強風に阻まれ全国大会出場逃すも 充実の4年間/関東学生グライダー競技会
航空
2015.12.31
得点ならず悔しい結果に終わった。全国大会の出場権もかかった今大会。しかし風速10m前後にもなる強い風が行く手を阻んだ。大会5日目と最終日では上昇気流旋回で高度はクリアしたが、風二流され指定地点にたどり着くことができず。無得点に終わり、2年連続2回目の全国大会出場とはならなかった。
「飛びたいという、もうその一心で」。主将の和田は笑って話したが、同期で同じくパイロットである鈴木貴大(理工4=明大中野)が「執念」と見る和田のグライダーへの強い思い。それが部へ変革をもたらした。顕著に現れたのは訓練での発航回数だ。昨年まで1年間1人あたり20回前後、部では1192回を飛んでいたが、今年度は1841回を飛び、その数を大きく増やした。結果も目に見えて現れ、ライセンス取得に4年間をかけるという例年の明大を変え、部全体のレベルが向上しつつある。ライセンス取得が射程圏内にはいる一人での操縦が認められた2年生部員が続々と誕生しているのだ。「やっぱり後輩が成長するのはとてもうれしい」(和田)。今大会も「後輩のためにも飛びたいという気持ちだった」と和田。4機ある全ての機体を管理し訓練をサポート、和田とはライバルとしても技量を高めあってきた鈴木も「自分が取り組む姿勢を見せなくちゃいけない」(鈴木)といつも部への思いを切らさなかった。全国大会出場はならず引退となる4年生だが、その背中は、後輩に確かなものを残した。
[川合茉実]
試合後のコメント
和田
「最終日で(全国に)行けなくなっちゃった。5日目最後、風が強かったんだけど上昇気流があって。うまく乗ることができて高度を900くらいまであげることができた。風が強くて慣れてなかったから、ポイントの給水塔までは行くことができなかった。今日(最終日)は風が強い予報ではあったけど、条件は出るだろうと言われていた。でも風が強すぎで。他もみんな始めはだめだったけど、最後。発航が終わってからがヤマ場になってしまいました。うちは他と(強風の中での)練習の差があったけど、自分は明治を背負っているからやってやりたかった。悔しかったですね。今日得点できなかったのは…。(高度を上げるのが難しかったのか)いや、上げることはできた。930くらいはいった。コース取りがあまりよくなかった。他は妻沼で訓練をしている分、経験の差が出てしまった。風が強くて前に進めなくて。給水塔のところに近づくことができなかった。他のところは徐々に近づくというのがうまかった。(六大学戦後、力が伸びたんじゃないかと鈴木選手から話が出ていたが)鈴木がなかなか練習に出れなくなったというのもあると思うけど、自分はたくさん飛ぶことができたというのが大きい。飛べば飛ぶほどわかるようになるというか。飛ぶ量があったから、六大学戦の時よりはだいぶ変わったなと自分でも思います(笑)六大学戦の時は高度も獲得することができなくて。今回はそこが違かった、良かった。(今回は風がかなり強い中だったが、それでも高度獲得した)上昇気流は風によって変わるが、流されつつも上がるポイント、サーマルのでき方のようなものがある。それが前よりもうまく捉えられるようになった。前はがむしゃらに旋回することも多かったかな。他大はやはり妻沼で飛んでる時間が長いからそういう地の利というか、わかっている。(明大からして見れば大会は常にかなり不利な状況だが)まあでも、フライトがうまければできることはあるはずだから。まだまだ(競技に関して)明治は成長途中なのかなと。来年、再来年に期待したい。いい結果を私は期待しています(笑)(航空部に入部してから)入ってからはまさか自分が主将になるなんて思ってもなかった。四年間、いろいろあったけど良かった思い出、楽しかった思い出しかない。主将でも良かった。私は練習に力をかけていたと思う。後輩にいっぱい飛んで欲しくて。やっぱり後輩が成長するのはとてもうれしいから。(大会中での訓練でも新たにソロ飛行者が二人でるなど、結果は続々と現れていると思うが)そうですね、やっぱりうれしいですね(笑)後輩も、同期もみんな頑張っていた。私が飛びたいというもうその一心で(笑)それでフライト数を伸ばして、みんなよくついてきてくれたなと思う。訓練の取り回しを全部自分でできるのがやっててやりがいはあった。自分の働きで飛ぶか飛ばないか、何発飛ぶかというのが変わるから。(やはり一番変えたのは訓練、練習面か)そうですね。質はわからないけど、量。それで確実にレベルは他大と同じところまできている。それまではライセンス取るまでがとても遅かったし、比べ物にならないくらい練習の量が違った。今の2年生の代だったら、その面は互角に戦える。それをつくれたのはものすごく誇りに思っている。自分がライセンスを取ったのは、選手の中でも遅い方だった。でもDGに機体が移って、それからのフライト数も多くなって、滞空時間ものびて。できればもう少しやりたかったけど、自分もやればできるんだなと思った。これで終わりじゃなくて、引退、卒業してからもグライダーを続けることはできるので趣味としてやっていきたい。(就職は)航空関係といえばそんな感じ。これも航空部がきっかけだから、空を飛んでいたいなと思っている。グライダーは生涯できるスポーツだから。(和田さんのピークを最後に持ってこれたのは)これはもうみんなのおかげ。訓練をきちんとやれてきたおかげだと思う。選手である私のたちのためにフライト数をかせいでくれたおかけですかね。後輩のためにも飛びたいという気持ちだった。(改めてグライダーの魅力は)動力なしで飛べるところ。グライダーをやっててよかったととものすごく思う。引退する、この瞬間になってもそう思う。(着陸がきれいですね)着陸する前にフレアを取って降りると、速度を殺してうまく降りれる。うまく取るようにはしている。自分でも気をつけようと思って。全体を通して六大より楽しかった。飛んでても上がれたというのもあるし、選手同士が仲良くなったこともあって楽しかった。うちは他大といつも訓練していないから、他の子たちはここで一緒で訓練しているから仲がいいけど。うちはそういうのがないので。私が学連に入って初めてそういう風に仲良くなった代かな。おもしろかった。どういうところが浮けるポイントなのかとか妻沼のことを聞いたり、世間話とかも。後輩にもやって欲しい。今年初めて新人戦に木曽川のほうまででてもらったのも、技量云々とかではなく、一番やって欲しかったのは友達を作って欲しかった。2年生のうちから交流を深めることで、他大の状況を知ることで、刺激になると思うし、自分が選手になった時もお話できて、もちろん楽しいし、フライトのことでも話せるようにもなる。やっぱり妻沼で慣れてないからね。教えてもらったほうが全然違うし。(主将としての方針は)訓練面では近年で一番の発数をとってやるというのは思っていた。今までのは1年で1000と少しぐらいから、2000近くまで増やした。一人でも20から60くらいに増えているかな。私たちの代は増やせなかったのでライセンサーは二人ですけど、うちの代で何かしようというよりは、後輩に(訓練の)基礎をつくれたというのが、うちの代的に良かったこと」
鈴木
「自分の未熟さに悔しい。経験と知識の差が大きかった。自分もデルタ1に機体が移ったのが今年の10月。といても31日。発数も稼げなくいて、技術の面も未熟だった。(強風の中だったが)自分としては苦しかったけどまあ粘れたほうかなと。5日目がチャンスでした。でもこれだけの強い風の中で飛ぶというのはなくて、あれが初めてだった。飛んだ時は、申し訳ないのだけど得点とか考えられなくて。生きて帰ってこようということを優先させてしまいました。あとはやっぱり他選手と比べるとバンク(※上昇気流に乗るときの機体の傾き)が緩かった。気合が足りなかったかな(笑)そこの技量差は経験からくるものと思っているので、そこが明らかになってしまったかな。やっぱり妻沼で飛びなれていた方が何かとポイントがわかりやすい。明治大学である以上は仕方のないことだけど。技量差見せ付けられて、これから自分に伸びる場所があるんだなとも思った。でもやっぱり悔しいので、いつか見返せる記録を残せたらと思う。これからもグライダーは続けていきたい。(最終日和田選手にフライトが決まったが)生きて帰ってこいと言いました(笑)無事でこそなので。外から見たことを教えたり、役に立つようにはしていた。やっぱり風によって上がれたとき、そうでないときの軌跡が違った。機体の傾きが浅いかなと。チャンスもなかなかなくて、だからこそ悔しかったというのもあった。(4年間)入部の時とグライダーの乗り方が全然違う。初めはもう何をしたらいいかわからなかった。その中でたまたま浮かぶとか(笑)今では狙って浮かべるようになった。初めてサーマルに乗った時は(サーマルの)真ん中にトンビがいて。良く覚えている。楽しくて忘れられない。(この一年間後輩には)知識ばかり与えても頭でっかちになってしまうので経験を与えようと。だからその中で自分が取り組む姿勢を見せなくちゃいけない。引っ張っていく上で肝かなと思っていた。その点、六大戦でポイントが取れたことは良かった。(発航数増)和田が飛ぶ飛ぶ言っていて、押し切られるような形で。いつのまにかこんな数にというのが正直な印象です(笑)執念だなと。自分も感化された。(良かったこと)サーマルに乗って、高く上がってきた時は本当に楽しい。一番の瞬間。努力すれば結果を成すということを学んだ。努力することの楽しさもですね。地上の作業は辛いと思うときもあったけど、華の部分はできないので絶対に。でも苦しかった。前まで2機でやっていたが、昨年から4機に増えた。それも一人で管理してきたのも苦労した。教えるのも自分しかいなくて。色々なところに目を配っていかなきゃいけなかったが、そのおかげで1年の後半は2年生に仕事を任せられるようになった。(後輩が徐々に力をつけている)一安心って感じです(笑)来年も明大は頑張れるなと。後輩たちは個人の頑張り、パイロットの頑張りというのが一番だと思う。でも数を上げられたのは誇り。後輩にチャンスを上げることができた。同じ機体で長く飛ぶことの重要さをすごく実感した。デルタ1で数時間しか乗っていないから乗り慣れていない。そういうマイナスの部分はなくしてほしい。(改めてグライダーの魅力)自分の操縦で飛ぶので、結果がそのままでる。シビアな部分ではあるけど、楽しい。鍛えられました(笑)感謝の気持ちです。折原監督にですかね。監督にソロの許可出してもらって、単座機に乗って、デルタ1に乗って。やっぱりお世話になったので。監督には恥ずかしくて言えないですけど(笑)」
全国への切符目前から一転した。例年同様、天候が荒れ厳しい条件が続いた大会期間。大会6日目までで得点した大学はわずか1校のみとなり、明大は獲得高度900メートルで全国大会出場確実の位置につけていた。そして混戦で迎えた最終日。強い風こそ吹いていたが、気温は上がり上昇気流が発生するなど、得点獲得に天候条件がそろうこととなる。和田のどか主将(農4=大宮)は、大会5日目に風速10メートル前後の中でも高度を獲得し、最終日でも高度を930メートルまで上げることに成功。しかし「コース取りが良くなかった」(和田)。他大と違い妻沼で訓練をしていない経験差が露呈し、風に流され1つ目の得点獲得地点にたどり着くことができず。着陸直後には他大が風が弱まったのと同時に次々に得点を獲得。逆転負けでの順位圏外という結果に「悔しいですね」(和田)。肩を落とした。
「飛びたいという、もうその一心で」。主将の和田は笑って話したが、同期で同じくパイロットである鈴木貴大(理工4=明大中野)が「執念」と見る和田のグライダーへの強い思い。それが部へ変革をもたらした。顕著に現れたのは訓練での発航回数だ。昨年まで1年間1人あたり20回前後、部では1192回を飛んでいたが、今年度は1841回を飛び、その数を大きく増やした。結果も目に見えて現れ、ライセンス取得に4年間をかけるという例年の明大を変え、部全体のレベルが向上しつつある。ライセンス取得が射程圏内にはいる一人での操縦が認められた2年生部員が続々と誕生しているのだ。「やっぱり後輩が成長するのはとてもうれしい」(和田)。今大会も「後輩のためにも飛びたいという気持ちだった」と和田。4機ある全ての機体を管理し訓練をサポート、和田とはライバルとしても技量を高めあってきた鈴木も「自分が取り組む姿勢を見せなくちゃいけない」(鈴木)といつも部への思いを切らさなかった。全国大会出場はならず引退となる4年生だが、その背中は、後輩に確かなものを残した。
[川合茉実]
試合後のコメント
和田
「最終日で(全国に)行けなくなっちゃった。5日目最後、風が強かったんだけど上昇気流があって。うまく乗ることができて高度を900くらいまであげることができた。風が強くて慣れてなかったから、ポイントの給水塔までは行くことができなかった。今日(最終日)は風が強い予報ではあったけど、条件は出るだろうと言われていた。でも風が強すぎで。他もみんな始めはだめだったけど、最後。発航が終わってからがヤマ場になってしまいました。うちは他と(強風の中での)練習の差があったけど、自分は明治を背負っているからやってやりたかった。悔しかったですね。今日得点できなかったのは…。(高度を上げるのが難しかったのか)いや、上げることはできた。930くらいはいった。コース取りがあまりよくなかった。他は妻沼で訓練をしている分、経験の差が出てしまった。風が強くて前に進めなくて。給水塔のところに近づくことができなかった。他のところは徐々に近づくというのがうまかった。(六大学戦後、力が伸びたんじゃないかと鈴木選手から話が出ていたが)鈴木がなかなか練習に出れなくなったというのもあると思うけど、自分はたくさん飛ぶことができたというのが大きい。飛べば飛ぶほどわかるようになるというか。飛ぶ量があったから、六大学戦の時よりはだいぶ変わったなと自分でも思います(笑)六大学戦の時は高度も獲得することができなくて。今回はそこが違かった、良かった。(今回は風がかなり強い中だったが、それでも高度獲得した)上昇気流は風によって変わるが、流されつつも上がるポイント、サーマルのでき方のようなものがある。それが前よりもうまく捉えられるようになった。前はがむしゃらに旋回することも多かったかな。他大はやはり妻沼で飛んでる時間が長いからそういう地の利というか、わかっている。(明大からして見れば大会は常にかなり不利な状況だが)まあでも、フライトがうまければできることはあるはずだから。まだまだ(競技に関して)明治は成長途中なのかなと。来年、再来年に期待したい。いい結果を私は期待しています(笑)(航空部に入部してから)入ってからはまさか自分が主将になるなんて思ってもなかった。四年間、いろいろあったけど良かった思い出、楽しかった思い出しかない。主将でも良かった。私は練習に力をかけていたと思う。後輩にいっぱい飛んで欲しくて。やっぱり後輩が成長するのはとてもうれしいから。(大会中での訓練でも新たにソロ飛行者が二人でるなど、結果は続々と現れていると思うが)そうですね、やっぱりうれしいですね(笑)後輩も、同期もみんな頑張っていた。私が飛びたいというもうその一心で(笑)それでフライト数を伸ばして、みんなよくついてきてくれたなと思う。訓練の取り回しを全部自分でできるのがやっててやりがいはあった。自分の働きで飛ぶか飛ばないか、何発飛ぶかというのが変わるから。(やはり一番変えたのは訓練、練習面か)そうですね。質はわからないけど、量。それで確実にレベルは他大と同じところまできている。それまではライセンス取るまでがとても遅かったし、比べ物にならないくらい練習の量が違った。今の2年生の代だったら、その面は互角に戦える。それをつくれたのはものすごく誇りに思っている。自分がライセンスを取ったのは、選手の中でも遅い方だった。でもDGに機体が移って、それからのフライト数も多くなって、滞空時間ものびて。できればもう少しやりたかったけど、自分もやればできるんだなと思った。これで終わりじゃなくて、引退、卒業してからもグライダーを続けることはできるので趣味としてやっていきたい。(就職は)航空関係といえばそんな感じ。これも航空部がきっかけだから、空を飛んでいたいなと思っている。グライダーは生涯できるスポーツだから。(和田さんのピークを最後に持ってこれたのは)これはもうみんなのおかげ。訓練をきちんとやれてきたおかげだと思う。選手である私のたちのためにフライト数をかせいでくれたおかけですかね。後輩のためにも飛びたいという気持ちだった。(改めてグライダーの魅力は)動力なしで飛べるところ。グライダーをやっててよかったととものすごく思う。引退する、この瞬間になってもそう思う。(着陸がきれいですね)着陸する前にフレアを取って降りると、速度を殺してうまく降りれる。うまく取るようにはしている。自分でも気をつけようと思って。全体を通して六大より楽しかった。飛んでても上がれたというのもあるし、選手同士が仲良くなったこともあって楽しかった。うちは他大といつも訓練していないから、他の子たちはここで一緒で訓練しているから仲がいいけど。うちはそういうのがないので。私が学連に入って初めてそういう風に仲良くなった代かな。おもしろかった。どういうところが浮けるポイントなのかとか妻沼のことを聞いたり、世間話とかも。後輩にもやって欲しい。今年初めて新人戦に木曽川のほうまででてもらったのも、技量云々とかではなく、一番やって欲しかったのは友達を作って欲しかった。2年生のうちから交流を深めることで、他大の状況を知ることで、刺激になると思うし、自分が選手になった時もお話できて、もちろん楽しいし、フライトのことでも話せるようにもなる。やっぱり妻沼で慣れてないからね。教えてもらったほうが全然違うし。(主将としての方針は)訓練面では近年で一番の発数をとってやるというのは思っていた。今までのは1年で1000と少しぐらいから、2000近くまで増やした。一人でも20から60くらいに増えているかな。私たちの代は増やせなかったのでライセンサーは二人ですけど、うちの代で何かしようというよりは、後輩に(訓練の)基礎をつくれたというのが、うちの代的に良かったこと」
鈴木
「自分の未熟さに悔しい。経験と知識の差が大きかった。自分もデルタ1に機体が移ったのが今年の10月。といても31日。発数も稼げなくいて、技術の面も未熟だった。(強風の中だったが)自分としては苦しかったけどまあ粘れたほうかなと。5日目がチャンスでした。でもこれだけの強い風の中で飛ぶというのはなくて、あれが初めてだった。飛んだ時は、申し訳ないのだけど得点とか考えられなくて。生きて帰ってこようということを優先させてしまいました。あとはやっぱり他選手と比べるとバンク(※上昇気流に乗るときの機体の傾き)が緩かった。気合が足りなかったかな(笑)そこの技量差は経験からくるものと思っているので、そこが明らかになってしまったかな。やっぱり妻沼で飛びなれていた方が何かとポイントがわかりやすい。明治大学である以上は仕方のないことだけど。技量差見せ付けられて、これから自分に伸びる場所があるんだなとも思った。でもやっぱり悔しいので、いつか見返せる記録を残せたらと思う。これからもグライダーは続けていきたい。(最終日和田選手にフライトが決まったが)生きて帰ってこいと言いました(笑)無事でこそなので。外から見たことを教えたり、役に立つようにはしていた。やっぱり風によって上がれたとき、そうでないときの軌跡が違った。機体の傾きが浅いかなと。チャンスもなかなかなくて、だからこそ悔しかったというのもあった。(4年間)入部の時とグライダーの乗り方が全然違う。初めはもう何をしたらいいかわからなかった。その中でたまたま浮かぶとか(笑)今では狙って浮かべるようになった。初めてサーマルに乗った時は(サーマルの)真ん中にトンビがいて。良く覚えている。楽しくて忘れられない。(この一年間後輩には)知識ばかり与えても頭でっかちになってしまうので経験を与えようと。だからその中で自分が取り組む姿勢を見せなくちゃいけない。引っ張っていく上で肝かなと思っていた。その点、六大戦でポイントが取れたことは良かった。(発航数増)和田が飛ぶ飛ぶ言っていて、押し切られるような形で。いつのまにかこんな数にというのが正直な印象です(笑)執念だなと。自分も感化された。(良かったこと)サーマルに乗って、高く上がってきた時は本当に楽しい。一番の瞬間。努力すれば結果を成すということを学んだ。努力することの楽しさもですね。地上の作業は辛いと思うときもあったけど、華の部分はできないので絶対に。でも苦しかった。前まで2機でやっていたが、昨年から4機に増えた。それも一人で管理してきたのも苦労した。教えるのも自分しかいなくて。色々なところに目を配っていかなきゃいけなかったが、そのおかげで1年の後半は2年生に仕事を任せられるようになった。(後輩が徐々に力をつけている)一安心って感じです(笑)来年も明大は頑張れるなと。後輩たちは個人の頑張り、パイロットの頑張りというのが一番だと思う。でも数を上げられたのは誇り。後輩にチャンスを上げることができた。同じ機体で長く飛ぶことの重要さをすごく実感した。デルタ1で数時間しか乗っていないから乗り慣れていない。そういうマイナスの部分はなくしてほしい。(改めてグライダーの魅力)自分の操縦で飛ぶので、結果がそのままでる。シビアな部分ではあるけど、楽しい。鍛えられました(笑)感謝の気持ちです。折原監督にですかね。監督にソロの許可出してもらって、単座機に乗って、デルタ1に乗って。やっぱりお世話になったので。監督には恥ずかしくて言えないですけど(笑)」
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全国大会へ向け快調な練習/通常練習
航空 2023.11.0210月に行われた関東学生グライダー競技会で、見事全国学生グライダー競技会(以下、全国大会)への切符を掴んだ明大航空部。そんな航空部の活動は2年前に建て替えた新しい宿舎で、主に土日を利用しての合宿形式で行われる。 明大航空部の朝は早い。日没後はフライトが出来ないため、早い時には5時に起床し機体を組み始める。明大航空部が使用しているグライダーは、1年前に導入されたASK21Bの機体などの計4機である。そしてその日の風向きや天気などをミーティングで共有した後、すぐさまフライトを開始。1人で飛ぶには免許が必要だが、免許の取得には平均して2、3年かかるという。そのため免許を持っていない部員は教官と2人でグライダーに乗り操縦の指導を受ける。地上に降りた後も、教官からもらったチェックリストをもとに自分のフライトを振り返り、足りなかったところを次のフライトで改善する。 (写真:機体を組む様子) フライト練習も終盤に差し掛かった頃、1人の部員の「やったー!」という声が聞こえた。話を聞くと、初めて1人でグライダーに乗るファーストソロが行われるという。同じ日に連続で別の教官2人から単独飛行に出るのに十分な技量があると認められると、ファーストソロの許可が下りる。2人乗りしか経験したことがない部員にとって、初めて1人で空を飛べるこのファーストソロは一大行事だ。普段は着陸した機体を車で引っ張るが、この時だけは初めてのソロフライトを終えた部員のもとに全員で走って迎え入れる。フライトを終えた直後に感想を伺うと「1人で飛ぶ空は自由だった」(山田舞刀・理工2=駿台甲府)と笑顔を見せてくれた。 (写真:ファーストソロに向かう山田) (写真:山田を迎え入れる部員たち) 絶え間なく行われるフライト練習が終わった後は、宿舎に戻り部員全員で今日の練習で良かったところ、修正すべきところをミーティングで共有する。普段のアットホームな雰囲気とは違った真剣な眼差しからは、大会出場の必須条件であるライセンス取得、来年の3月に行われる全国大会に向けての部員たちの熱意をうかがうことができた。 ──────────明スポ記者もフライトを体験! 今回、部員の方の勧めで私も体験フライトをさせていただきました!まずは機体の説明と注意事項を受け、2人乗りグライダーの前の席に乗り込みます。安全のためのしっかりとした5点式シートベルトを締め、部員の方による厳重なチェックを終えると、いよいよ出発。徐々に速度を上げる旅客機とは違い、一気に速度を上げあっという間に空の世界へ。グライダーからの景色は、雲ひとつない真っ青な空と、ミニチュアのように見える普段自分たちが生活している世界とのコントラストが言葉に表せないほど綺麗で、滑空場から約40キロメートル離れた東京スカイツリーも見ることができました。操縦してくださった教官の方によると、冬の晴れた日には富士山も見えるとのことです。ナビゲートをしてもらいながらゆっくりと地上に降り、7分間の素敵な空の旅を終えました。 ご協力してくださった航空部の皆さん、本当にありがとうございました! (写真:上空からの景色) [下元天花]実際の大会の様子はこちら!READ MORE -
課題残るも次戦に期待高まる/東京六大学対抗グライダー競技会
航空 2023.09.05埼玉県熊谷市の妻沼滑空場で東京六大学対抗グライダー競技会が行われた。明大からは髙田雄祐(政経3=愛知県立旭丘)・仲尾次政豊(商3=ラ・サール)・廣澤樹(総合3=星野)が出場。5位と結果は振るわなかったが、最終日には2度の周回に成功するなど課題と同時に大きな収穫も得た。 ◆8・26~9・2 東京六大学対抗グライダー競技会(妻沼滑空場)▼明大――5位 この競技は、エンジンを使用しないグライダーをウインチと呼ばれる装置で上空に飛ばし、飛行後は上昇気流(サーマル)に乗って計3カ所を周りポイントを競う。また地点ごとに最低・最高高度が設定されており、その高さを割ると違反した秒数の減点やポイントの無効となることも。そしてこの競技で最も重要なものは天候である。晴天であっても雲や気流などさまざまな空の状態に影響を受けるため、操縦者による一瞬の判断力が求められる。グライダー競技はまさに〝空の頭脳戦〟である。 フライトに適した天候の中行われた今大会。しかし明大は大会5日目までなかなかポイントを獲得することができなかった。さらに周回直前までいったものの最低高度をわずかに下回ったことでポイントが無効になるというアクシデントも。「最初の方は得点がなくずっと苦しかった」(仲尾次)。それでも最終日は1番手の髙田が周回を成し遂げると、その勢いのまま中尾次も周回に成功。「なんとか明治に周回をもたらすことができた」(髙田)と安堵の表情を見せた。 今回出場した3人は全員が3年生。基本的には約2年だが人によっては4年以上かかることもあるというグライダーの操縦免許を順調に取得し、今大会では2人が周回を達成した。今大会で培った経験を糧に、来月に行われる関東学生グライダー競技会(以下、関東大会)ではさらに成長した姿を見せてくれることに期待したい。 [下元天花] 試合後のコメント髙田――周回してみていかがですか。 「明治に周回をもたらすことができてほっとしています。この六大戦の期間中で、普段飛ぶことがない妻沼に慣れて周回できたので良かったです」 ――操縦で難しいことは何ですか。 「上昇気流は外側が弱く中側が強くなるのですが、理想である真ん中の1番強い部分にちゃんと機体を入れることです」 仲尾次――航空部の魅力を教えてください。 「単純に飛ぶのが楽しいです。日常では見ることの出来ない景色を見ることができるという貴重な経験を、大学時代にできることが航空部の魅力だと思います」 ――来月に行われる関東大会に向けて意気込みをお願いします。 「今大会の経験を生かして、今度は得点や周回を重ねて全国に行けるようにしたいなと思います」 廣澤――グライダー競技の大変なところを教えてください。 「機体が多いので機体を見ながら上昇気流を探さないといけないところと、他の機体とぶつからないように自分たちでコントロールしていかないといけないところです」 ――グライダー競技の好きなところを教えてください。 「元々飛行機が好きだったのですが、自由に空を飛べるというところが1番好きです」READ MORE -
無得点に終わるも多くの収穫/東京六大学対抗グライダー競技会
航空 2022.09.08明大からは小林悠佑主将(理工4=本庄第一)・茂手木崇文(総合4=明大中野)の2選手が出場。競技5日目までは天候に恵まれず、思うようなフライトができていなかった。それでも最終日は残暑の日差しが照りつけ、フライトに適した気候の中で行われた。大会を通してポイントを獲得することはできなかったが、来月に行われる関東学生グライダー競技会(以下、関東大会)に向け、多くの収穫が得られた大会となった。 ◆8・29~9・4 東京六大学対抗グライダー競技会(妻沼滑空場)▼明大――3位 この競技は、上昇気流(サーマル)に乗っていかに高く早くポイント地点に到達できるかを競う。グライダーにはエンジンがついていないため、上空に飛ばすにはウインチという車のような機械を使用する。ウインチとグライダーをロープでつなぐことでグライダーが浮き上がる仕組みだ。そのため「自分の技量で自由に空を飛ぶことができる」(小林)。上昇気流を見つけるには地形把握が必要だが、明大は普段の練習を宝珠花で行っている。そのため今大会が行われた妻沼での練習量は他大学に比べて少なく、不慣れなところが多い中での挑戦となった。 「気候条件が悪い」(小林)。競技5日目までは上昇気流がほとんどなかったため、全大学いまだポイントが入らないという前代未聞の状況に。しかし「最終日は上昇気流ができていた」(茂手木)。明大勢はポイントを得ることができず大会期間を終えたが最終日は大会を通して1番のフライトができたと振り返る。 出場には免許の取得が必須で、取得には約2年かかる。さらに新型コロナウイルスの影響も受け、小林、茂手木共に初出場となった今大会。「技量不足を感じた」(茂手木)。来月に行われる関東大会は今大会と同じ妻沼滑空場で行われる。両選手は口をそろえて「ポイントを獲得したい」と語った。大会で使用しているグライダーは1986年に作られたもの。36年もの長い歴史を持つグライダーと共に、選手たちはまた妻沼の青空へと飛び立つ。 [七海千紗] 試合後のコメント小林――グライダー競技の一番の魅力を教えてください。 「自分の操縦で鳥のように上がって、エンジンがないため自由に飛べて、自分の高度や技量が見れるところです。やはり空を飛ぶことができるところが良いです」 ――ポイントを獲得するための課題はありますか。 「低い高度でどれだけ攻められるかと安全との兼ね合いです。低くなりすぎると帰ってくることができないのでどれくらいの高度でポイントが取れるのかと、妻沼のどこに上昇気流があるのかを見極めていきたいと思います」 茂手木――大会の出場が初めてということでしたが緊張はありましたか。 「初日はあまり慣れていない滑空場ということもあり緊張していましたが、競技日を重ねていく中で慣れてきて、離着陸も人並み程度にはなったかなと思います」 ――関東大会に向けての意気込みをお願いします。 「今回の六大戦ではポイントを取れなかったので、次は絶対にポイントを取って周回できるように頑張りたいです」READ MORE