(19)慶大戦事前インタビュー① 郡司裕也主将
(この取材は2月25日に行われたものです)
郡司裕也主将
――昨秋のシーズンを振り返りいかがですか。
「慶應義塾野球部自体がすごく変革の時期で、大久保監督になられてからいろいろな取り組みをしてきて、昨年がこれ以上ないところまで突き詰めることができました。3連覇できると信じていたんですけど、あと1イニングで勝ち切れなかったところにショックを受けたというか、これでも優勝できないのかというシーズンでした」
――新チームではその経験をどのように生かしていますか。
「去年のチームの取り組みというのは継続しつつ、プラスでやらなければいけないことがあることを実感したので、技術面以外でのチームづくりではかなり土台が完成していると思うので、あとは出場している選手の技術をどれだけ上げるかだと思います」
――主将にも就任されました。
「下級生の頃から正直僕がならなければとは思っていましたし、捕手というポジション柄、全体を見なければならない立場だったので、やることはあまり変わらないです」
――冬の自主練習はどのように取り組まれましたか。
「例年だと個人に任せるのですが、今年からは選手たちが自ら集まる日を作って、2月の全体練習開始時に体がなまっていることがないようにしていました」
――個人として重点的に取り組んだことは何ですか。
「股関節の柔軟性を意識して取り組みました。捕手というポジションの中でフットワークが一番大事だと思うので、ワンバウンドのストップの練習、スローイングの練習でも足回りの硬さが目立っていたので、その課題克服のためにトレーニングしてきました」
――冬の思い出は何かありますか。
「パワプロですね(笑)。大学の研究でパワプロの研究をしていて。遊びというか、研究というか、そこでパワプロをよくやってました(笑)。パワプロの日本一決定戦というのがあるのですが、それを見に行ったのも印象的です」
――春に期待できる新戦力はいますか。
「増居(翔太)ですかね。技術はもちろんなんですけど、ブルペンで僕相手に一番初めに投げた時も全然動じていなかったので、落ち着いている投手向きの選手だと思います」
――明大の印象はいかがですか。
「善波(達也)監督のご指導の下、細部までこだわる野球をしてくる、やりづらい相手です。そこに慶應よりもポテンシャルのある選手が集まっているので毎年最も警戒する相手ですね」
――森下(暢仁主将・政経4=大分商)選手にはどのような印象をお持ちですか。
「球が速く、変化球もキレて、マウンドだけ見ているとすごい投手なのですが、話すと面白いやつですね。まさか主将になるとは思ってなかったのですが、周りからは主将になって変わったという話を聞くので、さらに恐ろしくなりましたね(笑)」
――今年は慶大をどのようなチームに仕上げていきたいですか。
「最後勝ち切るためには、個人の力量を上げないといけないので経験者が多いので慢心も出てしまうと思うのですが、主将の自分がしっかりと言って、自分たちはまだまだと自覚させながら練習するということを引退まで続けたいです」
――春シーズンの意気込みを教えてください。
「春は早稲田に連勝して優勝という目標があるのですが、その目標を達成するためには勝たなければいけないので、気を引き締めて、初戦からフルパワーでやっていきたいです。個人的には打撃の面でチーム一番の数字を残して、ベストナインを取って優勝したいです」
――ありがとうございました。
[小畑知輝]
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