清水智央 不断の〝努〟力で栄光をつかみ取る
鋭いドライブで敵陣に切り込む、不屈のフォワードの清水智央(文2=東京成徳)。コートに立つと普段の朗らかな姿とは一変し、射るようなまなざしで相手を見据える。高校3年次にはインターハイでチームをベスト8へと導いた。明大では、得点源としてだけでなく、磨き上げられたリバウンドとディフェンスでチームを支える。
導き
攻守で輝く。清水の持ち味は、キレのあるドライブだ。6月に行われた新人戦の桜美林大戦では1人で30点を稼いだ。さらに、プレッシャーディフェンスでも相手を圧倒。ディフェンスから積極的に仕掛け、勝利に貢献した。「ディフェンスとリバウンドを最も意識して練習してきた」。自らの武器を存分に見せた。
バスケに出会ったのは小学校3年生の時だ。「いろんなスポーツをやったけど、バスケが1番合っていた」。才能は開花し、中学ではU―14(14歳以下)のトップエンデバー(※1)に選ばれるほどの選手に成長。しかし、バスケ漬けの毎日に「高校生になったら遊びたい」と気持ちが揺らいだ。そんな清水を支えたのはクラブチームのコーチだった。「人間性や相手の選手や審判への礼儀、選手としての在り方を教わり、バスケの考え方が変わった」。これまで意識してこなかった守備面を見直すと、再びバスケの面白さを実感。心を改め、憧れていた強豪・東京成徳への進学を決めた。
心に響いたコーチからの言葉がある。「人はできていないことに目が行きがちで、できていることが見えていない」。今でもこの言葉が清水を鼓舞する。
努力
周りの人の温かさが、清水をここまで成長させた。高校時代は試合に出られない時期が続き「悔しくて毎日帰り道で泣いていた」。それでも常に応援してくれた両親。練習後の自主練のために、母親はすぐに迎えに来てくれた。「メインコートに立っている試合を両親に見せたい」。恩師の教えを思い出し、伸び悩む中でも自分が〝できていること〟を紙に書き出し練習した。努力は実り、3年次にスタメンの座をつかむと、インターハイベスト8に輝いた。両親に結果で感謝を示した。
清水のコートネームは〝ユメ〟。意味はチームのために〝努〟力できる選手。今年の目標は「2部Aブロックへ昇格すること」。明大の勝利のため、清水の不断の努力は続く。
[大橋未来]
♥清水 智央(しみず・ちひろ)埼玉県出身。マイブームは部屋の模様替えで、自分で壁に小さい棚を作ることも。174㌢
(※1)将来の日本代表選手に育成しようとする強化システムのこと
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