〝明治時代〟を築き上げる完全感覚Shooter 吉村公汰
放物線を描きリングへと吸い込まれるボール。放ったのは3Pシュートの使い手、吉村公汰(営1=土浦日大)だ。U―15(15歳以下)日本代表経験もあり実力は折り紙付き。 新人戦の山梨学大戦では24得点とチームトップの活躍を収め、その存在を知らしめた。
停滞からの急加速
小学6年生でバスケに出会うと、才能は瞬く間に開花。たった3年でU―15日本代表に選抜された。順風満帆に見えた吉村のバスケ人生だったが、高校2年次の夏に突然シュートが入らなくなる。周囲の期待はプレッシャーとなって伸し掛かり「どんどん何もできなくなった」。追い込まれた吉村を救ったのは、陽の目を見ず陰で努力し続けてきた先輩の言葉だったという。「失敗してもいいから、とりあえずやってみろ」。2つの意味で肩の力が抜けた吉村は、とにかく打ち続けた。繰り返すことで感覚を覚えた身体は正確な一投を繰り出すようになる。「一本入ればあとは怖いものはない」。吉村のシュートは、唯一無二の精度を誇るまでに成長した。
共に歩んだ6年間
〝吉村公汰〟を語るには欠かせない男がいる。チームメイトの若月遼(政経1=北陸)だ。2人はミニバスからの付き合いで、中学時代の東京都選抜でも共に戦った同士。しかし中学、高校と悩んだ先に若月が進学するなど、もどかしいほどに離されてしまう。両者の道は、この明大でようやく交わった。「ずっと互いに意識し合っていた」。置かれた場所は異なりながらもライバルとして高め合い続けてきた2人。プライベートでも仲が良く「本当にずっと一緒にいる。ソウルメイトみたいなもの」。親友を語る彼は、照れくさそうに頬をかいた。
練習後恒例となった個人練は「自分にないものをたくさん吸収できる」貴重な時間。強豪校で培ったディフェンスをもってしても吉村だけは止められないという。 オフェンスこそ右に出る者はいないが、ドリブルはまだ甘い。対して若月の強みは勢いのあるドリブル。相方から学んで強みを増やし「試合の流れを変える選手になりたい」と 力強く意気込んだ。大学バスケ史に名を残すプレイヤーとなるべく、完全感覚Shooterはリングめがけて魂の一本を放ち続ける。
◆吉村 公汰(よしむら・こうた) 土浦日大高、182センチ・77キロ。東京都出身。オフの日に2人の弟を連れて日帰り大阪観光に行くほどのアウトドア派。
関連記事 RELATED ENTRIES
-
木村柊也 常に前へ 歩みを止めない武闘家
拳法 2019.09.25※この取材は7月に行われたものです。 勝利に懸ける思いは誰にも負けない。「練習中でも優勝することしか考えていない」と木村柊也(文1=関西福祉科学大高)は普段から闘志を燃やす。6月の東日本個人では1年生ながら優勝、春から負けなしの逸材だ。そんな木村の隣にはいつもライバルの姿があった。 期待の風雲児 圧巻の強さを見せつけた。大学初の個人戦である東日本個人に出場した木村。「体力的にきつかった」。連戦で争われるため、疲労がピークとなる。それでも5戦中わずか1本しか許すことなく決勝へ。同校の先輩との対戦となった。「やりづらかった」が1本も許すことなく勝利。東日本優勝、さらに未だ公式戦負けなしという驚異の戦績を収めている。 悔しさを糧に 高校での悔しい思いが今の木村をつくり上げた。1年次、大会で2段の部に出場するもあえなく初戦敗退。しかし同じ大会で優勝した同期がいた。それが木村の最大のライバル・富永一希(龍谷大)だった。実力者の2人は幼いころから事あるごとに大舞台で対決。小4次初めて西日本を制覇した決勝の相手、中3次西日本4連覇を阻止された相手はいずれも富永。そんなライバルの優勝に悔しさがこみ上げてきた。「あいつが優勝したから自分も頑張らないと」。かえって奮起し、猛練習を重ねた。3年次、ついにその時が訪れる。2人は西日本選手権決勝の場で相まみえた。互いに決定打が出ない緊迫した展開。だが「何としても勝ちたかった」。執念で1本をもぎ取り、優勝。富永から公式戦初白星を挙げることに成功。確かな成長を見せつけた。 狙うは日本一 明大は団体インカレ(府立)で現在7連覇中の名門。その名は、東京から遠く離れた徳島にも届いていた。「小さい頃からずっといきたかった」。そんな憧れの明大で木村はある1つの目標を掲げている。「日本一になりたい」。高校時代には成しえなかった個人戦全国優勝。すでに東日本を制しており、着実に目標に近づいている。対する富永も西日本で優勝。ルーキー2人が東西で争う構図となった。日本一の座を懸けて、雌雄を決するその日まで。頂点を目指す木村の物語は始まったばかりだ。 [久野稜太] ◆木村柊也(きむら・しゅうや) 文1、関西福祉科学大高、167センチ・70キロ。生粋の釣り好きで、朝から晩まで熱中することも。「海よりも川か池派」。 READ MORE -
中村優里 世界を目指す未完の大器
フェンシング 2019.09.25矢のように飛び出して相手を突く。中村優里(営1=成立学園)は、現在全日本ジュニアランキング10位。高校時代からナショナルトレーニングセンターで練習をする金の卵だ。武器は瞬発力とスピード。これからのフェンシング界を担う期待の新鋭だ。 選ばれし逸材 まさに、宝の山を掘り当てた。小学校6年次、持ち前の運動能力を買われ、母親の友達の紹介で福岡タレント発掘事業を受験。これは、県が五輪に出る選手を育てるために行なっているもの。その結果、4万人の中から上位50人に選出される。適した競技を探すため、五輪競技を一通り経験。スピードと瞬発力が高く評価され、中学3年生でフェンシングを始めることに。しかし、その裏には強い葛藤があった。中学2年次には、陸上で九州大会優勝を果たす快挙。それだけに競技転向という決断に、周囲には落ち込む姿も。だが「世界を目指したい」とより可能性の高いフェンシングを選ぶ。ポテンシャルの高さを発揮し、瞬く間に成長。後悔のない選択かと思われた。 苦難の続く道 覚悟を決めて始めたフェンシング人生は「悔しい試合しかなかった」と挫折の連続だった。環境の良さを求め、高校入学と同時に母親と上京。思うように勝てた陸上とは違い、結果が出ず、競技を辞めようと思ったことも。それでも「家族を巻き込んでやっているからには」と奮闘。以前の受け身の練習から、自らコーチにアドバイスを求め、進んで練習をするように。すると、その努力が実を結ぶ。昨年のランキングマッチでランキング上位のジュニア選手らを次々撃破し、迎えたベスト8がけの試合。相手はナショナルチームの選手だけに「正直厳しいと思った」。それでも、素早い突きで攻め一進一退の攻防。サドンデスにもつれ込む熱戦を繰り広げた。敗れたものの「ここまで戦えたのは自信になった」と成長を感じた。 たどり着く所 福岡タレント発掘事業は、五輪出場が目標。同期には、世界選手権で活躍する選手も。競技歴まだ5年の中村には未知の伸びしろが秘められている。「五輪を目指す」。恥じらいながらもそう語る彼女の目は闘志にあふれる。 [下神大生] ◆中村 優里(なかむら・ゆり)営1、成立学園、161センチ。趣味は映画鑑賞で、好きな映画は「グレイテスト・ショーマン」。READ MORE -
永井克樹 〝克己〟 明大で新たな可能性を開く
準硬式野球 2019.09.24チームに穴は作らない。永井克樹内野手(営1=広陵)は1年生ながら春季リーグ戦でスタメンに定着すると長打を続々と記録。高校までは外野手だったが、内野手・捕手としての才能も開花させた。持ち前の勝負強さと高い適応力で常勝の明大を作っていく。 勝負師 少ないチャンスをモノにしてきた。全日本選手権1回戦・中京大戦。1点を追う9回裏、2死満塁。「チームのために」と振り抜いた打球は中翼手の頭上を越えた。持ち前の勝負強さを遺憾なく発揮し、チームをサヨナラ勝ちに導いた。 小学生でソフトボールを始め、中学生になると硬式野球のクラブチームに入団。高校進学は監督の強い勧めで甲子園常連校の広陵高校に。しかしエリートコースを歩まず、Bチームでくすぶる日々。厳しい上下関係と寮生活を、家族の顔を思い浮かべ耐え抜いた。転機がやってきたのは2年の夏だった。ライバルだった友人とのAチームを賭けた3打席勝負。2安打を放ち、悲願のAチームの座を勝ち取った。 新境地 迷いを振り払った。厳しい練習やケガで「しんどい」ことも多かった野球。それでも、父と叔父の母校である明大で野球を続けることに決めた。「試合で勝つ喜びを知っているから」、そしてなにより「野球が好きだから」続けたい。決意新たに故郷・広島を飛び出した。 春季リーグ戦・法大2回戦。捕手として途中出場し、2本の長打を放った。以降は1年生ながらスタメン出場。二塁手としても出場したが、高校までは外野手であった。慣れない守備位置では「失策のことを気にしてしまう」。慣れ親しんだ外野でプレーしたい。だが、高校時代帽子のつばに書いて身に染み込んだ、克己服礼の精神でチームに貢献していく。 ベストナインへの野心も見せる。失策が目立った分、打撃でカバーしてきた春季リーグ戦。守備をやりきることへの思いは強くなった。名前の「克」の字のごとく、自分の弱さに克(か)つ。ここ一番で見せる強さと、チーム状況に対応する柔軟性。二つを兼ね備えた万能プレーヤーが、明大に勝機をもたらす。 [田崎菜津美] ◆永井克樹(ながい・かつき) 営1、広陵高、165センチ・75キロ。京王線の安さに驚きを隠せない。休日は東京を満喫している。READ MORE