(216)【特別企画】濱西諒 4年間の歩み

競走
2023.03.26

 3月19日に行われた全日本競歩能美大会(以下、能美競歩)が、濱西諒(文4=履正社)の学生ラストレースとなった。ラストイヤーは初戦の関東学生対校選手権(以下、関東インカレ)で優勝を果たし、能美競歩では全日本8位、学生5位と好成績で4年間を締めくくった。エースとして明大競歩をけん引してきた濱西の大学4年間の歩みを振り返る。

 

 野田明宏(平30商卒・現自衛隊体育学校)、古賀友太(令4商卒・現大塚製薬)など世界で活躍する選手を輩出してきた明大。高校3年次の国民体育大会(以下、国体)で優勝した濱西も2人の後を追い、名門・明大の門をたたいた。入部した同期の中で競歩部門は濱西のみ。入学当初は練習を1人で行うことが多かったが徐々に競歩部門の先輩や部門を越えて同期とも打ち解け、チームになじんでいった。2年次になると「時間の使い方や計画性の部分で成長できた」。新型コロナウイルスの影響で生活様式が変化する中でも、時間をうまく活用し練習に打ち込んだ。結果、1万メートルWや20キロメートルWで自己ベストを更新し、全日本学生対校選手権(以下、全日本インカレ)では7位入賞。3年次でも関東インカレで2位、全日本インカレで3位に輝き、積み重ねた練習が結果に表れた。

 

 最終学年でもその強さは光った。今年度の関東インカレでは他を寄せ付けない圧倒的な歩みを見せ、入学後初の学生大会での優勝を果たす。昨年9月の全日本インカレは6位入賞、昨年10月の国体でも3位に輝き、年末年始も好調を維持できていた。しかし、日本選手権(以下、神戸競歩)を前にした今年1月、故障に見舞われる。「そこで全部台無しにしてしまった気がした」。2月の神戸競歩ではFISUワールドユニバーシティゲームズの日本代表選出を目標に臨むも、ケガの影響で26位という結果に。レース後は「思い描いていたのとは全く違う結果になってしまった」と、悔しさをかみしめた。

 

 そしてその1カ月後に行われた能美競歩が、濱西の学生ラストレースとなった。ケガから練習を再開したのは大会の約2週間前。ケガが再発しないよう、ペースを抑えてレースに臨んだが「いい意味でプランが崩れた」。思いのほか体が動き、次第にペースを上げると最終的に全日本8位、学生5位の好成績でフィニッシュ。自己ベストも更新し、満足のいく結果で有終の美を飾った。

 

 1年次から着々と力を付け、明大のエースとしてチームを引っ張った濱西。「明大で本当にいい4年間を過ごすことができた」。4月からは新天地での競技生活が待っている。大学入学時に掲げた目標は「世界で活躍する選手になること」。その目標は変わらず、これからも世界を目指していく。

 

[覺前日向子]

 

――4年間で成長したと思う部分はありますか。

 「競技面では、体の使い方が高校時代に比べて一番成長したかなと思います。フォームもですし、高校だと距離も短かったので勢いでいけていたところもあったんですが、大学では筋肉や柔軟性の部分で成長しないと勝負にならない場面が数多くありました。こうして最後に20キロで自己ベストを出せたのは、体の使い方が成長した証拠なのかなと思います」

 

――4年間で一番印象に残るレースは何ですか。

 「やっぱり今年度の関東インカレですね。大学に入って初めて学生の大会で優勝して、しかも国立競技場という大舞台で優勝できたのはすごく気持ちよかったです」

 

――最後の1年を振り返っていかがでしたか。

 「4月からずっとしっかり練習ができて、かなり満足のいくシーズンだったと思います。最後、神戸競歩の前にケガしたのが悔やまれますが、総合的に見てもやり切ったと思える1年でした」

 

――濱西選手が思う競歩の魅力は何ですか。

 「審判の存在だったり、歩型のルールだったり、知れば知るほど深くて面白い競技だと思います。ロードレースでは、沿道に立って無料で応援できるのも魅力の一つかなと思います」

 

――次のステージへの意気込みはいかがですか。

 「今までと違って、仕事をしながら競技にも力を入れないといけないので最初は大変だと思います。それでもくじけずに、競技を続ける以上は日本代表を目指して、向上心を持って頑張りたいと思います」

 

――ありがとうございました。