(4)「未完の大器」に残された時間は1年・山本宜秀

柔道
 3月16日に東京武道館で行われた全日本選手権の東京地区予選。明大からは9人の学生が4月29日の本選出場を目指した。その中で最も自信に満ちあふれた表情で畳に立ったのは、山本宜秀(政経4)。しかし、結果は4回戦負け。他の選手も全員、代表に届かないまま敗れた。「次代の明治を担う」と期待された男に残された時間はあと1年。大学最後の年の意気込みは本物か。

 高校時代、全国高校総体王者に輝き、鳴り物入りで明治の門をたたいた山本。学生の中では最も北京五輪に近い男と目されていた。入学当初、彼自身も「4年後の北京五輪出場が目標」と熱く語っていた。1年の春に行われたロシアジュニア、夏に行われたドイツジュニアでは準優勝と、早々と存在感を示した。しかし「2位はいらない」とその悔しさをバネに秋の全日本ジュニア選手権では見事優勝。その勢いは止まることなく、シニアの講道館杯日本体重別選手権では敗者復活戦を勝ち上がり、3位に。その後の嘉納治五郎杯国際柔道大会、全日本選抜体重別選手権といった日本を代表する大会への出場権を獲得し、チャンスをつかんできた。

 だが、2年でアジアジュニアで優勝して以来、山本の中で何かが狂っていったように思う。前年度は表彰台に上がった講道館杯では2回戦敗退。ジュニアで勝ててもシニアでは結果が残せない。足首を痛めていたのは本当だ。だが、それを言い訳にする日々が続いた。そして上級生の3年になった時、山本が世界を目指す上でもっとも重要な大会がやってくる。バンコクで行われたユニバーシアードだ。高校の時以来90kg級でのチャレンジとなった。しかし、久々の減量を伴う階級ということもあり3回戦で散ってしまった。北京での五輪出場という望みが大きく遠のいた瞬間だった。

 元々、内また、大外刈りなどの大技の切れは天性のものだった。高校時代からのライバル・国士大の石井慧と比べても、「素質は1枚も2枚も上」との評価は定着していた。しかし、切れる刀も磨かないと、サビは出る。ひたむきな闘争心と絶対的な練習量に支えられた「棍棒タイプ」の石井が、大学入学後、2年で全日本選手権を制覇。今年もし烈な北京五輪100kg超級代表争いをするところまで成長したのとは対照的だ。

 「大学1年の時の活躍は高校時代の貯金に過ぎない。その後は全然ダメだった…」。ケガなどに悩まされ、思うように結果を残せずにいる山本。だが、最上級生となる今春、変化は起こっている。けいこや練習試合などで、競り合いの中で気持ちを全面に出して相手に向かっていく姿勢が見えてきた。格好良く一発で一本がとれる「名刀」でなくても、体調などの条件の悪さを勝てない理由にしない逞しさ。「魂の柔道」と言われる心意気がようやく彼にも根付いてきた気がする。「山本ならもっとできる」と信じている関係者は多いだろう。私自身もまた、彼の実力はこんなものではないと信じて、応援している。

 「全日本選手権出場と、個人の学生チャンピオン獲得、そして、秋にはシニアを交えた講道館杯で絶対優勝する!」。学生生活最後の年に彼が立てた三つの目標だ。残念ながら、全日本への夢は絶たれた。目標一つは消えてしまったが、落ち込んでいる暇はない。「結果を出さなきゃ認められないし、おれはやるよ」。現状の実力と向き合い、それを理解した上で歩き出した山本が学生最後の年に飛躍出来るか。「未完の大器」が幾多の五輪、世界王者を排出してきた明大柔道部の歴史に名を刻めるか、は、この1年の成長にかかっている。

山本宜秀 やまもとのりひで 政経4 世田谷学園高出 182cm・93kg

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http://www.meiji-judo.com/meisupo4yamamoto.htm

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