『言の葉(7)』佐藤右規「辞めるという選択肢はなかった」

ウエイトリフティング
2019.01.17

 最後まで過酷な試練が待ち受けていた。人一倍練習熱心故に、人一倍ケガに悩まされてきた佐藤右規主将(政経4=宇佐)。最後の全日本大学対抗選手権(以下、インカレ)は膝のケガに加え、ヘルニアの一歩手前である腰椎椎間板症を11月に発症し6位。インカレで表彰台に上るという目標は達成できなかった。それでも「ウエイトしかなかったし、ウエイトで良かった。そして明大に来て、主将ができて良かった」。4年間の頑張りが何物にも代え難い経験となった。
 いとこからの勧めもあり、高校1年次から始めたウエイト。高校2年次にはジャークで全国1位となった。だがケガとは常に隣り合わせ。父・聖悟さんから競技を続けることを反対されていた。それでも〝継続は力なり〟をモットーに。「ウエイトはやった分だけ結果が出る。だから鍛える」。明大で競技続行を決意した。だが大学入学後は一層ケガに苦しむこととなった。2年次には体の各所に慢性的な痛みを抱えれば、新主将として迎えた4月。練習中に膝の靭帯(じんたい)と半月板を損傷。医師から「競技を続ければ将来の生活は保証できない」と告げられた。
 しかし在学中に「競技をやめるという選択肢はなかった」。その気持ちの裏には競技への思いと、何よりも主将としての義務感があった。主将としてのプレッシャーとの闘いでもあったこの1年。就任当初は1人で考え事をするため、カフェで6時間以上を過ごすこともあった。そんな悩み抜いた1年間だったが「主将じゃなかったら最後まで練習を続けられていなかったかも」。重圧と責任が原動力にもなっていた。「ケガばかりだったけど、ここまでやってこられて良かった」。選手として、主将として。競技に向き合い続けた男の姿を忘れることはない。
【高野夕】

◆佐藤右規(さとう・ゆうき)大分県出身。167㌢・68㌔