ラストインタビュー(3) 畑中秀斗

アイスホッケー 2022.01.25

GK畑中秀斗(政経4=苫小牧工)

(※この取材は1月24日に行われました)

 

――最後の大会が終わりました。率直な感想を聞かせてください。

 「正直、本当にこれで終わりなんだという実感が湧きません。優勝したかったです」

 

――2年ぶり、そして最後のインカレはどんな大会になりましたか。

 「春は欠場、秋リーグは3位と結果が出せず、インカレも2年連続優勝できていなかったので、これまでの悔しい思いをしてきた先輩方のため、応援してくれる人のため、絶対に優勝すると決めて望みましたが、準優勝という形で終わってしまって悔いが残ってしまいました」

 

――決勝戦、ベンチからはどう見えていましたか。

 「第1ピリオドに4点を取られても、誰1人諦めずに全員が鼓舞し合って最後の最後まで戦っていました。これまでなら、試合中にチームの雰囲気が悪くなることがありましたが、決勝だけはみんな前向きな声しか出さずに、全員勝つために役割を徹底していて、すごく胸が熱くなりました」

 

――最後の1年を振り返っていかがですか。

 「1年を振り返ると本当にあっという間でした。今シーズンからやっとホッケーが思いっ切りできると思っていた矢先に、チーム内でコロナ感染が広まって春大会は辞退。サマーカップは中止。自分にとっても本気でホッケーをやる最後の年で、今シーズンこそは正ゴーリーとして試合に出続けたいと思いやってきましたが、良い結果が出せず最後までベンチだったのは選手としてやっている以上、悔しかったです。柊志綺(GK中村・政経2=北海道清水)には、2年生ながら大きな負担をかけてしまったと思っています。私生活面では、色んなことが制限される中、毎日楽しい生活を送れました。よく3、4年生で飲みながら、どうしたら良いチームになれるかもめちゃくちゃ話しましたし、最後の1年も超内容の濃い1年でした。もうみんなとこういう生活ができないと思うとやっぱり寂しいです。これからの生活寂しくてみんなに電話を掛けると思います」

 

――明大での4年間を振り返っていかがですか。

 「10歳の頃にホッケーの雑誌を見て、この黄色と紫のユニホームに憧れて、その時に絶対この大学でホッケーをやろうと決めて続けてきました。高校3年次に進路を決める際、当時の明大にはGK磯部さん(裕次郎・令2政経卒・現レッドイーグルス北海道)とGK香田さん(凌辰・令3政経卒)、どちらも世代ナンバーワンゴーリーが2人いて、高校の顧問にも『試合に出るのはとても厳しいぞ。他の大学に行った方が出場機会はある』とまで言われたけど、やっぱりこのユニホームを着て試合がしたくて入学を決めました。実際に試合に出る機会は少なかったし、他の大学に行った方が試合に出られたのかなと思った時もあったけど、4年間生活してきて、つらいことや悔しいこともたくさん経験できてそれ以上に楽しいことがあって、面白くてバカでホッケーがめっちゃうまいチームメートとも出会えたし、明大を選んでホッケーをできたことには一切の悔いはありません。でも1年目にはもう戻りたくないです(笑)。めっちゃきつかったので(笑)」

 

――ここまでのホッケー人生を振り返ってください。

 「アイスホッケーは2歳からやっていて、今年でちょうど20年目。あっという間でした。小、中と市内では割と強いチームにいて、優勝なんて当たり前のチームで、高校も県内の高校に進学しようと考えていたけど、縁があって北海道の高校に行くことになりました。そこで初めて自分の実力のなさを痛感し、天狗になって伸びきっていた鼻をへし折られました。高校では、恩師と呼べるコーチに出会い、その人との出会いがあったから、もっと本気でやらなきゃ通用しないと思えて、高校2年生の時にはUー18にも呼んでいただけるようになったと思います。大学に入ってからは磯部さん、香田さんがゴールを守っていて。初めて間近で見た時、レベルが違くて正直心が折れたこともあったし、後輩も上手くて常に気が抜けなかったし、明大で出続けるってすごいなと思いました。2歳から続けて20年間、試合に勝って最高にウキウキだった日、負けてめちゃくちゃ悔しくて泣いた日、高校ではUー18、大学では日本一など本当に多くのことを経験させてくれたし、成長させてくれたと思います。アイスホッケーが生活の一部で趣味だったので、これからの生活ホッケーがなくなってしまうと思うと、何を楽しみに生活していけば良いのか分からなくて、正直困っています(笑)」

 

――これからどうアイスホッケーを関わっていきますか。

 「選手としては大学で終わりですが、僕はアイスホッケーが好きなので、試合は見に行きたいと思います。明大の試合はもちろん、プロで活躍している先輩方、これからプロに行く同期を応援したいと思ってます。もし機会があれば、社会人チームでもう一度ホッケーをやってみたいです」



 

――同期との思い出を聞かせてください。

 「同期との思い出はかなりあります。ここで言えないこともたくさんあります(笑)。鳴り物入りで入ってきた同期8人、入学した時から仲が良すぎる学年で、1年目は何かあれば寮の屋上に集まって、暑い日も寒い日も長時間話していましたし、学年が上がってからは同期飲みも数え切れないぐらいやりました。2、3年生の時、同期飲みをしたら必ず誰がキャプテンやるかで全員「俺がやる」と言って熱くなってたのを思い出します。ある時はカラオケのトイレに同期8人で入って肩組んで話してた時もありました(笑)。4年生になってから、今まで俺が俺がって言ってたみんなもどうしたらチームが良くなるか、良くするにはどういうことをしていかないといけないのか、そんな話もするようになったし、本当に8人みんな一緒に成長してきた学年だと思います。もっと思い出はあるけど、色々思い出したら泣きそうになったのでこれくらいでやめておきます。本音を言えば、自分自身試合に出てみんなと一緒に氷上でプレーしたかったし、勝利をみんなと分かち合いたかったけど、本当にこの同期と一緒にやってこれて誰1人欠けることなく引退を迎えることができ良かったです。愛してるぜ、明治期待のベテランたち」

 

――同期の皆さんへの思いを聞かせてください。

 「とも(FW田名部共弘・文4=八戸工大一)とは地元が一緒だったのに、仲良くなったの実は大学に入ってからだったな。ともとDF青山(大基・法4=釧路江南)とはめっちゃ飲みに行ったし、一緒に自炊もしたな。釣りに行った時に釣竿を壊してごめんね(笑)。ともとはまた八戸に帰ったら飲み行けるから、その時にまた色々話そうね。引退したらホッケーはもうしないって頑なに言っているけど、ホッケーをめっちゃ好きなのも知ってるし、熱い気持ちは一番持っている人間だし、絶対に社会人になっても続けると俺は信じている。まだまだバリバリできると思うからホッケー続けてね。莉央(FW吉岡・文4=武相)、1年の夏合宿で2人だけで仕事をやり遂げたのは今でも忘れないよ。フリー獲得で歓喜したのも、俺が莉央のこと先輩に告げ口して、連帯でご指導いただいたのも今じゃいい思い出だね。あの時は本当に泣きそうだったけど(笑)。なんかいつも風呂では一緒に入ったら何時間も入って喋ってたよね。一緒に派遣バイトに行って、帰りに日給全部使いきって帰った日もあったし、一つ一つの思い出が濃かったよ。しつこい絡みはもうお腹いっぱいだから、あと俺をブーって呼ぶのやめろ(笑)。恵吾(DF廣田・営4=北海道清水)には、いつも貸してもらってばかりだったね。何とはここでは言えないけど、本当にありがとう。お陰様で生活できました(笑)。学年が上がるにつれて落ち着いた恵吾。病院で働くってイメージつかないけど、学連の理事長もこなしてきた力を生かしてバンバン稼いでね。もう引退したんだから、ラーメンの過剰摂取には気をつけて。結婚式は呼んでね? おうち泊まりに行きます。学路(FW下山・商4=北海道清水)、4年間本当に俺にずっと当たりきつかったな(笑)。もう少し優しくしてくれても良かったじゃん? 試合には遅れてくるし、寝たら起きないけど誰にも物怖じしない学路が一番破天荒だと俺は思ってる。合宿では部屋が同じになることが結構あったね。俺のいびきで質の良い睡眠が取れなかったと思う。ごめんなさい。学路とはまだ今年も付き合いあるから、今年からは優しくしてくれよ? DF三浦(大輝・法4=駒大苫小牧)、俺が見てきた中でも一番の天才。天才とはお前のためにある言葉だよな。こんなこと言ったら調子乗るからやめます。要領の良さはチーム1だね。ビッグマウスだけど、それをちゃんと結果で出してくるのは悔しいけど本当にすごいと思う。これが、三浦が天才と呼ばれる由縁だな。何もやっていないようで練習では一番考えてホッケーしてる姿をみんな見てるからついてきたと思う。キャプテン以外マーク要らないって言ったり、試合中機嫌悪くなってたお前が、4年になってAマークをつけるようになって、試合では不貞腐れる事もないし、前向きな言葉でチームのためにプレーしてたし、後輩が悩んでいたら親身になって相談乗ってあげたり。すごい成長したね。次のカテゴリーでもホッケーを続けると思うけど、自分の力を存分に生かして活躍して、世界の三浦になってください。必ず応援行くから、レプリカユニホームちょうだい。あと、お酒の飲み過ぎは注意で。あおD(青山大基・法4=釧路江南)、このクセの強すぎる同期とこの強すぎるメンバーを、ここまでまとめ上げてくれて本当に感謝してもしきれません。名門・明大のキャプテンとして俺らじゃ想像つかないくらいの重圧があったと思うけど、ここまで引っ張ってきてくれて本当にありがとう。氷上も陸トレも真面目に全力でやって、いつでもチームを盛り上げてくれるし、学年関係なく親しみやすい雰囲気をつくってくれるキャプテン。どこのキャプテンよりもカッケーよ! 行動力凄いし、すぐ業務スーパーとすき家行きたがるし、そのくせ全然ご飯食べられないのはどうかしてるし、飲みに行ったらいつもぶっ飛んでるし、全部楽しかったね。もう一緒に自炊も飲みもしばらくできないと考えると寂しいよ。あおDも次のカテゴリーでまたホッケー続けると思うけど、持ち前のフィジカルの強さをもっと強化して、日本を代表するDFになってくれ。必ず試合見に行くから、ユニホームちょうだい。雄大(FW佐久間・政経4=白樺学園)、まだ何もしてないのに泣きそうだよ(笑)。雄大とは学部も一緒で、4年間で本当に一番お世話になったな。金欠でご飯食べられない時、毎回ご飯食わしてくれてお陰様でこんなに大きくなりました。感謝感謝です(笑)。ホッケーではFWの中心として、あおD同様、もしかしたらそれ以上の重圧の中、色んなことがあったのに結果を出し続けて。ここまでやってきたのは雄大にしかできなかったことだと思う。寮飲み終わって、悔しくて2人して泣きながらカップ麺食べた夜もあったな。雄大の明大に対する愛、チームを勝たせたいという気持ちは周りを本当に鼓舞し続けてきたと思う。一つ謝らないといけないことがあります。同じ学部で、俺が怠けていたらその度に気にかけて声を掛けてくれたのに、変わらなくて本当にごめんなさい。雄大の仲間を一番に考えて行動する心は、この先のキャリアでも絶対生きてくると思うから、次からはまた1年生みたいな感じだけどぶちかましてくれ。今度は必ず俺が飯奢るよ(笑)」



 

――最後の大会は無観客でした、家族へ伝えたいことはありますか。

 「4年間、あまり試合に出ている姿を見せられなかったのは申し訳なかったです。しかし、2歳から20年、何不自由なくホッケーに専念できる環境を与えてくれて本当にありがとうございました。両親がここまでしてくれたおかげで、20年間で一度もホッケーをやめたいと思うことなく続けることができました。まだ少し迷惑をかけますが、これから少しずつ恩返ししていきたいと思いますので、これからもこのバカ息子をよろしくお願いします。ずっと応援してくれてありがとう」

 

――最後に後輩へエールをお願いします。

 「コロナ禍で思い通りにホッケーができない悔しさ、勝てなかった悔しさ、色んな悔しさを味わった1年間だったと思います。来シーズンからはもう頼れる先輩方はいません。新4年中心に、自分たちで一から強い明大をつくり上げてください。あまり試合に出れなかった私からのアドバイスは、試合に出てる出てない関係なくチームのために一人一人やれることは必ずあるので、勝利のために一人一人何をできるか考えてやってみてください。明大のプライドを持って全力で、氷上で暴れてきてください。そしたら必ず結果はついてくると思います。応援してます」

 

――ありがとうございました。

 

[藤山由理]


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