課題と収穫残る スナイプ級15位/全日本学生選手権
今シーズンの集大成となる今大会。明大からは昨年度に引き続きスナイプ級のみが出場。結果こそ24チーム中15位と振るわなかったものの収穫の多いレースとなった。
◆11・1〜11・4 全日本学生選手権(海陽ヨットハーバー)
▼スナイプ級――15位
「得たものは大きい」と語ったのは副将を務める朝倉史悠(商3=日大習志野)。大場大也(営2=明大中野)と組んで安定して20番代以内に入り、さらに第6レースでは6位とリーダー艇として全国にも通用する実力を示した。池田樹里(法2=東海大高輪台)二木貴大(理工2=星稜)の2年生コンビも第5レースを8位でフィニッシュするなど局所で大器の片りんを見せた。さらに注目したいのが長富吾郎(営3=千葉東)・瀬ノ尾陸(商3=東京都市大)の一般入部生組。初日に反則を取られ、その後もなかなか波に乗ることができなかったが、最終レースでは「開き直って乗った」結果が22位の好結果。大きな手応えをつかみ、来季への糧とする。
欠いたものは安定感。総合順位を上げることのできなかった最大の要因だ。リーダー艇を除く2艇は60位代に沈むレースが多かった。「このままでは上位には食い込めない」(長富)。全国で入賞、そして優勝を勝ち取るためには安定した順位を取り続けなければならない。
これで今シーズンのレースは終了。今年度の目標である、全日本インカレ総合入賞は叶わなかったが、4年生が不在の明大には来シーズンも同じメンバーで戦えるという大きな強みがある。「もちろん優勝を狙っていく」(朝倉)。リベンジに向け、新たなスタートを切る。
[高野順平]
試合後のコメント
朝倉
――安定した走りを見せました。
「満足している部分は多いです。ただ他のリーダー艇と比べてまだ遜色はないというレベルなのでもう少し速く走れるようにしたいです」
――今年度最後のレースでした。
「来年は最後ということで、今回全日本に来れなかった470級と一緒に優勝を狙いに行きたいです」
長富
――最終日のレースを振り返ってお願いします。
「一般生同士のペアでスポーツ推薦の人たちと戦ってきて、全国という舞台で高い順位でフィニッシュできたことは嬉しかったです」
――ヨットの楽しいところはどこですか。
「自然という答えのないものを相手に、自分が引いたコースで前を走るということが嬉しいのでそれを目標にいつもやっています」
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「最初はいろんな先輩に乗せてもらったりとかしてやっていたんですけど、先輩だと新入生に対しては優しく、でも熱心に教えてくれるというところとか、海で出ている間じゃなくて陸に帰ってからもいろいろ勉強させてもらったりとかして、 そうやってヨットの知識つけていたという感じで本当に先輩とはかなりコミュニケーションは取りやすい環境だったかなというふうには思っています」 ――最初に出られた大会、レースは覚えていますか。 「自分がほんとに一番最初に出たレース、同期とかの中ではデビュー時期、公式戦に出るのはかなり遅かった方ではあるんですけど、今まで出たレースの中で覚えているのは同期の人と自分がスナイプに移るかみたいな話になっていたところに、最後に出たという感じの個人戦でした。それはちょっと難しかったなというのは思ったのと、公式戦というのがちょっとあんまり覚えてなくて、新入生の頃は後輩とも最初ペア組ませてもらっていて、そこでもやっぱり自分が伸び悩んでいたりとかもして、結構苦戦したなという思い出の方が多いです。きつかったというか苦労したというのは、すごく思い出に残っている方かなという感じですね」 ――スナイプ級に変更した時期や理由は何ですか。 「自分が転向した時期は2年から3年に上がるタイミングというか、代が変わるタイミングで、その時に考えていたのが470で苦戦してたというのがまず1個。自分が3年、4年になった時に一番活躍できる場所はどこかなというふうに考えたのと、あとは自分の同期が元々少なく、スナイプ級には自分と同じ時期に入った1人しかいなかったというのもあって、それで自分たちの代になった時に自分が470にいるよりもスナイプに移って活動した方が、チームの力になれるかなというのが自分の中では考えました。最初は470しか知らなかったんですけど、スナイプもヨット1年やってきたら面白いなと思って移りました」 ――転向してからのレースはいかがでしたか。 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に入賞してほしいという意味でいい順位取ってほしいなという思いを込めながらレース見ていて、一緒に行ったスナイプのメンバーもそうだと思うんですけど、自分たちは引退が決まっていたので、いろんな技術を盗むとかというよりかは本当にもう純粋に応援するというところが本当に大きかったかなと思います。やっぱ 470チームに勝ってほしいなというのが強かったです」 ――関東学生選手権が終わった後はどういう心境でしたか。 「本当に悔しかったというのが一番です。個人的には全日本に行けるチームだったかなというふうには思っていたので、レース自体風吹かなかったというのも自分としてはすごく悔い残るところは大きいんですけど、一緒に乗っていた人もチームの後輩も悔し涙を流していたので、それを見て本当に申し訳ないなという思いも責任も感じながらというところで、最後はそういう感じの気持ちで終わったかなというのはあります」 ――4年生全体として活動が終わった後はどうでしたか。 「自分たちのスナイプがレース最後終わったところから470の全日本が終わるまで、かなり期間はあったので悔しさはちょっとあったんですけど、後輩のサポートとか470のサポートという意味も強く活動してこられたので、自分たちの代をやり切ることができたなという気持ちで、最後終われたのかなというふうに思っています」 ――同期の存在はどうでしたか。 「ヨットは大学で初めてやった競技であったのでそういった意味では本当に同期の存在というのが心の支えになりました。ヨットで苦労していた時もやっぱり同期がいるから合宿所に向かうことができたりというか、同期と一緒に合宿所で過ごすという生活自体もすごく楽しかったので、そういったところで本当に同期には恵まれたなというのが、存在として大きかったなというのは思っています」 ――後輩たちに何か残せたことはありましたか。 「最後の最後までかなり自分のことで精一杯になるというか、個人的にもチームのためにも結果を残さないとというところも大きかったので、あまり何残せたかなと思うと本当に分からないんですけど、チームとしてやっぱり後輩には残せたというよりかは支えてもらったなという方が思いとしては強いです。スナイプチームが、2年生から入った未経験者の2人が4年生になって、中心になってつくったチームだったので、本当に後輩に残せたというよりかは支えられたというところが大きいので手伝ってもらったところも大きかったんですけど、 それが逆に後輩にはいい経験になってくれてたら今後に生かしてくれてたらうれしいなというのは感じています」 ――3年間の中で一番変わった点はありますか。 「合宿生活とかはなかなか経験する機会ないと思うんですよ。3年間とか長い期間での合宿生活は、どこか寮で入っている部活とかそういうところ以外はなかなかないと思います。なのでいろんな人と共同生活するというところは、競技も含めて生活していくというのが、できるように楽しめるようになったというか成長したのかなというふうには思っています」 ――今後ヨットとはどう関わりたいですか。 「競技としては終わりなんですけど、明大ヨット部のことに関しては今後も気にかけながら応援していきたいなという思いで、そういったところで後輩の力になれたらなというところですね」 ――ヨット人生を一言で表すとどんな言葉になりますか。 「充実かなというのは思います。ヨット部に出会って、ヨット部に入ったからこそ大学生活、最初1年コロナ禍で何もできなかったというところから充実した大学生活を送れたのもありますし、目標に向かって取り組める日々というのもなかなか他の人には経験できないようなことも大きかったので、そういった意味では充実したヨット人生だったかなという風には思っています」 ――ありがとうございました。 [北原慶也] ◆伊藤 優汰(いとう・ゆうた)政経4、緑岡。177センチ・70キロ。READ MORE