(31)六大学のレコードメーカーへ 磨かれた人間力を武器に 石原勇輝
最速140キロ中盤の速球を武器に三振の山を築く。石原勇輝投手(商1=広陵)は広島の名門・広陵高出身。3年次には春の甲子園に出場した。秋季リーグ戦ではリリーフとして登板するなど、速球派左腕としてエースへの期待が高まる。
転機が訪れたのは高校2年次だった。中国大会の決勝。先発投手が初回に崩れ、試合序盤から緊急登板。まさかの事態に驚きを隠せなかったが、結果的に7回を零封。チームの優勝に大きく貢献した。2番手投手であった石原にとっては最大のアピールとなった。
しかし野球の世界は非情だった。2年次秋に左肘をクリーニング手術。3年次春の甲子園には何とか間に合ったが、強豪校故のプレッシャーに襲われる。春の甲子園明けに「イップスみたいな感じになった」。他の投手と比べられることで「早く追い越さなければいけない」。焦りから練習試合で何度もストライクが入らないという状態に。周囲から冷たい反応も感じられた。
そんな石原を救ったのは中井哲之監督の言葉だった。「お前のせいじゃない。次頑張ればいいんや」。この言葉を聞いた周囲の選手たちも次第に温かいエールを送るように。そのかいあってか、徐々に感覚を取り戻し、夏の県大会には完全復活。監督や控え選手の支えで、野球人生を左右しかねない危機を乗り越えた。
自慢の直球で打者をねじ伏せる
「人間力が第一」であった高校野球が石原の野球道を物語る。31年間広陵高を率いる名将・中井監督の下で学んだことは人間力。最も印象に残ったのは〝ありがとう〟という言葉。自分が失敗して注意されたり、怒られたときは「すみませんじゃない。ありがとうだろ」。プレーよりも、まず野球に対する姿勢や取り組み方を徹底的にたたき込まれた。同じく人間力を重んじる明大で、さらなる磨きをかける。
大学4年間の目標は「記録に残る選手に」。そのためにも、2イニング目の失点など、今秋の登板で見えた課題の克服がカギとなる。人間力を兼ね備えたレコードメーカーへ。石原の挑戦はまだ始まったばかりだ。
[久保田瞬]
◆石原 勇輝(いしはら・ゆうき)商1、広陵高、181センチ・79キロ、左投左打、投手
グラブには〝toi toi toi 〟という文字。ドイツ語で「きっとうまくいく」という意味が込められている。他に誰も使わないと思い選んだ。
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