「まさか五輪を目指すことになるとは」 平田しおり 五輪代表内定インタビュー(1)

射撃 2021.07.13

 東京五輪開幕まで残りわずか。開会式の翌日に行われる女子エアライフルには平田しおり(政経4=金沢伏見)が出場する。東京大会の日本勢メダル第1号となるか。射撃界としては29年ぶりのメダルに期待がかかる。ここでは紙面に載り切らなかったインタビューを全2回にわたってお届けする。(この取材は6月5日、7月2日に行われたものです)

 

ーー射撃を始めたのはいつですか。

 「父がクレー射撃をやっていました。小さい頃に父が県外に試合や練習で行くことが多かったので、その時に家族で父の射撃を見に行って父が競技をしている姿を見たり、ビームライフルという誰でも打てる銃があって、それを体験させてもらったりして、射撃は面白いなと思っていました。でも、自分は小学1年次からずっと書道をやっていて、スポーツの経験が全くなくて。でも、高校に入ったら新しいことをやりたくて、射撃競技をやってみようと思いました。高校の部活にはなかったので外部で高校1年次の6月ぐらいから始めて、高校では部活への入部が絶対だったので、平日は書道、土日は射撃をやっていました」

 

ーー書道は一枚一枚集中して気持ちを込めて書くことが大切ですが、それが射撃に通ずる部分はありますか。

 「書道で長い紙に書くとなると、1枚30分ぐらいかかることもありますが、書いている時も流れを切らさないために、一枚一枚集中して書いていくところが射撃と似ていると思います。射撃も、銃に球を込めて呼吸を整えて銃を構えて、姿勢などを確認して狙って撃っていくという一連の流れで、同じことを何回も何回も繰り返していくので、集中の切り替え、1回ずつに集中するのが、生きていると感じます」

 

ーー射撃をやっていて楽しいと思う瞬間はいつですか。

 「練習を重ねていって、試合で練習してきた通りに自分の射撃ができて、いい結果につながった時はやってきて良かったなと思いますし、やはり射撃は楽しいなと思います。練習でも、銃のセッティングなどを新しいやり方に変更して練習してみてうまくいったときに楽しいと感じます」

 

ーー今までで最も記憶に残る試合はどの試合ですか。

 「射撃を続ける上でもっと頑張ろうと思える試合がありました。高校1年次の8月に国体のブロック予選があったのですが、自分はオープン参加で県の代表選手たちと一緒に撃たせてもらって。代表のプレッシャーがある中で撃っているのと、自分とは状況が全然違うのですが、自分は優勝しました。6月に始めて2カ月で優勝して、その点数がどのくらいすごいのかとか、射撃のことも全く理解できていないような時期だったので、射撃関係の人には『おめでとう!』『すごいよ!』と言われましたが、自分では『ありがとうございます』と言いつつ、分かっていないという感じで。でも、周りや両親に褒められたのがとてもうれしくて、もっと続けてみようと思いました。とりあえずは県で1番になって、その次は国体でも1番になりたいと続けていきました。高校3年次の国体までなかなか優勝することができず、ずっと悔しかったです。本当にあの時はうれしかったです」

 

ーー国体で優勝した時に五輪を夢見たりはしましたか。

 「それは全くないですね。私が射撃を始めた高校生の時にリオ五輪がありましたが、そのときには五輪の種目に射撃があるとは思わなかったですし、テレビでやっているような種目を見ているだけだったので、まさか五輪を目指すことになるとは思ってもいませんでした」

 

ーー具体的に五輪を意識し始めたのはいつですか。

 「高校3年次の8月に東アジアユースの試合があって、そこで国際試合デビューをさせてもらいました。そして、大学1年次にワールドカップニューデリーの大会で7位に入賞して日本人トップだったので、自分でももっと頑張れば世界で戦えるのではないかと思いました。7位なので、世界のトップに行くには点数も足りないですし、もっと練習をしなければいけないですが、その時に『五輪に出られるかもしれない』と少しだけ五輪が頭の向こう側に見えたような気がしました」

 

ーー日本では銃を持つには年齢制限がありますよね。

 「誕生日が11月で、18歳の誕生日がきた時にすぐ50メートルのライフル(※ARの銃は14歳から所持が可能)を警察に申請しました。銃を所持するには多くの工程があって、許可が下りるのに1~2カ月は絶対にかかります。準備なども大変なのですが、誕生日が来る前に全部済ませておいて、誕生日当日に警察署に行って『申請お願いします!』と出しました(笑)。たぶんそこまでしている人はあまりいないと思いますけど(笑)」

 

ーー五輪に決まるまではどのような流れでしたか。

 「大学2年次の9月に五輪の第1次選考会として、2位までに入れば、五輪の内定が決まるアジア選手権に出場できる権利がかかった試合があって、私はぎりぎり2位に入れたので、アジア選手権に出場しました。そして、そこで日本人トップだったら、東京五輪に内定するといった流れでした。でも、自分以外の選手は30歳とかベテランの選手たちだったので『自分が勝てる訳がない』という思いと『これまでの自分の調子からだったらいけるのではないか』とも思いつつ、五輪がかかっているというのは意識せず試合に臨みました。本戦を7位で通過して、決勝では『ここまで来たら何でもいいからやってやろう」と思ってやったところ、3位入賞、日本人トップで五輪内定決定といういい結果なりました。でも1カ月ぐらいは実感を持っていませんでした。周りの友達も信じられていない様子だったのですが、自分も信じられていませんでした」

 

ーーその後、コロナウイルスの影響で五輪が1年延期と発表されましたが、正直どう思いましたか。

 「1年延期でこの内定が取り消されるのではないか、これだけテレビなどで取材を受けてきたのに、内定を取り消されたらどうしようという不安もありますし、大学4年次のときにやるということで、就職や自分の未来の不安、1年後にしっかり射撃の技術面とか実力を維持できているだろうか、自分がコロナにかかったらどんな影響が及ぶだろうかなど、本当にいろいろと不安を抱えながら生きてきたと思います」

 

ーー延期を受け止めて、1年後に行われることをプラスに捉えなおすことはできましたか。

 「内定したのが50メートルライフルということで、自分は始めてから2年しか経っていなかったので、経験も実績もないわけですし、まだまだ練習をしていかなければいけないのは自分でもわかっていたので、大会や試合、練習を重ねていって経験を積めることがプラスになると考えられてはいました。けれども、試合はなくなってしまって、試合の経験を積むことはできなかったです。ただ、練習はしっかりできてきてはいたので、良かったとは思います」

 

――第2回はこちらに続きます。以下をクリックしてください。

「できる限りの準備をして五輪でも自分の射撃をしたい」 平田しおり 五輪代表内定インタビュー(2) | 明大スポーツ新聞部 (meisupo.net) 


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