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500号記念・石井初代編集インタビュー 「5年持てば良い。10年続けば御の字だと」

明大スポーツ新聞 2019.10.31

 明大スポーツは今号で第500号という大きな節目を迎えました。昭和に始まり、平成の時代を全うし、令和に記念すべき号を発行することができました。これは明大生、体育会の皆さま、読者の方々に支えられ、積み重ねてきたものです。心から感謝申し上げます。学生新聞の在り方を自問自答しながら、進んできた66年間。紙面はモノクロからカラーに変化し、部もいつしか大きくなりました。それでも、明大の今を伝えるために。この思いは創部した当初から今でも変わりません。伝統を胸に刻み501号からも変わらず、努力していきます。学生らしさを忘れず、そして変化を恐れず、これからも皆さまと共に歩んでまいります。


 昭和28年秋、始まりは一つの掲示からだった。『新聞作成の協力願い体育会』。当時、学内では学生運動が活発化。学生会と体育会が全学連加入でもめているさなか、体育会は広報担当を探していた。

 「募集を見て『おもしれぇ』と思いました。そこで新聞作りを手伝ったことがそもそもの始まりです」

 石井義郎氏は中高と新聞を作成していたほどの新聞好き。迷わず手を挙げた。しかし、学生会が全学連の加盟を決定すると、有志で集まった団体は解散の流れに。そこでまた声を上げた。

 「せっかくだから続けましょうと言いました。体育会委員長に直談判をして、それなら2号目を出すかと。新聞部として息を吹き始めたときですね」

 明大スポーツの前身『駿台スポーツ』にはこんな思いを込めた。

 「僕は長続きさせたいなと思っていました。体育会の広報誌ではなくて新聞らしく『駿台スポーツ』」

 当時の人数はたったの3人。存続の危機に直面する中、転機を迎える。

 「ちょうど、野球部が勝ってくれて、パンと1面に出しました。当時は学内にも新聞がないし、そもそも紙がなく、人気がありました」

 昭和28年10月28日、硬式野球部1面の第3号が発行。学生の心をつかむものだった。それでも、課題は山積み。資金調達は主将、マネジャーに掛け合い、援助金を出してくれるように頼んだ。

 「学生大会が終わったから駿台スポーツにお金を払うのはもったいないという空気も出てきました。その辺がつらいところでした。でも、その中で選手が『大変だ』と言いながら出してくれました」

 何とか存続できた理由は。

「他にこういうPRする紙がなかったこともその一つです。珍しさに学生がわーっと寄ってきました。また、野球部の島岡吉郎さんとかラクビー部の北島忠治さんに大変かわいがってもらって、何かあったとき、防波堤になってくれました。多くの方にお世話になったことが一番の理由かもしれません」

 卒業後、静岡新聞社に就職。自身も記者を続ける中で、弊部は軌道に乗った。

 「発足して2年間は実績がありましたが、卒業する頃は5年持てば良いと思っていました。ある程度順調に新聞が出るような環境はつくりましたが、まだまだ危ないなと。10年続けば御の字だと思っていましたね」

 気付いたら、65年を超え、500号を数えた。今の学生に伝えたいことは。「もっと学生が知りたいこと、知って損をしないことを書いてほしいです。記者は裏に何があるか。足を使って追うことが大切です。自分の足で拾って記事にする。新聞は読んでもらうもので、眺めてもらうものではありませんから」


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