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(39)OBインタビュー 8区・園原健弘コーチ

競走 2018.12.19

 歴史に名を刻んだ男の今を追った。今回で60度目の箱根に挑む明大は、これまで優勝7度を含め、箱根の歴史を彩ってきた。今特集では各区にちなんだOBを取り上げ、当時の思い出とともに、明大と箱根の歴史を振り返る。

 

 第8回は現在、明大競走部の副監督を務め、現役時代は専門種目を競歩に置きながらも、第6061回(19841985年)大会の8区で出走した園原健弘コーチを特集します。(この取材は1126日に行われたものです)

 

 

◆園原コーチの箱根成績◆

学年

個人成績

チーム

1年

不出場

予選落ち

2年

不出場

予選落ち

3年

8区14

18

4年

8区9位

15

 

 ――大学での4年間を振り返っていかがでしたか。

「入学した当初から競歩で五輪に行きたいという目標があって、完全に競技第一でした。今の学生は勉強もしっかりやらなければいけないと思うのですが、当時はもう少し緩かったので、競技中心の生活というのが成り立っていたと思います」

 

――長距離と競歩の二刀流は大学から始めたのですか。

「大学からですね。当時はどちらかというと競歩は長距離選手の落ちこぼれというようなイメージがありました。元々長距離選手だった私としては、どちらかで一流になれればいいなと思いがありました」

 

――当時も二刀流は珍しかったのですか。

「主流ではなかったですね。多分、競歩をメインに置きながら箱根に出たというのは、日本全体でも私くらいじゃないですかね。練習に関しては99%を競歩に置きながら、朝練だけは長距離でやっていました。しかし、それも箱根に出るためじゃなくて競歩で強くなるための朝練でした」

 

――1、2年次は本戦に出場できませんでしたが。

「そこまで悔しくはなかったですね。当時のメンバーを見ると長距離選手が10人そろってないような状況だったのでしたので。400メートルの選手が走ったりもしていたので、これは通過できないなと思いました」

 

――3、4年次では本戦出場を決め、2年連続で8区を務められました。

「私は上りが得意だったので、山登りの候補にもなっていました。ただ1日に元旦競歩があって次の日はさすがに疲れているからまずいだろということで、復路を走りました。思い出で残っているのは、前の東海大の選手を1人抜いたら、東海大の監督から『お前が抜かされたのは競歩の選手だぞ、何やっているんだ!』というのを聞きました(笑)。そのあと前に東農大の選手がいたのですが、そこでも監督が『後ろから来ているのは競歩の選手だぞ!』と。その時、私のことを知っていてくれて、すごく勇気になったというか『やってやったぞ』という達成感を味わいましたね」


 専門を競歩に置きながら、2年連続で8区を走った園原コーチ(※写真は本人より提供)


――卒業後は競歩でバルセロナ五輪に出場されました。

「参加だけで終わってしまったなという感じですね。五輪に出たいという目標はあったのですが、そこから先の目標が見えなくて、メダルまでは遠いイメージがありました。ただ感じるのは参加するだけでは意味はないなと。世界大会で活躍して、結果をしっかり残さないといけないと思いました」


――箱根がくれたものは何ですか。

「走ることを捨てさせ、自分の道筋を明確にしてくれた大会ですね。多分これは俺だけではなくて、これから箱根をトライする選手の中にも、いっぱいいると思う。箱根を目指した何年間で陸上の選手として、『俺はもうここまでなんだな』という考えを持ちながら練習する選手もたくさんいると思います。でも、そこできちんとやり切るということが社会に出たときの糧になると思います」


――これから出走する選手に激励の言葉をお願いします。

「自分の力って100%は出せないと思います。五輪とかで良く言われるんだけど、ここ一番で合わせる強さを持っている者が勝つと言われているんだよね。だから箱根では大事なときに、コンディションを合わせられる力というのを学んで欲しいですね。もちろん本番に合わせるためには我々スタッフのサポートも必要なんですけど、山本佑樹駅伝監督はそういうところがうまいので自分自身と佑樹監督を信じて挑戦してほしいですね」


――ありがとうございました。


[綾部禎]


次回のアップは1220日(木)です。お楽しみに!

 


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