高波に対応できず 悔しさ残るスナイプ級19位/全日本学生選手権
ヨット
2017.11.06
悔しさが残る結果となった。全国の頂点を決める全日本学生選手権(インカレ)が11月2日から開幕された。明大からはスナイプ級のみの出場。当初は4日間を通して11レースが予定されるも1、2日目は微風、3日目は荒天により最終日まで1レースしか消化できず。勝負となった最終日に2レースを行うも荒波に苦戦し総合19位。今季最後の大会は満足とは程遠い結果で終えることとなった。
地域特有の自然環境に対応できなかった。高波が特徴の若狭湾で行われた今大会。最終日には前日の荒天の影響を受け荒波状態に。「普段練習している葉山港とはまったく違った」(梅本寛之主将・営4=江戸川学園取手)と高波かつ微風の海上で普段の帆走ができない。2日目に行われた第1レースでは1艇がスタートに失格。最終日にもスタートに苦戦し順位を上げることができなかった明大。19位でインカレを終えることとなった。
スナイプ級のリーダーが4年間の集大成を見せつけた。最終日に行われた第2レース。鈴木颯太(商4=福岡第一)・安藤駿佑(理工4=逗子開成)組は艇の少ないサイドで好スタートを切ると勢いのまま風を受けトップ集団へ。僅差で1位は逃したものの3位で帰還。「4年間の全てを出せたレース」(鈴木)と豊富な経験値による判断が奏功した。またレース後に吉田優監督の言葉を受け、涙をこらえ切れなかった鈴木。「感謝している。今のヨット部があるのは監督のおかげ」。技術指導はもちろん、選手の意識改革に尽力する恩師への感謝をあらわにし、ヨット人生に幕を下ろした。
次の世代がこの悔しさを晴らす。スナイプ級では昨年よりも順位を落とし、470級では2年連続でインカレ出場から遠ざかっているのが現実だ。さらに3年生部員がいない現状もある。しかし「成長できる機会は増える」(朝倉史悠・商2=日大習志野)。来年からスナイプリーダーとなる朝倉を中心にメンバー争いを激化させチーム力を高めていく姿に期待がかかる。
[坂田和徳]
試合後のコメント
梅本主将
「(今回の大会を終えて)11レースの予定の中で3レースしか消化できてなくて微風だったり強風だったり中々コンディション的にも難しいレースだったと思います。さらに明治のスナイプとして最大限の力を発揮できなかったことと、英語ですかね、ブラッキーかかってしまって余計な点数をもらってしまったので悔いが残るレースにはなりました。(1レースについて)本当に波が高くて普段練習している葉山とはまったく海面が異なって波の高さやふれも全然違ったのでそういったところに中々適応できなかったのが1番難しかったところです。(一緒に乗った池田をはじめとする後輩へ向けて)ずっと監督から言われていたのが『スタートから強気のレース展開で攻めていけ。控えめにならないようにしろ』ということで結果的には第2レースはブラックになってしまったんですけど攻めた結果の中での失敗なので次は攻めた中で成功できるように改善してくれればと思います。(涙が)470とスナイプの両クラスが一緒にいれなかったというか自分の不甲斐なさで一緒に戦うことができなかったことと後はスナイプだけで人数が少ない中でなんとか最後までレースをやり切ることができたことですかね。(後輩に対する思い)本当にこの1年間とにかく部の基盤、簡単に言えば体育会らしさというものを出していこうと思って基盤を再構築するために僕らの代のテーマでは『革新』というテーマを掲げてこの1年間やってきました。その中でこういう悔しい結果に終わったんですけど部活動の取り組みの中でこれまでになかったことを新たに出せたという面ではいい形も残せたと思うのでそういう部分は次の代でも引き継いでほしいと思います。そして今度は成績を残していけるようなチームを作っていってもらいたいと思います」
鈴木
「正直目標の入賞というものには届かなかったんですけどみんなでもっとレースができなかったのも残念です。最終レースは自分が1番遅かったんですけど後輩たちが前に出てくれて次につながる、後輩を後押しするっていうことはできたのではないかなと思います。この悔しい結果を後輩たちには晴らしてほしいなと思います。(今日の1レース目)最後、スタートに僕しかいなかったので思い切って出て何としてもトップで帰ってくるという気持ちでスタートしました。スタートが全てです。(意識したこと)多くの艇が反対側に集まっていたのでチャンスがあるなと思って自分が風をつかむんだという気持ちでサイドの方が有利なのでサイドのエンドの方に向かいました。(リスク)そうですね。あったんですけどトップで帰ってくるしかなかったんで前に出て結果的に良かったのでそこは良かったと思います。(荒天)波が高いというのは葉山のコンディションではないので練習していない海面だったので非常に難しかったです。(最終日まで1レース)1レースしかやってなくてあと2レース行われないと大会が成立しない中で自分たち自身もレースがない中、英語を叩いたり、高得点を叩いてはいけないのにリコールが出てしまったり短期間なので修正が効かなくなってしまうのでその点ではすごく難しいレースになりました。(最後のレース)波がすごく高くなったのに対して風がすごく弱くなって風があれば進むんですけどそのコンディションが苦手で中々前に出れずにそのまま順位を下げてしまった結果です。(吉田監督のお話後には涙も)そうですね。監督には2年生の時からお世話になって当時はヨット部自体もまとまりが全然なかったんですけど監督のおかげでしっかりとまとまることができましたし、仕事を休んででもつきっきりで指導もしていただきました。選手の意識が上がっていない時も厳しく鼓舞してくれたり、優勝への意識も1番強かった方なので今のヨット部があるのは吉田監督のおかげだと思います。本当に感謝しています。(後輩への思い)やっぱりこの悔しさっていうのはしっかりと自分も伝えないといけないですし、朝倉、池田を中心に下の世代もこれを機に大きく成長してくれたら良いと思います。(ヨット人生を終えて)ヨットは13年間ずっとやってきたんですけど常に心がけていたのは負けない気持ちだったので社会人になってもこの経験を生かして負けない気持ちでやっていこうと思います」
朝倉
「(この大会への意気込み)3年生がいない中で自分が2年生で1番鈴木さんと近い場所でやらせてもらって足を引っ張ってはいけない思いで挑みました。(最後のレースでは前に出れた)最後ということで気持ちも吹っ切れましたし、1番は4年生に不安を残さないようなレースをしたいと思ってその気持ちが良かったのかなと思います。スタートが1番いい位置といいタイミングで出れてそこが前で走れたことだと思います。(悔しさ)去年も全日本に連れていってもらってその時は出場しなかったんですけど出場しないと分からない気持ちとか出れていないメンバーが少し多いので体感できなかった部員にもしっかり伝えて来年、再来年そこに向けてしっかり気持ちを作っていきたいです。(来年への意気込み)1学年欠けているので経験とかではパワーダウンすると思うんですけど逆に考えれば成長できる機会はいっぱいあると思うのでポテンシャルを磨くことを意識して頑張りたいと思います」
地域特有の自然環境に対応できなかった。高波が特徴の若狭湾で行われた今大会。最終日には前日の荒天の影響を受け荒波状態に。「普段練習している葉山港とはまったく違った」(梅本寛之主将・営4=江戸川学園取手)と高波かつ微風の海上で普段の帆走ができない。2日目に行われた第1レースでは1艇がスタートに失格。最終日にもスタートに苦戦し順位を上げることができなかった明大。19位でインカレを終えることとなった。
スナイプ級のリーダーが4年間の集大成を見せつけた。最終日に行われた第2レース。鈴木颯太(商4=福岡第一)・安藤駿佑(理工4=逗子開成)組は艇の少ないサイドで好スタートを切ると勢いのまま風を受けトップ集団へ。僅差で1位は逃したものの3位で帰還。「4年間の全てを出せたレース」(鈴木)と豊富な経験値による判断が奏功した。またレース後に吉田優監督の言葉を受け、涙をこらえ切れなかった鈴木。「感謝している。今のヨット部があるのは監督のおかげ」。技術指導はもちろん、選手の意識改革に尽力する恩師への感謝をあらわにし、ヨット人生に幕を下ろした。
次の世代がこの悔しさを晴らす。スナイプ級では昨年よりも順位を落とし、470級では2年連続でインカレ出場から遠ざかっているのが現実だ。さらに3年生部員がいない現状もある。しかし「成長できる機会は増える」(朝倉史悠・商2=日大習志野)。来年からスナイプリーダーとなる朝倉を中心にメンバー争いを激化させチーム力を高めていく姿に期待がかかる。
[坂田和徳]
試合後のコメント
梅本主将
「(今回の大会を終えて)11レースの予定の中で3レースしか消化できてなくて微風だったり強風だったり中々コンディション的にも難しいレースだったと思います。さらに明治のスナイプとして最大限の力を発揮できなかったことと、英語ですかね、ブラッキーかかってしまって余計な点数をもらってしまったので悔いが残るレースにはなりました。(1レースについて)本当に波が高くて普段練習している葉山とはまったく海面が異なって波の高さやふれも全然違ったのでそういったところに中々適応できなかったのが1番難しかったところです。(一緒に乗った池田をはじめとする後輩へ向けて)ずっと監督から言われていたのが『スタートから強気のレース展開で攻めていけ。控えめにならないようにしろ』ということで結果的には第2レースはブラックになってしまったんですけど攻めた結果の中での失敗なので次は攻めた中で成功できるように改善してくれればと思います。(涙が)470とスナイプの両クラスが一緒にいれなかったというか自分の不甲斐なさで一緒に戦うことができなかったことと後はスナイプだけで人数が少ない中でなんとか最後までレースをやり切ることができたことですかね。(後輩に対する思い)本当にこの1年間とにかく部の基盤、簡単に言えば体育会らしさというものを出していこうと思って基盤を再構築するために僕らの代のテーマでは『革新』というテーマを掲げてこの1年間やってきました。その中でこういう悔しい結果に終わったんですけど部活動の取り組みの中でこれまでになかったことを新たに出せたという面ではいい形も残せたと思うのでそういう部分は次の代でも引き継いでほしいと思います。そして今度は成績を残していけるようなチームを作っていってもらいたいと思います」
鈴木
「正直目標の入賞というものには届かなかったんですけどみんなでもっとレースができなかったのも残念です。最終レースは自分が1番遅かったんですけど後輩たちが前に出てくれて次につながる、後輩を後押しするっていうことはできたのではないかなと思います。この悔しい結果を後輩たちには晴らしてほしいなと思います。(今日の1レース目)最後、スタートに僕しかいなかったので思い切って出て何としてもトップで帰ってくるという気持ちでスタートしました。スタートが全てです。(意識したこと)多くの艇が反対側に集まっていたのでチャンスがあるなと思って自分が風をつかむんだという気持ちでサイドの方が有利なのでサイドのエンドの方に向かいました。(リスク)そうですね。あったんですけどトップで帰ってくるしかなかったんで前に出て結果的に良かったのでそこは良かったと思います。(荒天)波が高いというのは葉山のコンディションではないので練習していない海面だったので非常に難しかったです。(最終日まで1レース)1レースしかやってなくてあと2レース行われないと大会が成立しない中で自分たち自身もレースがない中、英語を叩いたり、高得点を叩いてはいけないのにリコールが出てしまったり短期間なので修正が効かなくなってしまうのでその点ではすごく難しいレースになりました。(最後のレース)波がすごく高くなったのに対して風がすごく弱くなって風があれば進むんですけどそのコンディションが苦手で中々前に出れずにそのまま順位を下げてしまった結果です。(吉田監督のお話後には涙も)そうですね。監督には2年生の時からお世話になって当時はヨット部自体もまとまりが全然なかったんですけど監督のおかげでしっかりとまとまることができましたし、仕事を休んででもつきっきりで指導もしていただきました。選手の意識が上がっていない時も厳しく鼓舞してくれたり、優勝への意識も1番強かった方なので今のヨット部があるのは吉田監督のおかげだと思います。本当に感謝しています。(後輩への思い)やっぱりこの悔しさっていうのはしっかりと自分も伝えないといけないですし、朝倉、池田を中心に下の世代もこれを機に大きく成長してくれたら良いと思います。(ヨット人生を終えて)ヨットは13年間ずっとやってきたんですけど常に心がけていたのは負けない気持ちだったので社会人になってもこの経験を生かして負けない気持ちでやっていこうと思います」
朝倉
「(この大会への意気込み)3年生がいない中で自分が2年生で1番鈴木さんと近い場所でやらせてもらって足を引っ張ってはいけない思いで挑みました。(最後のレースでは前に出れた)最後ということで気持ちも吹っ切れましたし、1番は4年生に不安を残さないようなレースをしたいと思ってその気持ちが良かったのかなと思います。スタートが1番いい位置といいタイミングで出れてそこが前で走れたことだと思います。(悔しさ)去年も全日本に連れていってもらってその時は出場しなかったんですけど出場しないと分からない気持ちとか出れていないメンバーが少し多いので体感できなかった部員にもしっかり伝えて来年、再来年そこに向けてしっかり気持ちを作っていきたいです。(来年への意気込み)1学年欠けているので経験とかではパワーダウンすると思うんですけど逆に考えれば成長できる機会はいっぱいあると思うのでポテンシャルを磨くことを意識して頑張りたいと思います」
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元々学年は一緒だけど入った時期が違うというところでまずは1年生の新入生と同じ仕事をしたり(1年生と自分が)同じレベルじゃないですか。でも元からいた同期とかが自分たちと同じ同期として活動したいというふうに言ってくれて、先輩にも言ってくれて受け入れてくれたので途中からですけど、すごく入りやすかったです」 ――毎週末の合宿所生活も仲良くなる一つの要因でしたか。「合宿を毎週するというので朝昼晩ずっと一緒にいるじゃないですか。同じ生活をしていくという意味では、他のいろんな部活とかサークルとかよりかは一緒にいる時間は長かったり、長期合宿の時なんか本当に5日間とか連続でずっと一緒にいました。やっぱりそういった意味ではすごく仲良かったですし、休みの日とかもたまに同期で遊びに行ったりとか仲いい人と遊びに行ったりしているぐらいだったので、そういう感じで仲良くなったなという感じですね」 ――新歓時の体験と実際に入ってみての練習にギャップを感じましたか。 「新歓の時は本当に大学から日本一を目指せる競技だよみたいな感じで先輩に誘われました。実際入ってみると、ヨットという競技自体がまず本当に頭を使うというのと、技術的にも難しいところもあったりとか、細かい調整が必要になってくる部分が本当に難しかったです。最初の時よりかは難しかったなというのはあったんですけど、逆に簡単に行かなかったところもやりがいというか、本当にいろいろ苦労したんですけど、それは部員のみんなで一緒にどうやったらうまくいくかというのを考えながらやっていくのも、すごく楽しかったなというふうに思っています」 ――470級で始めた理由は何ですか。 「単純に470級のクルーのトラピーズに出る(乗員が艇外に出て船の横の傾きを抑える吊り索にぶら下がること)時の写真とか見たら、ああいう姿とかクルーがかっこいいなという部分ですね。あとは先輩に『お前は絶対470だよ』みたいな感じで誘われたのもあって、最初(470級もスナイプ級も)どっちもよく分かんなかったんで、自分がそっちの方がちょっと面白そうだなと思ったところで470を選んだって感じです」 ――2人組で乗るヨットで必要なコミュニケーションはいかがでしたか。 「最初はいろんな先輩に乗せてもらったりとかしてやっていたんですけど、先輩だと新入生に対しては優しく、でも熱心に教えてくれるというところとか、海で出ている間じゃなくて陸に帰ってからもいろいろ勉強させてもらったりとかして、 そうやってヨットの知識つけていたという感じで本当に先輩とはかなりコミュニケーションは取りやすい環境だったかなというふうには思っています」 ――最初に出られた大会、レースは覚えていますか。 「自分がほんとに一番最初に出たレース、同期とかの中ではデビュー時期、公式戦に出るのはかなり遅かった方ではあるんですけど、今まで出たレースの中で覚えているのは同期の人と自分がスナイプに移るかみたいな話になっていたところに、最後に出たという感じの個人戦でした。それはちょっと難しかったなというのは思ったのと、公式戦というのがちょっとあんまり覚えてなくて、新入生の頃は後輩とも最初ペア組ませてもらっていて、そこでもやっぱり自分が伸び悩んでいたりとかもして、結構苦戦したなという思い出の方が多いです。きつかったというか苦労したというのは、すごく思い出に残っている方かなという感じですね」 ――スナイプ級に変更した時期や理由は何ですか。 「自分が転向した時期は2年から3年に上がるタイミングというか、代が変わるタイミングで、その時に考えていたのが470で苦戦してたというのがまず1個。自分が3年、4年になった時に一番活躍できる場所はどこかなというふうに考えたのと、あとは自分の同期が元々少なく、スナイプ級には自分と同じ時期に入った1人しかいなかったというのもあって、それで自分たちの代になった時に自分が470にいるよりもスナイプに移って活動した方が、チームの力になれるかなというのが自分の中では考えました。最初は470しか知らなかったんですけど、スナイプもヨット1年やってきたら面白いなと思って移りました」 ――転向してからのレースはいかがでしたか。 「自分が3年生でスナイプに移ったタイミングの時は自分の3年の時の4年生の人とペアを組ませていただいたんですけど、最初はかなり苦戦したっていうところが大きくて、動き方が違かったりとかやることが違かったりというのもありました。そういうのを覚えるのも含めすごい苦戦したなっていうのはあったんですけど、最初はそんな感じで結構先輩に指導してもらいながら乗っていたというのが大きかったかなと思います」 ――スナイプ級のチームを振り返ってみていかがでしたか。 「最後の4年生のスナイプのチームでも、自分ともう1人が2年生から入ったというところもあって1年少ない分というデメリットもあると思います。その逆のメリットとしては、本当に後輩との距離はだいぶ近くてチームとしてはすごい仲いいチームというか、本当にコミュニケーション取りやすいチームだったのかなというのはすごく感じました」 ――主務を引き受けた理由は何ですか。 「自分の代でどこが一番自分に適しているかなというふうに考えた時に、主将をやりたい人がいたりとかチームリーダーとして引っ張っていく人がいたりとか、役職決める時は話がありました。その中で自分の中では主務という、チームのどちらかと言うと裏方じゃないですけど運営面というか、そういう支えられるような部分が自分の性格にも合っていたのかなというのもあって選びました」 ――選手との両立はどうでしたか。 「主務の仕事っていうのは定期的にあり仕事も結構あったんですけど、自分たちの代は同期の中でも協力し合ってやったりもできたので、いろいろ喋りながら仕事をやるところをやったりとか監督からも助言してくださって手伝ってもらいながらうまく両立できたかなというふうに思っています」 ――全日本の福岡に行った時にしたことはありますか。 「全日本にスナイプが行けなかったのが後輩には本当に申し訳ないなっていうのはあって。スローガンの『一丸』というのもさっきも言ったんですけど、やっぱりチームとして最後自分が引退するまでは本当に明大ヨット部の470を支えるじゃないですけど、そこに対してはやっぱりサポートしていきたいなというところでレースのサポートをするという感じですね」 ――470級のレースをどういう気持ちで見ていましたか。 「自分たちは本当に470 に入賞してほしいという意味でいい順位取ってほしいなという思いを込めながらレース見ていて、一緒に行ったスナイプのメンバーもそうだと思うんですけど、自分たちは引退が決まっていたので、いろんな技術を盗むとかというよりかは本当にもう純粋に応援するというところが本当に大きかったかなと思います。やっぱ 470チームに勝ってほしいなというのが強かったです」 ――関東学生選手権が終わった後はどういう心境でしたか。 「本当に悔しかったというのが一番です。個人的には全日本に行けるチームだったかなというふうには思っていたので、レース自体風吹かなかったというのも自分としてはすごく悔い残るところは大きいんですけど、一緒に乗っていた人もチームの後輩も悔し涙を流していたので、それを見て本当に申し訳ないなという思いも責任も感じながらというところで、最後はそういう感じの気持ちで終わったかなというのはあります」 ――4年生全体として活動が終わった後はどうでしたか。 「自分たちのスナイプがレース最後終わったところから470の全日本が終わるまで、かなり期間はあったので悔しさはちょっとあったんですけど、後輩のサポートとか470のサポートという意味も強く活動してこられたので、自分たちの代をやり切ることができたなという気持ちで、最後終われたのかなというふうに思っています」 ――同期の存在はどうでしたか。 「ヨットは大学で初めてやった競技であったのでそういった意味では本当に同期の存在というのが心の支えになりました。ヨットで苦労していた時もやっぱり同期がいるから合宿所に向かうことができたりというか、同期と一緒に合宿所で過ごすという生活自体もすごく楽しかったので、そういったところで本当に同期には恵まれたなというのが、存在として大きかったなというのは思っています」 ――後輩たちに何か残せたことはありましたか。 「最後の最後までかなり自分のことで精一杯になるというか、個人的にもチームのためにも結果を残さないとというところも大きかったので、あまり何残せたかなと思うと本当に分からないんですけど、チームとしてやっぱり後輩には残せたというよりかは支えてもらったなという方が思いとしては強いです。スナイプチームが、2年生から入った未経験者の2人が4年生になって、中心になってつくったチームだったので、本当に後輩に残せたというよりかは支えられたというところが大きいので手伝ってもらったところも大きかったんですけど、 それが逆に後輩にはいい経験になってくれてたら今後に生かしてくれてたらうれしいなというのは感じています」 ――3年間の中で一番変わった点はありますか。 「合宿生活とかはなかなか経験する機会ないと思うんですよ。3年間とか長い期間での合宿生活は、どこか寮で入っている部活とかそういうところ以外はなかなかないと思います。なのでいろんな人と共同生活するというところは、競技も含めて生活していくというのが、できるように楽しめるようになったというか成長したのかなというふうには思っています」 ――今後ヨットとはどう関わりたいですか。 「競技としては終わりなんですけど、明大ヨット部のことに関しては今後も気にかけながら応援していきたいなという思いで、そういったところで後輩の力になれたらなというところですね」 ――ヨット人生を一言で表すとどんな言葉になりますか。 「充実かなというのは思います。ヨット部に出会って、ヨット部に入ったからこそ大学生活、最初1年コロナ禍で何もできなかったというところから充実した大学生活を送れたのもありますし、目標に向かって取り組める日々というのもなかなか他の人には経験できないようなことも大きかったので、そういった意味では充実したヨット人生だったかなという風には思っています」 ――ありがとうございました。 [北原慶也] ◆伊藤 優汰(いとう・ゆうた)政経4、緑岡。177センチ・70キロ。READ MORE