(8)「記憶に残る選手になりたい」京谷充洋 インタビュー
実業団の廃部、国内リーグ発足など様々なニュースが飛び交い、革新のときにある日本アイスホッケー界。その中で大学王者として君臨し続けている明大。彼らが見ている景色とは。今回は、関東大学リーグ3連覇を狙う選手たちの心境を伺うとともに、自身のルーツや競技の魅力に迫った。第8回はDF京谷充洋(政経4=北海道清水)のインタビューをお送りする。
(この取材は7月18日、11月16日に行われたものです)
――最上級生になっていかがですか。
「早いです。もう卒業なので、残り少ない学生スポーツ頑張りたいです。(明大に入学してから)先輩たちがすごくて、圧倒された1年目でした。先輩たちすごいなと思っていて、でもずっと試合に出させてもらっていたので、先輩たちとホッケーができて楽しかったです。たくさん優勝させてもらって、いい経験ができました。先輩がいなくなって、寂しいです。仲良い後輩は高木(聖大・文3=日光明峰)です。寝ていても起こすくらい仲良いです」
――後輩からどう見られていると思いますか。
「どうですかね、分からないです。AB型の気分屋なので。喋りたくないときは、ずっと無言です。調子が良いときは喋るみたいな感じです。AB型は僕と壬生(康太・文3=八戸工大一)だけで、あんまりいないです。だから、僕と壬生は喋らなくても合います」
――アイスホッケーとの出会いを教えてください。
「年少からです。今年が18年目ですね。ずっと好きでやっています。父が日本製紙で働いていて、社宅に住んでいたんですけど、住んでる中にクレインズの選手がいたり、やっぱり釧路はアイスホッケーの町でという流れです。あとは父の趣味がスピードスケートで、その流れでホッケーを始めました」
――地元釧路の日本製紙クレインズの廃部のニュースを聞いたときはどう思われましたか。
「残念でした。すごく目標にしていて、試合も見に行っていました。クレインズジュニアというクラブチームにも入っていて、クレインズが格好いいなと思って育った子供でした。練習も見に行っていたので。自分はこれからもアイスホッケーやります。人生一回ので、やりたいことやりたいなという思いがあって、続けます」
――今のアイスホッケー界をどう思いますか。
「クレインズがなくなったり、韓国のチームがなくなったりとすごく残念なニュースかいっぱいあります。その中で、自分が活躍したいなと思っています。もっとチームが増えたり、観客が増えてほしいと思います。(北海道と東京の温度差は)本当に感じまくります。リンクが少ないし、アイスホッケーと聞いても、ピンとくる人がいないので残念です」
――アイスホッケーの魅力を教えてください。
「魅力はゴール裏を使うことができたりと他のスポーツではないことがあります。あと、スピード感だったり、チェックとかの迫力で、一回見たらハマるスポーツだと思います。みんなに来てほしいですね。でも、片手に収まるくらいしか大学に友達がいなくて、今から増やすのもムリなので(笑)。ファンを増やしたいです。この前、野球部の試合を神宮に見に行きました。優勝が決まったときにいて、すごかったです。自分の後ろに詳しいおじいさんがいて、それを聞きながら見ていたんですけど、やっぱりスポーツは格好いいなと思いました。刺激になりました。でも、野球はどんなに弱くても攻撃の時間が与えられるじゃないですか。でも、ホッケーは弱かったら攻められないので、それは少し違うなと思いました。野球は27人分回ってくるんですけど、ホッケーは弱かったら攻められなくて、絶対勝てないので、野球はずるいなと思いました(笑)」
――プレースタイルを教えてください。
「ディフェンダー気質じゃないです。守りは得意じゃなくて苦手です。最初はFWでしたが、クレインズジュニアのコーチにDFをやれと言われて、小学4年生からずっとDFです。でも、攻めるのは好きです。自分は走るのが遅くて、自分でパックを持って前に上がるのは得意じゃないので、いいところでもらって打つのが持ち味です。前はFWに任せてという感じです。他のDFとは違って、美味しいところを持っていければと思います。チームがきついときに点を入れます。助けるゴールを打てる人になりたいです。このプレースタイルになったのは、高校からです。僕と同じクラスのやつがいて、その子はDF出身でFWになった人で、すごく意気投合して自分がやりたいことを分かってくれていました。自分が後ろにいて、パックをもらうのが好きなんですけど、その子がパックを前で持っていたら自分がいるのが分かって、パスをくれました。話をしなくても分かり合えるくらいの人で、そいつとやるホッケーは楽しかったです」
――リーグ戦も残り2試合、インカレも近づいています。
「(残り2試合は)両親が来るので、いいところを見せられたらいいなと思います。得点のビジョンはなくはないです。インカレは地元の釧路でやるので、両親に限らず親戚が来てくれるので、いいところを見せたいです。引退は寂しいですけど、いずれは卒業するので、そんなこと言っていられないです。最後は記憶に残る選手になりたいです。卒業してもホッケーは続けるので応援よろしくお願いします」
――ありがとうございました。
[福永智隆]
◆京谷 充洋(きょうや・みちひろ)政経4、北海道清水、170センチ・70キロ
★応援に行こう★
大会名:関東大学リーグ戦
日付:11月23日(土)対中大 24日(日)対早大
場所:ダイドードリンコアイスアリーナ(西武新宿線東伏見駅、徒歩1分)
試合開始予定:10月23日(土)14:45~、24日(日)17:30~
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