

篠田真吾 不断の努力で勝利をつかみ取る気鋭の新人
型にとらわれない動きで瞬時に相手を突く。篠田真吾(政経1=富山県立福岡)は大学入学後初の大会となった日本学生カップで1年次ながらチーム内最高順位を記録するなど、早くも存在感を放った。不屈の闘志でフェンシング部に新たな希望の光を灯す。
家族の存在
小学3年次の時にロンドン五輪で活躍した太田雄貴氏を見て始めたフェンシングだが、篠田自身小学生の時は練習に意欲的ではなかった。しかし小学6年次の時に転機が訪れる。全国大会で入賞したことで、以前は運動に対する好みが合わず競技に消極的だった父親が協力的になったのだ。そんな家族の姿を見て「フェンシングに対して前向きになった。もっと頑張ろうと思った」と積極的に練習に励むように。大学進学で悩んでいる時にも「自分のやりたいことをやりなさい」という両親の言葉で明大進学を決めた。二人三脚で歩んできた家族の存在は篠田に好影響をもたらした。
苦難の日々
高校2年次でインターハイ3位入賞など華々しい成績を収めてきた篠田。しかし高校3年次の時、それらの過去の栄光がプレッシャーとなりスランプに陥ってしまう。練習に行くことも苦しかったが、それでも「フェンシングを辞めたいと思ったことは一度もない」。今までのファイティング中心の練習からフィジカルなどの基礎練習に戻し、コーチと一緒に試合のビデオを見て今と昔では何が違うのかを客観的に分析。そして今の自分に必要なものを踏まえ、一からトレーニングをやり直すということを意識した。辛いときでも常に持ち続けた〝フェンシングが好き〟という思い。その思いが実を結び、自分の武器である型にとらわれない攻撃を生かしたスタイルを取り戻した。
新たな舞台
大学シーズン前半は初めて経験した団体戦に苦戦し、自身の強みである思い切りの良さを生かせなかった。しかし休日には友達に聞いた栄養バランスを考えた食事を自分で作ったり、筋トレに励んだりする程のストイックさを持っている。チーム内では「個人戦だけでなく、団体戦でも仲間を引っ張る存在になりたい」と意気込んだ彼が、関東学生リーグ戦1部昇格を目指す明大フェンシング部にとってキーパーソンになることは間違いない。
[下元天花]
◆篠田 真吾(しのだ・しんご)政経1、富山県出身。特技は体が柔らかいことで、開脚で180度以上開くことができる。171センチ・63キロ
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