北京五輪出場・水谷。明治で彩る新たな卓球人生

卓球
2008.04.01

 今年の全日本で高校生ながら連覇を達成し、北京五輪出場も内定。卓球部史上最強のルーキー・水谷隼(政経)がこの春明治にやって来る!14歳でドイツへ渡り、卓球エリートとして順調に歩んできた。だがそこには葛藤(かっとう)する天才少年の二つの姿があった。水谷は明治で何を学び、どう進化していくのか。

日本の至宝の素顔

 水谷には二つの顔がある。一つはいかなる場面でも冷静沈着、18歳らしからぬ勝負師としての顔だ。06年度には史上最年少で全日本を制覇。今や日本のエースとして世界で戦い、北京五輪出場も決めている。そんな彼を「日本男子卓球界の救世主」だと周囲は期待を寄せる。

 だが経歴と相反し、素顔は実に普通の18歳。好きな食べ物はカツ丼、趣味は携帯ゲーム。卓球以外の話をするときは子供のようにあどけなく笑う、年相応の少年だ。

 だからこそ、技術を磨いたドイツ時代は孤独な環境で悩み苦しんだ。周囲と意思疎通ができず、試合形式さえ分からない。「日本へ帰りたい」と連日、日本の友達に電話をした。自分の10代が卓球だけで終わってしまう、そんな感情さえ抱いた。だが周囲から天才と称され、いつしか弱音を吐くことさえ許されなくなった18歳は、必死に自分に言い聞かせた。「自分は卓球だけって思わなきゃ、世界では勝てない――」。水谷は経歴、実力共に卓球人としては申し分ない。だが、自身どこか満たされぬものがあるまま、ここまできた。

仲間と紡ぐ4年間

 水谷は「世界で戦うためのサポート体制がいい」と明治への進学を決めた。日本代表であるが故に、明治での学生戦より国際大会が優先となる。だが「明治の選手と仲良くなるのが楽しみ」と顔をほころばす。

 本学OBの松下浩二氏(平2文卒・現グランプリ)は、それこそ明治で得てほしいものだと語る。「限られた時間の中で唯一無二の仲間と同一の目標へ突き進み、苦楽を共有することは後の財産になる」(松下氏)。また卓球を介し仲間とぶつかり合うことで、「思いやりや感謝の精神を学び、人間力を養うことができる」(児玉総監督)。競技外での精神面の充実が、卓球の幅をも広げていく。人間力育成を伝統的な精神理念とする明治において、水谷が得るものは大きい。これまで過ごしてきた卓球一色の生活。水谷自身、どこか寂しげに感じるものがあった。その「満たされないもの」を埋め、水谷の人生を鮮やかに彩ることができる場所は、ここ明治にある。卒業を迎える4年後。卓球人としても1人の人間としても成長し、多くの人に夢や希望を与えられる水谷になっていてほしい。

水谷隼 みずたにじゅん 政経 青森山田高出 172cm・66kg 全日本選手権単複優勝
[桐生薫子]

卓球部OB・松下氏語る「伸びる環境が明治にはある」

松下浩二氏大学進学については先輩としてうれしい。隼には一生付き合っていけるような、そして応援してくれる友達をたくさんつくってほしいね。お金とかが絡まない、何もないところから始まる大学の仲間って一生付き合える友人だと思う。
隼のすごいところとして、まずポテンシャルが高い。そこに努力が加わればかなう選手はそういないでしょう。ただ、世界卓球での調子はあまり良くなかったかな。普通だった。頑張って頑張っての3位ではなく普通にやっての3位。彼の実力はあんなもんじゃない。
自分の場合、明治を選んだのはここが一番強くなれると思ったから。強くなる雰囲気が明治にはあったね。こいつらに負けたくないってライバルもいたし、強い人が身近にいたから頑張れたんだと思う。明治に入った結果、今の僕がいるってことは良かったんじゃないかな。
「明治がやらねば誰がやる」の精神は今も昔も変わらない。伸びる環境が明治にはある。道は険しいと思うけど、学生のうちに世界チャンピオンになってほしい。
(談)

◆松下浩二 まつしたこうじ 平2文卒 日本卓球界初のプロ選手であり、一時代を築いた名カットマン。現在はグランプリに所属し現役で活躍する傍ら、チームマツシタの社長も務めている