水谷(隼)の活躍で3位入賞!/JTTLファイナル4
前期・後期の日本リーグ上位4チームが出場した今大会。本学の水谷(隼・政経3)や福原愛選手(ANA)など日本を代表する選手たちが熱戦を繰り広げた。4位でファイナル進出を果たした本学は、エース水谷、軽部(営4)がともにシングルスで2勝を挙げる活躍を見せ、3位という好成績を残した。
シチズンとの1回戦を難なく突破し、協和発酵キリンとの準決勝に臨んだ本学は1番手の水谷(隼)が3-0で貫禄のストレート勝ちを収め、好調な滑り出しを見せた。しかし、2番手の甲斐(営3)が敗れ、第3ゲームに登場した水谷(隼)・軽部組も相手チームの強豪ペアに2-3で惜敗。「ダブルスを取って初めて勝てる試合」(高山監督)だっただけに、ダブルスの敗戦が後に響く形となった。続く軽部が3-1で試合を制し望みをつないだものの、最終第5ゲームは根田(営2)が0-3の完敗。2位でファイナルに進出した強豪チームを相手に善戦した本学だったが、最後は総合力の差を見せつけられてしまった。
準決勝で敗退したものの、今月18日から行われる全日本選手権に向けて社会人の選手たちとの戦いで得られた収穫は大きいだろう。水谷(隼)の単複5連覇が注目されるが、水谷(隼)以外にも本学からは多くの有力選手が出場する。「選手それぞれが自己ベストを出せるように持てる力を出し切ってほしい」(高山監督)。卓球日本一を決める1月の大舞台へ向け、選手たちは年末年始も休まず練習に励む。
シチズンとの1回戦を難なく突破し、協和発酵キリンとの準決勝に臨んだ本学は1番手の水谷(隼)が3-0で貫禄のストレート勝ちを収め、好調な滑り出しを見せた。しかし、2番手の甲斐(営3)が敗れ、第3ゲームに登場した水谷(隼)・軽部組も相手チームの強豪ペアに2-3で惜敗。「ダブルスを取って初めて勝てる試合」(高山監督)だっただけに、ダブルスの敗戦が後に響く形となった。続く軽部が3-1で試合を制し望みをつないだものの、最終第5ゲームは根田(営2)が0-3の完敗。2位でファイナルに進出した強豪チームを相手に善戦した本学だったが、最後は総合力の差を見せつけられてしまった。
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明大スポーツ号外 水野裕哉コーチインタビュー
卓球 2024.03.23戸上がパリ五輪代表に内定した背景には、明大進学後に二人三脚でともに歩んできた水野裕哉コーチの存在が大きい。今回は水野コーチにお話を伺い戸上の〝強さの秘訣〟に迫った。 (この取材は3月7日に行われたものです) ――戸上選手との出会いはいつですか。 「僕が東京アートで現役だった時。隼輔がまだ中学3年生の時くらいに宮川(昌大・情コミ4)と2人で練習に来たことがあって、その時に初めて会った感じですね」 ――初めて戸上選手と会った時の印象を教えてください。 「ぶっちゃけあまり覚えていないんですよね(笑)。宮川の方が印象が強くて、戸上はどっちかというと静かな方だったので。宮川の方が覚えていて、戸上の方はあまりイメージないです(笑)」 ――出会った当時と現在を比べて性格の面で何か変化はありましたか。 「プロ意識はすごくあるんじゃないですかね。僕が最初に知り合った時はまだ中学生だったので。そこから高校、大学と結果を残していくにつれてプロ意識をどんどん上げていってという感じにはなると思うんですけど、昔から真面目だったのであまり変わっていないのかもしれないですね」 ――当時の戸上選手のプレー面で印象に残っていることはありますか。 「あまり覚えていないっすね(笑)。でもあいつが高校生になってる時には全日本だったり活躍しているところを見たりしているので、そういう面ではこういう選手なんだと見てて思った感じで、何か特別変わった感じは全くしないです」 ――水野コーチと戸上選手の間ではいつ頃からパリ五輪を目指すようになりましたか。 「明治大学としては髙山(幸信)監督が一番強い選手に対してベンチに入るんですよね。全日本選手権(以下、全日本)チャンピオンで宇田(幸矢・商4)が入ってきて全日本3位で戸上が入ってきて、実績的には宇田の方が全日本チャンピオンとして入ってきているので、自動的に僕が戸上の方になるのかなと思っていたんですけど、宇田が腰のケガで半年くらい離脱していたんですよね。その時に髙山監督が戸上のベンチに入っていたんですよ。その1年間でコロナが始まったのもあって、戸上が全然成績を残さなかったんですよね。全日本大学総合選手権(以下、全日学)があったくらいで、その時も今協和キリンの松山(祐季)に準決勝で0―3くらいで負けててそのイメージがすごくあって、全日本も明治大学のやつからコロナが感染したので出れなかったですし、あの時くらいはまだオリンピックはどうなんだろうねって感じだったんですけど、その次の年くらいにアジア選手権かなんかの選考会で宇田が復活したのでそこから僕が戸上のベンチに入るようになったんですよね。その時に僕も明治大学のコーチとしてやってましたけど、僕は毎回2番手、3番手くらいの子に入っていくので、優勝するという選手よりもベスト4、ベスト8に入る選手のベンチに入ることが多かったんですけども、こいつだったら優勝を狙えるよなというのがあって、全日学で優勝して、全日本で優勝してという頃にはオリンピックに向けて選考会も始まりましたし、そのくらいから全日本で勝つと言うよりも、オリンピックにいく行くというのが2人の中で話しあったりはしましたね」 ――2人の中で転機となった大会はアジア選手権ということになりますか。 「アジア選手権と、あとは何月か忘れたんですけど世界選手権の選考会が1回あって、宇田が1位で、戸上はぎりぎり3位で通過したんですよね。その時が本当に苦しい試合だったんですよ。総当たりみたいな感じになっていて3敗くらいしたんですけど『まだチャンスある』ってずっと僕が戸上に言い続けていて、最後の最後に他の選手の力も借りたというか、うまいこと戸上が3位になった時に、帰り際にぶっちゃけ今のままだったら世界で勝つどころか、日本でもなんとも言えない、ぎりぎりで勝つか勝たないかというところだから、オリンピックはまだ早いかもしれないけど狙っていかないと駄目だよねって電車の中で話したのは覚えていますね」 ――そこから戸上選手は全日本で連覇を達成します。 「1回目の全日本は対戦相手的にもすごく良くて、戸上の球の速さだったり威力だったりになかなかベテラン勢が付いていけない展開が多くて、僕自身は優勝は確実にできるという気持ちはありました。ただ、全日本は何が起こるかわからないので常にあいつがベストな状態で試合に行けるように、僕がサポートする感じになっていて、1回目は優勝して当たり前な雰囲気で臨んだのは覚えていますね。2回目に関して言うと、危ない試合ももちろんありました。ただ連覇をするという気持ちは誰よりも強かったと思いますし、宇田であったり及川(瑞基・木下グループ)、吉村(真晴・TEAM MAHARU)とか全日本チャンピオンになったやつは1回しか優勝できていないんですよね。連覇をすることはものすごく難しいことなんですけど、まずは張本(智和・智和企画)のところまで行こう。張本と勝負しようみたいに話していて、決勝まで行ったのは覚えていますね」 ――戸上選手は特に全日本においてその強さを発揮されていると思いますが、要因はありますか。 「今の時代、やっぱり全日本を軽く見ている選手って多くいると思うんですよね。一つの大会に過ぎないとか、パリの選考会の方が大事だとか。そういう部分でいうと戸上は全日本に懸ける思いは他の選手よりも強かったですし、連覇するという気持ちは誰よりも強かったと思います。今年に関しても僕は3連覇するつもりでいきましたし、戸上自身もオリンピックがほぼ内定していてプレッシャーもない状態でいけたと思うので、3連覇をするつもりで大会には臨んでいました」 ――張本選手の存在というのは戸上選手陣営から見てどうでしたか。 「僕自身は日本で一番強いのは誰と聞かれたら、間違いなく張本と答えます。戸上に関しては勝ったり負けたりの試合を繰り返しているんですけど、やっぱり日本の中で一番警戒しているのは張本ですし、世界のトップの選手だということも分かっているので。常にライバルとして越えないといけない存在ですし、戸上の方が上だとも思わないです。世界ランクだったり全日本だったり、張本に常に勝てるようにやっていかないと日本のエースとしては認められないというのはもちろん僕らも分かっているので、張本という存在は僕らにとってはすごく大きな壁でありライバルです」 ――張本選手に対して相性のいい理由はありますか。 「相性でいうと、戸上自身が張本を怖がらないという部分が一番ですよね。張本がというよりも、戸上のボールがやっぱり速いので攻撃に転ずることが張本自身も難しいと思うんですよね。張本がブロックだけになる原因でもあるんですよ。張本自身も世界のトップレベルと戦って簡単に負けることはない選手なんですけど、戸上くらいの速い球になったりするとブロックだけじゃどうしようもない状態になることが多かったりするので、張本陣営からするとあの強度をどうにかして止めないとというのは絶対思っていたと思うので、そういう部分が『張本キラー』と呼ばれる原因になっているとは思います」 ――『カミソリドライブ』と称される戸上選手の強烈なフォアハンドについてはどう分析をされてますか。 「戸上自体のプレースタイル的に『カミソリドライブ』だからという話ではないと思うんですよね。どっちかというとバックハンドがめちゃくちゃ速いので、バックを意識するがあまり、フォアにボールが送られてきてそれが速くて『カミソリドライブ』という感覚になっていると思うんですけど、戸上のボールってそんなに重くないんですよね。球のスピードが速ければ、回転量は少なかったりするんですよ。どっちかというとスピードがあるボールを常に打っているという感じなので『カミソリドライブ』がいいというよりも今の時代にあった打ち方をしているとは思いますね」 ――フットワークについてはいかがですか。 「僕は戸上よりも宇田の方がすごいと思うんですよ。戸上は入りたての頃はフットワークがあまりうまい選手ではなかったんですよね。ただ、自分でトレーニングしたり足の動き方を僕らが教えたりして、動く量が昔の1、5倍くらい多くなったんですよ。フットワークの強化を自らしたし、僕らも一緒になって教えてうまく融合して、みんながすごいと言ってくれるようになったのかなと思いますね」 ――3連覇を狙った中での全日本準優勝ということで勝ち切れなかった要因はありますか。 「僕が思うに3−1でリードして5セット目の出だしがあまり良くなかった。競れば競るほど、張本の怖さや強さに焦ってしまいらしくない感じになってしまいました」 ――ベンチからはどのようなことを伝えていましたか。 「基本的には戦術が多いです。どういう気持ちになっているのかが重要というか、僕と戸上は基本的にベンチで目を合わせるんですよ。俺がタイム欲しいなって時に、戸上が大丈夫って思うんだったらタイム取らないんですよ。俺が欲しいなって時に上向いたりして、戸上がこっちを見て(タイムアウトを)取るみたいな仕草をして合致した時に取るんですよ。なのでお互いが一緒になって戦って、負けた時もそうですけど自分だけで戦わせないようにするアドバイスはしますね」 ――アイコンタクトについては試合を重ねていくにつれて取るようになったのですか。 「戸上はどちらかというとタイムを取らないタイプなので、僕がいつも取っていたんですよ。覚えているのが戸上が初優勝した時の全日本で、松平(健太・ファースト)と試合した時に1セット目取って、2セット目8―4から負けたんですよね、3セット目取って、4セット目、8−4から逆転されそうになった時に、僕がすかさずタイムを取って、戸上はなんで取ったのみたいな感じだったんですよ。『2セット目を同じような負け方したから取ったんだよね』って話をしたんですけど、そしたら『僕全然気付かなかったです』って。多分あいつもそれで勝ったことで信頼とかが多くなってきたと思うので、そこからはいつタイム取るかの練習をするときに、自分が取りたいときもあれば、その場その場でいこうって感じになりましね。アイコンタクトがうまくいったときは大概うまく試合もいっています」 ――2年に及ぶパリ五輪の選考レースはいかがでしたか。 「僕個人の意見からすると選手はすごく大変だったと思うし、それでも最後に張本と戸上が勝ち切ったという面でいうと日本の中でその2人が抜けているのなと思います。きつかったですよね、この2年間。戸上だけじゃなくて僕たちも負けたら考えさせられますし、次戦ったときにどうするのかを毎日考えながらこの2年間やってきました。決まった時は本当にうれしかったです。自分がオリンピックに行けるくらいの感覚で喜びました」 ――全農CUP大阪大会で印象に残るプレーはありましたか。 「戸上のプレーがどうこうという話ではないんですけど、やっぱりそこで勝ったというイメージが強いです。大阪でほぼ内定させることができれば全日本までに海外の試合にも行けますし、新たなことにいろいろ挑戦できる期間にもなると思うので、その面でいうとあそこで勝てたのはすごくうれしかったです。やっと終わったみたいな感覚になりましたね」 ――大阪大会の時はベンチからどのようなアドバイスをしていましたか。 「僕はいつも戸上に対して選手とコーチというよりも友達感覚で話している感じなんですよね。毎回の全日本で決勝まで行ったらやっとここまできたなって僕がいつも戸上に話すんですよ。あと1回頑張ろうって。どちらかというと一つの大会に対してどれだけベストを尽くして試合に挑めるか。負けたときにどれだけ今のプレーだったらこうだったよねっていうのをどれだけ2人でできるかが僕が意識していたことでした。ベンチで何をアドバイスしたのかというよりも常日頃連絡を取り合ったりとか、海外の試合を含めて試合の振り返りをメールでやり取りしたことの方がイメージが強かったです」 ――中国選手にも強くなってきた要因はありますか。 「僕がよくいうのは、バック対バックだったら世界でもお前に勝てるやつはほとんどいないよっていう話をするんですよね。ただ、今の時点ではフォア対フォアだったら普通ぐらいにしかならないって。打つだけの選手はいろんな人には勝てないってよく話していたんですよ。要は張本とかってなんでもできるんですよ。ブロックしたりとか、攻撃したりとか。攻守が入れ替わったりするのが本当にうまくて。ただ戸上の場合は打つ専門になっているので、守りの技術だったり入れにいく技術はトップ選手に比べるとレベルが低いと思っていました。だから試合では打ちにいって入るんだったらそれでもいいと。ただ、入んなくなったときにどれだけ我慢して、守備の方に回ってでも点数を取れるかっていうのを考えた方がいいって話は結構していたんですよね。それが最近、入れに行く技術だったりブロックの技術だったり、そういう対応力が付き始めて海外でも負けない、見てて安心するような試合展開ができるようになりました」 ――水野コーチの恩師である橋津文彦さんは戸上選手の高校時代の監督でもあります。 「僕は橋津先生の1期生なんですよね。自分が選手時代にベンチに入ってもらってましたし、仙台育英とか野田学園に呼んで練習したりとか、一緒にお酒を飲みに行ったりとか、すごく尊敬している方です、ただ、戸上のことに関しては怒られますよ(笑)。もっとこうしろとかは言われますが、自分としては橋津先生に言われるからやっているのではなく、戸上がどうすれば勝てるかというのをこの2、3年間常に勉強して、動画見てというふうにやってきました」 ――戸上選手に直してほしいところはありますか。 「時間にルーズなところですかね(笑)。あとは忘れ物が多いところ。僕が唯一思っていたのが、一応選手とコーチという立場なので、ある程度友達感覚になるときもあれば、アドバイスをちゃんと聞くこともあるんですけど、戸上が試合になって集中すると、ジュース買ってなかったりとかアイパッドを持ってくるの忘れましたみたいなのが結構あったりして、それを僕が取りに行くという謎の現象が起きているんですよね。いや、お前行けよみたいな。僕が大人の対応でジュース買いに行ってあげたりはしますけど、僕がいなくなったりすると自分でやらないといけなくなるのでそこは気を付けた方がいいよとは思います(笑)」 ――戸上選手と関わる上で一番大事にしてることを教えてください。 「僕が一番大事にしているのは戸上とコミュニケーションをたくさんとることですね。そこでコミュニケーションを取ることで信頼関係が生まれて、アイコンタクトとかでタイムが取れるという状態まで持っていけたのは良かったなと思います。僕自身は戸上のベンチに入るようになったことで会社を辞めてるんですよね。会社辞めて明治の方にもっと行けるようにフリーのコーチになっているので、そういう面で言うと僕の人生を変えてくれたのは、間違いなく戸上ですし、師弟関係とかコーチと選手という間柄よりも、僕のコーチ人生を変えてくれた存在っていうのはありますね」 ――パリ五輪に内定した戸上選手にメッセージをお願いします。 「なるべくしてなったと思うのでおめでとうって感じですよね。ただ、ここが終わりではないのであと半年くらいですかね。本番に向けて体調面の管理だったり実力のアップをどれだけこの半年間でできるかというのが、オリンピックでメダルを取るために必要になってくると思うので、隼輔にはオリンピックでメダルを取れるように頑張ってくださいという感じですよね」 ――どんな選手になって欲しいですか。 「オリンピックで優勝して欲しいですよ。それで僕がそいつのベンチに入ってたんだよって子供に自慢できるように頑張って欲しいです(笑)」 ――戸上選手にメッセージをお願いします。 「僕が現役を引退してから戸上に会うまで、明治大学のコーチとしても大きい大会で優勝するということはなかなかできなかったんですよね。なので戸上に会って、全日学や全日本、パリの選考会を経験させてもらった。あいつがいたからこのような経験をさせてもらって戸上には感謝しています。違う人がコーチになっても、僕の時より成績が出てくれるように応援していますし、また水野さんがいいと言ってくれたら何年後かにまたコーチをしてあげますよ、してあげるよと言っときたいですね(笑)」 ――ありがとうございました。 [冨川航平]READ MORE -
明大スポーツ号外 戸上隼輔インタビュー
卓球 2024.03.233月23日発行の明大スポーツ号外で1面を飾った戸上隼輔(政経4=野田学園)選手。本記事では紙面に載せきれなかったインタビューの拡大版を掲載いたします。(この取材は3月5日に行われたものです)――今体調はいかがですか。 「今はだいぶ回復して、練習も通常通りできている状態まで戻ってきた感じです」 ――今年2月の世界選手権では体調不良で出場がかなわず、やり切れない気持ちもあったと思います。心境はいかがでしたか。 「悔しいっていう気持ちがかなり強くて、オリンピックの出場権が懸かった大事な大会に自分が出場できず、応援しかできなかったっていうのはすごい悔しい反面、いい刺激をもらえたっていうのは良かったのかなと思っています」 ――ベンチに入られたオーストリア戦は団体枠を懸けた大一番だったと思いますが、ベンチでは何を感じていましたか。 「ああいった機会は僕は今回初めてで、ベンチに入れば必ず出場していた立場でもあったので試合をせず、応援で見守るっていうのはかなり新鮮でした。出場する選手たちの顔を見たら、すごい緊張感も伝わってきたり、やっぱ覚悟を持ってやっているんだなっていう気持ちが伝わってきたので、その気持ちに応えられるようにサポートできたらなと思ってました」 ――ご自身のパリの出場権も懸かっていたと思いますが、試合に出る選手たちにどんな思いを託されていましたか。 「本当に申し訳ない気持ちというか、特に松島(輝空・木下グループ)に対し大きな負担をかけてしまっているのかなっていう気持ちもあったので、活躍してくれてうれしかったです。ただやっぱ自分の力で出場権はつかみ取りたかったなっていう気持ちはあります」 ――世界選手権では具体的にどんな刺激を感じましたか。 「特に出場機会の多かった3人は僕より年下で本当に若い力というか、僕もまだまだ22歳でこれからっていう時なんですけど、 日本の若い力の勢いを間近で感じさせてもらって、立ち向かっていく気持ちだったり、自分が世界卓球に初めて出場させてもらった時に、『もうやるしかない』みたいな初心の気持ちをこう思い出させてもらいました。立ち向かっていく姿勢を改めて実感したので、今後そういう初心の気持ちを改めて持ちたいなって思いました」 ――ベンチでは何か声かけされていましたか。 「そこまで声をかけてはないです。(選手たちは)やってやるぞっていう気持ちで試合に挑んでいたので、そこまで自分からアドバイスするような必要もなかったですし、安心して見送れたのかなとは思っています」 ――日本男子としてはパリ五輪の団体出場権を獲得したということに対して、安堵の気持ちなどはありますか。 「まずは出場権獲得できたことは本当にほっとしますし、一つの大きな山場だと思っていたので、それをまず達成することができて良かったと思っています」 ――今年1月の全日本選手権(全日本)のシングルスでは準決勝で吉村真晴(TEAM MAHARU)選手との試合でした。振り返っていかがですか。 「高校の先輩に当たるので自分としては立ち向かっていく気持ちを持ってやっていたんですけど、吉村選手も気持ちが強く、点数離れてたり競った場面でネガティブにならず積極的に攻撃力を出してやってくるので、その気持ちに負けないようにやらないと飲み込まれるなと思っていたので、気持ちの面でまずは負けたくないなと思って試合しました」 ――試合としてはフルゲームでした。試合前思っていたことと違いはありましたか。 「厳しい戦いにはなるのかなと試合前から思ってましたし、本当に負けてもおかしくないような対戦相手なので、どういう試合になるかっていうのはすごい不安でした。自分の卓球を貫いて、思い切ってできれば勝つチャンスはあると思っていたので、その不安や緊張に負けないようにプレーしようっていうのは試合中や競った場面でもずっと考えてました」 ――競った試合の中でも勝ち切れたキーポイントはございますか。 「本当にたくさんあるんですけど、ゲームカウント3―3の1―4で負けていてそこから1点1点しっかり諦めず1点を追い求めて最後までできたのが、負けている中でも最後に逆転できたり勝ち切れた勝因なのかなと思っています」 ――吉村選手は準決勝の試合前に『戸上選手の壁に全力でなる』とおっしゃっていたと思いますが、試合経てどんな選手、どんな存在として見えていましたか。 「吉村選手は数々の国際大会の実績だったりとか、オリンピックでもメダルを獲得したり、本当に尊敬している選手なので、やっぱり本当に大きな壁だなっていうのを感じていました。この壁を乗り越えれば今後自分が成長できるようなターニングポイントの一つになれるんじゃないかなと思ったので、絶対勝ちたいなと思ってました」 ――試合後戸上選手の勝利が決まって、吉村選手がニヤッとして、お2人笑顔になる瞬間あったと思います。どんなことを話されたんでしょうか。 「本当に苦しい試合だったのでまずは自分が勝ててほっとして、握手行こうとしたら吉村選手と目が合って、満面な笑みで迎えてくれました。その後ハグした時に『これからが本番だぞ』って言われたので、そこで改めてここから半年死に物狂いでやりたいなと思いました」 ――全日本決勝の相手は張本智和(智和企画)選手。試合前の心境はいかがでしたか。 「特に3連覇っていう意識はなくて、自分としてはチャレンジャーの気持ちを持っていました。その前の週にカタールのドーハの大会で対戦してそこで負けているので、どっちかといえば僕は挑戦者だったのかなって。挑戦者の気持ちを持っていました」 ――試合の振り返りをお願いします。 「立ち上がりとしては、第1ゲームは自分の方に流れを呼び寄せれて、いい調子でいいコンディションで決勝入れたなっていう印象があります。そこから徐々に追い付かれそうにはなったんですけど第1ゲームは取れました。第2ゲームは落としてしまったんですけど、自分がやっていることは間違いはないなと感じていて、別に間違った戦術だったりとか、別に気負うことのない取られ方だったので、そこまで不安なく第3ゲームに入りました。第3第4ゲームと自分の調子が右肩上がりでどんどん良くなっていって、全体的に見ても負けてる部分っていうのは一切なかったので、優勝っていうところを意識はしてはなかったんですけど、やっていくうちにちょっとずつ優勝という2文字も頭の中に浮かんでしまいました。ただ集中力は切れずに最後までできたので、精神的に動揺はあったんですけどプレー自体は悪くなくて、第4第5ゲーム落としても第6ゲームしっかり取れれば優勝できるんじゃないかなと思っていました。第6ゲームに関しては10―9でそこで自分の得意な展開で決め切れず追い付かれてしまったのが大きな敗因なのかなと。何とかそこからマッチポイントは取っていたんですけど、焦りからどんどん凡ミスが増えてきてしまって、それで自分の自信がどんどん欠けていったので、すごい優勢に見えた試合だったんですけど、精神的にはかなり追い込まれていた試合でした」 ――観客席からの大勢の明治大学の応援は力になりましたか。 「力になりましたね。やっぱり3階席からの応援でも声が届いていたぐらいの大声援を送ってくれていたのは試合中でも気づいていましたし、準決勝からずっとそれは聞こえていたので、どんなに競ってもそういう応援を力に変えれたので、すごいありがたかったです」 ――第6ゲーム10―9の場面で、回り込んでフォアで決めにかかっていました。全農CUP平塚大会でも同じような場面ありましたが、決め方意識していましたか。 「自分の持ち味、得意な技術っていうのはフォアハンドなので、最後は自分の得意なところで勝負したいなと思っていました。そこをミスしてしまったことで優勢に働いていた展開が崩れていったのかなと思うので、そこで決め切れないとダメだったのかなと思います」 ――最後はブロックがオーバーで試合は終了しました。直後にはどんな思いが込みあげてきましたか。 「試合直後は優勝できなかった悔しいさよりも、また張本選手に負けてしまった悔しさの方が大きくて。今まで何度も選考会の中で対戦してきて、もちろん負けることはありましたけど、大事な局面で勝てなかった悔しさの方が大きかったので、まだまだ精神的に未熟な部分が多いんだなとそこでは反省というかそういう風にずっと考えてました」 ――試合後張本選手にはどんな言葉をかけ、かけられましたか。 「張本選手が言っていた通りなんですけで、自分は負けたので『おめでとう』と言って、張本選手から返ってきた言葉は『1位も2位も変わらない』って言われたんですけど『そんなことはないよ』と。勝ったが者が1位だし、負けた者が2位っていうのは変わらないっていうのはそこでは言えなかったんですけど『そんなことはない』としか伝えられませんでした。その後張本選手から『オリンピック頑張ろう』と言われました」 ――見ていた観客の皆さんにとっては、この2人の試合を見て日本を引っ張っていくとのが頼もしいと思えるような試合内容だったと思いますが、いかがですか。 「自分の中で最大限のベストパフォーマンスを出し切った結果が、あのようないい試合ができたのかなと思ってるので、本当に世界の大舞台でもベストパフォーマンスを出せれるようになれれば、もっともっと世界のトップ選手に勝つことができたり、中国人選手に勝つことができたりするんじゃないかなと思います。自分をもっと分析してやっていけば、それこそ2人でオリンピックのメダルをシングルスで狙えるんじゃないかなと思ってます」 ――張本選手のどんなところをリスペクトしていますか。「卓球に対する思いっていうのは人一倍強くて、自分の卓球に研究熱心というか、そういうところを尊敬しています」 ――張本選手の存在はご自身にとってどんな存在ですか。 「本当に切磋琢磨し合って、ここまで登り詰めてきました。今後も自分が卓球人生を送っていく中では常に隣や前にいる存在ではあるので、自分が成長するために大切な存在なのかなと思ってます」 ――2人がこのパリ五輪という舞台では日本男子というところで同じチームです。どんな相乗効果を生み出せるとご自身では思っていますか。 「自分が基本的に勢いで戦うプレースタイルなので、自分がまず先陣を切って相手のエースだったり格上の選手に勝ってチームに勢いをつけたいと思います。まずは自分のこの勢いを生み出すために、自分の置かれている立ち位置を理解して、自分がもっともっと強くなれれば、日本はもっと上にいけるチームなのでお互い持ってるものを最大限発揮できれば、必然的に勝てるチームかなと思ってます」 ――選考レース中は周りから具体的にどんなサポートをしてもらっていましたか。 「明治大学のチームメートには1番サポートしてもらって、選考会の練習相手についてきてくれたりとか、本当にいろいろサポートしてもらえたので、まずは明治の卓球部の学生たちには感謝をしたいですね」 ――五輪出場が決まって、オリンピアンになる自覚や実感はいかがですか。 「特にないですね。自分が高みを目指すにあたって、オリンピック出場は通らないといけないところだったので、まずは出場するっていうことは自分の中では通過点だと思っていますし、自分のまず一つの目標がオリンピックでのメダル獲得。そこを達成できれば、少しずつ実感できるんじゃないかなと思ってます。メダリストになって初めて心から喜べるのかなと思ってます」 ――ズバリ、パリ五輪でのメダル獲得の自信はございますか。 「現時点では自信あるって言えるほどではないんですけど、この半年間の行動だったり成績っていうのでおのずと湧いてくるものなのかなと思っています。張本選手も言っていたんですけど、この半年間の準備だったりとか一大会一大会の成績、結果っていうところがパリオリンピックにつながってくるので、現時点ではまだまだ自信は正直ないんですけど、ただこの半年間でその自信を大きくさせていくことは必要なのかなと思っています」 ――五輪に向けて、特別なスケジュールは組んでいますか。 「大まかには組んでいて、基本的に国際大会を今後主に出場していって世界ランキングをまず上げていく。そしてチームランキングで日本を、今月6位なんですけど4位以内に上げていかないとメダルはかなり厳しいものになってくるので最低限自分の個人ランク、まずは15位以内にいち早く入れるようにこの半年間やっていかないといけないなと思ってます」 ――進路先が井村屋に決まった経緯はございますか。 「井村屋さんは地元に本社があって、地元つながりでまずはスポンサーをしてもらっていました。結果だったり自分のプレーしてる姿を見ていただいて、所属先に候補として出してもらえたので、もう本当に自分は地元が大好きで、地元に本社がある井村屋さんにサポートしてもらえるなら自分は所属として選びたいなとは思っていたので、決まって本当に良かったなと思います」 ――井村屋さんの商品で好きな商品はございますか。 「僕は本当に肉まんが大好きで、小さい頃から冷凍の井村屋の肉まんがあって、それをずっと3時のおやつで食べていました。本当にずっと食べてますね」 ――ご自宅には井村屋さんの肉まんがあったりしますか。 「今はないんですけど(笑)、井村屋さんのもので言うとスポーツ用ようかんっていうのがあって、それを補食で今使っているので、そうやって補食として使えるものをたくさん送ってもらってます」 ――すでに退寮されたと思いますが、寂しさはありますか。 「正直、1人暮らしは前々からしたいなと思っていて。ただ、寮は寮で本当に楽しい場所で隣の部屋には後輩だったり同期がいて、いつでも身近に誰かがいました。こうやって今1人暮らしして新しい地で住み始めて不安はあったんですけど、 (これまでも)1人生活っていうのが主だったので実際こうして1人暮らしをしてみると、案外寂しさっていうのはあんまりないですね」 ――寮生活の印象深いエピソードはございますか。 「やっぱり寮生活で一番良かったなって思う機会は、例えば国際大会だったり国内大会で思うような結果が出ず帰寮した際に、どうしても誰かに話を聞いてもらいたかったりとか、悔しい気持ちで 1人でいれないなって時に隣の部屋だったり、仲いい後輩同期の部屋に行って食事に出かけたりっていうのがすぐできるっていうのは本当に助かりました。それは本当に寮じゃないとできないことだと思うので、思い立ったら仲間たちとすぐ外に出てリフレッシュできるのは寮の良さというか、 一つの思い出かなと思っています」 ――同期の皆さんは戸上選手にとってどんな存在ですか。 「本当に僕の代はみんな卓球が大好きで、お互い切磋琢磨して、こうして明治大学の伝統を引き継いで次の代にバトンを渡せられたのかなとは思います。注目してもらってる僕と宇田(幸矢・商4)と宮川(昌大・情コミ4)以外の他の3人(寺下拓海・商4、日置希音・文4、村松凜音・営4)も卓球がみんな大好きだし、卓球の話もよくしたり、食事も行ったりするので、やっぱこの6人じゃないと今の自分はなかったのかなと思うので、いい同期と巡り合えたのかなと思ってます」 ――1年次はコロナで大会が中止になる中、ドリームマッチが開催され、丹羽孝希(平29政経卒・現岡山リベッツ)選手とも対戦しました。1年次を振り返っていかがですか。 「本当にコロナ禍真っ最中で何も試合がなくて。ただOBの方々がドリームマッチを開いてくれて、一つのモチベーションを与えてくれたことに感謝していますし、丹羽さんとあそこで戦えたっていうのも本当に大きな収穫だったなと思います」 ――2年次は全日本大学総合選手権・個人の部(全日学)優勝、そして全日本初優勝でした。振り返っていかがですか。 「大1でコロナの濃厚接触者の疑いで全日本出場できず悔しい結果でその年の全日本を終えたんですけど、大学2年の時に昨年出場できなかった悔しさを前面に出し切って初優勝することができて、そして全日学も優勝できて全てのタイトルを取りたかったんですけど、インカレは悔しい結果になってしまいました。本当に楽しいこともあれば悔しいこともあったそんな喜怒哀楽のあった1年間だったなと思っています」 ――3年次は明大でグランドスラム達成。全日本も連覇しました。振り返っていかがですか。 「もう3年生はもう僕の時代だったのかなと思ってます。明治大学としての大きな目標であったグランドスラム達成。そして全日本優勝。本当に全国の大きな大会を総なめできて明治大学っていうのは一番なんだっていうのをアピールできたのかなと思うので、国内でいえば僕の時代だったのかなと思っています」 ――4年次は主将に就任しました。パリ五輪代表へ向けて選考会で戦う一方学生の大会には出場できませんでした。振り返っていかがですか。 「全日本は優勝できなかったんですけど、3年生の頃とと比べたらもう格段に成長できました。卓球もそうですし、私生活だったりとか、卓球の意識っていうところに対してすごい成長できた1年間だったなと思っています。特に秋ごろから、国際大会の成績も伸びてきて、本当に全ての面で成長できた、一つ上の世界にワンステップ上り詰めた、そんな年だったのかなと思います。世界を見据えたいい年になったなと思ってます」 ――4年間過ごしてみて、明大はどんなチームですか。 「やっぱり明治大学は日本一いい環境を持っているなっていうのは改めて思っています。人生で一番成長できた4年間で本当に楽しい4年間でした」 ――4年間で学んだこと、得たことございますか。 「まずは水野(裕哉コーチ)さんだったり、髙山(幸信)監督、(斎藤清)総監督、本当にたくさんの方が選手ファーストとして行動してくれて、本当に選手として僕はこの4年間やりやすかったですし、結果だけを追い求めて卓球に集中できた4年間だったなと。もっともっと上の世界を見てもらいたかったんですけど、それはまた4月以降になるかなと思うので、3月までは悔しいですけどここまでの結果しか恩返しできなかったので、また今後も期待をしてほしいなと思います」 ――ファンの方へのメッセージをお願いします。 「ファンの方々にはたくさんの応援だったり、励みの言葉をいただいて、折れずにここまでくることができたので、本当に感謝しかありません。自分が新しい世界を見せられるようにもっともっと頑張っていくので、これからも応援のほどよろしくお願いします」 ――今後の目標や展望は具体的に何かございますか。 「この半年間大切な期間になってくるので、パリ五輪までの目標としてまずは世界ランクを1桁にすること。そして海外の国際大会で優勝をすること。まずはその二つを目標にやっていって、そしてパリオリンピックでは金メダル。そこを狙って、明治大学の言葉でもあるんですけど、『思いは叶う』、そういう気持ちを持ってこの半年間パリオリンピック金メダルだけを思ってやっていきたいなと思います」 ――同期の皆さんに対してメッセージをお願いします。 「たくさんの応援をしてもらえて、一番本当に気にかけてくれて、どこに行っても連絡をくれたりとか応援してるっていうメッセージくれたり、遊ぶ約束をしていたけど、海外に行くことになったり突然試合になったりして迷惑をかけてしまいました。最後全日本優勝してみんなで写真を撮りたかったけどそれがかなわず、すごい悔しい気持ちでいっぱいです。ただ同期に対して本当に迷惑をかけてきた分、感謝しかないし、同期の5人は本当にかけがえのない仲間だなと思うので一生の仲間としてこれからも接してくれたらうれしいです」 ――ありがとうございました。[末吉祐貴]関連インタビューはこちらからREAD MORE -
表彰台には一歩届かず 松田の最高順位4位で終える/全日本学生選抜選手権
卓球 2023.11.27大会最終日となった2日目は、予選リーグを勝ち抜いた16人で決勝トーナメントが行われた。明大からは宮川昌大(情コミ4=野田学園)、松田歩真(商3=野田学園)、山本歩(商3=出雲北陵)が出場し、初戦で山本との明大対決を制した松田が4位という結果を収めた。 ◆11・25~26 全日本学生選抜選手権(きびじアリーナ)▼男子シングルス決勝トーナメント松田――4位宮川、山本――ベスト16 ベスト8を懸けた明大対決を制したのは松田であった。「相手(松田)の方が格上だったので、自分から向かうことを意識した」(山本)。その言葉通り果敢に攻めゲームカウント2-0とリードしていたが、予選リーグで全勝という圧倒的な強さを見せた松田が徐々に本領を発揮。1ゲームを奪い返し勢いづいた松田がそのまま山本に追い付き、勝負の行方は互いに負けられない最終ゲームに。点を取り合う互角の戦いとなったが「手の内を知っていたのでやりづらい気持ちもあったが、踏ん張ることができた」という松田が11-8で山本を制し、2回戦へと駒を進めた。 同じくベスト8を懸け決勝トーナメント初戦に臨んだのは、明大勢で最年長の宮川。相手の中村(愛知工大)は「高校の時によく試合をした選手で、負けたことがなかった」(宮川)という。しかし今大会では1ゲーム目から苦戦を強いられる。相手に連続ポイントを重ねられ、第1、2ゲームを続けて落とす展開に。それでも宮川はエースとしての意地を見せ、得意のフォアハンドで着実に点を重ねると第3ゲームを奪い返した。しかしそのまま逆転することはかなわず、ゲームカウント2-4で敗北。初戦で姿を消した。 唯一明大勢でベスト8に進んだ松田は順調に点を重ね勝利を収め、準決勝に進出。しかしここで今大会王者・小林(日大)に圧倒的な力の差を見せつけられストレート負けを喫する。松田の最後の戦いは3位決定戦となった。対する相手は、全日本大学総合選手権・個人の部(以下、全日学)で宮川を下し優勝した岡野(朝日大)。フルゲームのジュース戦にまでもつれこむ激闘となった。強敵を相手に「気持ち的にも体力的にもきつかったが、最後まで頑張った」という松田。長いラリーを制しポイントを重ねる場面もあったが、ジュース戦の末惜しくも敗戦し、最終順位4位で今大会の幕を閉じた。 しかし戦いはまだ終わらない。1月には全日本選手権(以下、全日本)が待っている。「悔しかったがいいプレーもできたので、練習を重ねて全日本でランク入りしたい」(松田)と選手たちは前を向く。今大会で得た収穫を胸に、全日本ではさらに良い結果を見られることを期待したい。 [下元天花] 試合後のコメント宮川――敗因は何だと思いますか。 「今年目標として、関東学生(関東学生選手権)優勝と全日学優勝という二つを掲げていました。関東学生は優勝できましたが全日学の決勝で負けてしまって、 その悔しさがずっと自分の中で今も残っていて、この大会に対する気持ちが自分の中では少し弱かったのかなと思っています。それがやはりプレーに影響したのかなと思います」 松田――今日の試合を振り返ってみていかがですか。 「優勝を目標にやってきたのでそれができなくて悔しいです。でも全日学ですごく悔しい思いをしてその分結果を残せたので、それはうれしく思います」 山本――良かったところと改善したいところを教えてください。 「良かったところは、レシーブからの展開が課題だったので、そこで前に比べて点が取れるようになった点ですが、競り合いになった時に戦術をうまく変えることができなかったのが負けた原因かなと思います」 READ MORE