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無得点に終わるも多くの収穫/東京六大学対抗グライダー競技会
航空 2022.09.08明大からは小林悠佑主将(理工4=本庄第一)・茂手木崇文(総合4=明大中野)の2選手が出場。競技5日目までは天候に恵まれず、思うようなフライトができていなかった。それでも最終日は残暑の日差しが照りつけ、フライトに適した気候の中で行われた。大会を通してポイントを獲得することはできなかったが、来月に行われる関東学生グライダー競技会(以下、関東大会)に向け、多くの収穫が得られた大会となった。 ◆8・29~9・4 東京六大学対抗グライダー競技会(妻沼滑空場)▼明大――3位 この競技は、上昇気流(サーマル)に乗っていかに高く早くポイント地点に到達できるかを競う。グライダーにはエンジンがついていないため、上空に飛ばすにはウインチという車のような機械を使用する。ウインチとグライダーをロープでつなぐことでグライダーが浮き上がる仕組みだ。そのため「自分の技量で自由に空を飛ぶことができる」(小林)。上昇気流を見つけるには地形把握が必要だが、明大は普段の練習を宝珠花で行っている。そのため今大会が行われた妻沼での練習量は他大学に比べて少なく、不慣れなところが多い中での挑戦となった。 「気候条件が悪い」(小林)。競技5日目までは上昇気流がほとんどなかったため、全大学いまだポイントが入らないという前代未聞の状況に。しかし「最終日は上昇気流ができていた」(茂手木)。明大勢はポイントを得ることができず大会期間を終えたが最終日は大会を通して1番のフライトができたと振り返る。 出場には免許の取得が必須で、取得には約2年かかる。さらに新型コロナウイルスの影響も受け、小林、茂手木共に初出場となった今大会。「技量不足を感じた」(茂手木)。来月に行われる関東大会は今大会と同じ妻沼滑空場で行われる。両選手は口をそろえて「ポイントを獲得したい」と語った。大会で使用しているグライダーは1986年に作られたもの。36年もの長い歴史を持つグライダーと共に、選手たちはまた妻沼の青空へと飛び立つ。 [七海千紗] 試合後のコメント小林――グライダー競技の一番の魅力を教えてください。 「自分の操縦で鳥のように上がって、エンジンがないため自由に飛べて、自分の高度や技量が見れるところです。やはり空を飛ぶことができるところが良いです」 ――ポイントを獲得するための課題はありますか。 「低い高度でどれだけ攻められるかと安全との兼ね合いです。低くなりすぎると帰ってくることができないのでどれくらいの高度でポイントが取れるのかと、妻沼のどこに上昇気流があるのかを見極めていきたいと思います」 茂手木――大会の出場が初めてということでしたが緊張はありましたか。 「初日はあまり慣れていない滑空場ということもあり緊張していましたが、競技日を重ねていく中で慣れてきて、離着陸も人並み程度にはなったかなと思います」 ――関東大会に向けての意気込みをお願いします。 「今回の六大戦ではポイントを取れなかったので、次は絶対にポイントを取って周回できるように頑張りたいです」READ MORE -
明大スポーツ第520号『レジャースポーツ特集』航空部インタビュー拡大版
航空 2022.07.157月14日発行の明大スポーツ第520号の企画面では、グライダーで飛ぶことの魅力を語ってくださった航空部。その他、普段の部活動紹介も含めて新聞内ではやむを得ず割愛したインタビュー部分を掲載いたします。(この取材は6月24日に行われたものです)※写真は航空部提供 ――航空部の紹介をお願いします。 「滑空機(グライダー)という動力のない航空機に搭乗し、空を飛ぶ部活です。入部したらまず2人乗りの滑空機に乗り、後席に同乗している教官に教わりながら操縦練習を行います。直線飛行、旋回、離陸、着陸などの一通りの操作が行えるようになったら1人乗りのグライダーに乗り、滑空機の操縦免許の取得を目指します。操縦免許を取得した後は大会の出場を目指して練習を行います。大会では複数の地点が設けられ、どれだけ早くそれらの地点に到達し、元の地点に戻ってこられるかを競います」 ――はじめたきっかけを教えてください。 「自分の手で滑空機を操って空を飛ぶことができるところに魅力を感じ、このスポーツを始めました。空から見る景色は格別で、天気の良い日には東京の高層ビル群や富士山が一望できます」 ――初めてやる人に伝えたいスポーツとしての魅力を教えてください。 「グライダーはウインチや飛行機である程度の高さまで曳航(えいこう)してもらった後、上昇気流を利用して高度を上げていきます。目に見えない上昇気流を捕らえるために、グライダーのパイロットはグライダーに備わっている昇降計、上空の雲、翼が下から押し上げられる感覚などを頼りに上昇気流のコアを探し、そこで旋回しながら高度を上げていきます。空は実にさまざまな表情を持っています。全く上昇気流のない穏やかな日もあれば、強い上昇気流はあるけれど下降気流も強いという日もあります。自然と向き合い、己の技量と知識を駆使して空を飛ぶことに楽しさがあります」 ――行うときのコツや注意点を教えてください。 「まずは、エルロン、エレベーター、ラダーのそれぞれの役割を把握することが大切です。エルロンとエレベーターは操縦桿、ラダーは足にあるペダルで操作するので、手足のコンビネーションを意識してみてください。グライダーは空を飛ぶ以上危険を伴います。航空部ではグライダー組み立て時のダブルチェックや作業をする部員に対する技量のチェック制度、声出しの徹底など安全に対する高い意識を持って練習に取り組んでいます。また、グライダーはエンジンが無いため、着陸時はほとんど音がせず気がつきにくいです。体験に来る際は滑走路は危険な場所であるということを念頭に置き、必ず部員の指示に従うようお願いします」 ――ありがとうございました。 [山岡慎] READ MORE -
個人6位、団体5位 全国大会の出場権を獲得/関東学生グライダー競技会
航空 2018.10.15今季2度目の山場となる関東大会。明大からは渡邉はるか主将(理工4=東京都立西)、石川萌子(農4=湘南白百合学園)の2選手がエントリーした。個人では渡邉が総合6位の好成績をマーク。さらに団体としても5位入賞を果たし、見事3月に控える全国大会への切符を獲得した。◆10・9~14 関東学生グライダー競技会(妻沼滑空場)▼明大――5位 少ない好機をモノにした。常に気象との闘いでもあるグライダー競技。今大会も天候不順により大会3日目、4日目がノーコンテスト、5日目と最終日は全大学が無得点という形で終わった。そのような限られた日数での戦いではあったが、渡邉は1日目と2日目に見事ポイントを獲得。高度不足で惜しくも周回とはならなかったが、前節の六大戦からさらなる躍進を遂げ、計490点を獲得し堂々の6位入賞を果たした。一方の石川は大会を通じて無得点に終わるも、しっかりとした手応えをつかんでいた。「次こそは」とリベンジに燃えている。 全日本での活躍に期待が高まる。関東大会での入賞は2014年の野原芳治氏(平27理工卒)以来の快挙。主将自らの力で手繰り寄せた全国大会の切符は明大発展の布石となったに違いない。「もっと上を目指す」(渡邉)。妻沼での滑空にも徐々に順応してきた明大クルー。この波に乗り、全日本では各々が己の持てる力を存分に発揮する。[高智琉大朗]READ MORE -
悔しくもポイント獲得ならず 次戦でのリベンジを誓う/東京六大学対抗グライダー競技会
航空 2018.09.09今季初となる大会、東京六大学対抗グライダー競技会が行われた。今年は台風21号などの悪天候、さらには機体のトラブルにも見舞われ、大会通じてポイント獲得はできなかった。◆9・2~8 東京六大学対抗グライダー競技会(妻沼滑空場)▼明大――5位 限られた人しか上空を舞うことはできない。大会出場にはライセンスの取得、実技試験の合格が必須だ。そんな中、明大からは渡邊はるか主将(理工4=東京都立西)、石川萌子(農4=湘南白百合学園)の2選手が初出場を果たした。エンジンを用いないグライダーはウインチと呼ばれる機械で上空に飛ばし、上昇気流(サーマル)に乗せて高度を取る。定められた四つの各チェックポイントを回ることでポイントが得られるため、より長い距離、かつ正確性が求められる。技量はもちろん、風の強さや気流の場所を読むといった状況判断能力も欠かせない競技だ。 順応した宝珠花での滑走との違いに苦戦を強いられた。「滑走路の広さも離脱できる高度も異なる」(渡邊)。六大学で唯一自前の滑空場をもつ明大。他大学と比べ練習量では上回るものの、妻沼での練習回数が圧倒的に少ない。そのため、地形の把握や実践といった点でどうしても後れを取ってしまう。「1、2年生は早くソロで飛ぶために意見交換をしている」(渡邊)。チーム全体でスタンダードの向上を図り、環境が変わっても臆さないフライトが目指される。 機材の不調が結果を左右させた。大会最終日順調なスタートを見せるも、すぐに無線の不具合が発生。早期帰還を余儀なくされ、ポイント獲得には至らなかった。「せっかくいい時間に飛ばせていただいたのに、悔しい」(石川)。初出場となった今大会、本領を発揮することはできなかった。しかし「外堀は固まった。後は競技に専念するのみ」(石川)。今大会での雪辱を胸に翌月の関東大会では全力をぶつける。[高智琉大朗]READ MORE -
池谷現役ラスト飛行 13位で終える/全日本学生グライダー競技大会
航空 2018.03.19現役最後の大会に幕を閉じた。全国各地で行われた予選を通過した選手が集う今大会。前大会でフライトしたのが池谷敬主将(営4=千葉市立千葉)だけだったため、明大からは1名のみの出場。天候不順でノーコンテストの日もあったが、全日程を事故なく終えた。結果は得点者15名中13位。昨年の12位を上回れなかったものの、4年間の最後らしい堂々のフライトを見せた。 あと一歩で得点を取れなかった。大会を通して天候条件が整わず、各校が得点獲得に苦しむ中で、最終日は絶好のフライト日和となった。しかし「焦ってしまった」(池谷)。2回目のフライトでは気流に乗り一時850メートルまで上昇。高度を獲得するも、ポイント地点までたどり着けず。好機を生かし切れず、無得点に終わった。 敗因は技量不足とは限らない。明大は独自の滑空場で練習している一方で、他校は普段から開催地である妻沼滑空場で練習をしている。「勝つためには開催地の研究をすることも必要になってくる」(池谷)。経験の差をどう埋めるかが今後のカギとなる。 新シーズンが始まる。来季は渡邉はるか(理工3=東京都立西)が主将を務める。「結果よりも努力をしてほしい。努力をすれば結果が付いてくる」(池谷)。偉大な先輩の金言を胸に、来年も全国の舞台に帰ってくる。[浅野拓磨]READ MORE -
全国大会出場決定 主将の1フライトで決める/関東学生グライダー競技会
航空 2017.10.15次へとつなげた。全国大会への選出をかけ行われた今大会。全13チームで出場権の9枠を争うはずが、悪天候に見舞われ、どのチームも得点が取れず。全チーム無得点のまま全日程が終了した。そのため、全国大会は獲得点数ではなく、獲得高度と滞空時間を基に上位9チームが出場できることとなった。明大からは3名がエントリー。その中で池谷敬主将(営4=千葉市立千葉)が3日目に好記録を出し、明大は6位に。見事全国への切符を手にした。 少ないチャンスを物にした。悪天候により、競技が行われたのが1日目、3日目、5日目のみ。残りの日はノーコンテストとなった。初日に臨んだ池谷は「このままじゃ全国は無理だと思った」(池谷)と、風の少なさに苦しみ、4回のフライトを行うも、思うような結果が出せず。他校と差が開いてしまった。しかし、迎えた3日目は「感覚をつかんだ」(池谷)。他校が天候に苦しむ中、池谷は約15分滞空し、さらに高度も100mまで上昇。この日トップの記録をたたきだした。この好記録で明大チームは6位に食い込んだ。「もし3日目がだめだったらどうなっているか分からなかった」(池谷)。頼もしい主将の1フライトが明大を全国に導いた。 一方で不安要素もある。全国大会に出場できる選手の条件に今大会でフライトをしていることが必要だった。しかし、池谷を除く2人は参加できる日とノーコンテストが重なったため、フライトできず。「もしかしたら自分一人しか出られない可能性がある」(池谷)。人数が少ないと不利に働くこともあるが、チームが一丸となって池谷を支え、全員で戦うことが求められる。 勝利のイメージはできた。風が強く吹く全国大会を見越して、今大会は風でも強くまっすぐに進めるタイプの機体を使用した。 今回の経験を生かし、3月に行われる全国大会では、風の流れを読み上位に食らい付いていく。[浅野拓磨]READ MORE -
今季開幕戦で団体3位を飾る/東京六大学対抗グライダー競技会
航空 2017.09.11今季開幕戦が埼玉県妻沼滑空場で行われた。明大からは初出場の3選手を含め5名が出場。大会2日目には池谷敬主将(営4=千葉市立千葉)と初の公式戦となった西野秀一(理工4=明大中野八王子)が周回を達成した。大会は3日目、4日目が天候不良によりノーコンテストとなったが、事故も無く無事閉幕。昨年は6位と最下位に沈んだが、層の厚さも増し団体3位と成長を見せた。 航空とは言っても、動力を用いないグライダーで勝負する。上空へ飛び立つ際にはウインチと呼ばれるもので、一定の高さになるまでグライダーを引っ張る。その後は上昇気流(サーマル)を見つけて飛行する。コースにはあらかじめ着地点を含む4カ所のポイントが定められており、そこを全て通過して周回を目指す。だがポイントを通過する際は、ゴール地点は300m以上、その他は600m以上の高度が必須。周回のタイムも点数に関係する。さらに昨年の事故の影響から、高度280m以下になった場合は地上に戻るという規則が今年追加された。グライダー競技は、技術そして上空の状況を考えて臨機応変に対応しながら飛ぶという、頭脳派スポーツである。 新ルールに苦戦を強いられた。昨年の関東学生グライダー競技会での事故により、280m以下を切れば着陸しなければならなくなった。だが大会が行われるのは、普段練習で使ってはいない妻沼滑空場。勝手が違うこともあり「280mになるまでに上昇気流を探し切れなかった」(池谷)。大会6日目は他大の選手が続々と周回を達成する中、明大はサーマルを発見できず。周回者0と大きな差が生まれてしまった。「技術のムラをカバーできるくらい部の総体を上げていきたい」(池谷)。ここ数年では多い5名のパイロットが出場しただけに、一人一人の役割を全うし、チーム力で戦えるレベルにしたい。 約1カ月後には関東大会が控える。今回よりも出場する機体の数が増えるため、1回のフライトで粘り強く上空にとどまり続けたいところ。「関東で順位を上げて、全国大会に出場できるようになってもらえれば」と折原正規監督。上位9校に食い込み、全国の舞台へつなげたい。[浜崎結衣]READ MORE -
半年ぶりの大会 団体5位で今季に幕を下ろす/全日本学生競技選手権
航空 2017.03.20半年ぶりの大会 団体5位で今季に幕を下ろす/全日本学生競技選手権 確かな成長を見せた。昨年10月に起こった事故を受け、安全確認大会として開催させた今大会。明大からは池谷敬主将(営3=千葉)、佐藤亮太(理工3=攻玉社)、西野秀一(理工3=明大中野八王子)の3選手が出場した。大会5日目には池谷が周回を決めデイリーに輝くなど、着実にレベルアップ。来季につながる一戦となった。 手応えをつかんだ。時折立つのも難しいくらいの強風が吹く中で行われた大会最終日。風が強いと風下に流されるため、いつも以上に高度が必要となる。明大が保有する宝珠花滑空場でも上空700mほどしか飛べない。「うまくいかないんじゃないか」(池谷)と大会前は不安な気持ちを隠せなかった。だが大会では1000m近くの上昇に成功。「案外いける」(池谷)と自分の技術に自信を持てるようになった。 大会5日目は強い上昇気流を捉え、一気に高度を稼ぐ。パイロットの技量が問われる直進でも沈下せずに進み、今大会明大初となる周回を達成した。さらにこの周回のタイムの速さなどから大会5日目の個人成績で1位を獲得。「運が良かった」(池谷)と振り返るも、運を生かせる技量を付けているのも事実。他大との力の差を縮めていっている。 それでも課題は山積みだ。大会3日目にも周回を決めた池谷だったが、違反が見つかり減点。さらにこの影響で、池谷は翌日飛行停止になるなど悔しさは残る。そして見据えるのは来季。順調に免許を取れれば、明大チームとしては多めの7人がエントリーできる予定だ。「自分で考えたり、トライしたりすることが必要。そしてうまくなりたい気持ちを持つ選手がたくさんそろえば」(池谷)と来季に向け、チーム全体の技術向上を誓った。[浜崎結衣]READ MORE -
次へとつなげる団体6位/東京六大学対抗グライダー競技会
航空 2016.09.11今季初の大会となる六大学対抗グライダー競技会が埼玉県妻沼滑空場で行われた。明大からは佐藤亮太(理工3=攻玉社)と池谷敬(営3=千葉)の2名が初出場を果たした。大会2日目と6日目は天候不順により中止となったが、大会最終日は天候にも恵まれ池谷が今季チーム初の周回を達成。6位と順位は振るわなかったが、共に自身初となる妻沼の地での経験を積み、幕を下ろした。 大会に出場するには国家資格の免許を習得し、実技試験に合格しなければならない。航空部の使うグライダーは動力を用いていないため、ウィンチと呼ばれるグライダーを引っ張る機械で上空へ飛び立つ。飛行後はウィンチを外し、上昇気流に乗って着地点を含む計4カ所を回ることでポイントを競う。上昇気流が発生しづらいポイントを通過するだけでなく、ゴールは300m、他の3カ所は600m以上の高度もなければならない。技術はもちろん、上空でルートを考えながら進む頭脳派競技だ。 ラストチャンスをものにした。今大会は天候不順で中止となった日もあったが、その他の日は天候にも恵まれ他大はいくつもの周回を決めていた。一人も周回をできずに迎えた大会最終日。1番手の佐藤亮は途中で沈下し周回できず。しかし佐藤亮のアドバイスを聞いた2番手池谷が今大会ラストフライトで高度を確実に取ると周回に成功した。しかし団体6位に終わり「散々悔しい思いをした」(池谷)と反省点は山積み。1カ月後の関東大会を見据えて、貪欲に飛んで経験を重ねていく。 必死に食らい付いた。明大は六大学では異例の、宝珠花滑空場という自前の練習場を持っている。時間制限がなく練習量が多くできるなどメリットも大きいが、普段から妻沼滑走路を使用している他大は地の利を生かして点を重ねていく。技術だけでなく経験の差も他大に遅れを取る要因の一つとなった。そこで、何度も飛んだことで得た知識や、他大の選手から得た情報をもとに戦略を一から立て直してこぎ着けた最後の周回。「学びが大きく影響した」(池谷)と7日間を通じて成長を遂げることができた。 大空への旅は今始まった。佐藤亮は5月に、池谷は8月にライセンスを取得したばかり。周囲との経験値の差は言うまでもなかった。「まだまだ自分は下手くそなんだ」(池谷)と力不足を痛感。だが込み上げてくる悔しさは他大選手の存在だけではない。「同期なので負けられない」と第一ポイント千代田での旋回のみに留まった佐藤亮も闘志を燃やす。高性能だが操縦が難しいD1という機体で挑む次戦。今回の反省材料を価値のあるものにし、負けん気が強い2人でチームをけん引していく。[浜崎結衣]READ MORE -
強風に阻まれ全国大会出場逃すも 充実の4年間/関東学生グライダー競技会
航空 2015.12.31得点ならず悔しい結果に終わった。全国大会の出場権もかかった今大会。しかし風速10m前後にもなる強い風が行く手を阻んだ。大会5日目と最終日では上昇気流旋回で高度はクリアしたが、風二流され指定地点にたどり着くことができず。無得点に終わり、2年連続2回目の全国大会出場とはならなかった。 全国への切符目前から一転した。例年同様、天候が荒れ厳しい条件が続いた大会期間。大会6日目までで得点した大学はわずか1校のみとなり、明大は獲得高度900メートルで全国大会出場確実の位置につけていた。そして混戦で迎えた最終日。強い風こそ吹いていたが、気温は上がり上昇気流が発生するなど、得点獲得に天候条件がそろうこととなる。和田のどか主将(農4=大宮)は、大会5日目に風速10メートル前後の中でも高度を獲得し、最終日でも高度を930メートルまで上げることに成功。しかし「コース取りが良くなかった」(和田)。他大と違い妻沼で訓練をしていない経験差が露呈し、風に流され1つ目の得点獲得地点にたどり着くことができず。着陸直後には他大が風が弱まったのと同時に次々に得点を獲得。逆転負けでの順位圏外という結果に「悔しいですね」(和田)。肩を落とした。 「飛びたいという、もうその一心で」。主将の和田は笑って話したが、同期で同じくパイロットである鈴木貴大(理工4=明大中野)が「執念」と見る和田のグライダーへの強い思い。それが部へ変革をもたらした。顕著に現れたのは訓練での発航回数だ。昨年まで1年間1人あたり20回前後、部では1192回を飛んでいたが、今年度は1841回を飛び、その数を大きく増やした。結果も目に見えて現れ、ライセンス取得に4年間をかけるという例年の明大を変え、部全体のレベルが向上しつつある。ライセンス取得が射程圏内にはいる一人での操縦が認められた2年生部員が続々と誕生しているのだ。「やっぱり後輩が成長するのはとてもうれしい」(和田)。今大会も「後輩のためにも飛びたいという気持ちだった」と和田。4機ある全ての機体を管理し訓練をサポート、和田とはライバルとしても技量を高めあってきた鈴木も「自分が取り組む姿勢を見せなくちゃいけない」(鈴木)といつも部への思いを切らさなかった。全国大会出場はならず引退となる4年生だが、その背中は、後輩に確かなものを残した。[川合茉実]試合後のコメント和田「最終日で(全国に)行けなくなっちゃった。5日目最後、風が強かったんだけど上昇気流があって。うまく乗ることができて高度を900くらいまであげることができた。風が強くて慣れてなかったから、ポイントの給水塔までは行くことができなかった。今日(最終日)は風が強い予報ではあったけど、条件は出るだろうと言われていた。でも風が強すぎで。他もみんな始めはだめだったけど、最後。発航が終わってからがヤマ場になってしまいました。うちは他と(強風の中での)練習の差があったけど、自分は明治を背負っているからやってやりたかった。悔しかったですね。今日得点できなかったのは…。(高度を上げるのが難しかったのか)いや、上げることはできた。930くらいはいった。コース取りがあまりよくなかった。他は妻沼で訓練をしている分、経験の差が出てしまった。風が強くて前に進めなくて。給水塔のところに近づくことができなかった。他のところは徐々に近づくというのがうまかった。(六大学戦後、力が伸びたんじゃないかと鈴木選手から話が出ていたが)鈴木がなかなか練習に出れなくなったというのもあると思うけど、自分はたくさん飛ぶことができたというのが大きい。飛べば飛ぶほどわかるようになるというか。飛ぶ量があったから、六大学戦の時よりはだいぶ変わったなと自分でも思います(笑)六大学戦の時は高度も獲得することができなくて。今回はそこが違かった、良かった。(今回は風がかなり強い中だったが、それでも高度獲得した)上昇気流は風によって変わるが、流されつつも上がるポイント、サーマルのでき方のようなものがある。それが前よりもうまく捉えられるようになった。前はがむしゃらに旋回することも多かったかな。他大はやはり妻沼で飛んでる時間が長いからそういう地の利というか、わかっている。(明大からして見れば大会は常にかなり不利な状況だが)まあでも、フライトがうまければできることはあるはずだから。まだまだ(競技に関して)明治は成長途中なのかなと。来年、再来年に期待したい。いい結果を私は期待しています(笑)(航空部に入部してから)入ってからはまさか自分が主将になるなんて思ってもなかった。四年間、いろいろあったけど良かった思い出、楽しかった思い出しかない。主将でも良かった。私は練習に力をかけていたと思う。後輩にいっぱい飛んで欲しくて。やっぱり後輩が成長するのはとてもうれしいから。(大会中での訓練でも新たにソロ飛行者が二人でるなど、結果は続々と現れていると思うが)そうですね、やっぱりうれしいですね(笑)後輩も、同期もみんな頑張っていた。私が飛びたいというもうその一心で(笑)それでフライト数を伸ばして、みんなよくついてきてくれたなと思う。訓練の取り回しを全部自分でできるのがやっててやりがいはあった。自分の働きで飛ぶか飛ばないか、何発飛ぶかというのが変わるから。(やはり一番変えたのは訓練、練習面か)そうですね。質はわからないけど、量。それで確実にレベルは他大と同じところまできている。それまではライセンス取るまでがとても遅かったし、比べ物にならないくらい練習の量が違った。今の2年生の代だったら、その面は互角に戦える。それをつくれたのはものすごく誇りに思っている。自分がライセンスを取ったのは、選手の中でも遅い方だった。でもDGに機体が移って、それからのフライト数も多くなって、滞空時間ものびて。できればもう少しやりたかったけど、自分もやればできるんだなと思った。これで終わりじゃなくて、引退、卒業してからもグライダーを続けることはできるので趣味としてやっていきたい。(就職は)航空関係といえばそんな感じ。これも航空部がきっかけだから、空を飛んでいたいなと思っている。グライダーは生涯できるスポーツだから。(和田さんのピークを最後に持ってこれたのは)これはもうみんなのおかげ。訓練をきちんとやれてきたおかげだと思う。選手である私のたちのためにフライト数をかせいでくれたおかけですかね。後輩のためにも飛びたいという気持ちだった。(改めてグライダーの魅力は)動力なしで飛べるところ。グライダーをやっててよかったととものすごく思う。引退する、この瞬間になってもそう思う。(着陸がきれいですね)着陸する前にフレアを取って降りると、速度を殺してうまく降りれる。うまく取るようにはしている。自分でも気をつけようと思って。全体を通して六大より楽しかった。飛んでても上がれたというのもあるし、選手同士が仲良くなったこともあって楽しかった。うちは他大といつも訓練していないから、他の子たちはここで一緒で訓練しているから仲がいいけど。うちはそういうのがないので。私が学連に入って初めてそういう風に仲良くなった代かな。おもしろかった。どういうところが浮けるポイントなのかとか妻沼のことを聞いたり、世間話とかも。後輩にもやって欲しい。今年初めて新人戦に木曽川のほうまででてもらったのも、技量云々とかではなく、一番やって欲しかったのは友達を作って欲しかった。2年生のうちから交流を深めることで、他大の状況を知ることで、刺激になると思うし、自分が選手になった時もお話できて、もちろん楽しいし、フライトのことでも話せるようにもなる。やっぱり妻沼で慣れてないからね。教えてもらったほうが全然違うし。(主将としての方針は)訓練面では近年で一番の発数をとってやるというのは思っていた。今までのは1年で1000と少しぐらいから、2000近くまで増やした。一人でも20から60くらいに増えているかな。私たちの代は増やせなかったのでライセンサーは二人ですけど、うちの代で何かしようというよりは、後輩に(訓練の)基礎をつくれたというのが、うちの代的に良かったこと」鈴木「自分の未熟さに悔しい。経験と知識の差が大きかった。自分もデルタ1に機体が移ったのが今年の10月。といても31日。発数も稼げなくいて、技術の面も未熟だった。(強風の中だったが)自分としては苦しかったけどまあ粘れたほうかなと。5日目がチャンスでした。でもこれだけの強い風の中で飛ぶというのはなくて、あれが初めてだった。飛んだ時は、申し訳ないのだけど得点とか考えられなくて。生きて帰ってこようということを優先させてしまいました。あとはやっぱり他選手と比べるとバンク(※上昇気流に乗るときの機体の傾き)が緩かった。気合が足りなかったかな(笑)そこの技量差は経験からくるものと思っているので、そこが明らかになってしまったかな。やっぱり妻沼で飛びなれていた方が何かとポイントがわかりやすい。明治大学である以上は仕方のないことだけど。技量差見せ付けられて、これから自分に伸びる場所があるんだなとも思った。でもやっぱり悔しいので、いつか見返せる記録を残せたらと思う。これからもグライダーは続けていきたい。(最終日和田選手にフライトが決まったが)生きて帰ってこいと言いました(笑)無事でこそなので。外から見たことを教えたり、役に立つようにはしていた。やっぱり風によって上がれたとき、そうでないときの軌跡が違った。機体の傾きが浅いかなと。チャンスもなかなかなくて、だからこそ悔しかったというのもあった。(4年間)入部の時とグライダーの乗り方が全然違う。初めはもう何をしたらいいかわからなかった。その中でたまたま浮かぶとか(笑)今では狙って浮かべるようになった。初めてサーマルに乗った時は(サーマルの)真ん中にトンビがいて。良く覚えている。楽しくて忘れられない。(この一年間後輩には)知識ばかり与えても頭でっかちになってしまうので経験を与えようと。だからその中で自分が取り組む姿勢を見せなくちゃいけない。引っ張っていく上で肝かなと思っていた。その点、六大戦でポイントが取れたことは良かった。(発航数増)和田が飛ぶ飛ぶ言っていて、押し切られるような形で。いつのまにかこんな数にというのが正直な印象です(笑)執念だなと。自分も感化された。(良かったこと)サーマルに乗って、高く上がってきた時は本当に楽しい。一番の瞬間。努力すれば結果を成すということを学んだ。努力することの楽しさもですね。地上の作業は辛いと思うときもあったけど、華の部分はできないので絶対に。でも苦しかった。前まで2機でやっていたが、昨年から4機に増えた。それも一人で管理してきたのも苦労した。教えるのも自分しかいなくて。色々なところに目を配っていかなきゃいけなかったが、そのおかげで1年の後半は2年生に仕事を任せられるようになった。(後輩が徐々に力をつけている)一安心って感じです(笑)来年も明大は頑張れるなと。後輩たちは個人の頑張り、パイロットの頑張りというのが一番だと思う。でも数を上げられたのは誇り。後輩にチャンスを上げることができた。同じ機体で長く飛ぶことの重要さをすごく実感した。デルタ1で数時間しか乗っていないから乗り慣れていない。そういうマイナスの部分はなくしてほしい。(改めてグライダーの魅力)自分の操縦で飛ぶので、結果がそのままでる。シビアな部分ではあるけど、楽しい。鍛えられました(笑)感謝の気持ちです。折原監督にですかね。監督にソロの許可出してもらって、単座機に乗って、デルタ1に乗って。やっぱりお世話になったので。監督には恥ずかしくて言えないですけど(笑)」READ MORE
部の紹介 INTRODUCTION
明大航空部の歴史は古く、1930年に創部される。そのため大学の航空部では珍しく、格納庫、合宿所、滑空場を全て独自に保持している。また、使用する機体に動力装置は装備されていない。上昇気流などの気候条件だけを頼りに機体を飛ばすのが、グライダー競技の特徴である。高度な知識と技量が必要だが、部員のほとんどが大学で競技を始める。基本的には下級生で資格取得に向けた座学と複座機での訓練で力を付け、上級生になってから大会に出場する。安全性に気を配りながら日本一を目指している。