特集記事
SPECIAL

(番外)「(J1相手に)勝つしかないと思っていた」サッカー部創部100年記念 山本紘之氏インタビュー

サッカー 2021.09.27

 天皇杯全日本選手権で躍進を続けてきた明大サッカー部。2009年には大学勢初J1撃破を達成した。同大会では、明大サッカー部OBで、現在は日本テレビでアナウンサーとして活躍する山本紘之氏(平23政経卒)がSURUGA I DREAM Award』を受賞。目覚ましい活躍を見せた山本氏に、当時の状況をお聞きした。ここでは紙面に載せることができなかったインタビューをお届けする。(この取材は9月13日に行われたものです)

 

――第87回天皇杯4回戦、清水エスパルス戦について覚えていることを教えてください。

 「僕は1年生だったのですが、技術的には全然試合に出られるレベルではなかったというのが自分の正直な印象です。ただ僕のプレースタイルが前線からとにかく追い掛けるというスタイルだったので、そこを評価していただけたと思っています。『とにかく走れ』と言われて試合に出させてもらいました。とにかく自分はチームの役割として与えられた〝走る〟というところでチームプレーに徹しようと思ってプレーしていました。実際試合に出場したら、ヘディングや高さ、クロスに対して飛び込んでいく姿勢というのは通用するのだと感じました。その他についてはもうほとんど覚えていないぐらいただただ走っている感じでした」

 

――当時の状態や雰囲気はいかがでしたか。

 「J2に勝って、駒を進めてきている状況で、天皇杯で勝つことが世の中からどれだけ注目されることなのかを感じた試合でした。これでJ1に勝つことがあれば、いよいよ〝明治大学ここにあり〟ということを世の中に知らしめるタイミングだと思っていたので、本当に清水を食うつもりで戦っていましたね」

 

――対戦してみて印象に残っている選手はいらっしゃいますか。

 「青山直晃氏(元プロサッカー選手)ですね。僕がマークされていたのが青山氏だったのですが、北京五輪に出場された青山氏にマークされるということにドキドキしながら、チャレンジャー精神を持って戦いました。ただその中でもヘディングの競り合いで対峙(たいじ)できる瞬間というのはあったので、当時19歳だった僕にとってはとても自信になりました」

 

――清水戦を終えて注目度が上がったと思うのですが、どんな影響を受けましたか。

 「とにかく天皇杯に出場することの影響の大きさを知りました。それが間違いなく2009年の天皇杯出場と初のJ1撃破につながったと思っていて、その面では大きな意味のある試合でした」

 

――IAIスタジアム日本平はいかがでしたか。

 「スタンドがせり立つ感覚があって声が響いてこだまするので、今まで経験した中で最高の環境でした。清水サポーターがサンバのようなリズムで移動(ロコ)するんですよね。それが地響きのようにピッチに伝わってきて、本当に一生に一度の経験だなと思います」

 

――2年が経過して再び迎えた天皇杯の舞台では、心境の変化はありましたか。

 「それはやはりありましたね。モンテディオ山形戦に関しては、2007年の清水戦の経験から『J1相手に惜しかった』ではもう一つ次のステージに行けないということを感じていたので『絶対に勝つぞ』という思いが強かったですね。2007年ももちろん強かったです。しかし僕の中ではどこか勝つというのが具体的にイメージできなかったのですが、2009年の山形戦は勝ちをイメージしながら試合に臨めて、試合が始まってからは思った以上に自分たちのプレーができました。『大学サッカーでのプレーをプロ相手でもできるぞ』という感覚に変わりました」

 

――当時のチームの雰囲気はいかがでしたか。

 「状態は良かったと思います。リーグ戦がうまくいっていない状態だったので『自分たちは天皇杯で勝つしかない』という思いを持って戦っていました。みんなのベクトルが天皇杯に向かっている中で日々練習していましたね。『2年前に経験したあの舞台にもう一度行こう、あの雰囲気をもう一度味わおう』という思いがチームの中にありました」

 

――『SURUGA I DREAM Award』を受賞されるなど活躍されましたが、ご自身のプレーはいかがでしたか。

 「あのゴールは練習でも経験したことがないゴールで、当時チームメイトがみんなびっくりするようなゴールでした。回転してトーキックで決めたのですが『もう一回やれ』と言われてもできないようなゴールです。あの瞬間、何ができるのかを考えてたどり着いた答えがああいう形で、結果的にうまくいきました」

 

――山本さんの代のチームにはどんな印象がありますか。

 「僕たちの代は最高でした。僕たちほど仲の良い代はなかったし、周りから『何でそんなに仲良いの』と言われるくらい仲が良かったです。普段からの仲の良さというのは少なからず、チーム作りをする上で欠かせなかったと思います。喧嘩もたくさんしましたし、喧嘩しても良いと思いながらやっていました」

 

――明大サッカー部での4年間で成長したと感じる部分はありますか。

 「コミュニケーション能力は成長できたと思います。70人一人一人とそれぞれ違ったコミュニケーションを取らなければならなりませんでした。薄い関係だとチームや組織は絶対に一つになれません。自分の思いと相手の思いは違って当たり前ですが、違うからといって突き詰めずに表面上うまくこなしているだけのチームは絶対に勝てないです。違う意見を持ちながらもお互いぶつかり合って心から理解して、何を生み出すかを考える作業です。それが組織を作る上ですごく大切なことだと4年間で学びましたね。それは社会人になって、番組を作る上でも役立っています」

 

――大学サッカーについてはどう思われますか。

 「どんどんレベルが上がっていると思います。明大の後輩たちを見ていても僕たちの時代以上に意識高くサッカーに取り組んでいるのを感じるので、素晴らしい舞台になっていると思います。大学に行ってからプロに行くのは遅いと言われていますが、やはり日本には日本がつくり上げたサッカー文化があるので、大切にしていく必要があると思います。そんな中でも今大学でサッカーをしている選手には選択肢を広げてもらいたいです。サッカー以外にもう一つ同じくらいの熱量を持ってできることがあればさらに発展して進化していくと思います。それは自分が全くできなかったことでもあるので、今の子たちには実現させてもらいたいですね」

 

――最後に後輩たちにメッセージをお願いします。

 「とにかく今取り組んでいることを信じて、一心不乱にサッカーをしてほしいなと思います。あとは選択肢を広げて、もう一つ何か新たな挑戦をすることも視野に入れてほしいです。やっていることは絶対に、全て未来につながることなので、サッカーだけにならず、今できることを一心不乱にやってほしいなと思います」

 

――ありがとうございました。

 

[萩原亜依、土屋秋喜]


関連記事 RELATED ENTRIES