

乙守勇志 絶えぬ向上心でさらなる高みへ
安定した走りとスパートが強みの乙守勇志(政経1=大阪)。全国高校駅伝(以下、都大路)での悔しい経験を糧に持ち前のストイックさと多くの人との関わりで大きく成長してきた。大阪からやってきた逸材が明大競走部の一翼を担う。
陸上の世界へと
陸上を始めたのは中学1年次。もともとサッカーをしていたが、小学生の頃に参加したマラソン大会で走る楽しさを見いだし、自分に向いていると実感したことがきっかけだった。練習をした分だけタイムとして成果が目に見える陸上競技。乙守はその魅力にみるみる引き込まれていった。
悔しさをバネに
顧問の先生から誘いを受け、強豪・大阪高に進学する。1年生ながら都大路に出走し、3区を任されるも区間35位。この時のレースを「チームに迷惑を掛けてしまい陸上人生で一番悔しい結果だった」と振り返る。そこから乙守は努力を重ね3年次にはインターハイ予選で自己ベストを更新。1500メートル3位で本戦出場を決める。しかし、続くインターハイでは予選敗退に終わりまたも全国の壁の高さを痛感した。それでも自身を「負けず嫌いな性格」と分析する乙守は腐ることなく、より一層高い舞台を意識するように。高校の同期である原悠太(帝京大)や林龍正(順大)など、奮起させてくれる良きライバルの存在。そして「普段の過ごし方で競技成績も変わってくる」という指導方針のもと、陸上面だけでなく生活面でも成長させてくれた恩師の存在もあり、乙守は着実に実力を伸ばしていった。
新天地での誓い
箱根駅伝(以下、箱根)に憧れもあった乙守は今まで育った関西を離れ箱根出場回数64回、総合優勝回数7回を誇る明大へ。文武両道であり、自主性を意識した練習方針に強く惹かれた。この1年間の目標は「高校次から走ってきた5000メートルで13分台を出すこと、その次に1万メートルで28分台を出すこと、そして最終的に箱根のメンバー争いに絡む力を付けること」。乙守の向上心は尽きない。しかしやみくもに目標を語るわけではない。常にリズム良く走ることを心掛けるなど毎回の練習を意味のあるものにしようとしたり、ベストな体重から離れないように日々気を付けたりと言葉の裏には確かな努力がある。また「競技を始めて良かったことはさまざまな人と関わるようになったこと」。尊敬する馬場勇一郎(政経4=中京大中京)や仲の良い同期である石堂壮真(政経1=世羅)など大学でも刺激を受ける存在が身近にいる。頼れる仲間たちと共に人一倍努力を重ねる新星は明大競走部をさらに熱くしてくれるに違いない。
[加藤菜々香]
◆乙守 勇志(おともり・ゆうし)政経1、大阪高。趣味はアニメ観賞。最近は無職転生を見ている。169㌢52㌔。
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