

(29)北京パラ直前企画 競技ガイド/スノーボード
普段は体育会を取材する明スポが3月4日から開幕する北京パラリンピックに注目! 大会開幕に合わせ、全6競技の説明やみどころを紹介する。こちらのガイドをお供にぜひパラリンピック観戦を!
スノーボードは老若男女、経験の有無を問わず、現在は名実共にレジャースポーツである。スノーボードが冬季五輪で初めて正式種目に採択されたのは、1998年の日本の長野冬季五輪。これに対し、パラスノーボードがパラリンピックの正式種目に採択されたのは、2018年の平昌冬季パラリンピックからとパラ五輪では新しい競技だ。
五輪のスノーボードではパラレル・ジャイアントスラローム、スノーボードクロス、ビッグエア、ハーフパイプ、スロープスタイルの5種目(男女区分)が行われる。一方、パラ五輪のパラスノーボードではスノーボードクロス、バンクドスラローム、計二つの競技が競技等級(上肢障害と下肢障害)によって10種目に分けられ、それぞれ違う人工コースで行われる。
競技に使うボードは、普通のボードより硬くて幅の狭いものを使う。バインディングはボードの長い部分の上に斜めに固定されており、調整することで選手の障害要素を補うことができる。
パラスノーボード競技は障害のタイプや重さによって種目が分かれる。男女競技ともSB-LL1、SB-LL2の二つの下肢障害種目に分かれる。SB-LL1クラスは、膝上切断のような足の重篤な障害や両足の重篤な複合障害の場合である。SB-LL2クラスは、下肢障害がSB-LL1より小さい場合に該当する。男子選手の場合、バランスに影響を与える上肢障害のある選手はSB-UL等級を受けることになる。
まず、スノーボードクロスは、長さ500-1000メートルのコース上に、障害物の位置をあらかじめ知らせる青と赤の三角形の旗門が設置されている。またモトクロストラックと同様に、バンク、ボム、ローラーといったさまざまな障害物を備えている。予選は選手がコースを1人で走行し、2回の記録の中で最も速い記録で順位を決定。決勝戦は、2人同時にスタートして先にゴールした選手が勝ち上がり、次のラウンドに進出できる。
バンクドスラロームでは、障害物やすべり台が設置されたコースの上を滑走する。バンクドスラロームはパラリンピックにしかない競技だ。スノーボードの回転競技の一つで、スロープに設置された旗門コースを回転して降りながら記録を競う競技である。各選手は3回の走行記録の中の最高記録で順位を決める。
パラ五輪でしか見られない種目もあるパラスノーボード。多くの選手が早く決勝戦を通過するために思いっきり疾走する姿に注目だ。
[ジンセウン]
※写真/PARAPHOTO/比嘉優樹
写真/PARAPHOTO/山下元気
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(34)明大OBパラリンピアン・森宏明選手に明スポ記者がインタビュー!
明大スポーツ新聞 2022.05.313月14日に閉幕した北京パラリンピック。クロスカントリースキーの日本選手団で唯一、座位カテゴリーに出場した森宏明選手(平31文卒・現朝日新聞社/HOKKAIDO ADAPTIVE SPORTS)。現在は朝日新聞社のスポーツ事業部で働きながら選手活動を続けている。今回は明大OBである森選手に北京パラリンピックのことや在学時のことについてお話を伺った。(この取材は4月7日に行われたものです) 野球少年だった森選手は小さい頃からスポーツに携わりたいと思っていた。高校時代の野球部ではエースで4番を担っていた。しかし、2013年に事故に遭い、パラスポーツに関わり始めることに。明大には2015年に入学し、文学部心理社会学科現代社会学専攻でに所属。大学3年次に荒井秀樹さん(北海道エネルギーパラスキー部監督、北京パラリンピックノルディックスキー日本代表チームリーダーなど)に声を掛けられ、クロスカントリースキーを開始する。競技を開始した傍ら、授業やアルバイトなど大学生活も充実させる。 ――3年次に競技を始められたというのを拝見しました。それまではどのようなことをされていましたか。 「普通の大学生で、アルバイトをして講義を受けて帰ってみたいな学生をしていました」 ――アルバイトは何をされていましたか。 「アルバイトはスポーツ施設で働いていました。出身が板橋区で、ずっとそこに住んでいたので、区のスポーツ施設で4年間アルバイトをしていました。トレーニングジムの事務スタッフもやりましたし、お金の受付の事務もやりました。なので、スポーツを始める前からとりあえず趣味的に鍛えていて、それで競技を始めるとなった時に元々基礎の体があったので始められました」 ――現代社会学専攻ではどのようなことを学ばれていましたか。 「フィールドワークですね。SDGsの先駆けのようなことを授業でやっていました。サステナブルな工夫をしているところに行って話を聞くような環境社会学系のゼミをやっていました。無農薬の東南アジアの各国の発展途上国の農村リーダーを育成する農業学院が栃木にあってそこに行きました。夏休みには泊まり込みで農業体験をやっていましたね」 競技開始から5年で初めてのパラリンピックに挑んだ森選手。クロスカントリースキー男子スプリント(座位)で31位、男子10キロ(座位)で30位だった。また混合リレーにも出場し7位で入賞を果たした。北京大会から1カ月ほどたった今、次の目標を伺った。 「次の目標はやはり4年後も目指しています。今回、個人種目は散々だったのですが、サプライズでリレーを走らせてもらい、そこでは一応入賞をもらうことができました。その現状を踏まえると、また同じような競技をするのかというとそれはもちろんだめなので、やはり個人できちんとメダルを取れるくらいの準備をしないといけないなというのが自分の中では中期の目標ではあります。もっと言うと、少し何か自分の中で新しいチャレンジをしたいなと思っています。何をするかというと、新たに陸上競技をやろうかなと。クロストレーニングが最近割と主流じゃないですか。二刀流をどこまでできるか分からないしですし、パリ大会も本当に目指せるか分からないのですが、一つ自分のチャレンジとしてやってみたいなと思います。具体的に、何の種目をやるかというのはまだ決めてないです」 ――今回の北京大会では、陸上競技と冬季スポーツを兼用している選手が多いと感じました。 「そうですよね。冬季スポーツは座って競技しているので、上腕の筋力が必要なのですが、夏季スポーツになると下半身の筋力が必要になってくるのでそこをどう使うかということがあります。夏冬両立というのは基本的にプレースタイルが似ていて、強化するべき部分が似ている競技をチョイスしている人が多いので、それは相乗効果でクロストレーニングの意味はあると思っています。ただ、僕の場合はどうなるのかなと思っています。いい意味で変に負荷を掛け過ぎないでシーズンごとで強化するポイントを変えるというのはケガのリスクは少ないのかなとは思います。『今日はこの上腕メニュー、次の日は……』と構築できるかなと思いますが、難しいですね」 今大会でクロスカントリースキーの座位カテゴリーからは唯一の出場となった森選手。自身が競技を始めた際も日本には座位カテゴリーの選手がいなかったという。北京大会前の会見でも「これからのシットスキーヤーがこれから始めようとか頑張ろうというきっかけにもなれたらいいな」と話していた。 「僕は『なんでここまで続けてきたのですか』とよく聞かれるのですが、課題感があったからと言います。僕が始めた時に僕1人しか座位のカテゴリーで競技者がいなかったので、それが始めるきっかけではありました。4年間目指す中で、僕は自分の強化と競技普及を両軸で進めてきたところもあって、そのおかげなのか、時代の流れ的に、競技者が増えました。結果的に、国内には僕以外にも何人かは選手がいる状態で、自分が活動してきた意味はあったのかなと思います。正直僕は今までスポーツをずっとやってきましたが、正直活躍のフィールドはスポーツではなくていいと思っています。今度はさらに、これから札幌の招致があり、そのときに活躍できる子たち、札幌を目指す子がもし出てくるのであれば、僕はそこのお手伝いをしたいかなと思っています」 ――ありがとうございました。 取材を終えて 初のパラリンピックを終え、4年後を見据える上で現状に満足せず新たなチャレンジへ意欲をみせる姿が特に印象に残った。〝前へ〟進み続ける姿に明大生として感銘を受けた。学生記者として、スポーツに携わる者としてスポーツへの関わり方、パラスポーツの捉え方の新たな価値観に気付くきっかけとなった。明大生としてこれからも森選手の活躍を応援したい。 [聞き手:出口千乃、宮本果林、萩原彩水]READ MORE -
(33)大学生パラリンピアン・川除大輝選手 インタビュー
明大スポーツ新聞 2022.04.283月14日に閉幕した北京パラリンピックで一人の大学生が快挙を成し遂げた。クロスカントリースキー男子20キロクラシカル立位で、日本選手団の旗手を務めた川除大輝(日大/日立ソリューションズJSC)が金メダルを獲得。冬季パラリンピックで日本男子金メダリスト最年少記録の更新だけでなく、他種目でも入賞を果たし、まさにパラクロスカントリースキー界の次世代エースとも呼べる川除。そこで今回、明大スポーツは私たちと同じ大学生である川除のことを大学生世代にさらに知ってもらうために北京大会の振り返りや普段の練習、パラスポーツのことについてお話を伺った。(このインタビューは4月7日にオンラインで行われたものです) ――北京パラリンピックが終わってからの反響は大きかったですか。 「そうですね。終わってから、レースが終わった後もLINEですごい通知がたくさん来ました。その後地元に帰っても大会がありました。参加したら子どもたちからも『メダル見せて』と声を掛けられ、反響があったので注目されていたんだなというのを感じました」 ――北京の選手村はどのような感じでしたか。 「選手村は日本の棟があって、クロスカントリースキーとスノーボードが一緒でした。食堂が歩いて5分くらいの所にあり、あとは卓球などもできるような場所もありましたし、VR体験のできる所などゲームができる場所もありました。スポーツをしに行っているけど、楽しめる場所もあったので、快適な場所だなと思いました」 ――他の国の選手との交流はありましたか。 「僕はあまり、英語は話せないんですけど、優勝した時は『おめでとう』と言ってもらいました。あとは中国のボランティアの方が日本人と気さくに話してくれる人が多くて、日本語を話せる人が多かったです。『日本のピンバッジをくれるか』なども聞かれたりしていました」 ――実際に金メダルを獲得された時はどのように思いましたか。 「ゴール直後はガッツポーズをして喜んでいましたが、本当に優勝したのかなという感じでした。メダルセレモニーの時にメダルをもらい、金メダルを目にしてようやく実感が湧いてきました」 ――事前の会見で、以前新田佳浩選手(日立ソリューションズ)が旗手をされて自分もその道をたどっていきたいとおしゃっていましたが、今現在はいかがですか。「この流れでまた4年後、旗手はたぶんもうないですが、主将はあると思うので、そういったところにもし選ばれたとしたら、やはりそれ相応の結果を出さないといけないと思います。でもそこにプレッシャーを感じていても上手くいかなくなったりするので、自分の今までやってきたことを出して、新田選手のようにメダルをたくさん取れる選手になれたらいいなと思います」 ――普段はどこで練習されていますか。「普段は日本大学のスキー部に所属しているので、寮周辺だったり、高尾山の山を登ったり、基本東京都内で練習しています。月1回パラリンピックの強化合宿があるので、合間を縫ってそちらに参加して練習しています」 ――スキー以外で何かスポーツはされたことはありますか。「小学校に入る前は水泳をやっていましたが、全然今は泳げないです。あと小学3年生の時は半年だけサッカーをやっていて、すぐ辞めてまたスキーに戻ってという感じでやっていました」 ――ご自身の強みは何だと思いますか。「上り坂がやはり強みだと思っています。クラシカルだとポールを持っている選手と同じスピードで上っていけることができて、そこがタイムを稼げる場所かなと自分では思っています。下りはポールがないと詰められなくて、タイムが稼げないので、やはり上りが強みかなと思います」 ――クロスカントリースキーを見る人に注目してほしいところはありますか。「マラソンと似ている部分がありますが、違うところは雪の上を滑って、自然がきれいなところを進んでいくので、そういうところを注目して見てもらいたいです。パラでいうと、ぱっと見はクラスや計算タイムがあって難しいですが、そのようなところも深く知れば面白いと思うので、知ってもらえたらなと思います」 ――クロスカントリースキーをやっていて面白いと思うところはありますか。「長くやっているからだと思いますが、自分が上達していくことがまずはすごく楽しいなと感じています。結果も出るようになってくるのも自分の中では楽しい要因だと思いますが、そこから自然の中を滑るというのも気持ちいいですし、そういったことが楽しいです」 ――北京が終わった今の目標はありますか。「次の4年後でも金メダルを取りたいという目標はありますし、あとはワールドカップで総合優勝したいというのも目標です」 ――若い世代の冬季のパラスポーツ選手があまりいないことについてはいかがですか。「若い選手があまり出てこない、見つけられないというのがあると思います。そこで下(の世代)が来ないから、上の(世代の)人たちも続けるしかないという状況になっていると思うので、そこは僕たちもできることはやろうと思いますが、普及などが進めばそういうことはなくなっていくだろうと思います」 ――パラスポーツの魅力を教えてください。「最大限に体を使ってのパフォーマンスをみんながしているので、こういうこともできるんだというのを見てもらいたいです。あとは他の人たちに勇気をかなり与えられると思うので、そういったところを見てもらえればパラスポーツはもっと面白くなると思います」 ――今後の意気込みをお願いします。「スキーはパラリンピックだけではないので、来季はワールドカップもあります。そこに向けてこの1年間しっかり調整して、その流れで4年後に向けてまた金メダルを取れるように頑張りたいと思います」 ――パラスキー、パラスポーツをこれから始める若い世代に向けてのメッセージをお願いします。「最初はやはりどの人でも同じだと思いますが、スポーツを楽しむということが大切だと思うので、遊び感覚でいいからまずはやってみるのが大切かなと思います。そこからやりたいことがどんどん見つかっていくと思うので、自分がやりたいことを見つけてやっていってもらえればいいなと思います」 ――ありがとうございました。 [出口千乃、萩原彩水、渡辺悠志郎]◆川除 大輝(かわよけ・たいき)日大。北京パラリンピックで金メダルを獲得。 ※写真は本人提供READ MORE -
(32)明スポ記者が聞く! 大学生金メダリスト・川除大輝が見る景色とは
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