

高田将太郎 明大に勝利を
高校水球の強豪・明大中野高から偉業を成し遂げた期待のルーキーが明大に入学した。高田将太郎(法1=明大中野)は、高校最後の1年で全国大会優勝を3度経験。勝ちを知る努力の天才が、明大での成長と勝利を誓う。
水球との出会い
「水球に出会えて良かった」。小学生時代から水泳を経験し、泳力と体力に自信のあった高田。明大中野中に入学し、「自分の強みを生かせる」と感じ、それまで無縁だった水球部に入部する。同中の水球部は東京都では負けなし、全国大会出場常連の強豪だ。高田は体が小さく「当たり負けてばかりだった」。体格差に悩まされ、なかなか出場機会に恵まれない。しかし「練習だけは誰にも負けない」といつか仲間と試合に出ることをモチベーションに自主練などに多くの時間を割いた。その結果、全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会で中学最後の出場がかなうことに。しかし、新型コロナウイルスの影響で中止になり、その悔しさから高校でも水球を続けることを決意した。
高校で得たもの
「付いていくのに必死だった」。明大中野高は高校進学のタイミングで多くのスポーツ推薦学生が入学する。高田は負けまいと食トレ、筋トレに励むなど、フィジカル面での強化を徹底。週6の猛練習に取り組み、迎えた高校最後の夏。インターハイの決勝では拮抗(きっこう)した試合展開のなか、終了わずか1秒前にキャプテンがゴール。逆転勝利となり、見事高校水球の頂点に立った。「監督と同期と泣いて抱き合ったのが一番の思い出」。あの時見た景色、味わった感情が彼の今の原動力となっている。一方で「自分の得点を記録に残したかった」。自身の得点を挙げられなかったことに対し、悔しさを残した。その後迎えた、柏崎潮風カップ。苦しい展開の中で高田は見事に3得点を達成。「6年間、努力してきて良かったと思えた」。チームを優勝に導き、目標であった全国3冠(インターハイ、国体、柏崎潮風カップの三つの全国規模の試合のこと)をかなえた。
大学水球での夢
武器はドライブ。相手の意表を突くことをイメージしているという。一方で課題はパワー。レベルの高い大学水球界で活躍するため、高田はさらなる鍛錬に励んでいる。「夢は他大に進んだ高校の同期たちに明大のキャプテンになって勝つこと」とかつては仲間だったライバルたちに戦線布告。3年後主将となり明大を勝利に導くことを期待したい。
[岩田英佑]
◆高田 将太郎(たかた・しょうたろう)法1、明大中野。177センチ・69キロ。趣味は映画鑑賞、1日で2個見に行くこともあるそう
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