1年間の集大成見せ4年ぶりの冬山登頂成功/冬山決算合宿

山岳
2016.03.13
 1年間の合宿の成果を発揮した。今までの合宿と異なり安全地点のベースキャンプと頂上アタックのためのキャンプの2つのキャンプを利用する極地法で挑んだ冬山決算合宿。登頂の際は、山頂を目指す松本拓也主将(農4=青山)と松木啓祐(商4=明大中野八王子)の頂上隊と太田奈津美(農4=水戸三)、長坂公貴(政経4=韮崎)、宮武尚史(農3=琴平)、小清水健人(農1=韮崎)、染矢智成(文1=小田原)のサポート隊に分かれ行動。10日間という短い期間での冬山登頂に対し「不安はあった」と松本主将。だがいざ山に入れば全員の気持ちは山頂へと向かった。
 
 登山7日目、初の頂上アタックは雪を崩しながらの登攀(とうはん)していくことに時間を取られあえなく登頂を断念。しかしそこに焦りなく「やってきたことを全て出せば」(松本主将)と成功を信じてやまなかった。次の日、天候にも恵まれ順調に登攀、頂上までの道では腰まで積もった雪をラッセル(雪をかきわけながら進むこと)しながら進む。出発から約7時間、ようやく今合宿の目標である鹿島槍ヶ岳北峰に到達。トランシーバーでキャンプ場に待機していたサポート隊に登頂成功を伝えるとキャンプ中で隊員の喜びの声と拍手が起こった。「同期が登頂してくれたことが嬉しかった」(太田)と4年生は1年次以来の冬山登頂成功に一層喜びを噛みしめた。その後2日間かけて下山。最終日は吹雪に見舞われたが早朝には下山を完了させ、高山病や凍傷になる隊員も発生せずに冬山決算合宿を大成功で収めた。

 サポート隊の助けなしには山頂到達は成し得なかった。当初は全員での登頂を予定していたが、今回挑んだ鹿島槍ヶ岳は例年の冬山よりも登攀技術を要することもあって安全を重視した極地法を採用。4年生でサポート隊に回った太田奈津美(農4=水戸三)、長坂公貴(政経4=韮崎)を中心にサポート隊は、第1キャンプのから登頂の拠点となる第2キャンプまでのルートをつくるなど登頂部隊を後方から支援し続けた。ルート工作の途中の細道では、ザイルワーク経験の少ない1年生がスリップしないよう終始気を張った。その甲斐あってかケガ人は0。「1つの隊として成功に導けた」(太田)と責任を全うし、最後の合宿を終えた。

 この合宿を終え松本主将ら4人の4年生は引退を迎えた。部員の半数が4年生だったということもあり、4年生の抜けた穴は大きい。しかしその分「しっかり自分たちが部を引っ張っていきたい」(染矢)と一人一人の責任感は増す。また、新体制となった部は早くも春合宿へ向け始動。決算合宿を経て部で唯一の正部員に昇格した宮武新主将は「一番は安全にケガなく隊を作っていきたい」と来年度へ向けての抱負を述べた。部は再び来年の冬山攻略へ向けすでに進み始めている。

[長谷川千華]

★宮津OB、世界の未踏峰に挑む★
 

 山岳界の発展に貢献した。日本山岳会創立110周年を記念した活動の一つ「ネパール東部登山隊2015」に明大山岳部OBの宮津洸太郎氏が登攀隊長として参加し、見事その責務を全うした。これは学生のみでネパール東部カンチェンジュンガ山群の未踏峰に挑むという、日本山岳会をあげてのプロジェクト。未踏峰に挑むだけではなく、周辺の山域調査や登山中における人体への影響などの研究も目的のひとつ。隊は無事、全員で登頂を達成し「大成功だった。何も事故なく、かつメンバーとまとまっていいチームをつくることができた」と宮津氏は振り返った。
 故・植村直己氏(昭39農卒)をはじめ著名なアルピニストを輩出している明大山岳部。宮津氏は「こういった貴重な経験をさせていただいたので、これを(明治にも)還元していきたい」と、明大山岳部のさらなる発展にも一役買うことを誓った。

★4年生のコメント★
松本主将

 「山ってことに関しては自分の限界を知らされるもの。体力的にも精神的にも。机上で考える思考と上の厳しい環境で疲弊している中での思考は振り返ってみるとちょっと違う。ただ山に行くと危険なところもかなり出るので、部員一人一人への気遣いや安全に戻ってくるということは徹底して欲しいと思う。下級生の命を守りながら上級生は自分の命を守らなければいけない。来年は上級生が少ない中で下級生が何人入るかは分からないけれど、なおさら目が行き届かなくなってしまうかもしれない。でも安全安全言っているとできる幅は狭くなってしまうので、そこは自分たちの力を見極めて的確にやりたいことをやっていければいいと思う」

太田
 「8割はつらいこと厳しいこと。でも難しいところに行けば行くほど成功した時の喜びがある。(後輩へ)全力でかっこつけずに無我夢中でやれるのはこの4年間しかないので、そこを自分の良かった点として全力でやってほしいのと、何よりも安全に慢心せずにやってほしい。引退後もどこまでやるかはわからないけど山岳をやめようとは思っていないので。1か月に1回は山に登りたいと思う。粘りと泥臭さをこの山岳部で身に着けたのでそれをばねにやっていきたい」

長坂
 「羽陽曲折あったけれど、仲間4人とやってこられて,本当によかった。きついことばかりだったけれど、最後に決算で成功することができて、今までのことは無駄ではなかった、と最後の最後に分からせてもらった。最初にスポーツ推薦ではいって、体力的には余裕があったけれど、1年の時の冬山で体力だけではダメだということに気づかされた。そこから先輩を山をバテさせて、馬鹿にしてやろうと思ってトレーニングを頑張った。今思えば、不純なモチベーションでした笑。(後輩へ)気持ちを強く持ってやって欲しい。この部活に毎日くることになって、大変に思うことがでてくると思うけれど、継続して一つ一つをやっていって欲しい。(山とは)いい意味でも悪い意味でも人生経験をさせてもらえる場。いい思いをすることは少ないかもしれないけれど、自分自身の力を教えられる場所だった」

松木
 「4年間を終えて、ほっとしている。ケガとかもあったので、続けていけるか厳しいときもあった。無事に続けていくことができて、その最後の最後に有終に美を飾ることができたので本当によかった。自分は就職してしまうが、時間を見つけてこれからも山には登りたいと思っている。機会は少なくなってしまうかもしれないけれど、山に接していきたい。(後輩へ)頑張ってくれという気持ちが大きい。部員が半分抜けることになるけれど、その中でも精一杯頑張って欲しい。(山岳とは)かけがえのないもの。自分自身の成長につなげることができた、とても大きなもの。人間としてこの部で成長することができたと思う」