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新聞は娯楽足り得るか

明大スポーツ新聞 2021.10.11

 最近の新聞は正直見ていられない。1面を飾るのはコロナの話題か総裁選、アフガニスタンでのことなどだ。いくらページをめくっても社会問題を突き詰めるものや、不安をあおられるような議題ばかり。はっきり言って読めば読むほど憂鬱(ゆううつ)な気分になる。五輪期間はメダルの話など明るい話題も出てきたが、今ではそれもない。

 社会での問題や議題を客観的に文章で伝えるのが新聞の役割なのは理解できる。世の中はお世辞にも明るさの最中にいるともいえない。掲載内容がどうしてもマイナスな方向に傾くのはしょうがないことだろう。

 高校時代、とある新聞社の方から妙な質問をされた。「新聞は娯楽になれると思うか」。この問いに何と答えたかは覚えていないが、今になると、この問いはどこか新聞のこれからの在り方を左右しそうだ。購読料金を払って新聞をとっても、現代はネットニュースなどで無料かつ大量の情報が手に入る。情報にお金を払う、そんな社会ではなくなってきているのだ。

 では、お金を払ってでも得たい情報とは何か。無論精度の高い情報だ。しかし、情報の海の中にいる現代社会において、これを精査することは難しい。もっと分かりやすいところでいくと、娯楽享楽趣味嗜好(しこう)ゴシップがそれだろう。しかし、この役割は既にネットや雑誌、個人のブログやSNSが担っている。ここに情報媒体としての新聞が、入り込める余地があるかどうか。新聞購読者が減少している今、新たな付加価値を求められる新聞。社会の明暗をそのまま写し出すだけの紙であっては、人は見向きもしないだろう。必要なのは明暗でも、五分五分の濃淡だ。明るさと暗さを均等に兼ね備えて初めて娯楽に返り咲けるのではないか。


[金内英大](執筆日:9月13日)


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