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森下暢仁 「明治大学に来て良かった」〝夢の続きはプロの世界で〟

硬式野球 2019.10.31

 夢見た舞台に足を踏み入れる。10月17日、2019プロ野球ドラフト会議で森下暢仁主将(政経4=大分商)が広島東洋カープ(以下、広島)から1位、伊勢大夢投手(営4=九州学院)が横浜DeNAベイスターズ(以下、横浜)から3位で指名を受けた。指名後の記者会見では「本当に幸せな気持ちでいっぱい」と喜びを語った森下。大学、そして広島の先輩となる野村祐輔選手(平24商卒・現広島)のように、1年目から開幕ローテーション入りを果たし、新人王を狙う。

森下一本釣り広島1位指名

 真っ先に恩師と握手を交わした。前日から公言していた広島が1位指名。競合はなく、交渉権獲得が決まった。「自分と縁があったということ。素直にうれしい」。善波達也監督から「おめでとう」と右手を差し出されると、満面の笑みを浮かべながら両手で強く握り返した。

 大学ナンバーワン投手としてプロの世界へ乗り込む。武器は「平均点の高さ」と指揮官。最速155㌔の直球と多彩な変化球、それらを四隅に投げ分ける制球力。今春は明大を38年ぶりの日本一に導き、MVPを獲得するなど実績も積み重ねてきた。広島の佐々岡真司監督は「自分だけでは決められない」と前置きした上で、自身が現役時代に付けた背番号〝18〟を継がせる意向も明らかにした。単独指名の反響は大きい。ツイッターでは「森下くん」「森下一本釣り」といった単語がトレンド入り。既に熱狂的なファンが入団を心待ちにしている。

「明治大学に来て良かった」

 「ごめん晃、俺やっぱり大学に行く」。同級生の川瀬晃選手(福岡ソフトバンクホークス)に思いを告げた4年前。一時は共にプロ志望届の提出を決意したが、6度大分に足を運んだ善波監督の熱意に心が動いた。決め手は「大学からドラフト1位でプロに行こう」という言葉。この時、進むべき道がはっきりと開けた。

 入学後はケガに悩まされた。1年次に肘の骨折、翌年には肩の関節唇の炎症。「野球をやりたくない」と思うことも。それでも「森下のすごさは一点の曇りもなく目標に突き進む精神力」と大分商高の渡邉正雄監督が語るように、自分を見失うことは決してなかった。ボールを投げられなくてもできることを淡々と。「今やるべきことをやろうと心に決めていた」。体づくりの成果は数字に表れる。球速は高校時代から7㌔アップ。課題だったスタミナも4季連続で50回以上を投げ抜くまでに成長した。どんなときでも芯をぶらさない。そんな森下だからこそ自然と人が集まってきた。1年次から集合写真は真ん中が定位置。日本一の瞬間も歓喜の輪の中心にいた。4年間の楽しかった思い出は「日々の寮生活」と語るほど毎日が充実。部を離れても、大学代表の仲間や他の体育会の友人と飲みに行き、たわいもない話で笑い合った。「人とのつながりが増えた。それが一番大学に来て良かったと思える瞬間」。悩んだ末、選んだ4年間で培った絆は一生の宝物だ。

野球の全てを楽しむ〝暢仁〟

 幼稚園の頃の夢は「サッカー選手だった」と母・美生さん。しかし本人は「覚えていない」と笑う。それくらい野球にのめり込んだ。小学3年次から始めると、毎日泥だらけで帰宅。投げて打って走って、野球の全てを楽しんだ。その気持ちは今も変わらない。「投手は投げるだけという考え方が好きではない。何でもできるようになりたい」。高校時代は投手なのにヘッドスライディング。大学でも3割近い打率を残し、遊撃や外野を守る場面もあった。けれん味なく、はつらつとプレーする姿は人々の視線を引き付ける。

 暢仁という名前は「みんなに親しまれ、のびのびと成長してほしい」(美生さん)という意味が込められた。これからも投手という枠に収まらない、そして応援される選手に。「前田健太選手(ドジャース)のように勝てる投手になりたい」。のびのび、愛されながら。プロの世界の激流を進んでいく。

【楠大輝】

◆森下 暢仁(もりした・まさと)大分県出身。2年次から3年連続で大学日本代表に選出され、今年は日米大学選手権でMVPを獲得。試合前のルーティンは後輩の入江(政経3)、竹田(政経2)と一緒にマンマパスタで食事をすること。右投右打。180㌢・75㌔

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