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(番外)「土壌改善がいい結果につながった」 サッカー部創部100年記念 神川明彦前監督インタビュー

サッカー 2021.09.27

 1921年の創部から今年で100年目となるサッカー部。長い歴史の中で一つの変革を与えたのが神川明彦前監督(平1政経卒)だ。明大を大学サッカー界をけん引する存在へと押し上げた神川前監督に、その要因をお聞きした。ここでは紙面に載せることができなかったインタビューをお届けする。(この取材は9月8日に行われたものです)

 

――吉見章元監督からどのような点を受け継ぎ、どのような点を改革しましたか。

 「受け継いだのは、自分が現役だったときから明大の良さとして感じていた、個性を潰さないという点でした。上下関係が厳しい中でも個性を生かし合うという風土はいいなと思いました。故・井澤千秋元監督とも話したのは、組織は大事だけど個性は潰しちゃいけないということで、みんな和気あいあいとやっているというか、学年ごとの役割や仕事など縦のつながりがありながらも、横のつながり意識するという部分は受け継ぎました。でも多くは変えなければいけませんでした。特に変えなくてはいけなかったのが生活習慣。ということで朝の練習を導入して、高い次元での文武両道っていうのを一つキャッチフレーズにして、当然授業には行ってサッカーも一生懸命にやろうと言っていました。もう一つ大事にしたのは、一生懸命にやっている人がきちんと評価される体制です。4年間という限られた時間の中で、日々きちんと向き合って努力している選手がきちんと評価される、そういう評価体制を大事にしました」

 

――その後1部復帰から2年で3位、3年目で優勝を果たして、その後も上位をキープし強豪になった要因は何だと思いますか。

 「まずは選手の質が高かったと思います。3位になった年に10番を付けていたのが小川佳純(平19商卒)で、高校時代にすごいゴールを決めて、注目されていた選手でしたが、やはり入ってきたときの風土体質が悪いから、良い種でも良い土壌じゃなきゃ良い芽は出ないし、良い作物にはならないというように、土壌が腐っていたので良い種を植えても生えてこないですよね。元々素質のある選手を獲得できていたので、土壌を改善できたことが良い結果につながったと思います。

 あとは2006年に金慶大(平19文卒)という後世語り継ぐべきキャプテンがいたんですよ。彼は僕の考え方を絶対的に信頼してくれていて、ものすごく力強く前進してくれました。特に2005年はまだ学業や就活とサッカーの両立ができていなくて、就活が始まると練習に来ないというような状態でした。そこで金はキャプテンになってから、4年に対して同期に対してすごく厳しくしました。就活を理由にして練習に出ないのを許さずに5分でもいいから出て行けと。そこが一つ転機でした。2006年からは一気に成績も上がって、それはやはりキャプテンの功績が大きかったと思いますね。

 そういった土壌改善というところがとても重要だったと思います。生活習慣の改善や、朝練の導入などで文武両道の実現し、今までサッカー部になかった新たな価値観を1年生で入ってきた選手たちと育んでいき、4年後結果につながった、これが一つのサイクルだったなと思います」

 

――2007年の天皇杯を振り返っていただいていかがですか。

 「あの試合は自分の監督人生の中で最高のゲームなんですよ。あれを超えるゲームはなかなかなくて、やはりあの試合は全てが整っていたと思います。京都サンガに勝って念願のJ1との対戦が決まって、その相手が当時J1の上位で、チョジェジンや岡崎慎司(FCカルタヘナ)など素晴らしい選手がたくさんいる清水エスパルス。そんな相手にスカウティングを徹底して、あの試合だけは普段の4―4―2ではなく3―5―2にして、スルーパスから2トップがゴールを脅かそうという作戦がありました。結果3点中2点をその形から林陵平(平20商卒)が取って、こちらの策略がハマって選手たちも自信持ってやれました。当時エスパルスで監督をしていた長谷川健太監督も天皇杯の思い出で必ずあの試合を取り上げてくれていて、本当に当時大学サッカーが脚光を浴びていない時代に大学生がJ1に牙を向ける、しかも明大が。それに2番を付けた坊主だった長友佑都(平20政経卒・現FC東京)が数年後にはイタリアでプレーしている、そういう意味ではすごく面白くて、今の明大の出発点だったと思います」

 

――その2年後、大学生として初めて天皇杯でJ1に勝利しましたがその試合はいかがでしたか。

 「その年は、前年に結果を残せず、その反省を受けて早い段階から動き出していた代でしたがが、その下の世代が優秀で、4年生はなかなか試合に絡めませんでした。その中でも4年生がマネジメントをしっかりして、3年生以下が気持ちよくプレーができて、下級生が湘南ベルマーレ戦で得点したり、モンテディオ山形戦でもそうで、4年生がその環境を作れたのが大きかったと思います。山形戦はスカウティング通りの戦いができて、清水戦とは違う、勝つのが前提のような状況で臨めました。直前のリーグ戦で負けていたので、山形の攻撃を防ぐ守備の練習を徹底して、攻撃はなんとかなるだろうと。いい形でボール奪えればという感じで臨んで、90分を通してほぼ明大のペースで、スコアも3ー0でしたし、清水戦とは内容が全く違いましたね。それでもその次のアルビレックス新潟戦は、当時の新潟もJ1で上位にいて、組織的なところでは戦えましたけど、個人では歯が立たなくて、余裕を持ってやられてしまったという感じですね。それでも落ちずにその後のシーズンも臨んでくれて、51年ぶりのインカレ優勝。これはやはり天皇杯で培われた、一発勝負への強さが生きた結果だったかなと思います」

 

――その後入学した室屋成選手(平29政経卒・現ハノーファー69)の印象はいかがでしたか。

 「室屋はよく長友と比較されますし、当時はよく比較していましたけど、室屋は明らかにプロになるという明確な目標を持って入部してきたので、目が違うというか、最初からギラギラ感があって、もう室屋は3年でプロだなと思いましたね。なので学業もしっかりさせようというのは直感的に思いました。そこはもう長友とは全然違いましたね。でも室屋が一番すごいのは、長友もそうですけど、失敗したり、こちらも指摘したりしますが、するとすぐに変えてきましたね。そういう学ぶ力というか、反発力が違ったと思います」

 

 

――明大は今後の日本サッカー界全体にとってどのような存在になっていってほしいですか。

 「やはり人材排出クラブであってほしいです。プロは数人で良くて、違う分野にも行って欲しいですね。本当にありとあらゆるところの人材になって『あの人明大サッカー部なの?』というようなことを期待しています。自分の時もプロは数人で良くて、もっと色々な進路を選択してほしいなと思います。あとはプロになるならいずれは指導者になって、人を育ててほしいとも思います。自分はよく孫選手という言葉を使いますが、自分の教え子が指導者として育てた選手が明大に戻ってくる。そういうサイクルできてくるのも面白いと思います」

 

――サッカー部の後輩たちにメッセージをお願いします。

 「明大のキャッチフレーズにもなっている『個を強め、世界へ』というのがまさにサッカー部に当てはまるキャッチフレーズだと思うので、明大で、そしてサッカー部で、高い次元の文武両道を実現しながら、世界へ羽ばたいてほしいと思います。応援してます!」

 

――ありがとうございました。

 

[土屋秋喜、市瀬義高]


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