
(37)シーズン後インタビュー 小川菜
掲げた目標の達成を目指して、今シーズンをひたむきに戦い抜いた。今年度の日本学生氷上競技選手権では20年ぶりにアベック優勝を果たし、チームとしても目覚ましい結果を残した。その中でも、近い将来を見据えながら歩み続ける選手もいれば、今シーズンでスケート競技から引退した選手もいる。それぞれが感じる思いを、選手の言葉を通じてお届けする。
(この取材は2月22日に行われたものです)
第7回は小川菜(文4=新潟南)のインタビューです。
――今シーズンを通しての感想をお願いします。
「今シーズンは最後として本当に楽しいシーズンにしたかったのでそれは達成できたかなと思っています」
――今シーズン、自分の中で一番良かった試合は何ですか。
「一番良かったのは1月の日本学生氷上競技選手権(以下、インカレ)です。目標の大会だったので、予選からしっかり突破して最後のシーズンもインカレで滑ることができたのはすごく良かったなと思います」
――今シーズンで成績関係なく一番印象に残っている試合はどの試合ですか。
「東日本学生選手権(以下、東インカレ)はどうしてもインカレに行きたいという気持ちが強く、1年の中では一番緊張する試合でした。東インカレは一番緊張していたし、しっかりやらなければという気持ちが強かったので、結果としてはしっかり予選を進めたのもよかったし、印象に残っています」
――どんな部分がこの1年で成長できたと思いますか。
「この1年では本当に少しなのですが、昨年の途中で先生が変わってからスケーティングを重視する先生だったので、スケーティングをすごく強化するようになって、今まで以上にジャンプやスピンでなく滑りの面に注目してやるようになりました。そのおかげで今シーズンの得点ではジャンプ以外のところで伸びるようになったので、成長したなと思います」
――シーズンを通して滑ってきたプログラムはいかがでしたか。
「ずっと使いたかった曲だったので、飽きることなく滑るたびに気持ち良くなりながらできたかなと思います」
――今シーズンの練習環境はいかがでしたか。
「昨年の10月までは今の東大和のリンクではなく東伏見で練習していました。1年生の時に使っていた高田馬場のリンクが閉鎖してしまってから、2年生の時に移動した矢先に東大和のリンクが工事に入ってしまって、東伏見のリンクに行きました。その時は他のリンクにお邪魔する形だったので練習時間がすごく限られていて、去年の10月までは朝3時に集合して4時から練習みたいなハードなスケジュールでした。それが少しつらかったのですが、昨年の10月に元の東大和のリンクが再開してからは練習できないという不安がなくやりたいたいだけできたのがすごく良かったです」
――大学との両立は大変でしたか。
「4年生なので授業はあまりなかったのですが、就職活動が4年生の初めから夏にかけてあったので、それとの両立が大変でした」
――就職先はスケートと関係はありますか。
「スケートとは全く関係ありません。これからは他のことに集中しようかなと思います」
――大学生活はこの1年いかがでしたか。
「学校に行っていたのは週に1回ほどでほとんど行っていなかったので大学の友達に会うことは少なかったのですが、卒業論文を書いたりして最後に大学生らしく勉強もできたかなと思います」
――スケート人生で一番印象的な試合はどの試合ですか。
「大学1年生の時の関東学生選手権という試合です。1年生の4月か5月ぐらいで、大学生として本当に初めての試合でした。その時はまだコロナの前だったので、たくさん会場に人がいて、違う大学の人でも一緒に壁をたたいたり、大きな声を出して応援をしてくれたんです。そのようなことは今までの大会ではなく、大学生ならではの雰囲気だったので『大学生の試合はこんなに楽しくて温かいんだな』と感激しました」
――今までで一番お気に入りのプログラムは何ですか。
「今の『Never Enough』も好きですが、1年生から3年生まで使った『戦場のメリークリスマス』が一番好きです。大学に入ってから上京してきて先生が変わったのですが、その先生が付けてくれた振り付けがすごく気に入っているのと、元から『戦場のメリークリスマス』という曲がすごく好きだったので、それが本当にお気に入りでした」
――ここまでスケートを続けてきて自分の中で得られたものはありますか。
「あまり実感はありませんが、ここまで長く続けていることは他にあまりないので、うまくいかないときがあってもやめずに続けてこられたことは、継続力だったり諦めない気持ちだったり身にはなったかなと思っています」
――今までのスケート人生で一番楽しかった思い出は何ですか。
「大学に入ってからは合宿が夏にあって、その合宿の中日に陸上トレーニングというのがあるのですが、その時に部員やコーチ、OGも含めてみんなでリレーで対決をするという行事があるんです。今まで地元でスケートをやっていたときは合宿では遊ぶということはなかったので、大学で先輩やOGの皆さんと一緒に最後にお遊びのような感じでリレーを楽しめて本当に良かったです」
――明大スケート部の仲間たちとの思い出はありますか。
「最近はこの間の4年生としての夏の合宿がちょうど同期の岩永詩織(営4=明大中野八王子)の誕生日とかぶっていたので、4年生全員でサプライズでお祝いしました。仲のいい同期で良かったなと思いました」
――4年間の学生生活を振り返っていかがですか。
「学生生活全体としては、スケート以外でも今まで出会ったことのないような人にたくさん出会う機会があったりしたので、本当に人に恵まれた4年間だったなと思います。大学の友達と出会えたのもよかったし、スケート部に入っていろいろな部員と仲良くなれたのが本当に恵まれていて幸せだったなと思います」
――学校生活で楽しかった思い出は何ですか。
「所属しているゼミで卒論の提出が1月にあったのですが、提出した後に先生も含めてみんなで飲みに行きました。コロナ禍でほとんどそういうことがなかったので、最後に普通の大学生のように飲み会とかができて良かったなと思えたいい思い出です」
――4年間で大変だったことはありますか。
「私はリンクを転々とした4年間だったので、1人暮らしで最初は高田馬場のリンクで、2個目は朝の3時に練習に通った東伏見のリンク、今ようやく落ち着いたのが東大和のリンクなのですが、その3カ所に毎回引っ越しをしたり、朝早くに練習に行かなければならなかったことが一番大変でした」
――大変な練習環境でもスケートを続けられたのはなぜですか。
「コロナでリンクが閉まってしまったり、工事で違うリンクに移動して練習時間が少なかったりすると、普段毎日練習しているとたまに行きたくないなと思う時もあるのですが、休んだりすると『やっぱり滑りたいな』と自分の中で思うので、好きな気持ちを再確認できたり、根本として自分はスケートが好きなんだなと思えたのが大変でも続けられた理由だと思います」
――卒業にあたって思うことはありますか。
「就職で同期の仲のいいみんなともばらばらになってしまうので、これでしばらく一緒にいられなくなってしまうなというのはすごく寂しいです。それでも部のみんなと出会えたことがすごく幸せですし、実力のある後輩たちも多いので、そういう子たちと少しでも関わりを持てたのがすごくうれしくて、これからも楽しみに見ようかなと思っています」
――今まで応援してきてくださった方々に向けてメッセージをお願いします。
「私は5級で他の部員よりは実力も不足していますが、そんな私のことも拾って応援してくださる方もいらっしゃって4年間本当にうれしかったです。そしてもちろん素晴らしい部員とともに私自身のことを応援してくださったり、明治大学のスケート部のことを応援してくださって感謝の気持ちでいっぱいです。これからもどうぞスケート部をよろしくお願いします」
――ありがとうございました。
[増田杏]
(写真は本人提供)
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