

(26)北京パラ直前企画 競技ガイド/アイスホッケー
普段は体育会を取材する明スポが3月4日から開幕する北京パラリンピックに注目! 大会開幕に合わせ、全6競技の説明やみどころを紹介する。こちらのガイドをお供にぜひパラリンピック観戦を!
パラアイスホッケーは下肢に障害のある選手がアイスホッケーのルールを一部変更して行うスポーツである。『スレッジ』と呼ばれるスケートの刃を2枚付けた専用のそりに乗り、左右の手にスティックを1本ずつ持って競技を行う。
GKを含めた6人でプレーを行い、交代は随時可能。ゲーム進行中に交代することもある。
リンクの中央にあるセンターアイススポットで、レフェリーの落としたパックを両チームが奪い合うフェイスオフからゲームは始まる。選手はスティックを使ってパスをしながらシュートを打ち、相手チームのゴールにパックを入れようとする。パックが相手のゴールラインを完全に超えると1点。ゴールライン上に少しでもパックが重なっている場合は得点にはならない。
試合は15分×3ピリオド制で、それぞれのピリオド間には15分のインターバルを挟む。終了時点で同点の場合は延長戦を行い、先に得点を挙げたチームが勝者となる。延長戦でも決着がつかない場合には、シュートアウト(ペナルティーショット)により勝敗を決定する。
冬季パラリンピックの花形競技、アイスホッケー。選手同士の接触が認められており、〝氷上の格闘技〟とも呼ばれるほど迫力のある競技だ。速いパス回しに加えて、鮮やかにゴールを奪う姿は見る人を魅了する。
北京パラリンピックの出場枠はわずかに8つ。そのうちの最後の2枠を懸けて、昨年11月末から6チームの総当たり戦による最終予選が行なわれた。日本は2大会連続出場を目指して挑んだものの、結果は5戦全敗で6チーム中最下位。北京パラリンピックへの出場権を逃した。
北京パラリンピックに出場する8チームの中での一番の注目は現在3連覇を果たしているアメリカだ。前回大会の優勝メンバーの半分以上が今大会も名を連ねている。対するはアイスホッケーが国技のカナダだ。アメリカに惜敗し銀メダルに終わった前回大会の雪辱を果たせるか。両者の対戦が実現すれば、こちらの対戦カードも見逃せない。
[萩原彩水]
※写真/PARAPHOTO/秋冨哲生
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(34)明大OBパラリンピアン・森宏明選手に明スポ記者がインタビュー!
明大スポーツ新聞 2022.05.313月14日に閉幕した北京パラリンピック。クロスカントリースキーの日本選手団で唯一、座位カテゴリーに出場した森宏明選手(平31文卒・現朝日新聞社/HOKKAIDO ADAPTIVE SPORTS)。現在は朝日新聞社のスポーツ事業部で働きながら選手活動を続けている。今回は明大OBである森選手に北京パラリンピックのことや在学時のことについてお話を伺った。(この取材は4月7日に行われたものです) 野球少年だった森選手は小さい頃からスポーツに携わりたいと思っていた。高校時代の野球部ではエースで4番を担っていた。しかし、2013年に事故に遭い、パラスポーツに関わり始めることに。明大には2015年に入学し、文学部心理社会学科現代社会学専攻でに所属。大学3年次に荒井秀樹さん(北海道エネルギーパラスキー部監督、北京パラリンピックノルディックスキー日本代表チームリーダーなど)に声を掛けられ、クロスカントリースキーを開始する。競技を開始した傍ら、授業やアルバイトなど大学生活も充実させる。 ――3年次に競技を始められたというのを拝見しました。それまではどのようなことをされていましたか。 「普通の大学生で、アルバイトをして講義を受けて帰ってみたいな学生をしていました」 ――アルバイトは何をされていましたか。 「アルバイトはスポーツ施設で働いていました。出身が板橋区で、ずっとそこに住んでいたので、区のスポーツ施設で4年間アルバイトをしていました。トレーニングジムの事務スタッフもやりましたし、お金の受付の事務もやりました。なので、スポーツを始める前からとりあえず趣味的に鍛えていて、それで競技を始めるとなった時に元々基礎の体があったので始められました」 ――現代社会学専攻ではどのようなことを学ばれていましたか。 「フィールドワークですね。SDGsの先駆けのようなことを授業でやっていました。サステナブルな工夫をしているところに行って話を聞くような環境社会学系のゼミをやっていました。無農薬の東南アジアの各国の発展途上国の農村リーダーを育成する農業学院が栃木にあってそこに行きました。夏休みには泊まり込みで農業体験をやっていましたね」 競技開始から5年で初めてのパラリンピックに挑んだ森選手。クロスカントリースキー男子スプリント(座位)で31位、男子10キロ(座位)で30位だった。また混合リレーにも出場し7位で入賞を果たした。北京大会から1カ月ほどたった今、次の目標を伺った。 「次の目標はやはり4年後も目指しています。今回、個人種目は散々だったのですが、サプライズでリレーを走らせてもらい、そこでは一応入賞をもらうことができました。その現状を踏まえると、また同じような競技をするのかというとそれはもちろんだめなので、やはり個人できちんとメダルを取れるくらいの準備をしないといけないなというのが自分の中では中期の目標ではあります。もっと言うと、少し何か自分の中で新しいチャレンジをしたいなと思っています。何をするかというと、新たに陸上競技をやろうかなと。クロストレーニングが最近割と主流じゃないですか。二刀流をどこまでできるか分からないしですし、パリ大会も本当に目指せるか分からないのですが、一つ自分のチャレンジとしてやってみたいなと思います。具体的に、何の種目をやるかというのはまだ決めてないです」 ――今回の北京大会では、陸上競技と冬季スポーツを兼用している選手が多いと感じました。 「そうですよね。冬季スポーツは座って競技しているので、上腕の筋力が必要なのですが、夏季スポーツになると下半身の筋力が必要になってくるのでそこをどう使うかということがあります。夏冬両立というのは基本的にプレースタイルが似ていて、強化するべき部分が似ている競技をチョイスしている人が多いので、それは相乗効果でクロストレーニングの意味はあると思っています。ただ、僕の場合はどうなるのかなと思っています。いい意味で変に負荷を掛け過ぎないでシーズンごとで強化するポイントを変えるというのはケガのリスクは少ないのかなとは思います。『今日はこの上腕メニュー、次の日は……』と構築できるかなと思いますが、難しいですね」 今大会でクロスカントリースキーの座位カテゴリーからは唯一の出場となった森選手。自身が競技を始めた際も日本には座位カテゴリーの選手がいなかったという。北京大会前の会見でも「これからのシットスキーヤーがこれから始めようとか頑張ろうというきっかけにもなれたらいいな」と話していた。 「僕は『なんでここまで続けてきたのですか』とよく聞かれるのですが、課題感があったからと言います。僕が始めた時に僕1人しか座位のカテゴリーで競技者がいなかったので、それが始めるきっかけではありました。4年間目指す中で、僕は自分の強化と競技普及を両軸で進めてきたところもあって、そのおかげなのか、時代の流れ的に、競技者が増えました。結果的に、国内には僕以外にも何人かは選手がいる状態で、自分が活動してきた意味はあったのかなと思います。正直僕は今までスポーツをずっとやってきましたが、正直活躍のフィールドはスポーツではなくていいと思っています。今度はさらに、これから札幌の招致があり、そのときに活躍できる子たち、札幌を目指す子がもし出てくるのであれば、僕はそこのお手伝いをしたいかなと思っています」 ――ありがとうございました。 取材を終えて 初のパラリンピックを終え、4年後を見据える上で現状に満足せず新たなチャレンジへ意欲をみせる姿が特に印象に残った。〝前へ〟進み続ける姿に明大生として感銘を受けた。学生記者として、スポーツに携わる者としてスポーツへの関わり方、パラスポーツの捉え方の新たな価値観に気付くきっかけとなった。明大生としてこれからも森選手の活躍を応援したい。 [聞き手:出口千乃、宮本果林、萩原彩水]READ MORE -
(33)大学生パラリンピアン・川除大輝選手 インタビュー
明大スポーツ新聞 2022.04.283月14日に閉幕した北京パラリンピックで一人の大学生が快挙を成し遂げた。クロスカントリースキー男子20キロクラシカル立位で、日本選手団の旗手を務めた川除大輝(日大/日立ソリューションズJSC)が金メダルを獲得。冬季パラリンピックで日本男子金メダリスト最年少記録の更新だけでなく、他種目でも入賞を果たし、まさにパラクロスカントリースキー界の次世代エースとも呼べる川除。そこで今回、明大スポーツは私たちと同じ大学生である川除のことを大学生世代にさらに知ってもらうために北京大会の振り返りや普段の練習、パラスポーツのことについてお話を伺った。(このインタビューは4月7日にオンラインで行われたものです) ――北京パラリンピックが終わってからの反響は大きかったですか。 「そうですね。終わってから、レースが終わった後もLINEですごい通知がたくさん来ました。その後地元に帰っても大会がありました。参加したら子どもたちからも『メダル見せて』と声を掛けられ、反響があったので注目されていたんだなというのを感じました」 ――北京の選手村はどのような感じでしたか。 「選手村は日本の棟があって、クロスカントリースキーとスノーボードが一緒でした。食堂が歩いて5分くらいの所にあり、あとは卓球などもできるような場所もありましたし、VR体験のできる所などゲームができる場所もありました。スポーツをしに行っているけど、楽しめる場所もあったので、快適な場所だなと思いました」 ――他の国の選手との交流はありましたか。 「僕はあまり、英語は話せないんですけど、優勝した時は『おめでとう』と言ってもらいました。あとは中国のボランティアの方が日本人と気さくに話してくれる人が多くて、日本語を話せる人が多かったです。『日本のピンバッジをくれるか』なども聞かれたりしていました」 ――実際に金メダルを獲得された時はどのように思いましたか。 「ゴール直後はガッツポーズをして喜んでいましたが、本当に優勝したのかなという感じでした。メダルセレモニーの時にメダルをもらい、金メダルを目にしてようやく実感が湧いてきました」 ――事前の会見で、以前新田佳浩選手(日立ソリューションズ)が旗手をされて自分もその道をたどっていきたいとおしゃっていましたが、今現在はいかがですか。「この流れでまた4年後、旗手はたぶんもうないですが、主将はあると思うので、そういったところにもし選ばれたとしたら、やはりそれ相応の結果を出さないといけないと思います。でもそこにプレッシャーを感じていても上手くいかなくなったりするので、自分の今までやってきたことを出して、新田選手のようにメダルをたくさん取れる選手になれたらいいなと思います」 ――普段はどこで練習されていますか。「普段は日本大学のスキー部に所属しているので、寮周辺だったり、高尾山の山を登ったり、基本東京都内で練習しています。月1回パラリンピックの強化合宿があるので、合間を縫ってそちらに参加して練習しています」 ――スキー以外で何かスポーツはされたことはありますか。「小学校に入る前は水泳をやっていましたが、全然今は泳げないです。あと小学3年生の時は半年だけサッカーをやっていて、すぐ辞めてまたスキーに戻ってという感じでやっていました」 ――ご自身の強みは何だと思いますか。「上り坂がやはり強みだと思っています。クラシカルだとポールを持っている選手と同じスピードで上っていけることができて、そこがタイムを稼げる場所かなと自分では思っています。下りはポールがないと詰められなくて、タイムが稼げないので、やはり上りが強みかなと思います」 ――クロスカントリースキーを見る人に注目してほしいところはありますか。「マラソンと似ている部分がありますが、違うところは雪の上を滑って、自然がきれいなところを進んでいくので、そういうところを注目して見てもらいたいです。パラでいうと、ぱっと見はクラスや計算タイムがあって難しいですが、そのようなところも深く知れば面白いと思うので、知ってもらえたらなと思います」 ――クロスカントリースキーをやっていて面白いと思うところはありますか。「長くやっているからだと思いますが、自分が上達していくことがまずはすごく楽しいなと感じています。結果も出るようになってくるのも自分の中では楽しい要因だと思いますが、そこから自然の中を滑るというのも気持ちいいですし、そういったことが楽しいです」 ――北京が終わった今の目標はありますか。「次の4年後でも金メダルを取りたいという目標はありますし、あとはワールドカップで総合優勝したいというのも目標です」 ――若い世代の冬季のパラスポーツ選手があまりいないことについてはいかがですか。「若い選手があまり出てこない、見つけられないというのがあると思います。そこで下(の世代)が来ないから、上の(世代の)人たちも続けるしかないという状況になっていると思うので、そこは僕たちもできることはやろうと思いますが、普及などが進めばそういうことはなくなっていくだろうと思います」 ――パラスポーツの魅力を教えてください。「最大限に体を使ってのパフォーマンスをみんながしているので、こういうこともできるんだというのを見てもらいたいです。あとは他の人たちに勇気をかなり与えられると思うので、そういったところを見てもらえればパラスポーツはもっと面白くなると思います」 ――今後の意気込みをお願いします。「スキーはパラリンピックだけではないので、来季はワールドカップもあります。そこに向けてこの1年間しっかり調整して、その流れで4年後に向けてまた金メダルを取れるように頑張りたいと思います」 ――パラスキー、パラスポーツをこれから始める若い世代に向けてのメッセージをお願いします。「最初はやはりどの人でも同じだと思いますが、スポーツを楽しむということが大切だと思うので、遊び感覚でいいからまずはやってみるのが大切かなと思います。そこからやりたいことがどんどん見つかっていくと思うので、自分がやりたいことを見つけてやっていってもらえればいいなと思います」 ――ありがとうございました。 [出口千乃、萩原彩水、渡辺悠志郎]◆川除 大輝(かわよけ・たいき)日大。北京パラリンピックで金メダルを獲得。 ※写真は本人提供READ MORE -
(32)明スポ記者が聞く! 大学生金メダリスト・川除大輝が見る景色とは
明大スポーツ新聞 2022.04.273月14日に閉幕した北京パラリンピックで一人の大学生が快挙を成し遂げた。クロスカントリースキー男子20キロクラシカル(LW5/7、両上肢機能障害)で、日本選手団の旗手を務めた川除大輝(日大/日立ソリューションズJSC)が金メダルを獲得。冬季パラリンピックの日本男子金メダリスト最年少記録を更新しただけでなく、出場全種目で入賞を果たした。まさにパラクロスカントリースキー界の次世代エースとも呼べる。そこで今回、明大スポーツは私たちと同じ大学生である川除のことを大学生世代にさらに知ってもらうために北京大会の振り返りや普段の練習、パラスポーツのことについてお話を伺った。 平昌→北京 成長の4年間 平昌大会は「初めてのパラリンピックで、どういう動きを取っていいか分からなかった」。試合の数日前から緊張が続き、一試合一試合に全力で向き合うのが精いっぱいだった。フォームについても「がむしゃらにやって、体力だけで持っていく考え方だった」と4年前の自分を振り返る。 平昌大会後、今のままでは勝てないと実感しフォームの改善を決心。日本にポールを持たずに走る選手がいないため、海外選手の動画と自分を見比べてささいなことでもまずは取り入れ、試行錯誤を重ね改良した。さらに北京は2度目のパラリンピックということもあり「調整しやすかった」。得意の20キロクラシカルをターゲットレースに定めたことが、金メダル獲得につながった。 パラリンピアンであり大学生 現在21歳の川除は名門・日大スキー部に所属する。寮の周辺や高尾山で練習を行い、日大ではスポーツ科学部に通う4年生でもある。特に高所馴化についての授業は、標高の高い場所で行われるスキー競技にも通じるという。また、普段の様子を伺うと、昨年の東京五輪後のスケートボードブームに乗じてスケートボードを始めたそう。快挙を成し遂げた一方で大学生らしい一面も見せた。 1年次は寮の仕事や授業と練習の両立が「大変だった」と振り返るも、昼食を互いに作り合ったり同期と同じ部屋で過ごしたりする寮生活が「楽しいので(あと1年で)卒業するのが寂しい」。金メダリストパラリンピアンでありながら大学生でもある川除のラストイヤーが始まる。 新たな飛躍へ もっと広まるには…… 北京大会で日本選手団の旗手を任せられたことで「それ相応の結果を出さなければならない」。重圧がのし掛かるものの「そのプレッシャーをはねのけて成績を出せば、よりパラリンピックやクロスカントリーを日本中に知ってもらえる」と考えたという。また、まだまだ認知度の低いパラクロスカントリースキーについて「みんなに知ってもらえればいいな」。そんな思いから4年前は断りがちだった取材も受けるようになった。 現在パラウインタースポーツは新しい若い選手の発掘が課題となっている。川除自身も、もともとは健常者と一緒にスキーをしていた中でパラクロスカントリースキーに誘われた。始めたばかりの頃は「健常者の一人だと思って活動していたので、そこで自分が障害者と認めるのが自分の中では悔しかった」。しかし長く続けることで上達し結果も出るようになる。自分の成長を感じ「世界が広がっていく」ことが楽しさの秘けつだと話す。「今は良い経験ができているので、(これから競技を始める人は)その一歩が踏み出せればあとは気楽になると思う。その一歩が少し踏み込みにくいと思うので僕たちのスキーを見てもらって、やってみたいなと思ってもらいたい」。 自らのプレーで新たに観戦する人、競技を始める人を増やすために、さらなる飛躍を目指す。北京を終えた今「次の4年後でも金メダルを取りたい。あとはワールドカップで総合優勝したいというのも目標」。ここまで場学続けてきたからこそ見える景色。多くの人に感動と勇気を与える滑りで、パラスキー界をけん引する姿を見続けたい。 [出口千乃]◆川除 大輝(かわよけ・たいき)日大。北京パラリンピックで金メダルを獲得。※写真は本人提供READ MORE