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〝明治時代〟を築き上げる完全感覚Shooter 吉村公汰

バスケットボール(男子) 2019.09.22

 放物線を描きリングへと吸い込まれるボール。放ったのは3Pシュートの使い手、吉村公汰(営1=土浦日大)だ。U―15(15歳以下)日本代表経験もあり実力は折り紙付き。 新人戦の山梨学大戦では24得点とチームトップの活躍を収め、その存在を知らしめた。


停滞からの急加速

 小学6年生でバスケに出会うと、才能は瞬く間に開花。たった3年でU―15日本代表に選抜された。順風満帆に見えた吉村のバスケ人生だったが、高校2年次の夏に突然シュートが入らなくなる。周囲の期待はプレッシャーとなって伸し掛かり「どんどん何もできなくなった」。追い込まれた吉村を救ったのは、陽の目を見ず陰で努力し続けてきた先輩の言葉だったという。「失敗してもいいから、とりあえずやってみろ」。2つの意味で肩の力が抜けた吉村は、とにかく打ち続けた。繰り返すことで感覚を覚えた身体は正確な一投を繰り出すようになる。「一本入ればあとは怖いものはない」。吉村のシュートは、唯一無二の精度を誇るまでに成長した。


共に歩んだ6年間

 〝吉村公汰〟を語るには欠かせない男がいる。チームメイトの若月遼(政経1=北陸)だ。2人はミニバスからの付き合いで、中学時代の東京都選抜でも共に戦った同士。しかし中学、高校と悩んだ先に若月が進学するなど、もどかしいほどに離されてしまう。両者の道は、この明大でようやく交わった。「ずっと互いに意識し合っていた」。置かれた場所は異なりながらもライバルとして高め合い続けてきた2人。プライベートでも仲が良く「本当にずっと一緒にいる。ソウルメイトみたいなもの」。親友を語る彼は、照れくさそうに頬をかいた。

 練習後恒例となった個人練は「自分にないものをたくさん吸収できる」貴重な時間。強豪校で培ったディフェンスをもってしても吉村だけは止められないという。 オフェンスこそ右に出る者はいないが、ドリブルはまだ甘い。対して若月の強みは勢いのあるドリブル。相方から学んで強みを増やし「試合の流れを変える選手になりたい」と 力強く意気込んだ。大学バスケ史に名を残すプレイヤーとなるべく、完全感覚Shooterはリングめがけて魂の一本を放ち続ける。


[菅野向日葵]


◆吉村 公汰(よしむら・こうた) 土浦日大高、182センチ・77キロ。東京都出身。オフの日に2人の弟を連れて日帰り大阪観光に行くほどのアウトドア派。


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