

(37)シーズン後インタビュー 松原星
思いを込めた演技で氷上を彩り、見る者の心を躍らせてくれた選手たち。シーズンを通してそれぞれが味わった思いはさまざまである。新型コロナウイルスの影響にも負けず戦い抜いた今シーズン。その振り返りのインタビューをお届けする。
(この取材は1月31日に行われたものです)
第8回は松原星(商3=武蔵野学院)のインタビューです。
――今シーズンを振り返っていかがですか。
「1年間忙しかったなと思います。リンクがなくて曲がかけられなかったので、いろいろなリンクに行ったり、とにかく必死でした。このままでは全日本選手権(以下、全日本)に出られないという焦りがあって。絶対に出たかったのですが、練習はないし曲はかからないしという状況で『どうすればいいの?』という感じでした。いつも都連(東京都スケート連盟)の練習などが週3日くらいはあったのですが、今年は8月のシーズンが始まる時期から全くなくなるという致命的な状況で。毎日必死だった気がするので、よく全日本までたどり着いたなと思っています」
――今まで通りできない分、工夫したところはありましたか。
「初めて人数を集めて何人かで貸し切り練習をしたりはしました。それでも両親にいろいろと支えてもらったりして全日本にたどり着けたと思うので、それが一番大きいと思います。結局私は練習したい人で『少ない練習時間でも工夫してたどり着きました』というようなきれい事は言えません。嫌でも練習時間を取って、どんなに(リンクが)一般で混んでいても飛び込んでやるような人なので、そこで練習環境を作ってくれた両親にとても感謝しています」
――ストイックさの源泉は何でしょうか。
「全日本に出たい気持ちが一番です。それに今まであったものがなくなるのは『えっ?』という感じなので、ないものを補うのは普通かなと思ってしまいますね」
――SP(ショートプログラム)を1年間滑ってみていかがでしたか。
「衣装は好きです。元々変えるつもりも全くなかったですし、今も変えるつもりはないです。引退まで続けるつもりです。FS(フリースケーティング)はさすがに3年目なので変えます」
――今シーズン『ハレルヤ』にして手探りでやっていたとは思いますが、最終的に自分のものになったなという感覚はありますか。
「練習時間が少ないので、どうしてもジャンプばかりに走ってしまいました。いいプログラムですし、いい曲なのにもったいなかったなと感じています。(来シーズンは)2年目に入るので、ジャンプは跳ばなければいけませんが、必ず少しでも変えていかなければいけないと思っています。同じ曲で同じ振り付けですが、変化のあるプログラムにブラッシュアップしていきたいなと思います」
――今年始めた取り組みはありますか。
「初めて食事制限をした年だと思います。昨シーズンにジャンプが跳べなくて。なぜ跳べないのかがわからなかったですし、急に跳べなくなったので、ふと『これ食事制限して体重減らせば跳べるのかな?』と素朴な発見をしたことがきっかけです。ですが、そもそも食事制限をして体重減らしたことがなくて減らし方がわからなくて。ずっと『わからない』と言っていたのですが、言っているうちに体重が減って跳べたんです。それでも、私は本当に食べることが生きがいなので、一時期練習行っても3分くらいでやる気がなくなってしまって帰るみたいなことを1か月くらい続けてしまって。そこでちょっと違うかなと思いました。なぜかわかりませんが、ストレスだったのかなと思っています。いつもは好きなように食べていたのに、その食生活が変わってしまってやる気が出なかったのかなと。そこからいろいろと調整して、食事制限も管理して今に至りますが、体重管理をするのが一番難しいなと気付きました。本当に食べたいので」
――松原選手は過去のことはあまり振り返らない印象を受けるのですがいかがですか。
「にわとりほどではありませんが『ああそうだったねぇ』くらいで。本当に振り返らないです。良くないですよね。良いことも悪いこともあまりに振り返らなすぎて、もの忘れがすさまじく早いです。それでも楽しかった思い出はかなり覚えています。伊吹ちゃん(佐藤伊吹・政経3=駒場学園)と温泉で語り過ぎて『寝る時間ないじゃん』みたいな(笑)。(国体ですね)そうです。インカレも国体も本当に寝てないので疲れています。楽しみすぎました。全日本はとても緊張しますが楽しい試合です。ブロック(東京選手権)、東(東日本選手権)が神経をすり減らしていると思います」
――今シーズンの良かったところ、反省点を教えてください。
「良かったところは、諦めずにジャンプを改造、研究して、半年くらいでやっと落ち着いたことかなと思います。夏季(東京夏季大会)が今シーズンのジャンプを改造して初めての試合で、そこでルッツを決められたので、かなり自信につながりました。総じて一番良かったのはジャンプを自分の中でつかんだことですね。今はまた迷走しているかもしれませんが、自分の中でつかめたことがこの1年を振り返って良かったです。反省点を挙げるとするなら、ジャンプばかりにとらわれてしまったことです。どうしても時間がない分、ジャンプが少し跳べないと性格上とても追い込んでしまいます。視野が狭くなってしまうので、それでどうしてもジャンプばかりやってしまったのは反省点だなと思います。毎年言っている気がしますが(笑)」
――引退が近づく中で何か意識し始めたり、今までとは違う感覚はありましたか。
「いや、ないですね。でも隣で伊吹ちゃんが『ラストシーズンだと思うと悲しいね』と言っていて『ここまでめっちゃ頑張ったじゃん』と思いました。そこまで悲しくなるようなことでもないですし、頑張ったと思います。新たな気持ちというか、18年のスケート人生からまた新たなスタートを切っている気分なので、ラストだからという感覚はそこまでありません。逆に1年しかなくてやれることや吸収できることは限られてくると思うので『スケートってこういうものだったんだ』という発見を少しでも多く得られる1年にしたいと思います。成績も残したいので、最後は自分の中で納得してスケート人生を締めくくれるように頑張るという感じです。ふと思うのは、引退して大会がなくなって目的がなくなった時に果たして私は頑張れるのかということです。廃人になってしまうのではないかと思います(笑)。平凡な日々だと思いますが、平凡に慣れていないので。だからこそ、そんな気持ちも残り1年しかないので楽しむしかないかなと思っています」
――今シーズンは選手である一方で主務も務めましたが、いかがでしたか。
「本当にやって良かったなと思っています。これまではインカレなどの大会は当たり前のようにチケットをもらって出場していましたが、それは主務が手配して監督に連絡して、いろいろな手続きがあっての当たり前だったんだなと気付きました。この経験はこれまでの自分の行動を改めて振り返って『あのときちゃんとお礼言ったかな』とか、自分を振り返るきっかけになりました。これは人生で一番いい経験をしたなと思っています。私はいつも『めっちゃ仕事早い』と言われていましたが、私の力というより、いつも母や監督が気にかけてくれていたからです。詩織ちゃん(岩永詩織・営3=明大中野八王子)や菜ちゃん(小川菜・文3=新潟南)もいつも手伝ってくれて、一緒にSNSもやっていました。そういう協力してやる楽しさを感じましたね。意外と自分は人のために動けるとわかりました。頼られるのが意外と好きなんだと。自分のためにしか動けないと思っていましたが、意外と楽しいなと思いました」
――来シーズンはどんな1年にしたいですか。
「最後だからと気負わずにもちろん全日本、インカレ、国体に出てしっかり毎年のルーティンとして最後まで大会に出られるように頑張ります。自分がやり切ったと納得できるようにしたいです」
――ファンの方々に向けて一言お願いします。
「今年1年、無観客が多く本当に寂しかったのですが、動画などを通してたくさん応援してくださったり、メールをくれたりと、とても応援に助けられた1年でした。ありがとうございました。来シーズンは本当にラスト1年になってしまいますが、自分なりにいつも通り全力で頑張っていきたいと思いますので、応援よろしくお願いします」
――ありがとうございました。
[加川遥稀]
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