(1)ルーキー特集 第1弾 ~大島光翔編I~ 「昨年度を振り返って」
昨年度は例外的になかったものの、今年で4回目を迎える恒例のルーキー企画。これからの活躍に目が離せない期待のルーキーを紹介する。1人目は、昨年度急成長を遂げ、全日本ジュニア選手権で5位となった大島光翔(政経1=立教新座)。観客を引き込む演技で、さらなる高みを目指す。
(この取材は6月12日に行われたものです)
――フィギュアスケートを始めたきっかけは何ですか。
「父がスケーターで、試合やアイスショーをやっていて、先生でもあったので、その影響で自分も始めました」
――ご自身のスケートにおける強みは何ですか。
「スケーティングや踊りは普通の選手よりかは滑れて、踊れるのではないかと思います」
――試合では緊張しますか。
「とても緊張します。大きな会場で1人で滑るのですごく緊張感があります。自分は、大きな試合になればなるほど、お客さんがいればいるほど楽しめるタイプなので、いざ演技が始まると楽しむことができますが、演技が始まる前は緊張します」
――昨年度の全日本ジュニア選手権は総合5位でしたが、改めて振り返ってみていかがですか。
「あれは間違いなく昨シーズンの中で一番いい演技でした。全日本ジュニア選手権でようやくお客さんが入り始めて、久しぶりにお客さんの前で滑って、笑顔で終えることができたので印象深く残っています」
――FS(フリースケーティング)では高得点を記録して2位でしたが、その要因は何だと思いますか。
「昨シーズンにトリプルアクセルを習得して、それを演技に入れたことで戦えるようになりました。FSはSP(ショートプログラム)よりもジャンプの本数が多く、個人的にはジャンプの少ないSPの方が苦手意識がありました。FSは得意分野のように思っていて自信があり、その自信を生かしてほぼノーミスの演技ができたので、結果としてFSで2位になれたのだと思います」
――会場の雰囲気はお客さんがいるからこそ成り立つものですか。
「そうですね。無観客で試合をしたときに『誰のために何をやっているのだろう』と思うことがありました。お客さんにどれだけいい演技を届けられるかという競技なので、お客さんがいないのは寂しいと思いました。全日本ジュニア選手権のときは、お客さんがいて自分の気持ちが乗りました」
――昨シーズンは好成績を残されていますが、成長できた実感はありますか。
「すごく実感しています。急にジャンプが跳べるようになって、その原因は自分でもよく分からないのですが、いい方向に成長できたのでよかったと思います」
[守屋沙弥香]
◆大島 光翔(おおしま・こうしょう)政経1、立教新座、171センチ
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