかなって今では思います」 ラストイヤーの全日本では6区区間4位の快走を見せた ――9区はどんなコースだと思いますか。 「序盤のアップダウンがあるので、最初の5キロ、10キロのところのペース配分と、あとは走りのリズム、ペースとかじゃなくてリズムをしっかり刻めるかどうか、下りだからオーバーストライドで突っ込むと後半平たんな15キロとかで足が持たなくなるから、いかに淡々と自分のリズムとペースで走るか、一つはそれだけどもう一つは中盤とか後半になってくるといろんな競り合いが、上だったら優勝争い、シード権争い、下は下で繰り上げとか、終盤からはどの立ち位置にいてもプレッシャーがかかってくるけれども、それに対して慌てることなくかつ駆け引きの中で冷静に見極めて、一瞬の判断を逃さずにできるかが大事な区間だと思います」 ――箱根駅伝はどんな大会ですか。 「人生狂わされました(笑)。人生のルートを大きく変えさせられた存在というか、いい意味で。夢のある大会ですね。僕にとって箱根は通過点で、実業団行ってとかじゃなくてこういう仕事に就いて、卒業後は社会人として働いて家庭を築いてっていうのはあって、その中で大学生活何か一つ打ち込むもの、10代から一番力を入れたことの集大成として箱根というのがあったんですけど、それがまた一つ上にいっちゃったから人生狂わされたっていう。学生時代に成し遂げるものがちょっと期限は切れてないけど、20代の間にもう一回出し切るというか。全力でやらせてもらってるって感じです」 ――指導者としてのやりがいは何ですか。 「やりがいしかないです。もっと高いレベルでたくさんできるようにするために今頑張ってます。休みに関しては正直全然ないけども別に休み欲しさで働いてるわけではなくて、この仕事を続けるために仕事を頑張る。それがやりがいじゃないですか。上武大学駅伝部っていうのがどんなところなのかを知らなきゃいけないから、なるべく自分で動いて作業しながらの方が身に付くので自分でするようにしてます。なかなか好きなことを仕事にできてる人っていないから、させてもらってる時点ですごく幸せなことなので」 ――後輩たちへメッセージをお願いします。 「負けないぞ、でもいいんですけど(笑)。4年間各部の残り時間はバラバラだけれども、引退するときに悔いの残らないようにおのおのの立場やレベルはあると思うけども、今の自分が置かれてる状況の中で最善の準備と取り組みをして、箱根では自分の全力を出し切って戦ってもらいたいなと思います」 ――ありがとうございました。 [垣内萌恵] 次回のアップ日は12月21日です。お楽しみに!READ MORE -
(39)OBインタビュー 8区・園原健弘コーチ
競走 2018.12.19歴史に名を刻んだ男の今を追った。今回で60度目の箱根に挑む明大は、これまで優勝7度を含め、箱根の歴史を彩ってきた。今特集では各区にちなんだOBを取り上げ、当時の思い出とともに、明大と箱根の歴史を振り返る。 第8回は現在、明大競走部の副監督を務め、現役時代は専門種目を競歩に置きながらも、第60、61回(1984、1985年)大会の8区で出走した園原健弘コーチを特集します。(この取材は11月26日に行われたものです) ◆園原コーチの箱根成績◆学年個人成績チーム1年不出場予選落ち2年不出場予選落ち3年8区14位18位4年8区9位15位 ――大学での4年間を振り返っていかがでしたか。「入学した当初から競歩で五輪に行きたいという目標があって、完全に競技第一でした。今の学生は勉強もしっかりやらなければいけないと思うのですが、当時はもう少し緩かったので、競技中心の生活というのが成り立っていたと思います」 ――長距離と競歩の二刀流は大学から始めたのですか。「大学からですね。当時はどちらかというと競歩は長距離選手の落ちこぼれというようなイメージがありました。元々長距離選手だった私としては、どちらかで一流になれればいいなと思いがありました」 ――当時も二刀流は珍しかったのですか。「主流ではなかったですね。多分、競歩をメインに置きながら箱根に出たというのは、日本全体でも私くらいじゃないですかね。練習に関しては99%を競歩に置きながら、朝練だけは長距離でやっていました。しかし、それも箱根に出るためじゃなくて競歩で強くなるための朝練でした」 ――1、2年次は本戦に出場できませんでしたが。「そこまで悔しくはなかったですね。当時のメンバーを見ると長距離選手が10人そろってないような状況だったのでしたので。400メートルの選手が走ったりもしていたので、これは通過できないなと思いました」 ――3、4年次では本戦出場を決め、2年連続で8区を務められました。「私は上りが得意だったので、山登りの候補にもなっていました。ただ1日に元旦競歩があって次の日はさすがに疲れているからまずいだろということで、復路を走りました。思い出で残っているのは、前の東海大の選手を1人抜いたら、東海大の監督から『お前が抜かされたのは競歩の選手だぞ、何やっているんだ!』というのを聞きました(笑)。そのあと前に東農大の選手がいたのですが、そこでも監督が『後ろから来ているのは競歩の選手だぞ!』と。その時、私のことを知っていてくれて、すごく勇気になったというか『やってやったぞ』という達成感を味わいましたね」 専門を競歩に置きながら、2年連続で8区を走った園原コーチ(※写真は本人より提供)――卒業後は競歩でバルセロナ五輪に出場されました。「参加だけで終わってしまったなという感じですね。五輪に出たいという目標はあったのですが、そこから先の目標が見えなくて、メダルまでは遠いイメージがありました。ただ感じるのは参加するだけでは意味はないなと。世界大会で活躍して、結果をしっかり残さないといけないと思いました」――箱根がくれたものは何ですか。「走ることを捨てさせ、自分の道筋を明確にしてくれた大会ですね。多分これは俺だけではなくて、これから箱根をトライする選手の中にも、いっぱいいると思う。箱根を目指した何年間で陸上の選手として、『俺はもうここまでなんだな』という考えを持ちながら練習する選手もたくさんいると思います。でも、そこできちんとやり切るということが社会に出たときの糧になると思います」――これから出走する選手に激励の言葉をお願いします。「自分の力って100%は出せないと思います。五輪とかで良く言われるんだけど、ここ一番で合わせる強さを持っている者が勝つと言われているんだよね。だから箱根では大事なときに、コンディションを合わせられる力というのを学んで欲しいですね。もちろん本番に合わせるためには我々スタッフのサポートも必要なんですけど、山本佑樹駅伝監督はそういうところがうまいので自分自身と佑樹監督を信じて挑戦してほしいですね」――ありがとうございました。[綾部禎]次回のアップは12月20日(木)です。お楽しみに! READ MORE -
(38)OBインタビュー 7区・末次慶太氏
競走 2018.12.18歴史に名を刻んだ男の今を追った。今回で60度目の箱根に挑む明大は、これまで優勝7度を含め、箱根の歴史を彩ってきた。今特集では各区にちなんだOBを取り上げ、当時の思い出とともに、明大と箱根の歴史を振り返る。 第7回は第91回(2015年)大会で7区を走られた末次慶太氏(平30理工卒)を特集します。(この取材は11月21日に行われたものです) ◆末次氏の箱根成績◆ 学年 個人成績 チーム 1年 7区14位 4位 2年 不出場 14位 3年 1区18位 18位 4年 不出場 予選落ち ――大学4年間を振り返っていかがですか。 「箱根にも2回出させてもらったんですけど、最後の年は後輩にも迷惑をかけちゃって、不完全燃焼だったかなって思いは個人的にあります」 ――学業との両立はいかがでしたか。 「けっこう1年生のときはやべえやべえみたいな(笑)。三輪(軌道・理工3=愛知県私立愛知)もそうだと思うんですけど、三輪といじり合いながらやってきたんですけど。単位取るのに必死だった部分はあります」 ――チーム内ですごいなと思っていた選手はいましたか。 「いっぱいいるんですけど、僕が1年のときにいいなって思ってたのは大六野さん(秀畝・平27政経卒・現旭化成)。他者にはすごい優しいんですけど、自分にストイックな方で。見習いたかったんですけど、ちょっと見習えなかったです(笑)。あとは横手さん(健・平28政経卒・現富士通)。あの人は規格外っていうか。4年のときの関東インカレで1週間前くらいまで故障して走ってなかったのに、入賞しちゃうっていう。そういうところがすごいなと思っていました」 ――昨年はどういう1年でしたか。 「歯がゆかった1年というか。全日本で坂口が日本人1位だったときも、インカレでも後輩の走りを見ていて誰一人4年生が関わっていないっていうのが、個人としても4年生としてもできてないっていうのと、やっぱり箱根に連れて行けなかったっていうのが、一番の歯がゆさがにじみ出たときかなって思いました」 ――西スーパーバイザーはどういう存在ですか。 「大学ってイメージしてたのがびしびしやらされるイメージが強かったんですけど、スカウトに来てくださった時から、アットホームなイメージというか。入学してからも、練習あがる時に、冗談を交えてざっくばらんに話せて、余計な気を使わなくていいのでやりやすかったです」 1年生で箱根デビューを果たした末次氏 ――1年次に箱根初出走なさいましたが、いかがでしたか。 「目標が三大駅伝のメンバーに入るっていうのが1年の目標だったので、走る準備しとけとかは言われてたんですけど、3日くらい前に『お前7区いけるか』って言われて唐突な抜擢ではあったんですけど、2位で襷をもらってこれが箱根駅伝なんだな、って。観客の多さもそうですし、前の方を走る楽しさっていうのを感じられて、改めて駅伝の楽しさを知れたかなって、これが自分の目指してた駅伝なんだな、と思いました」 ――走られた7区はどんなコースでしたか。 「序盤がけっこう下りで、けっこう突っ込みがちに入りそうになるんですけど、そこで突っ込んじゃうと、中盤あたりから上り下りでペースを一定に保てるかっていうのが、ほかの区間に比べてあまりアップダウンの激しさでいえば平坦な部類に入るんですけど、ポイントだと思います」 ――なぜ実業団に進まず、競技引退の道を選ばれたんですか。 「ギリギリになって悩んだところもあったんですけど、一番大きいのは、箱根がゴールだったというのがあります」 ――箱根駅伝から得たものは何ですか。 「箱根駅伝出たからっていうわけではないんですけど、一つの大会というか、目標に向かって何かをずっと継続してやり続けるとか、粘り強くやっていくだとか、というのは生きているかなと思います」 ――後輩へメッセージをお願いします。 「去年箱根に出れなくて、よりいっそう箱根に対する思いというか、特に2、3年生は持ってると思うんですけど、去年以上にチームの雰囲気も結果もいい中で、より安心して臨めるというか。期待はありますし、その期待をプレッシャーに感じるんではなくて、自分たちもできるんだという思いを持ってもらって、1月3日の大手町で、笑って会えるように頑張ってほしいなと思います」 ――ありがとうございました。 [垣内萌恵] 次回のアップ日は12月19日です。お楽しみに!READ MORE -
(37)OBインタビュー 6区・小川誉高氏
競走 2018.12.17歴史に名を刻んだ男の今を追った。今回で60度目の箱根に挑む明大は、これまで優勝7度を含め、箱根の歴史を彩ってきた。今特集では各区にちなんだOBを取り上げ、当時の思い出とともに、明大と箱根の歴史を振り返る。 第6回は第92回(2016年)大会で一般入部ながら6区を走られた小川誉高氏(平28政経卒)を特集します。(この取材は11月10日に行われたものです) ◆小川氏の箱根成績◆ 学年 個人成績 チーム 1年 不出場 7位 2年 不出場 6位3年 不出場 4位 4年 6区13位 14位 ――明大の4年間を一言で表すと何でしょうか。 「後悔ですかね。高校3年間陸上を頑張ってきて、燃え尽きたところがあって、僕にとっては大学の4年間は延長戦みたいな感覚だったんですね。ただ、もうちょっとちゃんと取り組んでいたら、もっと個人としてもチームとしても、いい結果が残せたのかなという後悔は今もありますね」 ――一般入試で入学されて、体同連競走部や他の選択肢もある中で体育会競走部を選ばれた理由は何でしょうか。 「受験勉強をしていく中で、同級生がクロカンを走ったりとか都大路を走ったりとか、そういうのを聞いている中で、なんかまだ負けられへんなと。国公立大に受かったら陸上をほぼ辞めるつもりではいたんですけれども、それに落ちたし何かの縁かなと思って、その当時明大はかなり勢いのあるチームだったので、そういう中でもう1回陸上をやり直してみるのも悪くないかなと思って、本格的に陸上をすることにしました」――当時の競走部は一つ上の代が強く、同期には横手健選手(平28政経卒・現富士通)や木村慎選手(平28商卒・現Honda)もいましたが、入学した当時はいかがでしたか。 「正直なところを言うと、その年(2012年)の箱根を見ていなかったんですよ。入ってみて、その年3位だったということを知って、すごいチームに来てしまったという驚きはありました」 ――当時は寮生活ではなかったそうですが、当時の生活を振り返っていかがでしょうか。 「独り暮らしだったので、寂しかったです。あとはやっぱり、陸上競技をしていると陸上をしていない時間でも、例えば食事の時間とかそういうのにも明日練習あるしなと、ここまで食べたら明日の練習に障るなとか、そういうことはずっと気に掛けながらだったので、そこまで楽しむことはできなかったですね」4年目にして箱根出走を勝ち取った小川氏――走られた6区はどんなコースでしたか。 「6区は実は試走もしたことがなくて。逆の5区は何回も試走は行ったことがあったんですけれども、6区はラスト3キロが解説でも言われている通りしんどいと言われていて、僕は車で見た時ラスト3キロは若干下っているように見えたんですよ。だからそんなにしんどくないんかなと思って、走ったらやっぱりしんどかったと。やっぱりラストの3キロは本当に鬼門だなというふうに感じました。あと筋肉痛が1週間続いたんですけれども、そういう意味ではその後すぐに引退するような4年生が走るべき区間だと思いましたね。リスクが大きすぎて、未来ある子には任せられない区間やなとは思いました」――なぜ実業団ではなく母校・須磨学園の世界史の教員になられたのでしょうか。 「実業団となると、お金をもらって競技をするじゃないですか。お金をもらって競技をする以上は、僕は長距離の世界で日本一を目指すべきだと思うんですよ。ただ高校時代、大学時代とすごい同級生、先輩を見てきて、そのときにお金をもらうほどの価値が自分の競技にはないなというふうに判断したので、誘いを受けている所はあったんですけれども、僕の中では日本一も目指せないのに競技を続けるのは、競技と企業に申し訳が立たないなと思って、もう競技に関しては辞めました」――箱根駅伝がくれたものは何でしょうか。 「捨てる神あれば拾う神ありみたいな感じですかね。僕は2年、3年も箱根を走れる予定だったんですけれども、2回とも風邪をひいたりとかで結局走れなくて、特に大学3年の時は10区アンカーが内定している状態で、直前に風邪をひいて、もうこんなん陸上しても意味ないわと4年生の時やさぐれていた部分があったんですね。ただちょっと最後頑張ったら出ることができたので、そういう意味では、拾う神様もおるんやなとか、続けていればなんかええことあるんやなという感触はもらえたのかなという気がします」――最後にこれから箱根を走る後輩たちに一言お願いします。 「箱根はすごい大会で、見る人も応援する人も本当にどの陸上の大会よりも大きい大会なので、楽しい舞台やでと、1回くらい走った方がいいで。それくらいですかね」 ――ありがとうございました。 [前田拓磨] 次回のアップは12月18日です。お楽しみに!READ MORE -
(36)OBインタビュー 5区・久國公也氏
競走 2018.12.14歴史に名を刻んだ男の今を追った。今回で60度目の箱根に挑む明大は、これまで優勝7度を含め、箱根の歴史を彩ってきた。今特集では各区にちなんだOBを取り上げ、当時の思い出とともに、明大と箱根の歴史を振り返る。 第5回は第86回(2010年)大会で5区を走った久國公也氏(平22政経卒)を特集します。(この取材は11月25日に行われたものです) ◆久國氏の箱根成績◆ 学年 個人成績 チーム 1年 不出場 16位 2年 不出場 予選落ち 3年 不出場 8位 4年 5区18位 10位 ――1年次から3年次を振り返っていかがですか。 「高校の時から非常にケガが多くて、走っている期間よりもケガの期間の方が多かったです。大きな結果は何も出せずにいました」 ――4年次には自己ベストを更新されています。 「4年生の前半はあまり走れず夏の選抜合宿にも選ばれませんでした。夏も箱根に向けてやり直すというよりは高校のベストを更新しようと練習していました。その成果が出て秋以降は箱根に向かっていくことができました」 ――チームとして2年次の箱根予選敗退からどうはい上がったのでしょうか。 「特別な練習や劇的な変化はなく、悔しさを忘れずに全員が練習を積めたからだと思います。少しでもジョグの量を増やすとか地道なことをやれた成果だと思います」 ――4年次の箱根を振り返っていかがですか。 「正直のまれてしまって、それまであんなに多くの人の前で走ったことがなかったので。普通だったら自分の足音や呼吸でリズムを取るのですが、それを感じられないくらい余裕がなかったです。コースも事前に見ていたより傾斜がきつく長く感じました」 ――三大駅伝に初めて出走するというのはかなり緊張するのでしょうか。「経験も大事なのかなと。あそこまでダントツトップで来るという想定は僕にはなかったのでどんどんプレッシャーに追い込まれてしまったのは覚えています」 ――当日の気象条件はいかがでしたか。 「小田原はすごく暖かかったのですが、山中に入ると日陰が多く標高が上がると小田原では考えられなかったくらい寒かったです」 ――柏原竜二選手(富士通)の存在は何か影響はありましたか。 「中継所の近くでも顔を見るんですけれども、ワクワクしているような雰囲気で僕にとっては恐怖でした。どこかで抜かれるのはほぼ間違いなかったと思うのですが、予想以上に早く追いつかれてしまって。他の選手に抜かれた時と違って一瞬で抜かれて、同じ人間とは思えないくらい走りが強烈でした」 ――5区に向けての練習でこうすれば良かったという反省点はありますか。 「練習は全てやりきった上で迎えられたと思います。僕の年は1から4区まで出し切った結果が順位に出てきているので、5区だからというわけではなくて全員自分の力を出し切ることが大事だと思います」 ――5区のコースで苦しかったポイントはありましたか。 「宮ノ下の辺りの非常に傾斜がきつくなるところがあるんですけれども、そこと最後の登り切る18キロ手前のところが足が上がらなかったです」 ――同期には力のある選手が多くいらっしゃいましたが、4年間どのように過ごされましたか。 「本当にいい同期に恵まれました。一致団結というよりは、我々の代は個性が強かったのでそれぞれが目標を目指してやっていくと。特に石川(卓哉選手・平22政経卒・現中国電力)は同じ学部で高校の時からも知っていたので、授業やゼミなど一緒にいる時間が多く、競技者としても石川から受けた影響が大きかったです」 ――現在の久國氏にとって、箱根での経験はどのようなものになっていますか。 「非常に悔しいというか、大きく順位を落としてしまったので僕の中では本当にメンバーや競走部、応援してくださった方に申し訳ない試合でした。ですが、最後まであきらめずにやった結果として当日走らせていただけたというところを思うと、僕自身の競技生活の中では誇りに思っていますし、それは現在の仕事とかそういった面でも非常に生かされています」 ――現在の競走部に何か感じるものはありますか。 「当時ももちろん明るかったですが、インタビューを見ていても風通しが良くて前向きな学生が多いのかなと思います」 ――メッセージをお願いします。 「走る走らない関係なく持っている力や任されている役割を出し切ってほしいと思います。そうすれば必ず良い結果が出ると思いますし、1月2日、3日楽しみに観戦したいなと思います」 ――ありがとうございました。 [西山はる菜] 次回のアップは12月17日(月)です。お楽しみに!READ MORE -
(35)OBインタビュー 4区・江頭賢太郎氏
競走 2018.12.13歴史に名を刻んだ男の今を追った。今回で60度目の箱根に挑む明大は、これまで優勝7度を含め、箱根の歴史を彩ってきた。今特集では各区にちなんだOBを取り上げ、当時の思い出とともに、明大と箱根の歴史を振り返る。 第4回は3回連続箱根駅伝に出走し、3年次4区で6位と好走を見せ4年次には2区を任された江頭賢太郎氏(平29商卒)を特集します。(この取材は12月8日に行われたものです) ◆江頭氏の箱根成績◆学年個人成績チーム1年不出場6位2年10区10位4位3年4区6位14位4年2区19位18位ーー大学4年間を振り返っていかがでしたか。 「それなりに充実はしていたと思いますし、社会に出て生きることもたくさん学べたのではないかと思います」ーー4年間の中で一番印象に残っている出来事やシーンはありますか。 「2年次で一番最初に箱根を走った時は、一番印象が強いというか、夢の舞台で走れているんだなという気持ちが強かったです」ーー当時の部の雰囲気はいかがでしたか。 「先輩が厳しかったというのは感じていたのですが、厳しい中でも抜くところは抜く、遊ぶところは遊んでみたいな。メリハリのある良い雰囲気だと感じました」ーー西弘美駅伝監督はどのような方でしたか。 「西さんは面倒見の良いおじさんという感じでした(笑)。そんなに怒るわけでもなく、『あれやれこれやれ』と言うわけでもなく、僕たちの自主性に任せてやらせてくれる人という印象が強いです」ーー陸上生活にピリオドを打とうと思ったきっかけは何でしょうか。 「最終目標が箱根みたいなところがあったので。陸上を使って受験をして大学に来てみたいな感じだったので、ここから先は勉強している皆さんと足並みをそろえて戦っていけたら良いんじゃないかと。でも、陸上がしんどかったというのが大きかったですね」 ーー箱根駅伝には3回出場されましたが、振り返っていかがでしょうか。 「可もなく不可もなくという結果だったのではないかなと。自分らしいっちゃ自分らしい、無難な結果を残したんじゃないかなと思います(笑)。最後の2区19位だけは悔しいですけど、自分の実力からしたら妥当かなという。悔いがあるとかはないです」3度箱根駅伝を走った江頭氏ーー2年次は10区を走って4位のゴールテープを切りました。 「1番注目される区間の一つではあるので、実力は別にしても。走れる喜びというのを、もしかしたら競技をしていて初めて感じたかもしれないという場面でした」ーー3年次は4区を任されて区間6位でした。 「結果としてその年は良くなかったので、どちらかというと少し悔しいと思うところがありますね。もともと個人としても3区あたりで行けるかなと思っていたんですけど、結果的に4区を走ることになって。それなりに課題の残るというか、そんな箱根だったかと思います」ーー4年次にはエース区間の2区を走りました。 「正直実力からしてそこを走るというのはプレッシャーというか、ちょっと無理なんじゃないかと思うこともありました。結果はあまり良くなかったですけど、前半10キロまではキロ3分切って入れて、そこからめちゃくちゃ崩れたわけでもなく、一応それなりの結果で走り切れたというのは自分としては及第点かなとは思っています(笑)。チームとして1区が良くなくて、そこを盛り返せるような走りが本当はできなければいけなかったかなと思うところもありますね」ーー最後の箱根は18位という過去最低の順位でした。 「僕はこれが引退レースだったので、そんなに悔しがるでもなく。でも、射場(雄太朗=平29政経卒・現上武大駅伝部コーチ)とかに関しては直前に怪我で走れなくなったりもしたのでやっぱり悔しい面も大きかったかなと思います」ーー箱根駅伝がくれたものは何でしょうか。 「普通の人ではできない経験だと思うので、人間としての経験値はだいぶ上がったのではないかと思います」ーー現役学生へエールをお願いします。 「今、予選会も良い調子で来ていて、全日本はギリギリシード取れなくて悔しい結果だったとは思うんですけど、坂口(裕之駅伝主将・政経4=諫早)中島(大就・商3=世羅)あたりが復調してまた走れれば、そこそこ強いチームだと思うので、自信を持って走ってもらいたいなと思います。僕がいた当時、全然箸にも棒にも掛からないような選手が、今三大駅伝走るぐらいになっているので、そういうのも楽しみにしながら応援していたいと思います」ーーありがとうございました。[川和健太郎]次回のアップは12月14日(金)です。お楽しみに!READ MORE