
ラストインタビュー(6) 井島拓紀
DF井島拓紀(文4=北海)
(※この取材は1月15日に行われました)
――日本学生氷上競技選手権(以下、インカレ)決勝戦を振り返って、どのような1日でしたか。
「正直、明大のゲームプラン通りでした。自分と剣太(DF菅野・法4=釧路江南)はベンチでサポートする方に回って、試合に出ないので自分たちがチームに対してできることは限られていました。プレーで引っ張ることができない分、自分たちはしっかり声を出して応援して、最後までやることをやろうと決めていました。特に大きなミスもなく雰囲気よく試合も進んでいたので、選手たちに声を掛けながらやれることをやろうという感じでした」
――4年間を振り返って、印象に残ったことはありますか。
「1年目、自分たちが入るまでの明大は3冠取るほど強くて、まずそこに入ることに最初は緊張したし、先輩たちはとても怖かったです。ですが、その春法大に負けたことであれ?という感じでした。結局冬も法政に負けてしまったので1年目は何もできずに終わりました。2年次からコロナが流行って何もなく、3年目もコロナに泣かされた1年でした。一つ上が強かったので、インカレを取るなら3年次の代だと思っていましたが、このメンバーでも負けるんだというのがありました。
正直自分たちの代は弱いと言われていたので、自分たちの代で春、東洋大に勝ったことが4年間で一番印象に残っていることです。練習試合はありましたが、公式戦の一発目が東洋大だったので、チームとして仕上がった実感もないし、試合勘もない中でした。東洋に勝った試合は第1Pが0―3で、藍仁(FW井口・商1=埼玉栄)が1点取って1―3で折り返して。控室で自分は2年の成瀬(DF翼・商2=埼玉栄)と一緒に座っていて『これでもう1点取れたら流れあるよね』と話をしていました。そうしたら藍仁が目の前に座って『ここから自分が3点取って勝ちます』と言っていました。
春に優勝するなんて周りも誰も思っていなかったし、ずっと東洋一強の時代だったので、まさか自分たちの代がという感じでした。そうしたら、小さい頃から廉(FW中條主将・政経4=白樺学園)と一緒の丸山詳真(商3=北海道清水)が、『やはり廉さんがキャプテンやる時って強いんですよ』と。
全日本選手権でレッドイーグルス北海道と試合をした時に、監督は『レッドイーグルス北海道にどこまでできるかは置いておいて、ロースコアにして第1P耐えるのが東洋戦でも絶対必要だから。東洋戦の練習をしよう』と言っていました。結果6―3と差はつきましたが、思ったよりもできているなという感覚でした。
通算成績2勝2敗で東洋大と当たったインカレ決勝では、『第1Pは0―0で明大のやりたいことができているから、いずれチャンスがくるからまだ我慢だ』と監督から話がありました。1点目は大輔(FW唐津・文4=日光明峰)が決めてくれました。秋から全日本選手権、インカレにかけては、きちんと目標を立ててやって、それが結果につながった、自分たちの理想の形でした。東洋大に勝って優勝したのが初めてだったのもあります」
――寮生活の思い出は何かありますか。
「各学年1人の4人で1部屋なので最初の1年は地獄でしたね。今年度の4年生は上下関係がピリピリしているより、選手同士の距離が近く、1年生も伸び伸びプレーできるようなチームづくりを頑張っていました。今年度はやはり後輩たちが生意気なのがすごくかわいいのですが、やはり4年間で一番楽しかったなと思うのは3年の時です。1個上の先輩がすごく面倒見のいい人たちだったので。突然深夜にラーメン食べ行くぞって言われたり、酔っぱらった先輩を迎えに行って、お世話しながら帰ってきたり。そのときはめちゃくちゃめんどくさいって思っていましたが、今思えばなんだかんだ頼りになる先輩でしたし、楽しかった思い出があります。あとは、夜中隣の部屋の優輝(DF鍛冶・政経4=武修館)に絡みにいくのですが、すごくうざがられて、それもできなくなると思うと少し寂しいです」
――同期に伝えたいことはありますか。
「自分は試合に出てなかったのがやはりずっと引け目に感じていたところがありました。試合に出るのが全てではないですが、アイスホッケーで結果を残すことが大事なことだと思っていたので、それができていないというのは申し訳ない気持ちもありました。でもそれを廉や優輝は『試合に出る出ない関係なく4年は4年だから。俺らは俺らの代なんだから』と言ってくれたのが対等に、同じ目線で見てくれたので、自分としてはありがたかったです。試合に出て活躍する選手たちが言うことによって、その言葉の重みも変わってくるので。いろいろお互いに気を配りながらまとまった6人だったなと思います。相変わらず仲いいのか悪いのかよく分からない代ですが、自分はこの同期でよかったと思っています」
――卒業後、アイスホッケーとはどのように関わっていきますか。
「自分は配属が全国なのでどこになるかによりますが、できる環境だったら趣味程度にはなってしまいますが、ホッケーは続けたいなと思います」
――後輩にエールを残すとしたら何かありますか。
「多分来年度の方が強いと思います。選手層がすべてとは全く思わないですが、やはり今年度東洋に勝てたのもあるし、選手層が厚いというだけでも強いと思います。誰も取ると思ってなかった自分たちが取ったので、お前らはもっと楽に取れるだろうっていう(笑)。連覇してくれって思いますね。今年度は2冠なのでやはりそれも超えて欲しいですね!」
――ありがとうございました。
[杉田凛]
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◆特別企画◆スケート部(アイスホッケー部門部門)Uー20日本代表/西脇、村社特別インタビュー
アイスホッケー 2023.01.19 12月11日からポーランドで行われたU―20世界選手権Div.I―B。明大からは、FW西脇颯(文1=武修館)、ⅮF村社海莉(文1=埼玉栄)が出場した。昨年度は、3位残留と悔しい結果に終わった日本代表。念願のDiv.I―A昇格に向けてプレッシャーがかかる中で優勝、そして昇格をつかみ取った。日本代表での経験豊富な西脇、初の招集となった村社共に1セット目で出場。主力としてチームを支えた両選手に大会を振り返っていただいた。(※この取材は1月6日に行われました) ――日本代表としての経歴をお願いします。村社:自分は今回が初めてです。U―20以外のU―16とかも経験してないので、本当に初めてです。西脇:U―16のロシア遠征、U―17のハンガリー遠征。U―18は本戦がなかったけどメンバーには選ばれていて、U―20は高3の時にも入っていて今回で2回目です。 ――初代表での緊張はいかがでしたか。村社:練習メニューも全然違うのと戦術的なことも多いから緊張したし、分からないことだらけで大変でした。 ――大会前の日本代表の立場を教えてください。西脇:昨年度は3位残留という形で、今大会は自分たちがトップの感じでした。全勝して昇格することが当たり前のような感じでみんな臨んでいました。負けられないという気持ちの中、大会に臨んでいたのでプレッシャーはあったと思います。 ――優勝して昇格できたことについていかがですか。西脇:優勝して気持ちよく終わりたかったけど、2戦目の格下であったイタリアに延長の末、負けてしまったことは心残りというか悔しい思いをしました。今大会は優勝したから良かったですけど、1敗したのはチームの反省かなと思います。 ――昇格先のディビジョンI-Aについて教えてください。西脇:I―Aの上にアメリカやカナダなど強豪国がいるトップディビジョンがあるので、順番はトップ、I―A、自分たちがいたI―Bという感じです。 ――高校2年生から大学2年生まで、幅広い年代がいた中でのチームの雰囲気はいかがでしたか。西脇:自分たちのような最後の年になる人たちが、後輩といいコミュニケーションをとっていい関係を築けていたと思います。でも、メリハリがあってやるときはやるという感じで、後輩たちも先輩に遠慮せずコミュニケーションをとれるいい関係、いいチームを築けたのでそこが今回の優勝につながったのかなと思います。 ――直前の召集でしたか。村社:(自分は)たぶん関東大学リーグ戦(以下、秋リーグ)のプレーとかを見て、評価してもらえて選ばれたのかなと考えています。 ――集まっての練習はどのくらい行われましたか。西脇:去年の大会後に監督が変わって、指導方法も180度変わりました。システムとか似たような部分はあるけど根本的に違うことが多く、自分も夏の合宿に行っていないので、そこであれって思う部分はありました。そもそも海外組とかの合流が遅れて、チーム全体でというのが本戦始まってからでした。本戦が始まる前のテストマッチの日にやっと全員集合したので遅れてきた人たちは、システムとかを分かっていない状態でしたが、チーム全体での練習時間は少ない中、チーム力で勝ったと思います。 ――リーグ戦終わってすぐ世界選手権、直後に日本学生氷上競技選手権(以下、インカレ)。スケジュール的なキツさはありましたか。西脇:疲れは多少あって、特に時差ボケがインカレ3回戦の関大戦まで抜けていなくて。帰ってきた次の日の朝にすぐ練習があって、一睡もできず寝られないまま練習に参加して次の日から大会が始まったので、コンディション的には正直ベストコンディションではなかったです。でも、試合では使っていただいているので、そこで自分なりにリカバリーをして試合に臨むようにしていました村社:自分はそんなに感じなかったですね。時差ボケもなかったです。西脇が言った通り、帰ってきて朝に練習だったけど、この時も自分はしっかり睡眠とって練習に行きました。インカレも1試合目からなんの問題もなくできていたのかなと思います。でも、秋リーグ終わってから海外に行ったときは疲れで熱が出ました。38度くらい出てしまって、1日だけ練習を休んだけど、それ以降はずっとなんの問題もなくやっていました。 ――インカレ前の大事な時期に抜けることについてどのように感じていましたか。西脇:監督からは、頑張ってきてとか結果残してこいとか言われたけど個人的に秋リーグの自分のプレーには納得していなくて、悩んでいた時期が多かったです。それでアンダーに行っていろいろな選手と話したり、プレーのことを話したりとかでいい気分転換というか吹っ切れました。アンダーに入った同世代の人たちと関わることで一つずつ成長できたのかなと思います。インカレや全日本選手権(以下、全日本)といった明大が取らなければいけないタイトルはあるから、チームを離れるのは抵抗があったけど、レベルの高いところでプレーをして自分を高めて刺激を受けるのも自分の成長につながるのかなと思っていました。村社:ずっと竹谷さん(莉央人・営3=白樺学園)と組ませてもらっていて、抜けることによって自分のポジションがなくなるのではないかと心配はしていました。でも、行く前に監督が帰ってきたらすぐ試合に出すからと言ってくれたので、その時に使ってもらえるんだなというのはありました。明大で2セット目として出ていて(世界選手権に行っている間に)全日本もあるのに、それに出られないとなるとチームにすごい迷惑を掛けるけど、そこは日本代表なので、場所は違うけど自分はこっちで頑張っていると証明できるように結果を残そうと考えていました。チームメイトからは自分が初めての召集だったので、明大には世代代表とかがたくさんいるので、いろいろな選手から話を聞いたりして心構えとかを教えてもらった上で行きました。 ――1セット目、パワープレーなど主力として出場したことについていかがでしたか。村社:自分はテストマッチは4セット目で試合には出られないかなと思っていたけど、テストマッチで評価してもらって1セット目に試合直前に上がりました。びっくりしたけど、1セット目というのは失点をしないで得点だけを重ねるというのがセオリーなので、そこがDFとして絶対に失点したらいけないなとか、得点してチームに流れを持ってくる。あと、パワープレーもたぶんイタリア戦から急に出してもらえるようになって、急きょだったけどチームに馴染めるように試合を見返して、どうやったら合うかを考えてプレーしていました。西脇:自分も練習の時からずっと三つ目だったけど、去年のU―20は四つ目で1試合3シフトくらいしか出ていないので、まずは三つ目までに入れることもありがたかったです。そのあと自分のプレーを評価してもらって、一つ目に上げていただきました。でも、一つ目だから三つ目と違うプレーをしようとかは全然思わないですし、とにかく自分のできるプレーをすることだけしか考えてなかったので、どのセットに入ってもそれだけを考えていました。 (1つ目で)組んでいたFWが各世代トップの人たちだったので、その人たちとプレーする中で自分はどのようなプレーをするべきかというのを考えた時に、自分が犠牲になってでも2人の持ち味を発揮させることが自分のプレースタイルだと思い、みんながやりたがらないようなプレーを率先して行っていました。 ――2人で話したことや、セットとして話していたことはありますか。村社:2人ともそこまで上位セットに入ると思っていなくて、4セット目で声出し頑張ろうみたいな気持ちで行っていたけど、気がついたら2人とも一つ目にいて、俺ら1セット目なの? みたいな感じで(2人とも)びっくりしました。なので、2人でやれることをやろうとホテルで話していました。明大同士でプレーのことに関して言いやすくて、直してほしいところとかも話を2人でしていたので、2人で同じセットでできて良かったです。西脇:試合前も着替える場所が近かったので、お互い同じセットでもありますし、ピリオド間とかはDFどうしてほしいとか試合についての話はよくしていました。明大と求められているものが全然違うので。明大で同じセットで組むことはないですし、結構楽しかったというのはあります。なんだかんだプライベートの時も一緒にいることが多くて、観光とか一緒にしていたのでそっちのコミュニケーションのほうが多かったのかなと思います。 ――先制や、リードされることが多かった中で勝つことができた要因を教えてください。西脇:自分たちは去年悔しい経験をして今年はプレッシャーがかかる状態だけど、みんな自分が得点決めるとかではなかったです。1個上で中大の種市さんとかが体を張っているのを見て、自分たちもそういうプレーをしないといけないという意識が生まれて、一人一人がチームのためにプレーするという意識が自然とできる環境になっていて、それが逆転につながったのかなと思います。村社:西脇が言っていた通り、全員で守るということだと思います。体を張って守ると流れが来るので、そこから攻めに移って良い流れで攻められることが多いので、守りをしっかりできたことが勝利につながったと思います。 ――相手チームを振り返っていかがでしたか。村社:やっぱりなんといっても身長が高い。ゴール前とか混戦になったら正直怖いです。それでも戦わないといけないので、負けられないと思いながら死ぬ気で押していました。日本だったら軽く押せばベンチに帰っていったりするけど、海外の試合になると笛がなるまでキーパーを叩かれてゴールへの執念がすごいので、ゴール前の混戦は負けられないし強いから怖いですけどキーパーを守るために本気で戦っていました。西脇:アイスホッケーという競技自体は一緒ですけど、考え方とか文化がまず違っていて、キーパーに触られただけで外国人選手たちはゴール前のケアがすごかったです。そういったところは日本も真似しないとホッケーのレベルは上がらないのかなと思いました。ボディーチェックとか体の使い方は日本人も真似するべきだと思いますし、身長とかサイズの違いはあると思うけど、それに比べて韓国とやった時は自分たちと体型は変わらないのに体は強かったので、日本もあれくらいのフィジカルとかキーパーを守る意識とか増やさないといけないなと思いました。大学リーグとかで増えていけば、ホッケーに対する見かたとか変わってきてメジャーになると思いますし学ぶことが多かったです。 ――自分のプレーを振り返って良かった、通用したなと感じたこと。逆にこれからの課題をお願いします。西脇:海外のほうがリンクが小さくて、コーナーとか相手がすぐ寄ってきてしまうのでパックマネジメントは自分の課題かなというのはありました。それに比べてスピードという面では通用したと思うので、そこは良かったと思います。 村社:自分の中で、通用しなかったなと感じるところはなかったです。自分は伸び伸びプレーできて、敵が来ているから焦ってプレーできないとかはなかったので、自分のプレーをずっと続けることができていました。通用しなかった点は自分の中ではなかったと思っています。 ――チームに戻って代表の経験が活かされたなということはありますか。西脇:日本に戻ってインカレに出た時、秋とかに比べて余裕をもってプレーできるというのは感じていて、外国人選手より体も大きくなくて強くないし、スティックも長くないので余裕をもってプレーできました。村社:西脇が言った通りになるけど、プレーのスピードですかね。遅いわけではないけど世界選手権に比べたら遅いので、落ち着いてプレーすることは簡単にできました。 ――世界と戦っていく上でのこれからの目標や意気込みはありますか。西脇:海外の選手と戦っていく上で、フィジカルとかウエイトアップしないといけないことはもちろんですし、ホッケーIQをもっと上げないと通用しないのかなというのは感じました。村社:自分は入れるとしたらユニバーシアードが日本代表でいける最後だと思うので、そこに参加できたのであれば体づくりはマストだと思っています。体重をもっと増やして戦っていける体をしっかりつくっていきたいと思いました。 ――ありがとうございました。 [倉田泰]READ MORE -
ラストインタビュー(5) 亀田歩夢
アイスホッケー 2023.01.18FW亀田歩夢(文4=釧路江南)(※この取材は1月9日に行われました) ――日本学生氷上競技選手権(以下、インカレ)優勝について振り返っていかがですか。 「もともと自分たちの代は他のチームと比較しても、そこまで強いメンバーではありませんでした。でも、自分が入った時から明大は優勝していなくて、優勝したいという思いは強かったので最後に達成できたのはすごくうれしかったです」 ――昨年度とは違う有観客での試合についていかがでしたか。 「最後は観客席も埋まるくらい応援に来てくれて、チアリーダーや応援団をはじめ明大を応援してくれる声が選手たちにも聞こえましたし、そういうのも優勝につながったと思います」 ――明大での4年間を振り返っていかがでしたか。 「本当にあっという間でした。練習の環境も良く、トレーニングする場所もあって充実した日々を送ることができたと思います。1年目から全く試合に出られないということはありませんでしたが、試合に出られない時期ももちろんありましたし、苦しい思いもたくさんしました。でも、4年目はアイスタイムも多くて、これまでで一番点を取れましたし、4年間やってきたことが実ったかなと思います」 ――卒業後、アイスホッケーとはどのように関わっていきますか。 「選手としてはこれで締めくくるつもりですが、社会人になってからも趣味程度でやっていこうかなと思っています」 ――これまでのホッケー人生を振り返っていかがですか。 「自分は高校まで全国優勝ができるようなチームにはいなかったのですが、明大に入って上手な選手たちとレベルの高い練習を行ってきました。なので、大学では全国の強豪相手に試合をしても、自分たちが日々やっている練習のほうがレベルは高いと思うことが多く、明大というチームが特別だと感じていました」 ――同期との思い出はありますか。 「自分たちの代は人数が少なく、1年の時から特別仲が良かったかと言われたらそんなこともなかったですが、4年間を通して仲良くなりました。思い出といっても毎日のことですが、4年生だけで部車に乗ってリンクに移動する時の会話が楽しかったです」 ――同期へ伝えたいことはありますか。 「井島(DF拓紀・文4=北海)は学部が一緒で、ホッケー以外の学校の授業などいろいろ協力し合ったので、すごくお世話になりました。剣太(DF菅野・法4=釧路江南)は高校も同じで長い付き合いになります。最初は剣太くらいしか知っている人がいなくて、一番仲良くしたので、7年間ありがとうという気持ちが強いです。優輝(ⅮF鍛冶・政経4=武修館)は部屋の階が一緒なので、寮生活の中で一番仲良くしました。ホッケーにも熱い男で、たぶん一番ホッケーが好きなんですけど、本当に優輝のホッケーへの姿勢は自分の見本でした。大輔(FW唐津・法4=日光明峰)は1年目から一番試合に出ていて、大輔がホッケーをやっている姿は1年目からかっこよかったです。自分は最初、チームの練習に全く付いていけなかったけど、大輔だけすごく堂々とホッケーをしていて憧れだったし、同期として大輔とホッケーができたことはうれしく思います。廉(FW中條主将・政経4=白樺学園)はやんちゃだけど、キャプテンとしてチームをまとめてくれました。歴代のキャプテンは素晴らしい人が多いけど、結果的に一番いいキャプテンだったと思います。人としてもいい人で後輩にも優しく、そのようにチームを引っ張ってくれた廉には感謝しています」 ――同部屋の後輩に対してメッセージはありますか。 「同部屋の後輩は特に仲が良くて、1年のFW花田匠(政経1=駒大苫小牧)はいい意味で1年らしくないというか、僕が1年の時とは比べ物にならないくらい生意気なんですが、1年生も4年生も関係なく話せることがいいことだと思っています。1年間という短い間でしたが、ホッケーの面ではまだ伸び代があると思うので来年度から期待しています。2年のⅮF馬場杏爾(政経2=駒大苫小牧)は、たまに抜けているところもあるけど真面目で、その代のリーダー候補でもあると思うので期待しています。莉央人(ⅮF竹谷・営3=白樺学園)は3年間一緒にいたのですごく感慨深いものがあって、一緒にいても気を使わないというか、たわいない話をたくさんしてきた仲なので、これから寮を出るとなると寂しいです。ホッケーの面では明大のエースディフェンスなので、来年度からはチームをプレーで引っ張っていってほしいなと思います」 ――来年度の明大に期待することをお願いします。 「来年度も、もちろんインカレで優勝してほしいですし、全部勝って3冠も取ってほしいなと思います。これからも期待できるメンバーがたくさん残っているので、全部優勝できる力はあると思います」 ――最後に後輩たちへエールをお願いします。 「頼りない先輩だったけど、最後までついてきてくれてありがとうというのと、来年度からも勝てるチームをつくっていってほしいと思います。陸トレなど、きついこともたくさんあると思うけど、腐らずに最後までやれば絶対にいい結果がついてくると思うし、そういうのを次の後輩たちに見せられるように頑張ってほしいなと思います」 ――ありがとうございました。 [倉田泰]READ MORE -
ラストインタビュー(4) 菅野剣太
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