

田邊太一 おごらない勝利の立役者
あらゆるポジションをこなす高身長FW、田邊太一(情コミ1=福岡大大濠)は、攻守にわたって活躍するユーティリティプレイヤー。高3次の全国高校選手権で準優勝を経験。決勝ではチーム最多得点を挙げている実力者だ。
失われた自信
小学2年次にバスケと出会った田邊。中学時代はジュニアオールスター福岡県代表に選ばれるほどに成長する。そして全国屈指の強豪・福岡大大濠高へと進学。新天地での活躍に意気込むも、現実は甘くなかった。中学とは違い、集まってくる選手も全国レベル。主力の試合にもあまり絡めず自信を失ってしまう時期もあった。それでも「辞めたいとは一度も思ったことがない」。田邊は腐ることなく練習を続けた。
劣等感の打破
彼が3年生になった年の初めての福岡一高戦。同地区の名門校との試合の中、あることに気づく。自分のドライブで相手と渡り合えているのだ。さらには苦手としていたディフェンスでも上手く立ち回れるようになっていた。「この試合で自分が通用すると思い、自信がついた」。日本一常連校では練習から緊張感が違う。バスケに対して非常に意識の高い環境に置かれた田邊は、確かに成長していたのだ。体格や技術だけではない。「試合前の緊張も一切しなかった」と精神面でも強くなっていた。そして、後の大舞台で真価を発揮することとなる。
続いてゆく道
高3次の全国高校選手権。勝ち進み迎えた決勝戦、対するは彼を変えたきっかけでもある福岡一高であった。この年8回目の対戦。相手からすれば自分はマークの薄くなる穴であることを自覚していたので「自分が点を取らなければ勝負にならない」。決心を固めた彼はなんとほぼフル出場を果たしチーム最多得点をマーク。大会中で最高の活躍を魅せた。惜しくも準優勝であったものの、実力を遺憾なく発揮できた男に悔いはなかった。
それから10ヶ月が経った現在。大学バスケを取り巻く環境は未だコロナのあおりを受けている状況。「経験を積むという面でもまずは試合に出たい」。田邊は主力の選手と日々技術を高め合っている。こんな今こそ、自分のペースで着実に。まだあわてるような時間ではない。
[菊地秋斗]
◆田邊 太一 (たなべ・たいち)情コミ1、福岡大大濠高。福岡県出身。試合前はおにぎりかあんパンがマスト。190センチ・74キロ。
関連記事 RELATED ENTRIES
-
木村卓斗 貪欲に前へ
サッカー 2021.02.162年生ながらトップチーム入りを果たしたSB・ボランチの期待のプレイヤー、木村卓斗(政経2=横浜F・マリノスユース)は、高校時代の反省を活かしチームのために戦うことを第一にプレー。持ち味の球際の強さで、明大の勝利に貢献する。敗北から学ぶ 悔しさから道筋を見いだした。高校3年生になり、迎えた第42回日本クラブユース選手権。この大会は選手たちの進路に大きく関わるため、アピールをしようと個人技ばかりの戦い方に。「チームプレーが全くできていない状態だった」。結果は敗北。痛感したのは、チームのために頑張らなければならないということ。大学生になった今もこの姿勢でプレーし続けている。 新たな環境で 日々の練習、トップチームへの参加が木村を大きく成長させた。自粛期間はトレーナーからのメニューに加えて、坂道ダッシュで心拍数を上げるトレーニング。いつでもトップチームの練習に参加できるように備えていた。「この自粛期間、誰よりも頑張った自信があった」。毎日の積み重ねが実を結んだのは、6月までの自粛期間が明けて2週間後。トップチームの練習に参加することができた。「トップチームに入ることが自分の目標ではない」。木村は前へ突き進む。今年度は17試合に出場。2年生にして存在感を示した。開幕戦ではこれまでほとんど経験がなかったボランチでスタメン起用。ボランチでの視野の使い方やボールの運び方からSBをしていたときには気付かなかったことに気付けるように。「慣れないポジションで苦戦しているが、それを乗り越えるのが楽しい」。不慣れなポジションにも前向きに取り組む。更なる高みへ 勝利にはチームで戦うことが不可欠。明大4年間の目標は、リーグ戦の連覇、トーナメント戦の優勝。サッカー選手として大事な姿勢である〝チームのために戦う気持ち〟を第一に。「自分の活躍で今後も明大のサッカー部は強いと思われるように」。木村は躍進する。[須藤聖広] ◆木村 卓斗(きむら・たくと)政経2、横浜F・マリノスユース。第二外国語はドイツ語を選択。170センチ・68キロ。 READ MORE -
狭間俊至 経験糧につかんだ〝人間力〟
水泳(水球) 2021.02.14〝明中の主将〟狭間俊至(商1=明大中野)。大学デビューとなった公式戦の日本学生選手権(以下、インカレ)で得点を決めた期待のルーキーだ。中学、高校でも全国を経験した男が、スピード感あふれるプレーで、明大をさらなる高みへ押し上げる。 明大の強み 水泳部水球部門は、2017年に体育会へ加入した若いチームだ。スポーツ推薦がなく少数精鋭であり、選手層では他大学に劣ってしまう。それでも明大が全国で渡り合える理由は団結力にある。部員の大半が明大中野高出身であり、長く培ってきた阿吽(あうん)の呼吸で試合を運ぶ。チームスポーツにおいてこれほどの強みはない。そして今年度、高校時代には主将を務め、試合経験も豊富なホープ・狭間が加入した。 重ねた成長 「ただ泳ぐのは面白くない」と、水球を始めた。めきめきと頭角を現した新星は、中学2年次の全国ベスト8に大きく貢献。そして「勉強と部活を両立できる高校に行こう」と、明大中野高の門をたたいた。 高校時代も国民体育大会2位、全国高校総合体育大会(以下、インターハイ)ベスト8と輝かしい成績を残したが、その裏には高校時代の顧問・佐藤太一先生の存在がある。「人としての注意、礼儀も教わった」と尊敬する先生は、毎日朝早くから行われていた練習にも欠かさず顔を出し、指導。水球の技術だけでなく、精神面まで鍛えられた。また、主将の経験も成長の糧に。部員数も多く「なかなか言うことを聞いてくれない」状況下で部員に指示出し。チームをまとめることに苦心したが「自分一人じゃなく、全員の意見に耳を傾ける」。結果、まとまったチームは全国の舞台で躍動。インターハイの準々決勝でも、強豪相手に拮抗(きっこう)した試合を繰り広げるまでに成長した。 期待の大器 大学入学後は、9月のインカレでスタメン起用にふさわしい初ゴール。緊張の中、先輩から言われた「思いっきり打て」を有言実行し、大器の片りんを見せた。大学での目標は「先輩に頼らなくても、自分でシュートを打てる選手になること」。そのために、武器のカウンターに磨きをかけていく。人間力を備えた新戦力は、4年間で技術面もさらに高め、チームの中心へ。勝利のために、ゴールを目指して泳いでいく。 [飯塚今日平] ◆狭間 俊至(はざま・しゅんじ)商1、明大中野高。趣味は音楽を聴くことで、ONE OK ROCKをよく聴く。180センチ・73キロ。READ MORE -
木村颯太 終わりなき成長
競走 2021.02.14関東学生対校選手権(以下、関カレ)1部復帰を狙う明大競走部に追い風が吹く。木村颯太(法1=明星学園)が関カレ2部・U―20全国競技大会(以下、U―20)200メートルで優勝を果たした。ルーキーイヤーを華々しく飾った走りが紫紺を再び輝かせる希望となる。 始まり 「もともと、そこまで足が速いわけではなかった」。小学校の運動会のリレーではメンバーに選ばれたり、選ばれなかったり。彼が陸上人生を走り出したのは中1の時。長距離に力を入れている中学で、短距離の選手でありながらも3000メートルや5000メートルの練習を行っていた。この練習で持久力を向上させつつ、短距離の練習でスピードに磨きをかけた木村。その相乗効果が一線を画す選手へと彼を成長させた。その後中3で200メートルの全国中学校体育大会標準を切り、全国の舞台へ駆け出した。 高い壁 高校では全国で活躍する選手に。高2の全国大会で200メートル2位になり、初めて全国の舞台で入賞を果たした。それでも顧問に掛けられたのは「ここで満足していたら一気に落ちぶれるぞ」という言葉。インターハイ優勝と20秒台を目標に、常に前を目指し練習に励んだ。そして迎えた最後のインターハイ。200メートルに出場し、結果は21秒03で3位。優勝は逃したものの「よく頑張った」。顧問と熱い握手を交わした。「20秒台と優勝」。高校で成し遂げられなかった目標を再び掲げ、彼は明大の門をたたいた。 未完成 「絶対優勝してやる」。高3次のU―20は本来の力を発揮できずに4位と悔しい結果となり、それから1年間この大会に向けて取り組んできた。コロナ禍の影響で練習相手も練習場所もない中、恩師の教えが力に。「自分で考える選手になれ」。自宅付近の100mある道を往復して肺を追い込むなど毎日工夫して練習した。そして自身の強みであるピーキングをここぞとばかりに発揮し、21秒20でU―20の頂点に立った。それでも「20秒台を出せていない」と結果に満足してはいない。課題の150メートルを過ぎてからの後半の走りを改善すべく、高校まで全国の舞台でしのぎを削り合ってきた木村稜(政経1=乙訓)と共に切磋琢磨(せっさたくま)している。飽くなき向上心を胸に、さらなる高みへと走り続ける姿に今後も目が離せない。[大橋直輝] ◆木村 颯太(きむら・ふうた)法1、明星学園。Mr.Childrenのファンで、好きな曲は『innocent world』。165センチ・62キロREAD MORE